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by hinaseno

「鷗外」がつながる


日頃意識していない何かが、まるでだれかがさそっているようにほぼ同時期につながっていくことがあります。2つくらいなら、ちょこちょこつながることはあるので、そんなに気にすることはないのですが、3つくらいのことがつながると、おやっという感じになります。今年のはじめに書いた「『スマイル』がつながる」もそうでした。木山捷平もまさに4つくらいのことが一時期につながりました。そうなるともう運命的。

先日、岡山に帰省していて、いつものように古書五車堂さんに立ち寄りました。古書五車堂さんには、はっきり言って欲しい本が100冊ほどはあるですが(大げさでなく)、読む時間がないことや、置くスペースがないことや、○○がないことから、いつも数冊ずつちょぼちょぼと買っています。こっちを買ったから、こっちは我慢しとこうとか、あれを買おうと思っていたら別の気になる本が見つかったので、予定変更とか。

で、先日買った一冊が小堀杏奴の『朽葉色のショオル』。
杏奴という名前は何年も前から読んでいた『断腸亭日乗』の戦中、戦後部分に何度も登場していたのでぼんやりとは知っていました。でも、彼女が森鷗外の次女であることを知ったのは、今年になって。春先に読んだ高橋英夫の『文人荷風抄』ですね。『朽葉色のショオル』のことも取り上げられていました。
小堀杏奴の『朽葉色のショオル』が古書五車堂さんに置かれているのは、たぶん開店の時から知っていましたが、なんとなく先延ばし。でも、今回はふっと読んでみる気持ちになったんですね。朽葉色の季節になったからでしょうか。そういえば毎回五車堂さんで本を購入すると特製の栞をいただくのですが、今回いただいた栞は朽葉色でした。「朽葉色のしおり」。

いただいたといえば、古書五車堂さんのフリーペーパー「ほんのお通し」。店員の”のんちゃん”が書かれているものですね。現在は2号め(と言っても、僕が店に立ち寄るのはたいてい月末で、すでになくなってしまっているのですが、今回も特別に印刷していただきました。すみません)。
そのフリーペーパーで一番笑わせてもらっているのが「ある日の店内」。今回も前回と同じく食べ物、おやつネタですが、話の展開がすばらしい。どこまでが実話でどこまでがフィクションなのか。
今月号のはこんな会話で始まります。
のん「う〜ん、う〜ん...」
店主「どうしたの? のんちゃん。何時間もうなってるけど」
のん「あ、店主。悩みがあって仕事が手につかないんです」
店主「それは困ったね。僕でよければ相談にのるよ」
のん「実は...ケーキとようかんのどっちを私のおやつにするか決まらないんです。店主とどうぞって、ほら、いつも来てくださるあの方にいただいたんですけどね。あ〜困ったなあ〜」
店主「のんちゃん...、そんなことで...。しかしその対比はまるでマリとあやみたいだね」

「マリ」は森茉莉。森鷗外の長女ですね。そして「あや」は幸田文。もちろん幸田露伴の娘。このあとの話の展開と、オチが素晴らしいです。
それはさておき、幸田文も森茉莉も古書五車堂さんには何冊も置かれていて、幸田文はちょこちょこ買っていますが、森茉莉はいつか読んでみようと思いつつ、前回も手にとってみただけ。
森茉莉と幸田文の違いもわかりませんが、同じ露伴の娘である森茉莉と小堀杏奴の違いもわかりません。

このフリーペーパー、姫路に戻ってから読んだのですが、そのあとで、昭和2年の木山捷平と大西重利のことをまとめたものを読んでいただいた方(最初のきっかけを与えていただいた方)と電話で話をして、その際、お世辞が99%くらいは入っていることは知りつつ、こんなことを言われました。

「あなたの書かれたものを読んでいたら、松本清張の『或る「小倉日記」伝』を思い出しました。読んでなければ、是非読んでみてください」

僕は松本清張は『点と線』くらいしか読んでいなくて、あとは先日、高峰秀子主演の『張込み』を見たくらい。もちろん『或る「小倉日記」伝』のことなんて知りませんでした。それが芥川賞受賞作であることも。
で、その本のことを聞いていたら、森鷗外が出てきたんですね。森鷗外が一時期小倉で過ごした時期のことを探る話。それを聞いただけで、無性に読んでみたくなって昨夜読みました。自分のやっていたことと重なる部分も多々あって本当に面白く読めました。と同時に、この本を薦めてくれた方が、僕の書いたものを読んで、『或る「小倉日記」伝』を思い浮かべられた、もう一つ別の理由もわかりました。それはブログ上では書かなかったことに触れることなので、ここには書きませんが。
それにしても、その方の本に対する造詣の深さと、記憶力に改めて感服してしまいました。

ところで、その松本清張の『或る「小倉日記」伝』には、鷗外の小倉の日々を調べている主人公に、ある場所で出会った人がこんな言葉をぶつけます。
「そんなことを調べて何になります?」

この言葉は主人公の心に深く突き刺さります。
僕は幸いなことに、直接こんな言葉を向けられることはなかったのですが、でも、ごくたまにではあるのですが、どこからかそんな声が聴こえてくる瞬間があります。『或る「小倉日記」伝』の主人公のように「努力」しているという意識は全くないのですが、それでもほんの一瞬だけ小さな絶望感に襲われてしまいます。
「鷗外」がつながる_a0285828_981650.jpg

by hinaseno | 2013-10-31 09:08 | 文学 | Comments(0)