昨年書いたこの日とこの日のブログで、古関裕而の「福島夜曲」のことを書きました。当時20歳の古関裕而がたまたま地元の福島で開かれていた竹久夢二展を見に行ってそこに飾られていた夢二の「福島夜曲」に感動して曲をつけたという話です。
それ以来、どこかにその夢二の描いた「福島夜曲」が存在していて何かの画集にでも載っていないんだろうかとずっと思っていたのですが、先日東京都八王子市にお住まいの高橋さんという方から、ある本に夢二の「福島夜曲」が載っているということを知らせていただきました。
玄葉与光編著『夢二と福島』(1988年)という本。
早速調べてみたのですが、アマゾンにもヤフオクにもどこにも見当たらない。ある古書店に1冊だけ見つかりましたがかなりの高額。で、高橋様にお願いしてその本の画像を送っていただきました。前もって高橋様からその本に載っている絵が相当に小さなものであることは伺っていたのですが、でも、初めて夢二の絵と詩を目にすることができ感動しました。ただ、残念ながらそこに書かれている文字はどんなに拡大しても正確に読み取ることはできなかったのですが、その絵の下には夢二の書いた12篇の詞が全て掲載されていました。これにも感動。
で、できればこの本を手にとってみたいと思い、翌日図書館に行ったら福島の県立図書館に1冊あることがわかり、可能であれば送っていただけるとの返事。どうなるかと思っていたらその日の晩に高橋様からヤフオクに「夢二と福島」が出品されているとの連絡。何というタイミング。値段も1000円ちょっと。出品されたばかりでしたので1週間どきどきでしたが無事最初の価格のまま落札。昨日本が届きました。本当についていました。
表紙の絵はもちろん夢二。
タイミングと言えば、ちょうど高橋様から連絡をいただいたとき、ちょうど僕は荷風と夢二のことを考えていたときで、高橋様からいただいた夢二と荷風に関しての問い合わせで『断腸亭日乗』を読み返したために、『問はずがたり』に記載された「豪徳寺」「高井戸」が夢二の少年山荘のあった辺りだということに気づけたんですね。その問い合わせをいただいてなければ気づくことはできなかったと思います。
さて、夢二の「福島夜曲」の絵と詩。巻紙に描かれていたんですね。ただこれが現存するかどうかについてはどこにも書かれていません。「福島夜曲」は『夢二と福島』には4つに分けられて載っています。それぞれ縦1センチ横5センチくらい。しかも残念ながら白黒の写真。ただ、その写真は戦前の何らかの資料からのコピーではなく、実際のものから撮影されているように思います。おそらく少なくともこの本の書かれた1988年(昭和63年)には著者の手の届くところに存在していたように思われます。
『夢二と福島』を読むと、夢二が福島(の人)と深い関わりを持っていたことがわかります。福島へは何度も行ってはいろんな場所を訪ね歩いています。この本には夢二と福島に関係する絵、新聞記事、福島の人とやりとりした手紙、関係者のインタビュー、あるいは福島で夢二がちょこっと手を出しかけた女性のことなど、いろんなものがつめこまれています。夢二を通じて福島とつながれたような気持ちになれます。
ところでその著者の玄葉与光という人。調べてみて驚きました。船引町の町長をされていたということですが、なんと民主党政権下で大臣を務めていた玄葉光一郎の祖父とのこと。
玄葉与光氏は幼い頃から夢二の絵に触れられて、夢二の絵のファンになり、町長をされながらもその研究を進められていたんですね。町長時代には町立図書館を作ってそこに「竹久夢二ルーム」を併設されたとのこと。 「竹久夢二ルーム」は今も存在しているようです。そこに問い合わせたら、もしかしたら「福島夜曲」のことがわかるかもしれません。
さて、『夢二と福島』に載っている「福島夜曲」。一応貼っておきます。画像をできるだけ拡大していろいろ調整しましたが、相当見づらいと思います。
で、絵に添えられた詩。12篇全て載せておきます。
遠い山川たづねてきたに
吾妻時雨れて見えもせず
吾妻山かと窓あけたもの
山は歩いて来ないもの
吾妻山道うつむきがちに
誰が会津へ越えたやら
吾妻山道会津が遠い
とかざなるまい靴の紐
何かやさしい小川がやさし
道によりそひ行く川が
思いの滝をばまいらせかしこ
とても文字摺乱れがち
会津磐梯山がほのぼの見ゆる
心ぼそさにたつ煙り
奥の細道とぼとぼゆきやる
