先日、荷風関係の本当に素晴らしい一冊の本を買いました。
高橋英夫著『文人荷風抄』。今年の四月に出た本。
川本三郎さんが毎日新聞でこの本の書評を書かれているのを、つい先日ネットで知って、どうしても読みたくなりました。
川本さんはいくつも荷風に関する本を書かれていますが、同時に荷風に関して書かれた本の書評もいくつも書かれていて、ときどきは本をぱらぱらと見たりはしますが、あえて買って(あるいは図書館で借りて)読もうと思うものはありませんでした。
でもこの本だけは違いました。
僕はここで荷風の『断腸亭日乗』の話を延々としているのですが、まだ全部を読んでいないばかりか、おそらくは3分の1すら読んでいません。重点的に読んでいるのは、まだ「索引」という便利なものがあるのを知る前に探した成島柳北のことが多く出てくるあたりから。もちろん一番読んだのは昭和20年ですが。
成島柳北のことが多く出てくるのは昭和18年の2月あたりから。2月10日の『日乗』にこう書かれています。
このあたりから一応最後まで読んだのですが、その部分に頻繁に登場する二人のことが気になっていました。一人は男性、一人は女性。もちろんこの時期の荷風に最も深く関わった男女と言えば何度も書いている菅原明朗と永井智子なのですが、この二人は芸能活動をされていたので、ネット上でもいろんな情報があふれています。
でも、僕が気になっていたのは、一般人。
一人は、前に一度この日のブログで書いた相磯凌霜。関口良雄さんの山王書房の常連客でもあった人ですね。
で、もう一人の女性の方。
名前は阿部雪子。
名前に「雪」という字がついています。
荷風にとって「雪」といえば、多くの人にとってすぐに頭に浮かぶのは『濹東綺譚』のお雪。そして実は先日来話してきた『問はずがたり』のヒロインの名も「雪江」。
荷風の小説をすべて知っているわけではないので、荷風の小説の中でどれくらい「雪」の字がついた女性が出てくるのかはわかりません。でも、僕にとって重要な2つの作品のヒロインの名前に「雪」という字がついているんですね。そしてその「雪」という字がついた女性が、あとでわかったことですがたまたま僕が重点的に読んでいた『日乗』に頻繁に登場している。
高橋英夫さんの『文人荷風抄』は、全部で3章から成り立っているのですが、驚いたことに僕が気になっていた2人の人、阿部雪子と相磯凌霜とのことを大きく扱っていたんですね。第二章の「フランス語の弟子」で阿部雪子を、第三章の「晩年の交遊」で相磯凌霜を取りあげています。
なんといっても阿部雪子を取りあげた「フランス語の弟子」が素晴らしすぎます。昭和20年代後半に撮られた阿部雪子と荷風が二人で並んでいる写真まで載っています。『日乗』を読む限りでは彼女の年齢を知ることはできなかったのですが、荷風とは40歳ほどの年の差。この写真はおそらく30歳を過ぎた頃になるんでしょうか。写真を立った場所が橋の前の河原というのが荷風らしい。実はその写真、何度も見ていた大きな橋の前で撮られた川を見つめる荷風の写真と同じ日に同じ場所で撮られたもの。
彼女の姿は白い半袖のブラウスに当時、つまり昭和20年代後半に多かった長めのスカート。川本さんは彼女の服装を見て、『東京物語』の原節子のようだと書かれています。そう、まさにこの日のブログで貼った原節子の服装にそっくりです。
そういえばこの日のブログで原節子の家は大田区の方向だと書きましたが、『日乗』に載っている、この阿部雪子の戦前の住所もなんと「大森区(現在の大田区)南千束」。もう少し付け加えれば相磯凌霜(鉄工所の重役)も大田区。住所は大森区久ケ原および池上。大田区には縁がありすぎてびっくりします。
荷風と初めて出会ったのは20歳前半。
実はこの阿部雪子が荷風と初めて出会った日というのが、まさに僕が柳北に関する『日乗』の記述を読み始めた日の4日後のこと。『文人荷風抄』には柳北とのつながりのことまでは書かれていませんが。
昭和18年2月10日に大島隆一氏から成島柳北に関する著述(『柳北全集』のことでしょうか)の序を頼まれた荷風は、それを3日後の2月13日に書き上げます。2月13日の『日乗』にその序の全文を載せています。
阿部雪子が『日乗』に初めて登場するのはその翌日、2月14日。考えたらバレンタインデーですね。でも、当時はそんな日は存在しなかったでしょう。
ただ、彼女はこの日、あるお菓子を持参して荷風の偏奇館を訪ねてきます。この日は日曜日だったんですね。
もうひとつ、柳北と阿部雪子が重なって『日乗』に登場してくる部分があります。何度か触れた昭和19年10月16日の『日乗』。全文引用します。
そのあと荷風が写すことになる柳北の「航薇日記」を持ってきてもらった日に彼女はやって来ています。この日は餅栗を持ってきて。
この日荷風が執筆を続けていたのはもちろん『問はずがたり』。荷風はきっと雪子からもらった餅栗を食べながら小説を書いていたんですね。同じ「雪」の字のついた女性をヒロインにした物語を。
高橋英夫著『文人荷風抄』。今年の四月に出た本。
川本三郎さんが毎日新聞でこの本の書評を書かれているのを、つい先日ネットで知って、どうしても読みたくなりました。
