人気ブログランキング | 話題のタグを見る

Nearest Faraway Place nearestfar.exblog.jp

好きなリンク先を入れてください

Talks About Music, Books, Cinema ... and Niagara


by hinaseno

『雨月物語』の場所の話(1)


先日、上田秋成の『雨月物語』を読みました。いろんな意味で本当にびっくりしました。
この日のブログで、村上春樹がニュージャージー州のプリンストン大学にいたころ、つまり何度かアズベリーパークを訪れた時期に『国境の南、太陽の西』を書いていたという話をしました。それを執筆していたとき村上春樹がずっと思い浮かべていたのが『雨月物語』だと。その日、また読まなくてはと書いたのですが、実はすぐに図書館で本を借りてきました。最初、ぱらぱらとめくっただけなのに、驚くような言葉が目に飛び込んできました。

まず、最初に収められた「白峰」という作品の最初のページ。いきなり明石の海辺のことが。
主人公(最初は誰だかわからないのですが、あとで西行法師だとわかります)が旅をした場所の地名がいくつか記されているのですが、その中に明石の海辺が出てきます。こんな言葉。
西の国の歌枕見まほしとて、仁安三年の秋は、葭がちる難波を経て、須磨明石の浦ふく風を身にしめつも...

それから、さらにぱらぱらとめくると「吉備津の釜」と題された作品が。吉備津神社の鳴釜の神事に触れた話。鳴釜の神事は桃太郎伝説ともつながっている有名な話。成島柳北の『航薇日記』にも、柳北が吉備津神社に行ったときにこれを見たことが書かれています。
回廊を左にめぐれば、一屋宇あり、中に神竈を築けり、上古の釜あり、二媼其傍にあって松葉を薪に作る、この媼は此神の仕女なり、余に語ていふ、この神釜其の霊甚だ大なり、われ等二人の外宮人も拝する事を得ず、祠殿に於て祈ることあれば此神釜鳴動すること恐るべしと、其姿も物いふさまも、千早振神代の人に見ゆる心地せり

秋成はこの神事の事を知っていて作品にしたんですね。でも、僕が驚いたのは鳴釜の神事のことが書かれていたからではありません。この「吉備津の釜」の主人公の住んでいる場所。
吉備の国賀陽郡(かやのこおり)庭妹の郷

庭妹は「にわせ」。庭瀬ですね。 江戸時代頃には「庭妹」と表記されていたのでしょうか。「庭瀬」の「庭」に「妹尾」の「妹」を足した言葉。まさに”あのあたり”ですね。荷風があの日訪れて、後に『問はずがたり』の舞台にした場所。

「庭妹」という表記が気になってネットで調べたらさらにびっくりするところにぶつかってしまいました。このページ。平賀元義という人の和歌を収めたページ。このページ、前に見てたんですね。
ずっと前に「旭東綺譚」を書いていたときに、この日のブログでこの平賀元義のことに触れています。西大寺鉄道の大多羅駅のそばにこの人の碑があることを知っていたので(この前日のブログにそれが写った写真を貼っています)入れたんですね。

さて、その平賀元義が庭瀬(庭妹)あたりを旅していたときにこんな和歌を詠んでいるんですね。
大井川あさかぜ寒み大丈夫(ますらお)と念ひてありし我ぞ鼻ひる

語釈を見ると「大井川」は現在の「足守川」ではないかとのこと。荷風が吉備線で見た川。この川の下流の笹が瀬川に合流したあたりにかかっている白石橋を渡って庭瀬(妹尾崎)に向かっています。

いろんなものがつながってびっくりします。

『雨月物語』は全部読んだのですが、一番面白いのはやはり「吉備津の釜」だと思いました。夜読むと、かなり背筋が寒くなりましたが。
でも、秋成はなぜこの物語の主人公の住んでいる場所を庭瀬にしたんでしょうか。調べられれば調べてみたいとは思いますが、おそらくは”たまたま”なんでしょうね。僕が”たまたま”そこを知ったように。ただ、一つ言えるのは、庭瀬から妹尾にかけてのあたりには間違いなく物語を喚起するような土地の力があることは確かですね。

柳北は大阪からその庭瀬の人の船に乗って妹尾にやって来る。荷風もあまりにも多くの困難な巡り合わせの果てに庭瀬のあたりにやって来る。そして、後に荷風はまさにその場所を郷里にした画家の物語を書く。

『雨月物語』に関する話、もう少し続けます。
by hinaseno | 2013-06-12 10:20 | 文学 | Comments(0)