芭蕉さまかよ日のくれに
きのふ得度の青道心か
霊山御山の榧(かや)の果(み)か
みちはみちのく通草(あけび)のつるは
引けばひかれて鳴るほどに
川を隔てた弁天山の
松にことづてしてたもれ
忍ぶお山に帯ときかけりや
散らし松葉の伊達模様
古関裕而が作曲した「福島夜曲」の阿部秀子によって歌われたオリジナルは、この第一篇の「遠い山川...」と第八篇の「奥の細道...」と最後の「忍ぶ(信夫)お山...」の3つが歌われています。ただ、「忍ぶ(信夫)お山...」は夢二の詩では「散らし松葉の」となっているところが「松葉散らしの」に変えられていますね。おそらく音の響きを考えてのことだと思います。
で、島田祐子によって再録音されたものは1番と2番は同じで、3番目が「忍ぶ(信夫)お山...」ではなく、第七篇の「会津磐梯山...」になっています。信夫山よりも会津磐梯山の方が有名ということでしょうか。
ところで『夢二と福島』には他にも福島で開催された夢二展に出品された絵がいくつか掲載されているのですが、その中に「瀬戸の海ぞい」と題された絵が載っていました。荷風の『問はずがたり』の主人公に重なって、ちょっとうれしかったです。これも小さな画像ですが載せておきます。「金弐拾円也」とのこと。この絵も画像が載っているということは、この本を出す時点では実際の絵が存在していたんだろうと思います。できればもう少し大きなカラー写真で見たいですね。
そういえば高橋様から昨夜連絡があって、なんと夢二が昭和3年に春陽堂から出版された上田秋成の『雨月物語』の装丁・挿画を担当しているということでした。ネットに画像がありましたので参考に貼っておきます。
それ以来、どこかにその夢二の描いた「福島夜曲」が存在していて何かの画集にでも載っていないんだろうかとずっと思っていたのですが、先日東京都八王子市にお住まいの高橋さんという方から、ある本に夢二の「福島夜曲」が載っているということを知らせていただきました。
玄葉与光編著『夢二と福島』(1988年)という本。
早速調べてみたのですが、アマゾンにもヤフオクにもどこにも見当たらない。ある古書店に1冊だけ見つかりましたがかなりの高額。で、高橋様にお願いしてその本の画像を送っていただきました。前もって高橋様からその本に載っている絵が相当に小さなものであることは伺っていたのですが、でも、初めて夢二の絵と詩を目にすることができ感動しました。ただ、残念ながらそこに書かれている文字はどんなに拡大しても正確に読み取ることはできなかったのですが、その絵の下には夢二の書いた12篇の詞が全て掲載されていました。これにも感動。
で、できればこの本を手にとってみたいと思い、翌日図書館に行ったら福島の県立図書館に1冊あることがわかり、可能であれば送っていただけるとの返事。どうなるかと思っていたらその日の晩に高橋様からヤフオクに「夢二と福島」が出品されているとの連絡。何というタイミング。値段も1000円ちょっと。出品されたばかりでしたので1週間どきどきでしたが無事最初の価格のまま落札。昨日本が届きました。本当についていました。
表紙の絵はもちろん夢二。
タイミングと言えば、ちょうど高橋様から連絡をいただいたとき、ちょうど僕は荷風と夢二のことを考えていたときで、高橋様からいただいた夢二と荷風に関しての問い合わせで『断腸亭日乗』を読み返したために、『問はずがたり』に記載された「豪徳寺」「高井戸」が夢二の少年山荘のあった辺りだということに気づけたんですね。その問い合わせをいただいてなければ気づくことはできなかったと思います。
さて、夢二の「福島夜曲」の絵と詩。巻紙に描かれていたんですね。ただこれが現存するかどうかについてはどこにも書かれていません。「福島夜曲」は『夢二と福島』には4つに分けられて載っています。それぞれ縦1センチ横5センチくらい。しかも残念ながら白黒の写真。ただ、その写真は戦前の何らかの資料からのコピーではなく、実際のものから撮影されているように思います。おそらく少なくともこの本の書かれた1988年(昭和63年)には著者の手の届くところに存在していたように思われます。
『夢二と福島』を読むと、夢二が福島(の人)と深い関わりを持っていたことがわかります。福島へは何度も行ってはいろんな場所を訪ね歩いています。この本には夢二と福島に関係する絵、新聞記事、福島の人とやりとりした手紙、関係者のインタビュー、あるいは福島で夢二がちょこっと手を出しかけた女性のことなど、いろんなものがつめこまれています。夢二を通じて福島とつながれたような気持ちになれます。
