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by hinaseno

海辺の荷風(1)


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荷風に似合う風景といえば「下町」「路地」「墓地」「川」...。荷風と「海辺」はイメージとしてどこかつながりにくい気がします。実際荷風は海辺に行くことはほとんどありませんでした。でも、荷風が明石にやってきたとき、そこで久しぶりに見た海辺の風景に心を奪われ、ほぼ毎日明石の海辺を歩き、その風景を見続けました。実際にはそれはほんの10日間のことだったのですが。

荷風が明石にやって来たのは昭和20年6月3日。岡山にやってくる10日前のことです。
『断腸亭日乗』に書かれたこの日の日記。
明石行き電車に乗換へ大坂神戸の諸市を過ぎ明石に下車す、菅原君に導かれ歩みて大蔵町八丁目なる其邸に至り母堂に謁す、邸内には既に罹災者の家族の来り寓するもの多く空室なしとの事に、三四丁隔りたる真宗の一寺院西林寺といふに至り当分こゝに宿泊することになれり、西林寺は海岸に櫛比する漁家の間に在り、書院の縁先より淡路を望む。海波洋〻マラルメが牧神の午後の一詩を思起せしむ、江湾一帯の風景古来人の絶賞する処に背かず、殊に余の目をよろこばすものは西林寺の墓地の波打寄する石垣の上に在ることなり、墓地につゞき数項の菜園崩れたる土墻をめぐらしたるものあり、蔬菜の青々と茂りたる間に夏菊芥子の花の咲けるを見る、これ亦海を背景となしたる好個の静物画ならずや、余明治四十四年湘南逗子の別墅を人に譲りてより三四十年の間、一たびも風光明媚なる海辺に来り遊ぶの機会を得ず、然るに今図らずもこの明石に来り其清閑なること雨声の如き濤声をきゝ、心耳を澄すことを得たり、何等の至福ぞや

度重なる空襲で東京を離れた荷風は菅原明朗夫婦とともに、菅原明朗の母の実家がある明石にやって来ます。ただ、母親の家には罹災者でいっぱいで空いた部屋もなかったので、その近くの西林寺に滞在することになります。

大蔵町の西林寺のある場所は明石から海沿いに1kmほど東に行ったところにあります。といってもこのあたり、近くには行ったことはありましたが、一度も歩いたことがなかったので、昨日天気もよかったので行ってきました。まあ、そんなに遠いわけではないのでいつでも行けたのですが、話の流れとしてはいい機会かなと思いました。荷風が明石に滞在していたのは6月の初旬で、それよりはひと月くらい早かったのですが、初夏のような陽気でしたから、気候的にはほぼ同じと言ってもいいのではないかと思います。

いろんなところに立ち寄りながら西林寺まで行ったのですが、普通に明石駅からまっすぐに行けば20分くらいで行ける距離ではないかとおもいます。
さて、その西林寺。ここが参道の入口ですね。
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寺のまわりには荷風好みの路地が今も残っていました。
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そしてこれが寺の境内。
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そんなに広くはなく、新しい建物もいくつか建てられていましたが、写真の正面の本堂は屋根以外は当時のままとのこと。荷風がどこに寝泊まりしたのか聞くのを忘れてしまいましたが、たぶんこの本堂のどこかの部屋ではないかと思います。

『日乗』ではこの建物の縁側から海と、その向こうの淡路島が見えたと書かれていますが、現在はその方向に家が建てられていて見るのは無理でした。
で、その新しく建てられた家の裏手に墓地がひろがっていました。
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ただ、荷風が来たときには墓地の向こうがすぐに海になっていたようですが、現在はその間に国道28号が、墓地と海を遮断するように通っています。
その道を越えると海、そして正面には淡路島が見えます。
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海辺はかなり整備されて公園のようになっていて、ゴールデンウィークということもあって人が大勢いました。
目を左に転じれば明石海峡大橋を間近に見ることも出来ます。もちろん荷風がここに来たときにはなかったものですが。
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いくつもの新しく作られたものを除けば、淡路島が向こうに見える瀬戸内海の風景は荷風が見たものと同じではないかと思います。ここに来るのは初めてでしたがすっかり気に入ってしまいました。

荷風はこの風景を見てマラルメの「牧神の午後」を想起します。
マラルメの「牧神の午後」といえば、僕はドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」という曲を大好きになって、その流れでその曲のイメージの元となったマラルメの詩の存在を知りました。詩集も買いました。でも、きっと荷風はフランス語の原詩を思い浮かべたんでしょうね。
というわけで、ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」を貼っておきます。

これはカラヤン指揮のものですが、僕がずっと聴いてきたのはピエール・ブーレーズ指揮クリーヴランド管弦楽団の演奏したものですが。

さて、荷風は『日乗』でこんなことを書いています。
余明治四十四年湘南逗子の別墅を人に譲りてより三四十年の間、一たびも風光明媚なる海辺に来り遊ぶの機会を得ず、然るに今図らずもこの明石に来り其清閑なること雨声の如き濤声をきゝ、心耳を澄すことを得たり、何等の至福ぞや

荷風は湘南に別荘を持っていたんですね。お父さんが持っていたものでしょうか。それを明治44年に人に譲ったとのこと。ただ、僕の持ってる2002年に出版された新版の『断腸亭日乗』では、この「明治四十四」の1けた目の「四」のそばに(ニ)と添えられているので、正しくは明治42年ということなんでしょうね。
明治42年といえば、荷風はその前年に5年にわたるアメリカ、フランス滞在から帰国しています。明治41年に『あめりか物語』、明治42年に『ふらんす物語』を出版。フランスから帰国して少しは湘南に滞在したんでしょうか。でも、すぐに人に譲っています。湘南の風景が荷風には合わなかったのかもしれませんが、それよりも東京の、下町に惹かれるものを強く感じ始めていたんでしょうね。興味深いのはその湘南の別荘を売却したまさにその年に下町を舞台にした「深川の唄」を書いています。すでに荷風の目は湘南の海辺よりも東京の下町に向いていたことがわかります。

そんな荷風が、40年近くの後、明石の海辺で波音を耳にしながら「至福」を感じています。
で、荷風はほぼ連日、海辺に行きます。
6月4日 午後墓地の石段を下り渚を歩す、防波堤に児童の集まりて糸を垂るゝを見る、海風の清和なること春の如く、亦塩気を含まざれば、久しく砂上に座して風景を賞するも房総湘南の海辺に於けるが如く肌身のねばつくことなし
6月6日 晡下墓地を逍遥す、石墻に倚りて海を見る
6月7日 黄昏菅原君に導かれて海岸の遊園地を歩む

あるときはそ海辺を散歩し、あるときには砂の上に座って、この明石に立ち寄っていた成島柳北を思い浮かべることもなく、ただのんびりと海を眺めています。

浜辺に座って海を眺める荷風。
ちょっと想像できない光景。でも、そこはそんな気持ちにさせてしまう場所だったんですね。
by hinaseno | 2013-05-06 11:18 | 文学 | Comments(0)