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Talks About Music, Books, Cinema ... and Niagara


by hinaseno
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成島柳北の『航薇日記』通信(その4)


ちょっとブログの体裁を別のものに変更しました。シンプルであることと、基本的に引用が多いので、引用したものがわかりやすい形で表示されるものにしました。
ただ、それによって写真が文章とずれて表示されることがわかり、最近のものは直しましたが、全部直すのは大変なので、そのままにしています。ぼちぼち直していきます。

ところで、今日は5月5日。松井秀喜の日です。
彼が敬愛する長嶋茂雄と国民栄誉賞をもらう日ですね。
この二人によって、野球に関しての最高の思い出をもらうことができたことは確かです。素直におめでとうと言いたいと思います。

さて、明治2年10月22日の柳北の『航薇日記』のことに。
須磨に停泊して日も暮れてきて、舟人の歌を聴きながらしんみりした気持ちになっていた柳北。ここで一夜を過ごすかと思いきや、船をさらに西に進めます。
源平の合戦で有名な一の谷(荷風が戯曲を書いた平維盛は、その前の倶利伽羅峠の戦いを指揮して大敗して、この一の谷の合戦のときには病気になったと言って、どうやら合戦の場からこっそり抜け出して戦いには参加しなかったみたいですね。その後高野山に入って出家、そして最後は入水自殺)を通り過ぎ、舞子に行きます。

砂潔く、松緑りなり。また一勝地といふべし


この舞子の海岸にはかなり少なくなったとはいえ、今も松林が残っています。柳北はここで「狂体」と呼ばれる和歌を作っています。 狂体とは、和歌のスタイルで、言葉を工夫しておかしみをもたせたもの。柳北が作ったのはこんな歌。

芸子にはゆふへ別れて又けふは舞子の浜にかかる舟人


「舞子」という地名を「舞妓」ととらえて、「芸子」とつなげているんですね。芸子とは昨日別れたばかりなのに、今日は舞子の浜を船が通りかかっている、つまり舞子に出会っているというシャレですね。こういうのを船の中でさらっと作ってしまえる柳北のセンスはさすがです。

で、船は明石に。月が明々と照らしているとはいえ、このときにはもう真っ暗ではないでしょうか。でも、ちゃんと船を進めてるんですね。ただ、どうやら風や潮の状態がわるくなって、結局この明石の海辺で一夜を過ごすことにします。ここで大阪を出るときにもらった乾烏鰂(ほしいか)を食べて酒を飲んでいます。

柳北は、明石の海辺も気に入ったみたいで、和歌と漢詩の両方を作っています。こんな和歌です。

舟人も心ありてや舟とめて一夜あかしの月をこそ見れ


説明するまでもないですが、「一夜を明かす」と「明石」の地名の掛けています。舟人も趣を理解する人だという言葉がそえられています。きっと、この明石の海辺でも舟人たちは歌を歌ってたんでしょうね。

さて、柳北が一夜を明かしたこの明石の海辺に、76年の歳月を隔ててやってきていたのが荷風でした。それは荷風にとって35年ぶりに見る海辺の風景でした。
by hinaseno | 2013-05-05 09:23 | 文学 | Comments(0)