ところでその著者の玄葉与光という人。調べてみて驚きました。船引町の町長をされていたということですが、なんと民主党政権下で大臣を務めていた玄葉光一郎の祖父とのこと。
玄葉与光氏は幼い頃から夢二の絵に触れられて、夢二の絵のファンになり、町長をされながらもその研究を進められていたんですね。町長時代には町立図書館を作ってそこに「竹久夢二ルーム」を併設されたとのこと。 「竹久夢二ルーム」は今も存在しているようです。そこに問い合わせたら、もしかしたら「福島夜曲」のことがわかるかもしれません。
さて、『夢二と福島』に載っている「福島夜曲」。一応貼っておきます。画像をできるだけ拡大していろいろ調整しましたが、相当見づらいと思います。
で、絵に添えられた詩。12篇全て載せておきます。
遠い山川たづねてきたに
吾妻時雨れて見えもせず
吾妻山かと窓あけたもの
山は歩いて来ないもの
吾妻山道うつむきがちに
誰が会津へ越えたやら
吾妻山道会津が遠い
とかざなるまい靴の紐
何かやさしい小川がやさし
道によりそひ行く川が
思いの滝をばまいらせかしこ
とても文字摺乱れがち
会津磐梯山がほのぼの見ゆる
心ぼそさにたつ煙り
奥の細道とぼとぼゆきやる
芭蕉さまかよ日のくれに
きのふ得度の青道心か
霊山御山の榧(かや)の果(み)か
みちはみちのく通草(あけび)のつるは
引けばひかれて鳴るほどに
川を隔てた弁天山の
松にことづてしてたもれ
忍ぶお山に帯ときかけりや
散らし松葉の伊達模様
古関裕而が作曲した「福島夜曲」の阿部秀子によって歌われたオリジナルは、この第一篇の「遠い山川...」と第八篇の「奥の細道...」と最後の「忍ぶ(信夫)お山...」の3つが歌われています。ただ、「忍ぶ(信夫)お山...」は夢二の詩では「散らし松葉の」となっているところが「松葉散らしの」に変えられていますね。おそらく音の響きを考えてのことだと思います。
で、島田祐子によって再録音されたものは1番と2番は同じで、3番目が「忍ぶ(信夫)お山...」ではなく、第七篇の「会津磐梯山...」になっています。信夫山よりも会津磐梯山の方が有名ということでしょうか。
ところで『夢二と福島』には他にも福島で開催された夢二展に出品された絵がいくつか掲載されているのですが、その中に「瀬戸の海ぞい」と題された絵が載っていました。荷風の『問はずがたり』の主人公に重なって、ちょっとうれしかったです。これも小さな画像ですが載せておきます。「金弐拾円也」とのこと。この絵も画像が載っているということは、この本を出す時点では実際の絵が存在していたんだろうと思います。できればもう少し大きなカラー写真で見たいですね。
そういえば高橋様から昨夜連絡があって、なんと夢二が昭和3年に春陽堂から出版された上田秋成の『雨月物語』の装丁・挿画を担当しているということでした。ネットに画像がありましたので参考に貼っておきます。
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金沢市 楠 英介
at 2013-06-27 11:09
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「夢二と福島」を拝見しました。「夢二と福島」の本は絶版のようで、新規に入手できませんが、「夢二-ふくしまの夢二紀行-」内海久二著、歴史春秋社(会津若松市)発行は2年前に発行社に問い合わせて入手できました。ここでも古関裕而さんや西條八十さんの事が出てきます。
玄葉与光の船引町長の先輩町長は助川啓四郎さんです。この助川さんが早稲田実業で夢二の親友でした。助川人脈で、夢二の福島人脈が広がって行きます。
玄葉与光の船引町長の先輩町長は助川啓四郎さんです。この助川さんが早稲田実業で夢二の親友でした。助川人脈で、夢二の福島人脈が広がって行きます。
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hinaseno at 2013-06-27 15:31
貴重な情報ありがとうございました。助川啓四郎さんと夢二との交流の話は『夢二と福島』でもかなり詳しく書かれていました。