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by hinaseno
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海辺の荷風(3)


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昨日のブログでは、6月9日の明石に空襲があった日まで話を進めてしまいましたが、今日はその前日、6月8日の話になります。実は明石の日々を記した『断腸亭日乗』の中では、この日のものが最も多く書かれています。
この日、僕の知る限りわりと午後から(晡下ですね)散歩することが多い荷風が朝から菅原明朗に連れられて、明石の名所を見て回ります。でも、そんなに広くはない町ですからお昼には滞在していた西林寺に戻っています。
この日歩いたコースは少しだけ海から離れています。でも、小高い場所からは当然海を眺めることができ、荷風も海を見ながらの散策。天気も晴れ。きっと遠くの方まで気色が広がっていただろうと思います。

というわけで、僕もこの日荷風が歩いたコースを歩いてきました。その辺りを歩いたのは初めて。荷風も書いている通り、かなり上り下りの激しいルートでした。神戸のあたりが坂のある町であることはよく知っていますが、明石もこんなに坂のある町だということを初めて知りました。しかも、神戸のあたりは基本的に北に向かって坂が徐々に高くなっているのですが、明石の坂はかなり複雑。経路的には西から東に向かっただけなのですが、上がったり下がったりの連続。中々面白かったです。
そういえば荷風が住んでいた偏奇館があったあたり、あるいは幼少期を過ごした小石川のあたりも坂が多く、坂は荷風にとって近しいもの。『日和下駄』にも「坂」という一節もありますね。ということなので、荷風はこの日、あちこちに寺や神社のある明石の坂を歩みながら、なお一層、明石の町が気に入ったにちがいありません。
この日、寺に戻ってくるまでの『日乗』を引用しておきます。
朝食を食して後菅原君と共に町を歩み、理髪店に入りしが五分刈りならでは出来ずと言ふ、省線停車場附近稍繁華なる町に至らばよき店もあるべしと思ひて赴きしがいづこも客多く休むべく椅子もなし、乃ち去つて城内の公園を歩む、老松の枯るゝもの昨夕歩みたりし遊園地の如し、されど他の樹木は繁茂し欝然として深山の趣をなす、池塘の風致殊に愛すべし、石級を昇るに往時の城楼石墻猶存在す、眺望最も佳きところに一茶亭あり、名所写真入の土産物を売る、床几に休みて茶を命ずるに一老翁茶と共に甘いものもありますとて一碗を勧む、味ふに麦こがしに似たり、粉末にしたる干柿の皮を煮たるものなりと云、天主台の跡に立ち眼下に市街及び江湾を臨む、明石の市街は近年西の方に延長し工場の烟突林立せり、これが為既に一二回空襲を蒙りたりと云、余の宿泊する西林寺は旧市街の東端に在るなり、漫歩明石神社を拝し林間の石径を上りまた下りて人丸神社に至る、石燈の麓に亀齢井(かめのゐ)と称する霊泉あり、掬するに清冷水の如し 神社に鄰して月照寺といふ寺あり、山門甚古雅なり、庭に名高き八房の梅あり、海湾の眺望城址に劣らず、石級を下り、電車通に至る間路傍の人家の庭に芥子矢車草庚申薔薇の花爛漫たるを見る、麦もまた熟したり、正午過寺に帰る

この日荷風がまず最初に向かったのは、明石駅のすぐ北にある明石城。天守閣はなく(作られなかったんですね)、正面から見ると2つの櫓が特徴的ですね。この写真は向かって右側(東側)にある櫓です。
海辺の荷風(3)_a0285828_10385774.jpg

で、その櫓の近くから荷風は「眼下に市街及び江湾を臨」みます。実は僕もここに登ったのは初めてですが、思ったよりいい眺めでした。ただ、いうまでもなく荷風が来たときにはなかったビル群が邪魔をして、瀬戸内海の風景はほとんど見ることができません。
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ただ、荷風が宿泊していたあたりは何とか眺めることができました。荷風もきっと見たはずですね。
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さて、ここから荷風は明石神社に向かいます。名は明石の地名をとっているのですが、実はこの神社、見つけるのが大変で(歩いていた近所に住んでいるはずの人も知らなかった)、行って見てびっくり。つい最近作られたような近代的な(悪い意味ですが)コンクリート製の鳥居と拝殿(?)。空襲で焼けたのかどうかはわかりません。まあ、鳥居の写真だけを貼っておきます。
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次に荷風が行ったのは人丸神社の石燈のそばにある「亀齢井(かめのゐ)と称する霊泉」。これは残っていました。「亀の水」と呼ばれる名水。案内板もありました。ただここまで行くのに、まさに坂を上ったり下ったり。
なんで亀の水かというと、水がこんなふうに石で作られた亀の口から出ているんですね。
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名水ということなので、近所の人がぽろぽろとやってきては水をポリタンクやペットボトルに入れて持ち帰っています。「普通に飲んでも大丈夫ですか?」と訊いたら、「うちは煮沸してから飲んでいます」との答え。でも荷風が「掬するに清冷水の如し」と書いているので、一口だけ飲んでみました。おいしいかどうかはよくわかりませんでしたが、お腹は今のところ大丈夫です。

