夕方になって雨が降り出すと、傘を持って駅まで父を迎えにゆかされた。今と違って駅前タクシーなど無い時代で、改札口には、傘を抱えた奥さんや子供が、帰ってくる人を待って立っていた。
これは、ある女性作家のエッセイの一節。川本三郎さんのある本で引用されているのを昨日見つけて、個人的にものすごく感動。
川本さんはこの部分を引用して「戦前昭和の郊外住宅地の小市民的風景」と説明されています(この流れで小津の『生れてはみたけれど』にも少し触れられています)。迎えに行っていた少女は今でいう中学生くらい。
なぜ僕がこの部分を読んで感動したかというと、この女性作家が中学生くらいのときにこの「駅」の近くに住んでいて何度もこの「駅」に足を運んでいたことがわかったから。
その「駅」がどこかというと、「祐天寺」だったんですね。
祐天寺は昨年暮れにモメカルのライブを見に東京へ行ったときに、たまたま宿泊した場所でした。本当は蒲田近辺に宿泊しようと考えていたのですが、どこも満杯。で、ようやく見つけることのできたのが祐天寺の駅近くのホテル。
祐天寺という地名に、どこかひっかかりを感じていましたが、行く前も戻ってからも調べる時間がなく。
で、年末、ようやく時間がとれて、さあいよいよ祐天寺のことを、と書いたのがこの「電車の中のロミオとジュリエットと駅前のヴィクター・マクラグレン、そして太陽は光り輝く」と題された文。この「電車」が東急東横線、そして「駅」が祐天寺。
この文章を書いたのが12月31日。これを書き終えた数時間後に大瀧さんの訃報を知り、多くのことがそこで止まってしまいました。祐天寺のことも。
祐天寺のことを思い出したのは、安西水丸さんがイラストを描いている川本さんの『ちょっとそこまで』を読んでいたとき。その「東京の『隠れ里』」と題されたエッセイの中に「祐天寺」が出てきたんですね。
中野とか阿佐ヶ谷とかという町は、大きくもなければ小さくもない、古くもなければ新しくもない、何の変哲もない中規模の町である。五階以上の高い建物も少ない。似たような規模のまさに「九尺二間」の商店が軒を並べている。大企業のビルなどほとんどなく、どれもが個人商店である。
町はどれも「街」というより「町」と書いた方が雰囲気に合っている。表通りの活気と裏通りの活気と裏通りのすがれた寂しさが渾然となって独特の町の匂いを作り出している。箱庭的といえばいいのか、あるいは長屋的といえばいいのか、町は大きなキー・イメージを中心に広がったというよりは、小さな路地、横町が集まってできたという無秩序のよさを残している。下町的な暖かさもあるにはあるが、同時に都市のいい意味の冷たさもあり、町全体に秘密めいた路地裏、迷路の匿名性がある。
中野や阿佐ヶ谷だけではない。アト・ランダムに思いつくだけでも、高円寺、都立家政、祐天寺、小岩、平井、亀有、常盤台、戸越、と東京にはいたるところになんの変哲もない中規模の町が散在している。こういう町はガイドブックにとりあげられることはまずないところだが、東京という大都市は実はこうした中規模の町の集積体ではないかと思う。
川本さんが思いつつままに並べた隠れ家的な素敵な町、その町の名前の中に、木山捷平が一時期住んでいた「高円寺」と大瀧さんが一時期住んでいた「小岩」にはさまれるような形で、僕がたまたま宿をとることになった「祐天寺」がありました。
で、川本さんのいろんな町歩きの本を暇があればぱらぱらとめくって祐天寺を歩いたものがないかと探していたのですが、なかなか見つかりませんでした。
どうやらなさそうだなとあきらめかけていたときに、このブログで何度も取り上げていた川本さんの本で「祐天寺」を発見。何度も読んでいた文章でした。なぜならば、そこで取り上げられている女性は、やはりこのブログでも何度か取り上げた、僕にとって思い入れの深い人でしたから。
その女性が中学生くらいのときに、雨の日に、”あの”父を迎えに傘を持って祐天寺駅に通っていたなんて、言葉にできないほど感動的な発見でした。