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by hinaseno
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夏の海 ― ニューゼルシー州アシベリイパーク(7)


夏の海 ― ニューゼルシー州アシベリイパーク(7)_a0285828_9592398.jpg

昨日はすっかり話がアズベリーパークからそれてしまいました。
でも、もう少し村上春樹の話を。

村上春樹が何度かアズベリーパークに行っていた時期、つまりニュージャージー州プリンストンに滞在していた時期に執筆していた作品は何だったんだろうかと調べてみたら、僕にとってはとても興味深いことがわかりました。僕がこのブログで何度か書いてきた僕にとって最も好きな村上春樹の小説、『国境の南、太陽の西』が書かれていたんですね。ただ正確にいえば、それは一種の細胞分裂の結果生まれた作品なのですが。

「細胞分裂」というのは村上春樹自身が使っている言葉。へたをすれば、その「細胞」はあのような形で生命を得ることなく終っていたかもしれない。その生命を与えるきっかけになったのがアズベリーパークだったということでもないのですが、でも「ずっと昔に死んでしまった人々の記憶をかき集めて作り上げられた、架空の町」みたいに見えたアズベリーパークが、「細胞」を成長させる小さな要因の一つになっていたという、村上春樹の無意識の世界に入り込んだ勝手な推測をして愉しみたくもなってしまいます。当時、村上春樹は「過去からの響き」をテーマにした作品と取り組んでいたのですから。
このあたりのことは『村上春樹全作品 1990-2000』②の「解題」にかなり詳しく書かれていますので、それを参考にしながら、紹介しておきます。村上春樹が、自分の小説の「メイキング・オブ」をここまで詳しく書いているのはあとにもさきにもこの作品だけではないかと思います。

プリンストンに居を移して、村上春樹はある長編小説を書き始めます。村上春樹自身の言葉を使えば「かなり規模の大きな、野心的な小説になる予定」の小説(ちなみにこの小説から村上春樹はそれまでのワープロからマッキントッシュのパソコンを使い始めます)。実際それはまさにそのような作品として、世界的な評価につながっていくことになるのですが。その小説は『ノルウェイの森』とは違って、書き始めた最初からタイトルが決まっていました。
『ねじまき鳥クロニクル』。その第1部と第2部のことをほぼ1年で書き上げます。でも、どこかしっくりこないものを村上春樹自身が感じます。あまりに野心的すぎて、いろんなものを取り込みすぎてしまってたんですね。で、行き詰まってしまいます。そういうときに必ず相談するのが一緒にプリンストンに行っていた奥さんの陽子さん。
陽子さんは村上春樹に「多くの要素が盛り込まれすぎているので、もう少しすっきりさせたら」とアドバイスします。で、二人で「長い時間、顔をつきあわせてディスカスした結果」、3つの章を「除去」することに決めます。その除去された章には、冒頭の一章も含まれていたとのこと。
ところがそれらを除去してすんなり作業が進んだかというと、当然その抜けた部分のバランスを調整しなければならなくなり、その作業で村上春樹は頭を抱えることになります。
『ねじまき鳥クロニクル』という長編小説は僕の作品歴の中でも大きな意味を持つかなめ石のような存在になるはずだという予感はあったし、一年間かけて息を詰めるようにして書き続けてきた。それが大がかりな暗礁に乗り上げ、一頓挫したわけだから、僕としてはがっかりしたし、本格的に落ち込んでしまったわけだ。

そんな村上春樹の様子を見て(見るに見かねて)陽子さんはこんなアドヴァイスをします。「じゃあ、とりあえず『ねじまき鳥クロニクル』の方はしばらくわきに置いておいて、その切り取った部分を使って、今あるものとはまったく別の小説を書いてみればいいじゃない」と。
この言葉に対して村上春樹は「ひとごとだと思って、まったく気楽なことを言えるもんだよな」と、ちょっとムッとします。「小説を書くってのは鯛焼きを焼くのとは違うんだ」と。
でも数日後に、その切り取った3つの章をあらためて読み返してみて「たしかにここからひとつの小説が(たぶん興味深い中編小説のようなものが)生まれる可能性はあるな」と感じとり、新しい小説の執筆に取りかかります。そうして生まれたのが『国境の南、太陽の西』だったわけです。この経緯を考えれば村上春樹自身も書いているように、『国境の南、太陽の西』は陽子さんのアドヴァイスなしには生まれなかった小説だったかも知れません。いや、『ねじまき鳥クロニクル』もどうなっていたかわかりませんね。

このような興味深い(言うまでもなく、村上春樹自身にとってはかなりきつい)作業がこのプリンストンにいた時期になされていたんですね。
「解題」にはもう少し詳しく「細胞分裂」の中身が説明されています。
例えば、『国境の南、太陽の西』の主人公であるハジメ君と『ねじまき鳥クロニクル』の主人公である岡田トオルがもともとは同一人物であったということ。分裂したので当然とはいえ、あとでこの事実を知ったときにはずいぶん驚きました。
最初同一人物であった彼らが、「環境に合わせて変形し、その結果まったく別の人格として動き出すこと」になったんですね。
興味深いのは「過去からの響き」に関する分裂の説明。
『ねじまき鳥クロニクル』の主人公の岡田トオルがしばしば聞き取る過去からの響きは、「主に他者のかかわる過去の響き」。つまり『ねじまき鳥クロニクル』は他者の過去性の中に否応なく引きずり込まれていく物語ということ。それに対して『国境の南、太陽の西』の主人公のハジメ君はずっと「自らの過去の響き」の影響下にあり、それに支配されている。
『ねじまき鳥クロニクル』が手に負えないくらいに大きな物語になったのはわかるような気がします。

村上春樹が『国境の南、太陽の西』で書きたかったことのまず第一は、「人がダイレクトな過去の響きに対していったい何ができるかということ」だったとのこと。そして括弧付きでこう書いています。「それはモラルの問題に深くかかわってくる」と。
確かにそうですね。「過去のことをねちねち言うな」とか言って、ころころと自分の主張を平気で変えている政治家がいますが、彼(彼ら)はどうやら「自らの過去の響き」がダイレクトに自分には届かない仕組みを作っているようです。もちろん「それはモラルの問題に深くかかわってくる」ことなのですが。で、言うまでもなくそんな彼(彼ら)には「他者のかかわる過去の響き」を聞き取ることなんてできない。

それはさておき、村上春樹が『国境の南、太陽の西』を書いているときに、ずっと考えていたのは上田秋成の『雨月物語』とのこと。『雨月物語』は一度読みかけて挫折してしまいました。また読まなくては。

ところで、細胞分裂させたとはいえ、 村上春樹は『国境の南、太陽の西』の結論部に悩みます。迷いに迷ったとのこと。奥さんは編集者の女性にも意見を聞いたそうです。いずれにしても僕はこのかなりの紆余曲折と細胞分裂を経て生みだされた 『国境の南、太陽の西』が大好きなんです。

『国境の南、太陽の西』の最後は『ノルウェイの森』と同様に雨が降る注ぐ風景で終ります。『ノルウェイの森』は芝生に降り注ぐ雨、『国境の南、太陽の西』は海に降り注ぐ雨。
僕はその暗闇の中で、海に降る雨のことを思った。広大な海に、誰にも知られることもなく密やかに降る雨のことを思った。雨は音もなく海面を叩き、それは魚たちにさえ知られることはなかった。

誰も知られることもなく密やかに雨の降る「広大な海」は、もしかしたら村上春樹があの日、アズベリーパークで見た、大西洋の海だったのかもしれません。
by hinaseno | 2013-05-23 10:02 | 文学 | Comments(0)