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by hinaseno
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荷風を見えない力で引き寄せた場所の話(1)


最近気がついたことで最も興味深かったのは、なんといっても荷風が岡山の風景を入れるために後半を大幅に書きかえた『問はずがたり』で、主人公を足守駅あたりからおそらくは庭瀬、妹尾崎辺りに設定されていたと思われる主人公の実家までバスで走らせたルートでした。
前は少し省略したのですが、改めてその部分を引用します。
 西の方総社と呼ばれる町をさして、極めて速力の鈍い旧式の支線列車は、岡山の町を出るが否や備前備中の二国にひろがる明い沃野の唯中に僕の身を運んで行く。今更言ふまでもなく、旅行好きの人は一ノ宮、高松、吉備津などゝいふ町や村の散在してゐる松の多い丘陵の風景の、いかに明媚であるかを知つてゐるだろう。北方の空を限る長い連山の麓から南の方面一帯、瀬戸内の海岸までひろがつてゐる中国筋の沃野は、今しも麦の収穫を終つて稲の植付けに忙しい最中であった。二筋三筋この地方を貫き流れる河川から、縦横に幾筋となく導かれる灌漑用の溝渠には、早苗を積んだ田舟が水の流れに従つて、白壁づくりの農家の軒下を往復し、天鵞絨のような藺草の青さは、洗つたやうな砂道の白さに強烈な色の対照を示してゐる。
 僕の生れた家はかういつた平野の真中に立つてゐる小さな停車場からまたもやバスに乗換えて十五分ばかり樟と松との森林に蔽はれた山際に並んで、いづこも白壁の塀を繞らしてゐる人家の中の一軒である。

荷風が頭に思い描いたのは、吉備津神社のある吉備の中山と日差山の間を流れる足守川に沿った田園地帯を通るルート。残念ながらそのバスから見た風景は描かれていません。なぜならば、そこは荷風自身、岡山にいる間に一度も通らなかったルートでしたから。

何度も紹介している荷風自身が描いたこの地図を使えば、荷風が実際に歩いたのは赤い矢印で示したルート。でも、『問はずがたり』の主人公がバスで通ってやってきたのは青い矢印で示したルート。
荷風を見えない力で引き寄せた場所の話(1)_a0285828_9372873.jpg

荷風は平松氏の農園から南の方に目を向けて成島柳北を想起するのですが、このとき少しは北の方角も目を向けたにはちがいありません。もしかしたら平松氏は吉備の中山、日差山、あるいはその向こうの龍王山や鬼ノ城の話もしたかもしれません。

実はこの青色で示したルートを成島柳北は通っています。そのようすは『航薇日記』の10月29日に描かれています。そこには吉備の中山、日差山(柳北は「庇山」と表記)、龍王山、鬼ノ城など、このあたりの重要な山、史跡がいくつも出てきます。足守川のことは書かれていませんが、おそらく「撫川(なつかわ)」と表記されている川が足守川のことだろうと思います。

前に『雨月物語』の話を書いたときにも触れましたが、柳北は吉備津神社の鳴釜の神事、つまりはこの辺りに伝わる最も魅力的な伝説である「温羅(ウラ)伝説」のことを知っていて、『航薇日記』にも紹介しています。

そう、荷風が『問はずがたり』の主人公をバスで通らせたルートは、まさに「温羅伝説」ルートと重なっています。
桃太郎伝説にもつながる「温羅伝説」を初めて知ったのはたぶん高校時代。歴史的な事実とさまざまな伝説が交錯するこの物語には本当に心がときめくものがありました。

で、改めてネット(たとえばこのブログとかこのブログ)などで伝説に関わる場所を見ていました。
鬼ノ城、血吸川(足守川に合流する川。昭和20年8月28日の『日乗』で「足守と服部といふ駅の間に小川二流あり」と書かれている川の一つが足守川で、もう一つが血吸川)、矢喰神社、鯉喰神社、そして楯築遺跡...。

楯築遺跡?
その遺跡の写真を見たとき、あっと思いました。
ここ、大学時代、近藤先生の授業で行った所じゃないかって。
あの不思議な遺跡はこんなところにあったんだと。びっくり。
僕は吉備津神社以外、あのルートの史跡には行ったことはないと思っていたのですが、行ってたんですね。しかも楯築遺跡は倉敷市ではあるのですが、庭瀬のすぐ近く。

『問はずがたり』の主人公はバスの中から、この楯築遺跡のある丘を眺めたときに、その頂上部にいくつかの立石が並んでいるのが目に入ったでしょうか。いや、庭瀬あたりに住んでいたのならば、子供の頃にそこで遊んでいたかもしれません。そして、あの不思議な石も目にしていたかもしれません。

残念ながら楯築遺跡の写真は1枚も持っていませんので、きれいな写真がいくつも載っているこのサイトの画像を勝手にお借りしました。
荷風を見えない力で引き寄せた場所の話(1)_a0285828_93147100.png

このサイトに載っているこの写真も感動的です。
鬼ノ城からとった「温羅伝説」ルート。まさに、荷風が主人公にバスで通らせたルートです。楯築遺跡の向こうに見える尾根は、荷風の行った平松さんの晴耕園があった場所ですね。
by hinaseno | 2013-06-26 09:34 | 文学 | Comments(0)