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by hinaseno
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岡山県人を主人公にした荷風の小説(3)


バスで15分くらいの距離。いくつかの停留所の停車時間を考えればおそらく10km足らずということになるでしょうか。
吉備線の足守駅、あるいは服部駅から下車して10km足らずの場所とは。
岡山から総社まで東西に20kmくらいに延びている吉備線。駅はその区間に8つあります。駅を下りてバスで東西方向に行くのであれば、足守駅、または服部駅で下車する意味がありません。ということは、バスで行ったのは北か南のいずれかということになります。
ただ北に行けばすぐに山間部になるため、『問はずがたり』で描かれている田園の風景はそこにはありません。とするならば方向は南しかありません。ただし服部駅から南に行くとすぐに山にぶつかってしまいます。南へ抜けることができる駅はひとつしかありません。
足守駅。
足守川沿いに南に抜けることができます。
では、その足守駅から10km足らずのところにある場所といえば、そう、荷風が昭和20年7月13日に訪ねて行った平松さんの家のあるあたり、つまり庭瀬と妹尾の間あたりということになります。
実際、『問はずがたり』で描かれている風景は、この日引用した昭和20年7月13日の『断腸亭日乗』に書かれている風景と重なっています。

例えば『問はずがたり』に書かれているこんな風景。
初めこの地に来たころ、芒の穂よりも細かつた稲の穂は忽繁茂して、今は目の及ぶかぎり青葉の波を打たせてゐる。あたりの木立や納屋の屋根にまで匍上がる南瓜の葉蔭からは、大きな南瓜が早くも堅そうな其皮を褐色に変へはじめた。藺草の生茂る貯水池、田舟の繋いである溝渠の水の、堰から溢れおちて川となるあたりには、農家の子供が終日騒ぎながら泳いでゐる。茄子や豆畠の畦には野生の孔雀草が金ぼうげと共に金色の花をさかせ、熟した蕃茄(トマト)は凌霄花と同じ緋色に輝き、垣の槿(むくげ)には蓮のような純白の花が日毎に数多く咲きかけて、満目の風物はいつとなく秋の近くなつて来たことを知らせはじめた。

ただ、実は、庭瀬も妹尾も、あるいは平松さんの家があった妹尾崎も吉備郡ではありません。当時は都窪郡(ただし昭和12年以前は庭瀬は吉備郡だったようです)。
もう一つ、このあたりの場所へ行くならば、吉備線に乗る必要はありません。庭瀬には当時から山陽本線の駅があります。当時であれば岡山からひとつ目の駅。ほんの数分で行ける場所。その場所に行くために、荷風はわざわざ少しだけ北の方に山間をくねくねと行く吉備線に主人公を乗せ、それから15分もかけてバスで南に行かせています。

知らない人にはまったく気づけないことなのですが(というか僕自身も荷風の日々を辿っていったからこそわかり得たのですが)、岡山県人としてはあまりにも不自然。

では、荷風はこのことを知らなかったのか、といえば、実はすべて知っていました。山陽本線に庭瀬駅があることも、庭瀬から妹尾にかけての地域が吉備郡ではなく都窪郡であることも。知っているがゆえに『問はずがたり』の主人公の家を「吉備郡□□町」としたんですね。吉備線に乗らせて吉備郡であるように思わせて、でも実際は吉備郡ではなく都窪郡の庭瀬町から妹尾町にかけての場所。ありそうでどこにもない場所。

前にも貼りましたが『断腸亭日乗』の昭和20年7月13日の日記に添えられた荷風によって描かれたこの地図。吉備線の南に山陽本線(荷風は中国本線と表記しています)を描き「庭瀬駅」とはっきりと書いています。その庭瀬駅の北で、笹が瀬川が西の方向に枝分かれしていますが、それが足守川。足守駅はその先にあります。
岡山県人を主人公にした荷風の小説(3)_a0285828_933288.jpg

地名に関しても、まずこの昭和20年7月13日の日記の最後にこう記されています。
備前国都窪郡福田村妹尾崎晴耕園

さらには前にも引用した昭和20年9月5日の日記の最後。熱海で滞在するようになった家で成島柳北の『航薇日記』を発見した日ですね。
岡山県都窪郡妹尾町ハ維新前旗本戸川成斎が領地なり○妹尾より岡山城まで二里○備中高松稲荷神社戸川主馬助領地○庭瀬ハ板倉候領地高松ハ花房氏の領地なり○吉備郡足守ハ木下候領地○吉備津の宮ハ大吉備津彦の尊即孝霊天皇を祭る
                        右航薇日記識すところ

「妹尾」「庭瀬」「足守」の地名を、その歴史とともにきちんと確認しています。

昔の足守駅の写真があればと思って探したのですが、見当たりませんでした。ただ僕の持っている『岡山の鉄道』という写真集に、足守駅の隣の服部駅の昭和35年頃の写真がありましたので、それを貼っておきます。たぶん似たような造りだったと思います。
岡山県人を主人公にした荷風の小説(3)_a0285828_9323468.jpg

by hinaseno | 2013-06-05 09:36 | 文学 | Comments(0)