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by hinaseno
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岡山県人を主人公にした荷風の小説(5)


荷風の『問はずがたり』は、昭和20年11月に「下の巻」の「八」以降が書き足されました。でも、以前触れたように、その前の部分にも「岡山」という言葉が2カ所出てきます。
一つ目は「上の巻」の「一」。
僕は新帰朝の美術家が誰しも一度は必挙行する個人展覧会などを、百貨店の楼上に開いて見るやうな気にもならず、一応礼儀として先輩の諸名家を歴訪して歩いた後は、しばらく岡山の郷閭に引込み、瀬戸内海の風光にも見飽きてから、一トしきり長崎の町はづれに卜居したこともあつた。

ここで主人公の画家の郷里が岡山だとわかってびっくりしたんですね。でも、その後、岡山のことは全く書かれることもなく、次に出てきたのが「下の巻」の「一」。
...僕の目にはどうやら杉垣の外は――岡山の郷里と同じように――広い畠や川の流れがあるやうな気がして、鳶の舞ふ青空高く汽車か汽船の笛が聞えねばならぬやうな心持になる。

久しぶりに岡山という言葉が出てきました。ここではさらにこんな言葉が続いています。
絵具箱をさげて夏休みに郷里へ帰り、瀬戸内海の処を定めず写生をして歩く路すがら、宿屋の娘と何のわけもなく恋の戯れをした事が思い出される。恋ざかりの田舎娘に東京の青年は夢の国の王子のやうなもので、二言三言冗談を言つてゐる中、恋は忽ち成立つてしまふ。

『問はずがたり』を初めて読んだときには、たったこれだけのことでも、おおっと興奮したのですが、後でその執筆過程を知るといかにもとって付けた感じが否めませんでした。「上の巻」と「下の巻」の最初に、後で書き足したことと辻褄を合わせるためにちょこっと訂正した、あるいはちょこっと書き足した感がありありでしたので。

でも、改めて再読したときに、あることに気がついて、もしかしたら最初から主人公の画家の郷里は岡山として設定して書かれていたのではないかという可能性もあると考えるようになりました。
『問はずがたり』の主人公は初めから郷里を岡山として書かれていた。あるいは昭和19年の10月執筆を再開したときに出会った成島柳北の『航薇日記』を筆写する前に読み直していたときに、その日記の舞台が岡山であることを思い出して、ちょうど書いていた物語の主人公の郷里を岡山にした。
で、その一年後に荷風自身が岡山で過ごすことになり、柳北が滞在していた妹尾近くの庭瀬に行っていたことを知り、続きを書かずにはいられなくなったという可能性。

再読、と言っても2日前なのですが、そのときに、あっと思ったのは、「下の巻」の「三」に書かれている、岡山とは何も関係のない東京での日々を描いた場面。駒場に住んでいる主人公の画家が、戦争が激しくなったある日、ひとりで郊外に散歩に行く場面。
 くづ折れ果てた気をまぎらすには散歩するのが一番よい。さらば何処へ行かう。
 彼岸に近い秋の日は今日も亦昨日のやうに薄く曇つてゐながら、雨になりさうな恐れもなく、歩いても暑くならぬやうに涼しい微風が流れ、樹といふ樹には法師蝉、草といふ草には朝の中から蛼(こほろぎ)が鳴いてゐる。家からは左程遠くない世田ヶ谷から豪徳寺あたり、また少し先へ行つて高井戸三鷹台の辺。久しく歩かなかつた郊外の景色が思出されてくる。
 郊外の眺めもあの辺まで行くと、駒場のあたりよりはずつと広く地勢にも緩やかな高低が生じ、松杉榎などの林がそこ此処に残つてゐて、其間から洋風の住宅の隠見する風景、何やら北米中部の田舎町を思はせる処があつた。丘陵を削つた電車道の両側、芒と小笹の生茂つた中から曼珠沙華の花の真赤に咲いたのは秣を刈つたノルマンデーの野に薊の花の咲いたのを思出させ、小山の麓を流れる用水と白楊樹の乱立した貯水池に鶩の群をなしたのも画をかく身には捨てがたい眺であつた。

荷風の小説の主人公が郊外に行くのはめずらしい。荷風が郊外に行くことがほとんどないのと同じように。
で、荷風が郊外を歩いた場面というと『断腸亭日乗』に書かれた”あの日”しか思い浮かびません。というよりも、あるきっかけがあって(これについてはまた日を改めて詳しく書かせていただく予定です)その日の日記を読み返したばかりでした。そのきっかけがなければ、きっと気づくことはなかっただろうと思います。

それは『断腸亭日乗』の大正14年9月23日に書かれた日記。『問はずがたり』の場面は「彼岸に近い秋の日」。訪れた日もほぼ同じですね。
この日荷風は、開通したばかりの電車に乗って郊外に向かいます。
午後三村君を訪ひ、去年借覧せし蜀山人七々集を返還し、玉川行の電車にて世田ヶ谷を過ぎ、高井戸村に至る。この電車今年の春頃より開通せしなり。高井戸より歩みて豪徳寺に至る。路傍竹林深き処、柴門に竹久といふ名札かゝげたる家あり。一時流行したる雑誌板下絵師竹久夢二子の寓居なるべし。

実はこの日の日記のことはつい先日のブログでも少しだけ触れていました。そのときにはさらっと読み流しただけだったのですが、改めてきちんと読んだ直後に『問はずがたり』を読み返したので、すぐに"つながり"を発見できたんですね。「高井戸」「豪徳寺」「電車」。
『問はずがたり』に書かれている「其間から洋風の住宅の隠見する風景、何やら北米中部の田舎町を思はせる処があつた」という部分、この北米中部の田舎町とはもちろんカラマズーのことでしょうね。

さて、大正14年9月23日に、荷風は高井戸、豪徳寺辺りで岡山出身の画家である竹久夢二の名札のかかった家を発見しています。その夢二の家を発見したあたりの場所を『問はずがたり』の主人公の画家に歩かせています。

この場面はとってつけた感じはどこにもありませんし、間違いなく『ひとりごと』と題された段階から書かれていたに違いありません。荷風が竹久夢二の出身地が岡山であることを『ひとりごと』を書く段階で知っていたかどうかは定かではないにせよ、画家を主人公にした小説で、夢二の家を発見した場所の場面を入れているのは偶然にしてはできすぎているように思いました。
とするならば『問はずがたり』は『ひとりごと』と題されて書かれていた段階から、主人公の画家の郷里を岡山にしていたという可能性は決して低くはないのではと。

ところで荷風が発見した夢二の家は「少年山荘」と名づけられていたものなんですね。場所は現在の東京都世田谷区松原3丁目あたりにあったとのこと。この「少年山荘」、画像はないかと思って調べたらびっくりしました。どこかで見たことのある建物。なんと母の郷里にある夢二の生家の近くに復元されているんですね。墓参りに行く途中で何度も見ていた建物でした。全然知りませんでした。売店として適当に作った建物だろうとずっと思っていました。一度入ったことはありますが、今度帰省したときに改めてきちんと見てきます。いや、本当にびっくり。荷風は武蔵野の森の中でこの洋風の建物を発見したんですね。そしてカラマズーを思い浮かべた。
岡山県人を主人公にした荷風の小説(5)_a0285828_916550.png

by hinaseno | 2013-06-07 09:19 | 文学 | Comments(0)