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by hinaseno

1959年のバリー・マンとノエル・シャーマン(その1)


バリー・マンとノエル・シャーマンの共作は1959年の3月に始まります。で、最後に共作したのがこの年の11月。つまり二人がいっしょに曲を作ったのは1959年のたった9か月。この間18曲のデモをレコーディング。バリー・マンが1959年に作った曲は30曲足らず。3分の2くらいはノエル・シャーマンとの共作なんですね。
ところが、バリー・マンに関して書かれたもの、例えばCDのブックレット、あるいはブリル・ビルディング系の作家たちのデビュー時のことをかなり詳しく書いているケン・エマーソン著『魔法の音楽』などを見ても、この1959年のバリー・マンとノエル・シャーマンのことに触れたものは全くありませんでした。きっと彼らが共作して他のアーティストによってレコーディングされたもの(10曲ほどレコーディングされています)が全くヒットしなかったからなんでしょうね。

ここでちょっとバリー・マンの歴史を。
バリー・マンの作った曲が最初にレコーディングされたのは1958年9月に発売された「Stranded」という曲。歌ったのはBobby Pedrick Jr.というシンガー。Sid Jacobsonとの共作ですね。「Stranded」は「White Bucks And Saddle Shoes」という曲のB面に収録されました。
で、最初にヒットしたバリー・マンの書いた曲は、このブログでも何度か紹介したダイアモンズの「She Say (Oom Dooby Doom)」。Mike Anthonyとの共作。曲が発売されたのは1959年1月。
このヒットで作家でやっていける自信をもったバリー・マンは(歌手になりたいという希望はずっと持ちつづけていたようですが)アルドン・ミュージックと契約。このアルドンとの契約を勧めたのがジャック・ケラー。2人はその少し前に出会っていて、3歳年上のジャック・ケラーはバリー・マンの才能をいち早く認めて、彼に音楽業界に入るようにいろんなアドバイスをしたようです。
というわけでアルドンと契約したバリー・マンが最初に共作を始めたのが、まさに当時ジャック・ケラーと最も多く共作していたノエル・シャーマン。おそらくジャック・ケラーがバリー・マンをノエル・シャーマンに紹介したんでしょうね。この1959年にバリー・マンがノエル・シャーマン以外に共作している作詞家、例えばJoe ShapiroやHank Hunterはいずれもジャック・ケラーの共作者。ジャック・ケラーが作った曲のデモもバリー・マンがいくつも歌っています。まさにジャック・ケラーがいなければ、ですね。
ただノエル・シャーマンもジャック・ケラーに紹介されたからといって、10歳も年下の20歳そこそこの若者とじゃあ一緒に仕事を、というわけにはならなかったではず。やはりバリー・マンの優れた才能を認めたからこそでしょうね。ジャック・ケラーがそうであったように。
で、ジャック・ケラーがノエル・シャーマンからプロの音楽家として必要なものをいろいろと学んだように、バリー・マンも多くのものを学んだはず。

2人が最初に共作した曲はおそらく「Times Has A Way」という曲。で、この曲はジェリー・ケラー(ジャック・ケラーと紛らわしくて困ります。2人ともJ. Kellerとしばしば記載されているので)によってレコーディングされて、ジェリー・ケラー自身が作った「Here Comes Summer」という曲のB面に収録されます。これがとてもいい曲。1958年のキャロル・キングの曲は、いかにも習作という感じですが、1958年にノエル・シャーマンと共作したバリー・マンの曲は完成されたものばかり。



ちなみにA面の「Here Comes Summer」は後にBruce & Terryによってカバーされます。見事なサーフィン・ソングに生まれ変わって。
by hinaseno | 2014-10-27 11:47 | 音楽 | Comments(0)