川本さんはいくつも荷風に関する本を書かれていますが、同時に荷風に関して書かれた本の書評もいくつも書かれていて、ときどきは本をぱらぱらと見たりはしますが、あえて買って(あるいは図書館で借りて)読もうと思うものはありませんでした。
でもこの本だけは違いました。
僕はここで荷風の『断腸亭日乗』の話を延々としているのですが、まだ全部を読んでいないばかりか、おそらくは3分の1すら読んでいません。重点的に読んでいるのは、まだ「索引」という便利なものがあるのを知る前に探した成島柳北のことが多く出てくるあたりから。もちろん一番読んだのは昭和20年ですが。
成島柳北のことが多く出てくるのは昭和18年の2月あたりから。2月10日の『日乗』にこう書かれています。
午後大島隆一氏来話。成島柳北に関する著述の序を需めれる。
このあたりから一応最後まで読んだのですが、その部分に頻繁に登場する二人のことが気になっていました。一人は男性、一人は女性。もちろんこの時期の荷風に最も深く関わった男女と言えば何度も書いている菅原明朗と永井智子なのですが、この二人は芸能活動をされていたので、ネット上でもいろんな情報があふれています。
でも、僕が気になっていたのは、一般人。
一人は、前に一度この日のブログで書いた相磯凌霜。関口良雄さんの山王書房の常連客でもあった人ですね。
で、もう一人の女性の方。
名前は阿部雪子。
名前に「雪」という字がついています。
荷風にとって「雪」といえば、多くの人にとってすぐに頭に浮かぶのは『濹東綺譚』のお雪。そして実は先日来話してきた『問はずがたり』のヒロインの名も「雪江」。
荷風の小説をすべて知っているわけではないので、荷風の小説の中でどれくらい「雪」の字がついた女性が出てくるのかはわかりません。でも、僕にとって重要な2つの作品のヒロインの名前に「雪」という字がついているんですね。そしてその「雪」という字がついた女性が、あとでわかったことですがたまたま僕が重点的に読んでいた『日乗』に頻繁に登場している。
高橋英夫さんの『文人荷風抄』は、全部で3章から成り立っているのですが、驚いたことに僕が気になっていた2人の人、阿部雪子と相磯凌霜とのことを大きく扱っていたんですね。第二章の「フランス語の弟子」で阿部雪子を、第三章の「晩年の交遊」で相磯凌霜を取りあげています。
なんといっても阿部雪子を取りあげた「フランス語の弟子」が素晴らしすぎます。昭和20年代後半に撮られた阿部雪子と荷風が二人で並んでいる写真まで載っています。『日乗』を読む限りでは彼女の年齢を知ることはできなかったのですが、荷風とは40歳ほどの年の差。この写真はおそらく30歳を過ぎた頃になるんでしょうか。写真を立った場所が橋の前の河原というのが荷風らしい。実はその写真、何度も見ていた大きな橋の前で撮られた川を見つめる荷風の写真と同じ日に同じ場所で撮られたもの。
彼女の姿は白い半袖のブラウスに当時、つまり昭和20年代後半に多かった長めのスカート。川本さんは彼女の服装を見て、『東京物語』の原節子のようだと書かれています。そう、まさにこの日のブログで貼った原節子の服装にそっくりです。
そういえばこの日のブログで原節子の家は大田区の方向だと書きましたが、『日乗』に載っている、この阿部雪子の戦前の住所もなんと「大森区(現在の大田区)南千束」。もう少し付け加えれば相磯凌霜(鉄工所の重役)も大田区。住所は大森区久ケ原および池上。大田区には縁がありすぎてびっくりします。
荷風と初めて出会ったのは20歳前半。
実はこの阿部雪子が荷風と初めて出会った日というのが、まさに僕が柳北に関する『日乗』の記述を読み始めた日の4日後のこと。『文人荷風抄』には柳北とのつながりのことまでは書かれていませんが。
昭和18年2月10日に大島隆一氏から成島柳北に関する著述(『柳北全集』のことでしょうか)の序を頼まれた荷風は、それを3日後の2月13日に書き上げます。2月13日の『日乗』にその序の全文を載せています。
阿部雪子が『日乗』に初めて登場するのはその翌日、2月14日。考えたらバレンタインデーですね。でも、当時はそんな日は存在しなかったでしょう。
ただ、彼女はこの日、あるお菓子を持参して荷風の偏奇館を訪ねてきます。この日は日曜日だったんですね。
阿部雪子と云ふ女より羊羹を貰ふ。
もうひとつ、柳北と阿部雪子が重なって『日乗』に登場してくる部分があります。何度か触れた昭和19年10月16日の『日乗』。全文引用します。
蔭晴定りなし。正午小川君来りて眠をさます。阿部雪子来り餅栗を恵まる。午後森銑三君来り写本柳北の航薇日誌及び林鶴梁の日記二冊を示さる。天保十四年より明治初年まで三十余冊ある由なり。燈下小説執筆前夜の如し。この一編この分にて行けばやがて書上ることを得べし。
そのあと荷風が写すことになる柳北の「航薇日記」を持ってきてもらった日に彼女はやって来ています。この日は餅栗を持ってきて。
この日荷風が執筆を続けていたのはもちろん『問はずがたり』。荷風はきっと雪子からもらった餅栗を食べながら小説を書いていたんですね。同じ「雪」の字のついた女性をヒロインにした物語を。