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by hinaseno
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『罹災日録』―真実の『断腸亭日乗』(1)


『罹災日録』―真実の『断腸亭日乗』(1)_a0285828_10144646.jpg

荷風の『罹災日録』と『断腸亭日乗』の違いに気がついて、その違いを指摘している人がいないかどうかネット等で調べてみましたが、見つけることはできませんでした。『罹災日録』は『断腸亭日乗』の昭和20年の部分を取り出したもの、との認識が一般的になっているようです。
理由としては、両方を読んだ人、特に内容の違いが大きく出ている岡山に関する記述の部分までを両方読んだ人がほとんどいないということに尽きるのではないかと思います。

『罹災日録』が扶桑書房から発行されたのは昭和22年(1947年)1月。このときにはまだ『断腸亭日乗』は公には発表されていません。公になったのは昭和27年(1952年)に中央公論社から刊行された『荷風全集』に収められてのこと。小津はその翌年にそれを手に入れて読みふけるんですね。

『罹災日録』の「序」に荷風はこう書いています。
罹災日録ハ多年余ガ執筆スル断腸亭日乗ノ中ヨリ西暦一千九百四十五年我ガ昭和廿年ノ部ヲ抜摘セシモノナリ。日乗ハ元ヨリ公表スベキ心ニテ記スルモノニ非ラザルヲ以テ記事ノ精疎文章ノ格式日ニ依リ時ニ随ツテ同ジカラズ。之ヲ通覧スレバ筆勢ニ均一ナク放漫蕪雑ノ陋頗厭フ可キノ観アリ。然レ共今遽ニ之ヲ改メザルハ陋劣乱脈ノ文却テ罹災当時ノ情態ヲ想見スルノ便アレバナリ。又処処記事ヲ削除シ人名ヲ変ゼシモノアルハ筆者現在ノ境遇ヨリシテ事情已ム事ヲ得ザルガ為ノミ。

「記事ノ精疎文章ノ格式日ニ依リ時ニ随ツテ同ジカラズ」。書き換えた理由はこの言葉に集約されていると思います。推敲が十分になされた部分とそうでない部分の差が大きいということですね。
僕もきちんと全ての部分を逐一比較したわけではないのですが、明石の記述あたりまでは内容的にほとんど違いは見当たりません。それ以前に浄書してあったはずの『断腸亭日乗』をほぼそのまま載せて、いくつか言葉を直している程度。
でも、岡山の記述になると、文章そのものが大きく変えられていますし、何よりも驚いたのは、大量に加筆されていることでした。

『断腸亭日乗』を見ると、昭和20年12月28日に『罹災日録』の浄写を始めたことが記されています。
前にも書きましたが終戦後荷風は熱海に移っておそらく10月くらいに『断腸亭日乗』の岡山の日々を浄書し、それからすぐに『問はずがたり』の元になっている『ひとりごと』の後半部分を書き直します。
『罹災日録』の浄写が行なわれたのはその後。
おそらくかなり文章を書く上での精神的、肉体的なエネルギーが回復した中で行なわれたはず。逆に言えば、『断腸亭日乗』の岡山の日々の浄写は、まだそれらが十分に回復していない中でなされたんでしょうね。だから荷風は読み返してみて、その不十分な推敲に不満を覚えた。あるいはエネルギーがなかったために書ききれなかったことにも不満を覚えて書き足した。

ということなので、昭和20年の明石までの日々は十分な推敲の中で『断腸亭日乗』が浄写されていたので書き改める必要はほとんどなかったけれども、岡山の日々に関しては十分に推敲がなされた上で書かれた『罹災日録』に載っている文章こそが『断腸亭日乗』に書かれるべき文章であったといえると思います。少なくとも荷風自身はそう考えていた。だからラジオで放送された『断腸亭日乗』の朗読で実際には『罹災日録』に書かれている方を読んだんですね。

そう考えると、現在は岩波書店の『荷風全集』の別巻に「異文篇」として、ほとんど目立たない形で『罹災日録』は収められているだけなのですが、できれば荷風の岡山の日々だけを取り出した『罹災日録(荷風の岡山の日々)―これが真実の「断腸亭日乗」』と題した本が新たに出版されるべきように思います。そこには『断腸亭日乗』の白眉といわれる東京大空襲の日の記述と変わらない、岡山大空襲の一日のことが記されているのですから。

『断腸亭日乗』にはこのようにたった数行しか書かれていないその日のことが、『罹災日録』には全く違う形で書かれていました。
六月廿八日 晴。旅宿のおかみさん燕の子の昨日巣立ちせしまゝ帰り来らざるを見。今明日必異変あるべしと避難の用意をなす。果してこの夜二時頃岡山の町襲撃せられ火一時に四方より起れり。警報のサイレンさへ鳴りひゞかず市民は睡眠中突然爆音をきいて逃げ出せしなり。余は旭川の堤を走り鉄橋に近き河原の砂上に伏して九死に一生を得たり。(『断腸亭日乗』より)

by hinaseno | 2013-06-19 10:18 | 文学 | Comments(0)