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by hinaseno
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安吾と荷風


先日、図書館で川本三郎・湯川説子『図説 永井荷風』(河出書房新社 2005年)という本を借りてきました。荷風に関する様々なものの写真が数多く収められています。その多くがカラー。
前に紹介した『新潮日本文学アルバム』には載っていなかった『断腸亭日乗』の荷風自身が描いた原本のイラストもカラーでいくつも載っています。で、気がついたのはどれも彩色が施されていないこと。岡山の日々を描いたあの2枚だけなのかどうかはわかりませんが、でも、色鉛筆できれいに彩色されているというのは、やはり特別なことのように思いました。小さなことですが。

小さなこと、といえば。
その本のあとがきに書かれていた川本さんの言葉。
永井荷風が好きになると、大上段に文学論や文明論を語るよりも、荷風がどんな生活をしていたのか、東京のどんな町を歩いていたのか、といった細部に興味を覚える。荷風の文学には読者をモノや風景のディテイルへと誘う魅力がある。(中略)生活の芸術化と町を描く小説。今日、われわれが荷風を語る時、より細部へ細部へと興味が深まってゆくのはそのためだろう。

「より細部へ細部へ」、いや、まさにそうですね。僕自身もここまで深く引き込まれるなんて思ってもみませんでした。
前回まで『問はずがたり』という作品についていろいろと書いていたのですが、考えてみたら小説の主題とは関係のないことばかり。もし『問はずがたり』を読もうと思って、その参考にと思ってこのブログに辿り着いたら、きっとなんなんだと思うでしょうね。そんなのばっかりですが。

ところで『問はずがたり』に関しては、坂口安吾が批評(のようなもの)を書いているのを知ってはいたのですが、ネット上にあったので読んでみました。「通俗作家 荷風――『問はず語り』を中心として――」と題されたこの文章。最初から最後までこれでもかというくらい荷風をののしりつづけています。
『問はずがたり』が発表されたのは昭和21年(1946年)7月。安吾のこの文章は2か月後の9月発行の『日本読書新聞』に掲載されています。発表されてすぐに読んでこれを書いたんですね。『問はずがたり』にかこつけて、それまで腹に溜めていた荷風への不満を一気に吐き出した感じです。一言でいえば、荷風が大嫌いなんですね。
こんな言葉から始まっています。
「問はず語り」は話が好都合にできすぎてゐる。

この言葉に関しては、まあその通りだなと思います。いくらなんでも...という状況が続きすぎますから。
でも、作品の批評の部分は3分の1くらいで、あとはただただ荷風の批判。文学を超えて人間性、生き方まで批判しています。
ちょっといくつか言葉を並べてみると、
元々荷風といふ人は、凡そ文学者たるの内省をもたぬ人で、江戸前のたゞのいなせな老爺と同じく極めて幼稚に我のみ高しと信じわが趣味に非ざるものを低しと見る甚だ厭味な通人だ。

文学者は趣味家ではない。趣味で人生をいぢくつてゐるのではない。然し、人各々好みあり、趣味はあげつらふべきものではないから、懐古趣味も結構であるが、荷風の如くに亡びたるものを良しとし新たなるものを、亡びたるものに似ざるが故に悪しといふのは、根本的に作家精神の欠如を物語る理由でもある。

いや、すごい。文学者としては失格だということですね。さらにはこんな言葉も。
荷風にはより良く生きようといふ態度がなく、安直に独善をきめこんでゐるのであるから、我を育てた環境のみがなつかしく、生々発展する他の発育に同化する由もない。

人間としてもだめだということですね。戦災の苦難を経たのち、ようやく久しぶりに小説を書くことができた自分よりも30歳以上も年上の作家に対してここまでの言葉を吐くとは。

さらに言葉は続きます。僕にとっては荷風の作品は先ず第一に「風景」なのですが、それについてもかなり厳しい言葉を連ねています。
荷風の人物は男は女好きであり女は男好きであり、これは当然の話であるが、然し妖しい思ひや優しい心になつてふと関係を結ぶかと思ふと、忽ち風景に逃避して、心を風景に托し、嗟嘆したり、大悟したり、諦観したり荷風の心の「深度」は常にたゞそれだけだ。
男と女とのこの宿命のつながり、肉慾と魂の宿命、つながり、葛藤は、かく安直に風景に通じ風景に結び得るものではない。

風景も人間も同じやうにたゞ眺めてゐる荷風であり、風景は恋をせず、人間は恋をするだけの違ひであり、人間の眺めに疲れたときに風景の眺めに心をやすめる荷風であつた。情緒と道楽と諦観があるのみで、真実人間の苦悩の魂は影もない。たゞ通俗な戯作の筆と踊る好色な人形と尤もらしい風景とが模様を織つてゐるだけである。

僕が坂口安吾を読んだのは10数年前。『堕落論』だけでしたが。そのとき僕は、安吾から「葛藤」やら「苦悩」の形を学んだような気がします。もし、その時期に荷風を読んでいたら安吾と同じような感想を持ったかもしれません。

川本三郎さんの『荷風好日』に「安吾と荷風」という文章が収められています。もともとは『坂口安吾全集』のために書かれたもののようですね。
ここで川本さんはやはり安吾のこの文章に触れられ、でも僕よりもはるかに多くの安吾の作品を読まれているはずの川本さんはこう書かれています。
坂口安吾が永井荷風を嫌った事情は、わかりすぎるくらいによくわかる。

興味深いのはこの後に書かれていること。
しかし、奇妙なことにこの二人は、実は同じような小説を書いている。より正確にいえば、安吾が意外なことに荷風と似たような小説を書いている。

この安吾の小説が何かというと『白痴』。そしてその”似たような”荷風の小説が『濹東綺譚』。安吾は先程の批評文の中でも『濹東綺譚』についてこんなことを書いています。
「濹東綺譚」を一貫するこの驚くべき幼稚な思考がたゞその頑固一徹な江戸前の通人式なポーズによつて誤り買はれ恰も高度の文学の如く通用するに至つては日本読書家の眼識の低さ、嗟嘆あるのみである。

作品のみならず、それを評価する人まで批判しています。

でも、川本さんはこの『濹東綺譚』と安吾の『白痴』にはいくつもの共通点があると指摘し、その共通点を列挙され、最後にこう結ばれています。
確かに、安吾は荷風を嫌っていた。しかし、思いもかけないことに『白痴』は『濹東綺譚』に似てしまった。二人の本質がロマンチストだったからといえようか。
もし、安吾が荷風のように長生きをしていたら、案外、晩年は似たようなことになっていたかもしれない。

ところで、川本さんが共通点として挙げたことで興味深いことが。それはそれぞれの作品の舞台となっている場所のこと。
ともにまず、東京の場末が舞台になっている。『濹東綺譚』は、向島玉の井の私娼街という三流の場末である。『白痴』は、玉の井のような色街ではないが、京浜東北線の蒲田駅から目蒲線で少し行った、当時、安吾が住んでいた矢口渡駅あたりのごみごみとした一画である。

京浜東北線の蒲田駅から目蒲線で少し行った、矢口渡駅あたり。
そこって、今、ここで連載が続いている平川克美さんの『隣町探偵団』のまさに舞台となっている場所。僕は平川さんを通じてこのあたりの地理や歴史にどんどん詳しくなってきています。でも、どうしてものごとはこんなにつながってしまうのでしょうか。
by hinaseno | 2013-06-09 10:20 | 文学 | Comments(0)