昨日、岡山出身の歌人で木下利玄のことを取り上げましたが、岡山出身の歌人で気になる人といえば、なんといっても平賀元義です。何度かブログにも書きましたが、この人は気になって仕方がありません。
彼の名前に最初に出会ったのはこの写真ですね。例の西大寺鉄道の大多羅駅の写真です。
この駅の横に建っている碑は何だろうということで、平賀元義という歌人のことを知りました。
ところで、その西大寺鉄道の大多羅駅。現在もまだ残っているということは知ってたのですが、最初に行ったときには、例の『鉄道廃線跡を歩く』に載っていた地図が間違っていたために見つかりませんでした。
実はこの夏、めちゃくちゃ暑い日にそこに行ってきました。こんなふうに建物はきちんと残っています。屋根の部分はそのままですね。
でも、平賀元義の名が書かれた碑はどこにもありません。近所の人に何人か聞きましたが誰も知らないとのこと。近くの神社に墓があったはずだとは思いつつ、きちんと調べてなかったので少しだけ探してやめました。この日はとんでもなく気温が高かった日。夏は行動力がさっぱりなくなります。
で、その翌日くらいに古書五車堂さんに立ち寄って、店長さんと平賀元義の話をしたら、平賀元義の本がありますよ、とのこと。ほんとに何でもあるんだからびっくりです。
何冊かある中で買ったのが、この森敬三著の『平賀元義名歌評釈』。
何と昭和8年発行。それからこの平賀元義のことを絶賛している正岡子規の『墨汁一滴』もお店にあったので買いました。読んでびっくり。絶賛なんてものではないですね。
ところで、話は再び木山捷平に。
先日、前から欲しかった木山さんの『自画像』をようやく手に入れて読んでいたら、ひょこっと平賀元義のことが書かれていました。そういえば昨日書いた木下利玄のことも、確か前に読み終えた日記、それから『父の手紙』に収められた静太の日記にも、利玄が亡くなった日に、利玄について触れられていたように思います。
さて、『自画像』に収められている「詩と郷土」というエッセイ。昭和6年に書かれたもの。その書き出しに平賀元義の名前が出てきます。
というわけで、平賀元義はさらに僕にとってさらに身近な存在になったのでした。
ところで、この『自画像』に収められたエッセイを読んで、またまたものすごく驚いたことがあったのですが、それはまた後日。
彼の名前に最初に出会ったのはこの写真ですね。例の西大寺鉄道の大多羅駅の写真です。
この駅の横に建っている碑は何だろうということで、平賀元義という歌人のことを知りました。
ところで、その西大寺鉄道の大多羅駅。現在もまだ残っているということは知ってたのですが、最初に行ったときには、例の『鉄道廃線跡を歩く』に載っていた地図が間違っていたために見つかりませんでした。
実はこの夏、めちゃくちゃ暑い日にそこに行ってきました。こんなふうに建物はきちんと残っています。屋根の部分はそのままですね。
でも、平賀元義の名が書かれた碑はどこにもありません。近所の人に何人か聞きましたが誰も知らないとのこと。近くの神社に墓があったはずだとは思いつつ、きちんと調べてなかったので少しだけ探してやめました。この日はとんでもなく気温が高かった日。夏は行動力がさっぱりなくなります。
で、その翌日くらいに古書五車堂さんに立ち寄って、店長さんと平賀元義の話をしたら、平賀元義の本がありますよ、とのこと。ほんとに何でもあるんだからびっくりです。
何冊かある中で買ったのが、この森敬三著の『平賀元義名歌評釈』。
何と昭和8年発行。それからこの平賀元義のことを絶賛している正岡子規の『墨汁一滴』もお店にあったので買いました。読んでびっくり。絶賛なんてものではないですね。
ところで、話は再び木山捷平に。
先日、前から欲しかった木山さんの『自画像』をようやく手に入れて読んでいたら、ひょこっと平賀元義のことが書かれていました。そういえば昨日書いた木下利玄のことも、確か前に読み終えた日記、それから『父の手紙』に収められた静太の日記にも、利玄が亡くなった日に、利玄について触れられていたように思います。
さて、『自画像』に収められている「詩と郷土」というエッセイ。昭和6年に書かれたもの。その書き出しに平賀元義の名前が出てきます。
われわれ岡山人は近き古典に、兎も角もすぐれた一人のうたびとを持つてゐる。正岡子規をして『万葉以後一千年、その真髄を伝ふるもの元義一人なり』と嘆賞せしめた平賀元義である。その歌集の中に、
古のますらたけをがわたりけむ小田の渡を吾もわたりつ
といふ一首がある。その小田川べりが私たちの郷土である。今ではその『渡』は「観音橋」とかはつてゐるが、私は小さい風呂敷包みを脇に抱へて、ペチヤンコになった下駄をひつかけて、その渡をわたつて中学にかよつた幼い自分を思ひ出す。
というわけで、平賀元義はさらに僕にとってさらに身近な存在になったのでした。
ところで、この『自画像』に収められたエッセイを読んで、またまたものすごく驚いたことがあったのですが、それはまた後日。