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by hinaseno
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昭和20年6月18日のこと


『夢二と福島』の本のことで昨日、ひとつ書くことを忘れていました。でも、後で考えたら今日書いた方がよかったようなことではあるのですが。

先日横浜から送られてきた『夢二と福島』はもちろん古本なのですが、その本の中にこんなものがはさみこまれていました。
昭和20年6月18日のこと_a0285828_10183224.jpg

『夢二郷土美術館』の案内パンフレットと、「61.11.30」の日付の入ったスタンプ。昭和61年(1986年)11月30日は日曜日。この本のもとの持ち主は30年程前にどうやら日曜日を利用して岡山にある夢二郷土美術館を訪ねられたようです。

夢二郷土美術館は以前にも少し触れましたが、西大寺鉄道の終点の後楽園駅があった場所に建てられています。実はふた月ほど前に行ってみたのですが休館。その日は内田百閒が通った大手饅頭の本店にも行ったのですがそこも定休日で休み。

ところで今日、6月18日といえば、昭和20年(1945年)に荷風が西大寺鉄道の後楽園駅を発見した記念すべき日。

今、ちょうど荷風が68年前に岡山にいた日々が続いているので、日々、この日荷風が何をしていたのかを確認しています。昭和20年の『断腸亭日乗』を見ると、荷風が岡山市内の松月に滞在していた6月には晴れの日が続いていてあまり雨らしい雨が降っていません。今年と同じ空梅雨だったのかもしれません。皮肉にも雨らしい雨が降ったのは空襲があって焼け出された6月29日から30日にかけて。荷風はずぶぬれになって頼るべき知人もいない、廃墟と化した岡山の街を歩いていたんですね。また、それについては改めて書こうと思います。

さて、今日、6月18日の『断腸亭日乗』。前にも少し引用しましたが、全文引用しておきます。
晴、菅原君夫婦朝の中より出でゝ在らず、独昼飯を喫して後昨朝散策せしあたりを歩む、県庁裁判所などの立てる坂道を登り行くにおのづから後楽園外の橋に出づ、道の両端に備前焼の陶器を並べたる店舗軒を連ねたり、されど店内人なく半ば戸を閉したり、橋を渡れば公園の入口なり、別に亦一小橋あり、蓬莱橋の名を掲ぐ、郊外西大寺に到る汽車の発着所あり、眼界豁然、岡山市を囲める四方の峰巒を望む、山の輪郭軟かにして険しからず、京都の丘陵を連想せしむ、渓流また往時の鴨川に似て稍大なり、河原に馬を洗ふものあり、網を投げ糸を垂るゝ者あり、ボートを泛るものあり、宛然画中の光景人をして乱世の恐怖を忘れしむ、晡時客舎にかへる

実は今、読んでいるのは『断腸亭日乗』ではなく『罹災日録』の方。『断腸亭日乗』の昭和20年部分だけを抜き出して出版されたもの、と思っていたのですが、実は相当違っているんですね。
とりあえず、6月18日の『罹災日録』を全文引用します。
晴。昼飯後昨朝散策せしあたりを再び歩む。県庁門前の坂道を登り行くに道おのづから後楽園対岸の外の堤に出づ。橋手前に備前焼の陶器を陳列せし店舗、道の両側に並びたれど、店内寂として人影なく、半ば戸を閉せしもあり。橋を渡れば公園の入口なり。別に亦一小橋あり。蓬莱橋の名を掲ぐ。郊外西大寺に到る汽車の発着所あり。眼界豁然。岡山市を囲める四方の峰巒を望む。山姿優婉京都の丘陵を連想せしむ。渓流また往時の鴨川に似て形勢稍広大なり。河原に馬を洗ふものあり。網を投げ糸を垂るゝものあり。小舟を泛るものあり。宛然画裏の光景人をして乱世の恐怖を忘れしむ。晡時客舎にかへる

先ず気づくのは『罹災日録』では、『断腸亭日乗』の最初に書かれている「菅原君夫婦朝の中より出でゝ在らず」の部分が省かれています。菅原明朗と永井智子に関する部分は他でもかなり省略されています。
その他に関しては、書かれている内容はそんなに違いはないのですが、文章の格調ははるかに『罹災日録』の方がいいんですね。読んだときの調子(荷風の文章の最大の魅力)も全然違います。村上春樹がよく使う表現を借りれば、ねじがぎゅっと締められた感じ。無駄が全くないんですね。

先日荷風の声を聴いたことを書きましたが、実際に読まれたのは『断腸亭日乗』ではなくて『罹災日録』であることを指摘しました。ラジオで放送されたときには「自作朗読『断腸亭日乗』」となっていて、『荷風全集』に収められているCD-ROMにもそう書かれてはいるのですが。でも『断腸亭日乗』と『罹災日録』はかなり違います。『罹災日録』もほうがはるかに優れています。荷風自身もそれがわかっているので、荷風は『断腸亭日乗』ではなく『罹災日録』を手にとって読んだんですね。このあたりのことは明日にでも改めて書きたいと思います。

ネット上で荷風が岡山にいた昭和20年に最も近い昭和15年の地図がありましたので、それをもう少し見やすくして荷風が滞在した松月を入れた地図を作りましたのでそれを貼っておきます。
これを使って後日説明したいこともありますので、地図で見づらい地名や建物の名前を書き込んでいます。
昭和20年6月18日のこと_a0285828_10221521.png

by hinaseno | 2013-06-18 10:23 | 文学 | Comments(0)