荷風はこの後、人丸神社の横の月照寺に行きます。ところで、この人丸神社、実際の名前は柿本神社。柿本人麻呂を祀っていることからその名が来ていて、どうやら「人麻呂」から「人丸」になって、一般的には人丸神社と呼ばれるみたいですね。柿本神社はかなり大きかったのですが写真をとり忘れました。
前にも書いたような気もしますが、この日の日記を読むだけでも荷風は神社に対してはほとんど関心を払っていないのがわかります。そばを通り過ぎているだけで境内には入っていません。
境内に入るのは月照寺。山号は一麿山。成島柳北が明石で作った和歌にもありましたが、明石は月と関係が深いんですね。そのあたりのことはまた後日。
荷風は「山門甚古雅なり」と書いています。これがそうですね。確かにこの寺の建物の中では最も雰囲気がありました。
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それから次に書かれているのが「庭に名高き八房の梅あり」との言葉。ありました。ただ3代目と書かれてはいたのですが。荷風が見たものと同じかどうかはわかりません。この写真の右に生えている木ですね。もちろん荷風が来たときにもそうだったでしょうけど、花が咲く時期は終わっています。
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で、ここから荷風は海を見下ろします。「海湾の眺望城址に劣らず」と書いていますね。でも、今は、この月照寺の前には、眺望を遮る巨大な建物が建っています。明石天文科学館ですね。現在の明石のシンボルとなっている建物。明石は日本の標準時子午線の通っている町。まさにその線上にこの建物が建てられています。月照寺も柿本神社もまさに標準時子午線上にあるんですね。というわけで荷風が海を眺めた場所の風景はこうなります。
海辺の荷風(3)_a0285828_10405827.jpg

でも、ここをもう少しだけ横に行くと、風景が広がる場所があります。
海辺の荷風(3)_a0285828_10411833.jpg

このあたりは城のあたりよりも高層のビルが少ない分、海も見ることができます。明石海峡大橋もよく見えますね。『海辺のカフカ』のナカタさんは、この橋を渡って四国へ行きました。ちなみにカフカ君は岡山にかかっている瀬戸大橋を渡って四国に渡りました。二人の主人公を違う橋を使って四国に渡らせているのが興味深いですね。

荷風はこの後石段を降りて(かなり急な石段)、西林寺に戻ります。途中の風景がこんなふうに書かれています。
電車通に至る間路傍の人家の庭に芥子矢車草庚申薔薇の花爛漫たるを見る、麦もまた熟したり

残念ながらそんな風景はありませんでした。でも、電車通りの旧山陽道から西林寺に向かう道は昔の町並みが残っていていました。

おそらく荷風はこの日歩いた風景を見て、明石にしばらくは住んでみようと思ったはず。でも、その気持ちは翌日の空襲で断ち切られてしまいます。
翌6月9日の日記。
午前九時比警報あり、寺に避難せる人々と共に玄関の階段に腰かけてラヂオの放送をきく、忽にして爆音轟然家屋を震動し砂塵を巻く、狼狽して菜園の墻中にかくれ纔(わづか)に恙(つつが)なきを得たり、家に入るに戸障子倒れ砂土狼藉たり、爆弾は西方の工場地及び余が昨日杖を曳きし城跡の公園に落ちたりなりと云

爆風が荷風の住んでいた寺まで来たことにも恐怖したとは思いますが、何よりも前日に歩いた場所に爆弾が落とされたことがショックだったに違いありません。で、荷風は一刻も早く明石を立ち去り、岡山に行く決心をします。このあとの岡山での、僕にとっては奇跡のような日々がそこから始まることになるのですが、でも、荷風にもう少しだけ明石に住まわせて、もう少しだけ海辺の日々を過ごしてもらいたかった気がしないでもありません。
by hinaseno | 2013-05-08 10:41 | 文学 | Comments(0)