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by hinaseno
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夏の海 ― ニューゼルシー州アシベリイパーク(6)


夏の海 ― ニューゼルシー州アシベリイパーク(6)_a0285828_1032447.jpg

今(朝です)、これを書いているときに聴いているのはプーランクのピアノ曲。ブルース・スプリングスティーンを聴きながら文章を書くことはちょっとできません。プーランクはブルース・スプリングスティーンと同じく、村上春樹が『意味がなければスイングはない』で取りあげていたフランスの作曲家。僕にとって、ここ数年、夏の朝はプーランクということになっています。

『意味がなければスイングはない』のことについて少し。単行本で出たのは2005年。でも、先日も書いたように、そこに収められた文章は、もともとは『ステレオサウンド』というオーディオの音楽専門誌(季刊誌)に「音楽のある場所」と題されて2003年春から2005年の秋にかけて連載されていたものでした。全部で10回。

取りあげているミュージシャンも、そのジャンルも様々。
シダー・ウォルトン(ジャズ)、ブライアン・ウィルソン(ロック)、シューベルト(クラシック)、スタン・ゲッツ(ジャズ)、ブルース・スプリングスティーン(ロック)、ルドルフ・ゼルキンとアルトゥール・ルービンシュタイン(クラシック)、ウィントン・マルサリス(ジャズ)、フランシス・プーランク(クラシック)、ウディ・ガスリー(フォークソング)。
もともと好きだった人もいれば、これをきっかけに聴くようになった人もいれば、読んだだけで一切聴かなかった人もいます。で、これをきっかけに聴くようになったひとりがプーランクでした。特に、夏の朝に聴きたくなる。なぜならばその文章のタイトルが「夏の朝のフランシス・プーランク」と題されていたものだったから。

と思って、今朝久しぶりに読み返してみたら、なんとタイトルが違っていました。
正しくは「日曜日の朝のフランシス・プーランク」。
そればかりか内容もかなり記憶と違っていました。記憶ってほんといい加減なものですね。村上春樹がどこかの海辺の町で、夏の朝にプーランクの演奏会を聴いたという話で始まると思っていたのでしたが、かなり違っていました。「朝」であることだけは合っていましたが、場所はロンドン。季節は春。なのに自分の中では「夏の朝」という形になっていました。もしかしたら池澤夏樹の大好きな小説『夏の朝の成層圏』の題名とくっついてしまったのかもしれません。
でも、プーランクの音楽は何から何まで「夏の朝」のイメージなんですね。透明で涼し気な風が吹き抜けるような音楽。

夏のイメージといえば、実は僕は単行本の『意味がなければスイングはない』をきちんと読んだことがありません。読み返したくなったら、『ステレオサウンド』に連載されていたものを水色の表紙の透明ファイルに入れたものを取り出しています。
連載が始まったときに、それがどこまで続くかはわからないまま、分厚い『ステレオサウンド』を毎号買ってすぐに裁断して、ファイルに収めていました。毎回4ページ。 20ページの袋のファイルでぴったり2冊。それをすぐ手の届くところにずっと置いています。
というわけで、僕にとっては『意味がなければスイングはない』ではなくて、「音楽のある場所」。

『ステレオサウンド』に連載されていた「音楽のある場所」と、単行本の『意味がなければスイングはない』の違いは何といっても、その体裁。一番大きな違いは安西水丸のイラストがついていること。これがとびっきりいいんです。単行本では章の最後にその文章で取りあげられたミュージシャンのレコードあるいはCDの写真が載っているだけなのですが、「音楽のある場所」では、CDやレコードのイラストまで安西水丸が描いています。で、そのイラストと文章が印刷されている紙は薄い萌葱色。

村上春樹の書いた文章は、それまでの音楽に関するエッセイよりはかなり分量が多い分、それぞれのミュージシャンの内面にまで入り込んだ、ややヘビーなものも多いのですが(ブライアン・ウィルソンやスタン・ゲッツを語ろうとしたら、それぞれの生みだした音楽とは対照的にヘビーにならざるを得ないですね)、そのヘビーな雰囲気を安西水丸の絵が見事に消し去っているんですね。安西水丸の絵がない分、単行本の『意味がなければスイングはない』には妙な重さが感じられます。文章はもちろんまったく同じなのですが(でも、村上春樹のことだから、何カ所か書き直しをしている可能性もありますね)。
で、安西水丸のポップな絵は、やはり夏を感じさせてくれます。凧揚げをしている村上春樹の絵なんかがあっても、どこか夏のイメージ。
いくつか、毎回の表紙の絵だけ貼っておきます。昨日の、ゴーストタウンのような冬のアズベリーパークの写真とは全然違います。
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プーランクの音楽は夏の朝のイメージがあると書きましたが、実際には「夜」をテーマにした曲もあります。でも、それらもどこか朝に似合います。
「音楽のある場所」(『意味がなければスイングはない』)にはこんなことが書かれています。プーランクのところを読み返すのは本当に久しぶりだったんで、こんなことが書かれているなんてすっかり忘れていました。
プーランクが朝にしか作曲の作業をしなかったという事実を本で読んで知ったのは、ずっとあとになってからだ。彼は一貫して朝の光の中でしか音楽をつくらなかった。それを読んだとき、そうか、やっぱりなと僕は深く納得した。彼の音楽はその日曜日の朝の空気に、ほんとうにしっくりと、自然に溶け込んでいたのだ。引合いに出すのはいささか心苦しいのだが、実を言うと、僕も朝にしか仕事をしない。だいたい午前四時から五時のあいだに起きて、十時頃まで机に向かって集中して文章を書く。日が落ちたら、よほどのことがない限り一切仕事をしない。僕がプーランクの音楽に引かれるのは、ひょっとしたらそういうこともあるのかもしれない。

というわけで、僕もプーランクがいつの間にか大好きになってしまったのですが、でもプーランクって、村上春樹も書いているのですが、マイナーな存在のままですね(たぶん)。「フランス(系)ピアニスト、あるいはその手の近代音楽に関心を持つスペシャリストの草狩り場=ニッチ領域と化してしまったような感がある」と村上春樹も言っています。そういえば今朝起きて、ときどきテレビで見るクラシックの番組を見てたら、女性ピアニストが弾いていたのはラフマニノフやプロコフィエフやラヴェル。プーランクを弾いている人にお目にかかったことはありません。夏の朝、どこかの海辺(明石の海辺とかいいですね)で、プーランクを弾いてくれる人がいれば最高なのですが。
というわけでパスカル・ロジェの弾くプーランクの曲を1曲貼っておきます。

最後に僕の持っているプーランクのCDとレコードの写真も。いずれも村上春樹が紹介していたものです。
夏の海 ― ニューゼルシー州アシベリイパーク(6)_a0285828_10343644.jpg

by hinaseno | 2013-05-22 10:35 | 文学 | Comments(0)