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by hinaseno
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2013年の、秋をひょこひょこ(2)


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2013年の秋、最初に行ったのは木山捷平が昭和2年の10月頃から住むようになった千代田町。姫路駅から西に500mほど行って、例の船場川を渡ったところにある市内の町の一つ。もちろんすぐそばには船場川が流れています。
木山さんはこの千代田町に姫路を離れる昭和4年3月まで住んでいました。『野人』の第四輯と第五輯は、この千代田町の住所で発行されています。木山さんの下宿のあったあたりは以前訪ねていたので今回は千代田町に近い船場川の風景を見てきました。
といっても、そのあたり、木山さんのことを知る前から何度も車で通っていたので目にはしていました。それから、ここ数年は船場川の西沿いの道路を拡張するための工事がずっと続けられていて、風景はどんどん変わっています。

改めて、木山さんが姫路にいた頃に近い大正9年の姫路市街地の地図を貼っておきます。
a0285828_9292427.png

で、これが現在の地図。
a0285828_9303116.png

船場川の流路は、大正9年の地図の大蔵前町と書かれている部分をまっすぐに流れるように変えられています。つまり千代田町に近い船場川は、いくつかかかっている橋の名称はそのまま残っているものの、木山さんのいた頃の船場川ではないんですね。昔のままの流路が残っているのは赤の四角で囲ったあたり。大正9年の地図でいえば「帝国燐寸會社」と書かれているあたりですね。

そこに行ってはっと気がついたことがありました。すぐそばの道を車で通りながら見ただけでは気づけなかった風景がそこにはありました。
これが赤丸をつけた辺りから見た船場川の風景です。
a0285828_9305753.jpg

船場川に沿ってツタで覆われた構築物があります。もちろん姫路の人であるならば、これが何であるかを知らない人はいません。あちこちに、びっくりするような形で残っていますから。僕も初めて姫路にやってきてこれを目にしたときも、一体なんだろうと驚いたものです(建物の真ん中を貫いている部分もあります)。でも、いまだに放置されたまま。撤去に莫大な費用がかかるとのことです。

モノレールの廃線跡なんですね。
ネット上を見ても廃線ファンがたくさん写真を撮っています。僕も廃線跡には心ときめきますが、地上高くコンクリートで作られたものには心が動きません。いつの時代か、新幹線が廃線になっても心動かないでしょうね。まあ、そのときにはこの世にはいませんが。
姫路モノレールは開業が昭和41年ですから、木山さんが姫路にいたときにはもちろんありませんでした。廃止されたのが昭和54年とのこと。それ以来、多くの部分で路線は撤去されずに放置されたまま。コンクリートで作られた構築物というものがいかにやっかいなものかというメッセージを伝えている気がします。
それはさておき、この付近から終点の手柄山まで、モノレールが船場川沿いに作られているとは気がつきませんでした。

で、もうひとつ気がついたのは、確かこのあたりにあったはずの建物がなくなっていたことでした。煉瓦作りの建物。大正9年の地図の「帝国燐寸會社」の煉瓦造りの建物がわりと最近まであったはずだったのですが。
調べてみたら今年の5月くらいに取り壊されたとのこと。今はその跡地が広い駐車場になっていました。なんてもったいない。
地図の赤丸をつけた場所に立てば、船場川、モノレール、そして煉瓦造りの建物という、ちょっとレトロな風景を見ることができたはずだったのに、見逃してしまいました。もう二度と見ることはできない風景。
ネット上を調べたら、やはりその風景をとらえた写真がいくつも。ひとつだけお借りして貼っておきます。
a0285828_9313360.png


ところで先程の「帝国燐寸會社」のこと。木山さんの住んでいた千代田町の近くには大きな紡績工場もありましたがマッチ工場もあったんですね。

実は木山さんには「マッチ」を題材にした詩がいくつかあります。「マッチ工場」を題材にしたものも2つ。ただしそれは「神戸のマッチ工場」。主人公は「おしの」。
「おしの」は木山さんの詩の中にしばしば出てくる女性の名前。以前引用したことのある「夜道を三里」という詩に登場しているのも「おしの」でした。木山さんの空想の中で作られた女性のようですが、おそらくはそのモデルになるような女性が何人かいて、「おしの」という名前を与えられたんでしょうね。
基本的には木山さんの郷里の田舎に生れ育った女性のような気がしますが、もしかしたら千代田町に住んでいるときに出会った、近くのマッチ工場で働いていた女性がモデルになっているのかもしれません。
というわけで、最後にその詩を2つ引用しておきます。
それにしてもなんで「神戸」なんでしょうか。

1つめは、まさに木山さんが千代田町にいた昭和3年に書かれた「おしのを呑んだ神戸」。第一詩集『野』に収められています。
にくい汽車!
おしのの乳房までものせて
上り列車は汽笛をふいた。
神戸へ!
神戸のマツチ工場へ!
さびしいか? おしの
さびしいのに何故行くんだ?
神戸へ!
神戸のマツチ工場へ!

列車は発車した
おしのの乳房までものせて、
にくい神戸!
神戸はおしのを呑んでしまつた。
俺あひとり
田圃の中の停車場にのこされた。

で、2つめはこの続篇ともいうべき作品。タイトルは「神戸のマツチ工場から帰つたおしの」。昭和4年に書かれた詩。姫路にいたときに書かれたのかどうかは微妙ですね。第二詩集『メクラとチンバ』に収められています。岡山弁がいくつも出てきます。
柿の下の野風呂に入つて
おしのはどんぶり首まで沈んでゐた。

――おしのさん、たいちやろか?
――いいえ、えいあんばい!

神戸のマツチ工場から帰つたおしのは
久し振りのやうに空を仰いでゐた。

――きれいなお月さんぢやな!
――きれいなお月さんぢやろ!

柿の繁みの間から
お月さんも久し振りにおしのを見てゐた。

――おしのさん、神戸はえいとこかい?
――………………

おしのはめつきりやせてゐた。
そして青白くなつてゐた。

――おしのさん、もう神戸なんかへ行かんとけよ。
――ええ、もう神戸なんかへ行かんわ。

どこやら向うの石垣で
チンチロリンがないてゐた。


今日は「あまちゃん」の話をした時に触れた、伝説の「長畝川」のことを書くつもりでいましたが(地図には書き込んでいます)、ちょっと長くなりましたので、また明日にでも。
by hinaseno | 2013-10-04 09:32 | 木山捷平 | Comments(0)