差し出された数字は「1959」。
何も考えずにそれを受けとる。一度だけ「いち・きゅう・ごー・きゅう」と読んでみる。もちろん声には出さない。
1週間ほど経って、ふとその数字のことを考える。考えれば考えるほど、その「1959」という数字が何かのメッセージ、あるいは啓示のように思えてくる。
考えていたのは1959年という年のこと。もちろんアメリカン・ポップス。そして「パート5」以降が永遠になくなってしまった『アメリカン・ポップス伝』のこと。
『アメリカン・ポップス伝』を”未完”のものとしてではなく、「パート4」までで完結したものとしてとらえ直してみたときに、それは1959年の物語だったように思えてくる。
1959年はロックンロール終焉の年(バディ・ホリーが亡くなってエルヴィスが入隊した年)であり、アメリカン・ポップスが確かな形をもち始めた年。「始まりが終わり・ 終わりが始まり」というナイアガラ双六的な意味を考えるとき、この年の重要性が浮かび上がってくる。なんてナイアガラ的な年なんだろうと。
思い返してみると、アメリカン・ポップス伝は何度も1日の最後を1959年の曲で締めくくっている。さあ、明日からはいよいよ60年代に突入、と思いきや、予測(期待?)は外れ、別のテーマになって、またその日の最後も1959年の曲で締めくくられるということに。
早く60年代の、あのアーティストの、あのプロデューサーの関わった曲を聴きたい、という気持ちに肩すかしをくわせるように、また50年代中期に戻っては59年の曲に行き着くということの繰り返し。
もちろん放送された「パート4」までに何曲も1960年代の曲をかけられてはいる。でも、それらはほとんど流れのなかでさらっとかけられただけ。僕の方の意識は、1950年代に、1959年という年にとどめられ続けたまま。大瀧さんの意識も同じだったのかもしれない。アメリカン・ポップスを考える上で、一番大切な年は1959年だと、いろんな形で伝えようとしていたのではないかと。
改めてアメリカン・ポップス伝でかけられた1959年の曲をチェックしてみると、このブログで取り上げた印象的な曲がずらっと並ぶ。
ドンドコランカンランタンタンタンというアル・カイオラのギター・フレーズが聴こえるボビー・ダーリンの「Dream Lover」、ニール・セダカの「Oh Carol」、クレスツの「The Angels Listened In」、ロイ・オービソンがジョー・メルソンと作ってようやくヒットした「Up Town」、ピーター・デ・アンジェリスがプロデュースしたフランキー・アヴァロンの「Venus」、それからホワイト・ドゥーワップのいくつもの曲、サム・クックの「(What A) Wonderful World」などなど。バディ・ホリーの「It Doesn't Matter Anymore」も録音されたのは1958年だけどリリースされたのは1959年の1月。
その他にも、大瀧さんが小学生のときに聴いてアメリカン・ポップスにのめり込むきっかけとなったコニー・フランシスの「カラーに口紅」やサンドラ・ディー主演の「避暑地の出来事」の主題歌も。 もちろんエルヴィスの1959年のヒット曲も印象的。
僕がアメリカン・ポップスに関心を持つようになったとき、まず魅かれたのは1963年の曲。それから1961年の曲に魅かれるようになり、そして今、1959年。
アメリカン・ポップス伝を参考にしてずらっと1959年の曲(1959年に録音された曲、1959年にリリースされた曲、1959年にチャート入りした曲)を並べてみる。
で、自分にとって最高の1959年の曲は何だろうと考える。
そしてそれはすぐに見つかる。この曲以外にはないなと。
それはアメリカン・ポップス伝パート4の第1回目の最後にかかった曲。ディオン&ザ・ベルモンツの「A Teenager In Love」。
ちなみに次点はフランキー・アヴァロンの「Venus」とパーシー・フェイス楽団の「Theme from a Summer Place」。
何も考えずにそれを受けとる。一度だけ「いち・きゅう・ごー・きゅう」と読んでみる。もちろん声には出さない。
1週間ほど経って、ふとその数字のことを考える。考えれば考えるほど、その「1959」という数字が何かのメッセージ、あるいは啓示のように思えてくる。
考えていたのは1959年という年のこと。もちろんアメリカン・ポップス。そして「パート5」以降が永遠になくなってしまった『アメリカン・ポップス伝』のこと。
『アメリカン・ポップス伝』を”未完”のものとしてではなく、「パート4」までで完結したものとしてとらえ直してみたときに、それは1959年の物語だったように思えてくる。
1959年はロックンロール終焉の年(バディ・ホリーが亡くなってエルヴィスが入隊した年)であり、アメリカン・ポップスが確かな形をもち始めた年。「始まりが終わり・ 終わりが始まり」というナイアガラ双六的な意味を考えるとき、この年の重要性が浮かび上がってくる。なんてナイアガラ的な年なんだろうと。
思い返してみると、アメリカン・ポップス伝は何度も1日の最後を1959年の曲で締めくくっている。さあ、明日からはいよいよ60年代に突入、と思いきや、予測(期待?)は外れ、別のテーマになって、またその日の最後も1959年の曲で締めくくられるということに。
早く60年代の、あのアーティストの、あのプロデューサーの関わった曲を聴きたい、という気持ちに肩すかしをくわせるように、また50年代中期に戻っては59年の曲に行き着くということの繰り返し。
もちろん放送された「パート4」までに何曲も1960年代の曲をかけられてはいる。でも、それらはほとんど流れのなかでさらっとかけられただけ。僕の方の意識は、1950年代に、1959年という年にとどめられ続けたまま。大瀧さんの意識も同じだったのかもしれない。アメリカン・ポップスを考える上で、一番大切な年は1959年だと、いろんな形で伝えようとしていたのではないかと。
改めてアメリカン・ポップス伝でかけられた1959年の曲をチェックしてみると、このブログで取り上げた印象的な曲がずらっと並ぶ。
ドンドコランカンランタンタンタンというアル・カイオラのギター・フレーズが聴こえるボビー・ダーリンの「Dream Lover」、ニール・セダカの「Oh Carol」、クレスツの「The Angels Listened In」、ロイ・オービソンがジョー・メルソンと作ってようやくヒットした「Up Town」、ピーター・デ・アンジェリスがプロデュースしたフランキー・アヴァロンの「Venus」、それからホワイト・ドゥーワップのいくつもの曲、サム・クックの「(What A) Wonderful World」などなど。バディ・ホリーの「It Doesn't Matter Anymore」も録音されたのは1958年だけどリリースされたのは1959年の1月。
その他にも、大瀧さんが小学生のときに聴いてアメリカン・ポップスにのめり込むきっかけとなったコニー・フランシスの「カラーに口紅」やサンドラ・ディー主演の「避暑地の出来事」の主題歌も。 もちろんエルヴィスの1959年のヒット曲も印象的。
僕がアメリカン・ポップスに関心を持つようになったとき、まず魅かれたのは1963年の曲。それから1961年の曲に魅かれるようになり、そして今、1959年。
アメリカン・ポップス伝を参考にしてずらっと1959年の曲(1959年に録音された曲、1959年にリリースされた曲、1959年にチャート入りした曲)を並べてみる。
で、自分にとって最高の1959年の曲は何だろうと考える。
そしてそれはすぐに見つかる。この曲以外にはないなと。
それはアメリカン・ポップス伝パート4の第1回目の最後にかかった曲。ディオン&ザ・ベルモンツの「A Teenager In Love」。
ちなみに次点はフランキー・アヴァロンの「Venus」とパーシー・フェイス楽団の「Theme from a Summer Place」。