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by hinaseno
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海辺の荷風(4)


海辺の荷風(4)_a0285828_9522144.jpg

6月9日にまたしても空襲を受け、明石を去る決心をした荷風。明石を発つのは6月11日(正確には12日未明)。
その前日、6月10日の日記。
午後人々皆外出したる折を窺ひ行李を解き日記と毛筆とを取出し、去月二十五日再度罹災後日〻の事を記す、駒場なる宅氏の家に寓せし時は硯なく筆とることを得ざりしに明石の寺には其便あり、明日をも知らぬ身にありながら今に至つて猶用なき文字の戯れをなす、笑ふべく憐む可し、日誌しるし終りて後晩飯の煮ゆるを待つ間、夕陽の縁先に坐して過日菅原氏が大坂の友より借来りしウエルレーヌの選集を読む

人がいなくなって静かになった西林寺のお堂の中で、久しぶりに『断腸亭日乗』を浄書する荷風。それを書き終えた後、夕陽が差し込んでくる、明石の海が見える縁側でフランス語の詩集を読む荷風。
明石で過ごした荷風の日々の中で、海辺の砂浜の上で海を眺める荷風とともに最も好きな風景のひとつ。このとき荷風の頭の中によぎっていたはずの様々な想い想像するだけで、ちょっとたまらない気持ちになります。

昨日僕はこの日の荷風の日記を写しながら(日記を写すのはだいたい前日)、ふとあることに気がつきました。調べてみたらやはり。僕にとっては奇跡的なつながり。またしても、というべきなんでしょうね。個人的な、ちょっと切ない思い出にもつながっているのですが、それがわかってから胸がいっぱいになり、言葉を失ってしまいました。
キーワードは「月」でした。

数日前に紹介しましたが、成島柳北が明石の海辺に停泊して一夜を明かした日、柳北はこんな歌を詠んでいます。
舟人も心ありてや舟とめて一夜あかしの月をこそ見れ

この歌の「舟人も心ありてや」の部分。舟人(岡山の船頭たちですね)も明石の月の美しさをよくわかっているということですね。柳北が明石に到着した頃、たまたま空にきれいな月が出ていて詠まれただけの歌のように思っていましたが、何度かこの歌を読み返しているうちに、この地に初めて来たはずの柳北が明石の月のすばらしさを知っているかのような言葉が気になってきました。実際、柳北の「航薇日記」で詠まれた歌には地名の前に「名にし負う」とか「名に高き」という言葉が含まれています。柳北はいろんな本とともに歌集などもたくさん読んでいて、歌に詠まれている言葉として地名を知っているんですね。
ということは明石も昔の歌にいろいろと歌われているのではないかと考えました。さらに言えば、月照寺という名前のお寺もあるように、きっと明石は「月」につなげられた形で歌に詠まれているのではないかと。

たまたま柳北に関する別のことを調べるために図書館で借りていた『播磨古歌集』(姫路文学館、1995年)という本を調べてみたら、予想通り明石はたくさん歌に詠まれています。
やはり「明石の海」「明石の浜」「明石の浦」「明石の瀬戸」と海に関する歌が多く載っていますが、それ以上に圧倒的に多いのが「明石の月」に関して詠まれている歌。ざっと50首くらい。有名な人では西行法師とか法然上人とか本居宣長とか。「明石」を月の「明し」と一夜の「明かし」に掛けた歌もいくつも。 柳北はその全部までを知らなくても、いくつかは知っていたんでしょうね。

では荷風というと、荷風が明石にやって来た6月3日の日記にこう書かれています。西林寺の縁側から初めて明石の海を眺めたときに書かれた言葉ですね。
書院の縁先より淡路を望む。海波様〻マラルメが牧神の午後の一詩を思起せしむ、江湾一帯の風景古来人の絶賞する処に背かず

「江湾一帯の風景古来人の絶賞する処に背かず」と書かれています。荷風ももちろん、明石の風景を詠んだ歌をいくつも知っているんですね。もちろん間違いなく「月」が詠まれた歌のことも。

そういえばこのときの風景は「縁先」から眺めたもの。6月10日の日記にも「縁先」で荷風は物思いにふけりながら菅原明朗から借りた一冊の本を読んでいます。
フランスの詩人「ウエルレーヌ」の詩集。

「マラルメ」、「牧神の午後」、「ウエルレーヌ」、そして「月」。もしかしたら荷風の頭の中には...。まちがいなく、きっと...。
by hinaseno | 2013-05-09 09:52 | 文学 | Comments(0)