今日は8月13日。69年前に荷風が勝山に行った日。今頃荷風は...ということを考えながらこれを書いています。
ところで勝山の○○館で受付兼案内係の女性に特別に見せていただいた市川市文学ミュージアム発行の図録『永井荷風 ―「断腸亭日乗」と「遺品」でたどる365日―』が手元に届きました。初めて見るような写真が満載。うれしくてたまりません。それになによりもこの表紙。
なんと荷風は下駄を履いています。勝山の○○館で見たときには気がつきませんでした。中に収められた市川の町を歩く荷風の写真も下駄を履いている姿がほとんど。
前回、○○館に関して失望感丸出しの文章を書いてしまいましたが、実はすでにそこで下駄との出会いは起こり始めていたんですね。これを見せていただいたからこそ、そのあとのいろんな幸運があったような気もします。
図録の中でいちばんうれしかったのは、やはり「市川を歩く」と題されたページ。6ページにもわたるこの章には真間川、あるいは菅野を歩く荷風をとらえた写真がいくつも。それにしても荷風の歩く姿、あるいは立ち止って風景を眺めている姿には何ともいえないものがあります。
それから「荷風をめぐる人々」と題された章には当然のことながら谷崎潤一郎に関するページがあります。例の谷崎が荷風に贈った「断腸亭」の印鑑のカラー写真。東京大空襲で焼失した偏奇館の焼け跡から掘り出されたものですね。一度は実物を見ておかないといけないような気がします。
それから谷崎が市川に住んでいる荷風に送った葉書の写真も。
そして巻末には川本三郎さんの文章。タイトルは「荷風はどのように女性を愛したか」。このタイトルで昨年の9月に川本さんは市川で講演をされていたようです。
荷風と女性との関係は誤解につながる、というよりも十分に悪く思われてしまうようなことが多いのですが(それどころかフェミニストと称される人たちは唾棄すべき存在になっているでしょうね。僕も荷風との縁を知る前までは、年をとっても好色な、かなり変な人だと思っていましたから)、それに対しての川本さんなりの解釈をされています。どれも心に響くことばかり。で、この言葉。
川本さんのこういう言葉が一人でも多くの人に届いて、荷風を遠ざけている人(ほとんどは女性ですね)がつまらない偏見や誤解をといて、荷風の文学に接してくれることを川本さん同様に願っています。
そういえば川本さんは荷風を読む女性(とても数が少ないのですが)に対して、とても好感を抱かれています。林芙美子や、最近であれば持田叙子さん。
僕もやはり荷風を敬愛する幸田文や小堀杏奴の随筆を手に取ることが多くなっています。
図録には昭和21年以降の『断腸亭日乗』に記された荷風の見た映画の一覧表が載っています。もちろん『断腸亭日乗』で、ざっと見てはいましたが、こうやってまとめられているのを見るとなかなか興味深いものがあります。
ほとんどが外国映画、それもフランス映画がほとんど。日本映画は荷風の作品が映画化されたもの以外は全くと言っていいほど観ていません。もちろん小津の映画も。
目を引くのは1957(昭和32)年4月25日に松竹座で観た映画。エルヴィス・プレスリー主演の西部劇『やさしく愛して(Love Me Tender)』。日記には何の感想も書かれていないのですが、荷風がデビューしたばかりの若きエルヴィスを見て、どんなふうに思ったのか聴いてみたいですね。
それから日記では最後に観た映画となっているのが『パリの恋人』。主演はオードリー・ヘプバーン。荷風はきっと自分がフレッド・アステアになって、ヘプバーンと大好きなパリの街並みを歩いている気分でこの映画を観ていたんでしょうね。もちろん荷風は下駄を履いて。
1957(昭和32)年11月29日のこと。
ところで勝山の○○館で受付兼案内係の女性に特別に見せていただいた市川市文学ミュージアム発行の図録『永井荷風 ―「断腸亭日乗」と「遺品」でたどる365日―』が手元に届きました。初めて見るような写真が満載。うれしくてたまりません。それになによりもこの表紙。
