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by hinaseno
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雨の日の夕方、祐天寺駅で傘を持って父の帰りを待っていた少女のこと(2)


川本三郎さんの本でようやく「祐天寺」を見つけたのは『それぞれの東京』(淡交社)。東京に関わりのある文人や画家をとりあげて、それぞれの人たちが関わった東京の「町」について語られた本。取り上げられているのは全部で23人。この本によって、それまで縁もゆかりもなかったような人やその人が暮らした町を身近に思えるようになったものです。
なんといっても木山捷平、そして松本竣介。

改めて考えてみると、この本を買って真先に読んだのが、その「祐天寺」で少女時代を過ごした人でした。
彼女の名は向田邦子。向田邦子とは、ときどき”運命的”な出会い方をしてしまいます。
『それぞれの東京』の向田邦子の章の副題は「祐天寺の郊外住宅地で育った『昭和の娘』」。僕は宿泊場所が「たまたま」祐天寺になったと書きましたが、もちろんいくつかの場所の中でそこを選びました。無意識の領域の不思議さを感じます。

向田邦子は父親の転勤もあって実際にはあちこちで暮らしています。もっとも興味深いエピソードは、彼女はその父親の元を飛びだしてひとりで麻布のマンションで生活をするようになるのですが、その引っ越しの日がまさに東京オリンピックの開会式の日だったという話。このエピソードも、川本さんの本で知りました。

向田邦子が祐天寺で暮らしていたのは昭和17年から22年、向田さんが東京都目黒高等女子学校に通っていた13歳から18歳の頃。最も多感な時期ですね。
実際の住所は東京都目黒区中目黒。目黒という地名の方が僕のようなものにはピンと来るのですが、向田邦子自身は、1980年頃に行なわれた深田祐介との対談で「生まれたのが世田谷の松陰神社、育ったのが祐天寺、...」と語られているように、目黒ではなく祐天寺という認識を持っているようです。家が祐天寺というお寺のすぐ近くだったんでしょうね。そして、最寄りの駅が東横線の祐天寺駅。
雨の日に傘を持って祐天寺駅に迎えに行っていたエピソードは、川本さんの『向田邦子と昭和の東京』(新潮社)で見つけました。
引用されているのは向田邦子の『霊長類ヒト科動物図鑑』に収められている「知った顔」というエッセイ。昨日の最初に引用した文章の後に、こんな話が出てきます。
 あれは、たしか夏の晩だった。
 父の帰ってくる時間に、物凄い夕立がきた。私は傘を持って駅へ急いだ。早くゆかないと間に合わない。うちの父は性急で、迎えがくると判っていても持たずに歩き出す性分である。当時、うちは東横線祐天寺駅のそばだったが、いつもの通り、近道になっている小さな森の中の道を小走りに歩いた。

「東横線祐天寺駅」という言葉を見つけて感動。
このあと、あの超頑固な父らしい話が出てくるのですが、それは割愛。
これまで向田さんのエッセイをいくつも読んできましたが、彼女の少女時代の話が、僕が一晩だけ過ごした祐天寺のあたりのことだと思うと、なんともいえない嬉しい気持ちになってしまいます。
例えば向田邦子の、今も教科書に載っている「字のない葉書」(『眠る盃』)も、まさに彼女の家族が祐天寺に暮らしていたときの話だったんですね。

疎開先で体調を崩した小学校1年生の妹(和子さん)が、家に帰ってきた日の場面は何度読んでも涙ぐんでしまいます。
この日、おそらく母親とともに妹が戻ってきた駅も祐天寺駅のはず。そして邦子さんと弟が家庭菜園の南瓜をとっていて、妹が帰ってきたときに、あの父が「声を上げて泣いた」のも祐天寺にあった家だったんですね。

ああ、もし僕が東京の近くに住んでいたならば、すぐに祐天寺あたりの「隣町(じゃないですけど)探偵」を初めて、向田邦子が暮らしていた家のあった場所や、彼女が祐天寺駅に行くのに通った「近道になっている小さな森の中の道」を探すのですが。

最後に、地図を見ていて気づいたことを少しだけ。
川本さんが『ちょっとそこまで』で「アト・ランダム」にとりあげていた町。最初に並んでいた「高円寺、都立家政、祐天寺」は東京の西の方。「都立家政」は調べたら「野方」の隣ですね。
「高円寺、都立家政、祐天寺」は「アト・ランダム」といいながら、ほぼ一直線に北北西から南南東に並んでいます。これを下に辿っていくと、そのライン上にアゲインのある「武蔵小山」、それから平川さんが最近始められた隣町カフェのある「荏原中延」があって、『早春』の舞台のひとつである「大森海岸」へと出ます。興味深いライン。
このラインを北に辿っていけば「福生」に、ということになればさらに話は面白かったのですが、さすがにそこまで話がうまくできていませんでした。
by hinaseno | 2014-04-13 09:52 | 雑記 | Comments(0)