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Talks About Music, Books, Cinema ... and Niagara


by hinaseno

早春の小田川(7)― 前掛がはためき、紅裏がひるがえり、白いふくらはぎがちらちらする... ―


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『平賀春郊歌集』を手に入れて平賀春郊のことをいろいろと思い出す中で、たぶん最後に思い出したのが春郊の家にいた女中のこと。春郊は学校に弁当を持参せず、お昼になったら女中に学校まで弁当を運ばせたんですね。この話を挿入したことでタイトルが「弁当」になったわけです。いかにも木山さんらしいタイトルの付け方。
 学校は町の郊外みたいな所の田圃の中にあったので、その田圃の中の道を春郊先生の女中が弁当を持ってくるのが見えるからであった。腹がへっている時に見る女はずいぶん美人に見えるもののようである。ことに寄宿生は外出の規制があるから、女を見ると通学生よりももっと溜息がでるもののようである。
 しかしかなしいかな、正介は背がひくくて階段の前部に腰かけていたので、そういう溜息のでるようなたのしい光景に直接接することができなかった。
 久しい間展の不公平をかこっていたが、或る時うまい智慧がわいた。

その「うまい智慧」のおかげで、正介はようやく春郊の女中の姿を教室から見ることができます。思春期の少年の気持ち(中年になったおっさんのちょっとスケベな気持ちも入っていると思われるかもしれないけど)がとてもよく出ています。かなり前に読んだ「弁当」のストーリーも平賀春郊のこともすっかり忘れていましたが、この場面だけはよく覚えていました。
...に腰かけて半時間ばかりたった時、閑散とした田圃道の曲り角に女中があらわれた。松の葉末ごしにその姿が見えた。女中は白い前掛をしていた。その前掛がぱたぱたと風にはためいた。手にさげている弁当の風呂敷包みは藤の花色だった。弁当箱は重箱やアルミの類ではなく陶器のようであった。陶器が重たいので女中は体を十五度ばかり傾けていた。その傾き方に一種いおうようもない楚々たる風情があった。先生一家の赴任途次、人力車の上に見かけた時の彼女はぽちゃっとしていたが、この日の彼女は実にすんなりしていた。とてもあの同一人とは思えなかった。前掛がはためき、紅裏がひるがえり、白いふくらはぎがちらちらする所が最も魅力的であった。寄宿生たらずとも、正介もはあと一つ溜息がでるのをどうすることもできなかった。

これは当時の矢掛中学校の上空から撮った写真。まさに田圃の中。
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女中がどの田圃道を通ってきたかはわかりませんが、最後はこの校門に向かう道に表れたんでしょうね。彼女の姿を校舎からたくさんの生徒が見つめていたわけです。
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さて、卒業が決まった日、卒業御礼で木山少年は小田川の川っぷちにあった春郊の借家を訪ねます。木山さんにとっては女中に会えるかも知れないとどきどきしていたかもしれません。
木山さんが通されたのは春郊の書斎のあった二階。その日、まさにその書斎のあった部屋かそのとなりの部屋に若山牧水が10カ月ほど前に泊っていたとは思いもよらなかったはず。訊く勇気もなかったのかもしれませんし、何より当時の木山さんは文学に関心をもっていることを親にも教師にもひたすら隠そうとしていました。もちろん一方の春郊も自分が歌人であることも、牧水と中学時代からの長い親交があることを隠していました。

そんなとき、女中が階段を上がって来る音が聞えてきます。でも、途中でその足音は春郊の奥さんの節に変わります。二階に上がってきた奥さんが運んできたのはコーヒー(「小田川」では「紅茶」となっていますが)。スプーンの上に角砂糖を載せた木山さんにとっては初めて見る本物のコーヒー。
「遠慮なく飲みたまえ」と春郊が一言。でも、どうやって飲んだらいいのかわからないで、春郊の真似をして茶碗に角砂糖を落としてかきまぜていたときに春郊の口からびっくりするような言葉が出ます。激しく動揺した木山さんはコーヒー茶碗をひっくり返して座布団の上にこぼしていしまいます。
そのとき春郊が口にしたのはこんな言葉でした。
「木川、お前の歌をよんだぞ。なかなかうまいじゃないか」

なんと春郊は木山さんが矢掛中学の仲間たちとこっそりと出していた、発行部数はたった二十部の同人雑誌を読んでいたんですね。もちろん学校には絶対に秘密にしていたものでした。
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by hinaseno | 2015-04-02 11:05 | 木山捷平 | Comments(0)