なんと荷風は下駄を履いています。勝山の○○館で見たときには気がつきませんでした。中に収められた市川の町を歩く荷風の写真も下駄を履いている姿がほとんど。
前回、○○館に関して失望感丸出しの文章を書いてしまいましたが、実はすでにそこで下駄との出会いは起こり始めていたんですね。これを見せていただいたからこそ、そのあとのいろんな幸運があったような気もします。
図録の中でいちばんうれしかったのは、やはり「市川を歩く」と題されたページ。6ページにもわたるこの章には真間川、あるいは菅野を歩く荷風をとらえた写真がいくつも。それにしても荷風の歩く姿、あるいは立ち止って風景を眺めている姿には何ともいえないものがあります。
それから「荷風をめぐる人々」と題された章には当然のことながら谷崎潤一郎に関するページがあります。例の谷崎が荷風に贈った「断腸亭」の印鑑のカラー写真。東京大空襲で焼失した偏奇館の焼け跡から掘り出されたものですね。一度は実物を見ておかないといけないような気がします。
それから谷崎が市川に住んでいる荷風に送った葉書の写真も。
そして巻末には川本三郎さんの文章。タイトルは「荷風はどのように女性を愛したか」。このタイトルで昨年の9月に川本さんは市川で講演をされていたようです。
荷風と女性との関係は誤解につながる、というよりも十分に悪く思われてしまうようなことが多いのですが(それどころかフェミニストと称される人たちは唾棄すべき存在になっているでしょうね。僕も荷風との縁を知る前までは、年をとっても好色な、かなり変な人だと思っていましたから)、それに対しての川本さんなりの解釈をされています。どれも心に響くことばかり。で、この言葉。
勝手な男、卑怯、女性蔑視とそしられても仕方がない。にもかかわらず『濹東綺譚』には他の好色文学にはない詩情がある。
それはどこから来るのか。老いだと思う。荷風は若い頃から自分を老人に見立てることが好きだった。青春を描く日本文学が多いなかで荷風の作品は老人文学といってよかった。
老いとは世の中の現実を一歩離れたところから見る距離感である。自分を無用の者、世捨人に見立てている。そこから女性を見る。そこにぎらぎらした欲望をそぎ落とした詩情が生まれる。
川本さんのこういう言葉が一人でも多くの人に届いて、荷風を遠ざけている人(ほとんどは女性ですね)がつまらない偏見や誤解をといて、荷風の文学に接してくれることを川本さん同様に願っています。
そういえば川本さんは荷風を読む女性(とても数が少ないのですが)に対して、とても好感を抱かれています。林芙美子や、最近であれば持田叙子さん。
僕もやはり荷風を敬愛する幸田文や小堀杏奴の随筆を手に取ることが多くなっています。
図録には昭和21年以降の『断腸亭日乗』に記された荷風の見た映画の一覧表が載っています。もちろん『断腸亭日乗』で、ざっと見てはいましたが、こうやってまとめられているのを見るとなかなか興味深いものがあります。
ほとんどが外国映画、それもフランス映画がほとんど。日本映画は荷風の作品が映画化されたもの以外は全くと言っていいほど観ていません。もちろん小津の映画も。
目を引くのは1957(昭和32)年4月25日に松竹座で観た映画。エルヴィス・プレスリー主演の西部劇『やさしく愛して(Love Me Tender)』。日記には何の感想も書かれていないのですが、荷風がデビューしたばかりの若きエルヴィスを見て、どんなふうに思ったのか聴いてみたいですね。
それから日記では最後に観た映画となっているのが『パリの恋人』。主演はオードリー・ヘプバーン。荷風はきっと自分がフレッド・アステアになって、ヘプバーンと大好きなパリの街並みを歩いている気分でこの映画を観ていたんでしょうね。もちろん荷風は下駄を履いて。
1957(昭和32)年11月29日のこと。