先日、荷風が戦後間もない時期に書いた「亜米利加の思出」という随筆を紹介しましたが、その随筆が入っている『荷風全集』の最初に収められた『問はずがたり』という小説を昨夜読んでいたら、驚きました。
東京で暮らす主人公である画家の郷里がなんと岡山。そして小説の最後でその画家は郷里の岡山で暮らすようになるという話。言うまでもありませんが、荷風の描いている岡山の風景はまさに荷風が岡山に滞在していたときに見たもの。
『断腸亭日乗』を読みながら、荷風の岡山の日々を辿っていったとき、荷風が岡山を舞台にした小説を書いていないのだろうかとずっと思っていたのですが、あったんですね、そんな作品が。
江藤淳は『荷風散策』で「私はこの問わずかたりをもって事実上小説家永井荷風の文業の最後を画する作品と考える」と書いているそうですが、正直、小説としては素晴らしい作品と言えるほどのものではないのですが、戦前から終戦後の荷風の日々を小説的に知ることのできる貴重な作品だと思いました。
『問はずがたり』が発表されたのは昭和21年(1946年)7月。ただ、『荷風全集』の「後記」にも書かれていますが、『問はずがたり』はかなり複雑な執筆過程をたどっています。書き始めたのは昭和19年(1944年)4月22日。もちろんまだ偏奇館があったころ。でも、何度も執筆が中断しているようです。題名も最初は「夢の夢(夢のゆめ)。途中で「ひとりごと」に変更され、それから『問はずがたり』へと変わっています。
一応「問はずがたり」について書かれた『断腸亭日乗』の記述を列挙しておきます。
ここにも書かれているように『問はずがたり』は最初に書かれたものの後に、続篇が書かれています。全集に載っている『問はずがたり』では「上の巻」と「下の巻」に分けられています。岡山の日々が描かれているのは「下の巻」の後半。終戦後の昭和20年 11月13日の日記に「旧稿続ひとりごと後半改竄」とあるので、おそらくこの日、岡山での日々を付け加えて(あるいは最初は全く別の場所だったものを岡山に変えて)後半の最後の部分を書き直したんでしょうね。ただ、「上の巻」にはすでに主人公の郷里が岡山であることが示されています。始めからそうだったのか、あとで書き直されたのか気になるところですが。
この『問はずがたり』執筆時にはもうひとつ興味深いことがあります。昭和19年 11月13日に一度書き上げて浄写しているのですが、その3日後に荷風はその完成を待っていたかのようにある本を写し始めます。
成島柳北の『航薇日記』。
そのとき荷風はその半年後にまさにその『航薇日記』の舞台になっている岡山に行くことになり、結果的に、その数日前に書き上げたものを書き直すことになるなんて思いもよらなかったはずですが、でも、このあたりのこと、運命のいたずらと言うにはあまりにもできすぎていますね。
東京で暮らす主人公である画家の郷里がなんと岡山。そして小説の最後でその画家は郷里の岡山で暮らすようになるという話。言うまでもありませんが、荷風の描いている岡山の風景はまさに荷風が岡山に滞在していたときに見たもの。
『断腸亭日乗』を読みながら、荷風の岡山の日々を辿っていったとき、荷風が岡山を舞台にした小説を書いていないのだろうかとずっと思っていたのですが、あったんですね、そんな作品が。
江藤淳は『荷風散策』で「私はこの問わずかたりをもって事実上小説家永井荷風の文業の最後を画する作品と考える」と書いているそうですが、正直、小説としては素晴らしい作品と言えるほどのものではないのですが、戦前から終戦後の荷風の日々を小説的に知ることのできる貴重な作品だと思いました。
『問はずがたり』が発表されたのは昭和21年(1946年)7月。ただ、『荷風全集』の「後記」にも書かれていますが、『問はずがたり』はかなり複雑な執筆過程をたどっています。書き始めたのは昭和19年(1944年)4月22日。もちろんまだ偏奇館があったころ。でも、何度も執筆が中断しているようです。題名も最初は「夢の夢(夢のゆめ)。途中で「ひとりごと」に変更され、それから『問はずがたり』へと変わっています。
一応「問はずがたり」について書かれた『断腸亭日乗』の記述を列挙しておきます。
昭和19年(1944年)4月22日「燈下新にまた短篇小説の稿を起す」
6月3日「四月下旬書き初めし短篇小説の稿をつぐ」
10月14日「午睡一刻覚めて後今春四月頃とりかけし小説夢の夢の稿を次ぐ。このまゝ筆とり続くることを得なば幸なり」
10月21日「小説の稿半成るを得たり」
10月26日「小説夢のゆめ初稿成る。改題して「ひとりごと」となす」
10月30日「午後小説ひとりごと続編起稿」
11月10日「食後ひとりごと続篇の稿を脱す」
11月13日「小説ひとりごと正続とも校訂浄写」
昭和20年(1945年)11月11日「晩食の後ひとりごと続稿執筆深更に至る」
11月13日「旧稿続ひとりごと後半改竄」
昭和21年(1945年)4月11日「燈刻中村光夫氏来り拙稿ひとりごと六月の雑誌展望に掲載したしと言ふ。(中略)蓐中ひとりごと閲読、改題して問はずがたりとなす」
4月23日「燈刻中村光夫氏来話、小説問はずがたり草稿を交附す」
ここにも書かれているように『問はずがたり』は最初に書かれたものの後に、続篇が書かれています。全集に載っている『問はずがたり』では「上の巻」と「下の巻」に分けられています。岡山の日々が描かれているのは「下の巻」の後半。終戦後の昭和20年 11月13日の日記に「旧稿続ひとりごと後半改竄」とあるので、おそらくこの日、岡山での日々を付け加えて(あるいは最初は全く別の場所だったものを岡山に変えて)後半の最後の部分を書き直したんでしょうね。ただ、「上の巻」にはすでに主人公の郷里が岡山であることが示されています。始めからそうだったのか、あとで書き直されたのか気になるところですが。
この『問はずがたり』執筆時にはもうひとつ興味深いことがあります。昭和19年 11月13日に一度書き上げて浄写しているのですが、その3日後に荷風はその完成を待っていたかのようにある本を写し始めます。
成島柳北の『航薇日記』。
そのとき荷風はその半年後にまさにその『航薇日記』の舞台になっている岡山に行くことになり、結果的に、その数日前に書き上げたものを書き直すことになるなんて思いもよらなかったはずですが、でも、このあたりのこと、運命のいたずらと言うにはあまりにもできすぎていますね。