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by hinaseno
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成島柳北の『航薇日記』通信(その1)


柳北の『航薇日記』と岡山の日々を調べているときに、このようなタイトルの本が出版されていることを知りました。
成島柳北・原著、岡長平・校注「明治初頭の備中妹尾 『航薇日記』を読む」。
この本です。
成島柳北の『航薇日記』通信(その1)_a0285828_10491449.jpg

実はこの本は校注者の私家版で、市販されておらず、入手する方法をいろいろ探ってはいたのですが、岡山県立図書館に置かれていることがわかり、先日、図書館を経由して取り寄せていただきました。そうしたら、最後に校注者の岡長平さんの連絡先が載っており、連絡させていただいたところ、ありがたいことに著書のご恵贈にあずかりました。深謝します。

僕が読んだ『航薇日記』は、『明治文学全集』に収められたものなのですが、字も小さい上に読点も読みがなもなく、もちろん漢字は旧字なので、読むのに難航したどころか、わからないところはすっとばして読んでいました。でも、岡さんに贈っていただいた本はこれ以上ないほどに至れり尽くせりの作りになっていて感動しました。
まず、その日の簡単な出来事を記した目次が付けられています。例えば、「姫路を経て牛窓に着く」日は10月12日で、それが本の何ページに載っているかがすぐにわかります。それから字も大きく、読点も打たれ、地名や難しい漢字には読みがながふられていて、現在の地名とは異なる漢字が使われているものには括弧で現在の地名が書かれています。
さらにうれしかったのは、特に岡山に関する記述に豊富な注が付けられていることでした。この注でいくつものうれしい発見がありました。
校注者の岡さんは妹尾に生まれ育って、今もそこにお住まいの方とのこと。岡山の東の方で育った僕にとってはあまり馴染みのなかった妹尾周辺の地理や風物をよくご存知で、それに関する注はこれ以上ないありがたいものでした。
この本、出版されたのは2年ほど前。出たばかりだったんですね。これから成島柳北の研究がなされるときには、ぜひ手にとられるべき本のように思いました。

さて、岡さんの注で最もうれしかったのは、11月11日の記述。実はこの日は柳北の父親の命日で柳北はこんなことを書いています。引用は基本的に読点のない原文通りにします。

けふハ先考の忌辰なり追慕のこゝろ家にあるよりハまさりて深し濱野といへる老媼に謀り此地の産物をとり集めて遥かに遺霊を祭り、かく思ひつゞけゝる


で、このあと漢詩をひとつ作っています。
実はこの日は柳北が岡山の地にいる最終日。翌日は妹尾の地を離れるということなので、春辺山の周辺をめぐり、その辺りにあったと思われる山から名残り惜しむように岡山の風景を望んでいます。おそらくその場所は先日僕が行った稲荷山とそれほど離れてはいないように思います。そこにこんな記述があります。

環石山より遠望すれバ備前の岡山城二階山熊山(この山は古島高徳が後醍醐帝を奉迎せし地なり)...


備中の妹尾から備前の岡山はかなり離れているのですが、このとき柳北が見たものが自分にとってはうれしいものでした。岡山城は10月27日に岡山城下の市内見物をしていて柳北もすぐ近くで眺めています。妹尾の春辺山辺りの山からも天気がよければよく見えるんでしょうね。ただ、僕が行ったときにはかなり曇っていて、しかも日が暮れかけていたので見えませんでしたが(もしかしたらビルが邪魔だったのかもしれません)。
ポイントはその岡山城に続けて書かれている2つの山。
「二階山」と「熊山」。
「熊山」は実家からもそう遠くなく、子供の頃から何度も行った山です。標高が500mを超えていて備前では最も高い山。妹尾からも天気がよければ望むことができたんですね。

ずっと気になっていたのはその前に書かれている「二階山」。
岡さんの注で「音から岡山市中央区の瓶井山(みかいやま・操山の旧名)と推測される。後楽園の借景とされる安住院多宝塔がある」と書かれています。

「二階山」という山は現在の地図にはありません。柳北が見ている方向からすれば、岡山城の背後にある操山ということになります。その山の中腹には僕の、そして内田百閒の大好きな美しい塔があります。「瓶井(みかい)の塔」と呼ばれる多宝塔。山の麓にある安住院というお寺の多宝塔です。この寺の山号が瓶井山。

以前、この日のブログで、内田百閒の『阿房列車』の「古里の夏霞」を引用したときに、僕はこう書いていました。
「このあと、僕にとっては興味深い記述が続くのですが、それはちょっと省略して」

この省略した部分の記述はこのようになっています。

車窓の左手の向うに見える東山の山腹の中に、私はさっきから瓶井(にかい)の塔を探しているが、間に夏霞が罩(こ)めて、辺りがぼんやりしている所為か、見つからない。子供の時いつも眺めて育った塔だから、岡山を通る時は一目でも見たい。瓶井と云うのは、本当は「みかい」なのだが、だれもそうは云わない。訛りなりに、「にかい」の塔と云うのが固有名詞になっている。岡山ではなんでも「み」が「に」に訛ると云うのではないけれど、私なぞ子供の時に云い馴れたのは、歯にがき、真鍮にがき、玉にがかざれば光なし、と覚えている。抑(そもそ)も先生がそう云って教えたのかも知れない。
旭川の鉄橋に掛かる前、やっと霞の奥に塔の影を見つけた


百閒の書いている通り、瓶井山の「瓶井」は「みかい」なのですが、岡山訛りで昔から「にかい」と発音します(今はもうそんなことはないのでしょうか)。柳北が山の名前を尋ねたときに、おそらくは妹尾の医者の岸田冠堂さんが「にかいやま」と答えたんでしょうね。柳北はどんな字を書くのか尋ねたかもしれませんがだれもわからず結局「二階」という漢字をあてた。

「二階山」という言葉を見たとき、僕自身ぼんやりとその予測を立てていたのですが、もしかしたらどこかに二階山と呼ばれる山が存在していたのかという可能性も捨てきれずにいましたが、岡さんの書かれた注を見て、ああ、やはり、とうれしくなりました。

ところで柳北の『航薇日記』に記された備前の2つの山である「二階山(瓶井山)」と「熊山」。この2つ山には、偶然にしてはあまりにもうれしくなるような共通点があります。それは、その2つの山の中腹に僕が子供の頃から大好きで何度も写真を撮りに行っていた塔のあるお寺があるんですね。
瓶井山にはもちろん内田百閒の本にも出てくる安住院の多宝塔。

その安住院、先日、久しぶりに行ってきました。この寺、塔も好きですが山門もいいんですね。門にははっきりと「瓶井山」という山号が書かれています。
成島柳北の『航薇日記』通信(その1)_a0285828_10375815.jpg

昔、何度か行っていた頃には知らなかった内田百閒の墓も見てきました。
成島柳北の『航薇日記』通信(その1)_a0285828_10395852.jpg

ずいぶん端っこの分かりづらいところにあるんでちょっとびっくりでした。確か百閒の好きな瓶井の塔が見れる場所に、ということでそこに墓が立てられたように聞いていたのですが、気が茂っているせいなのか、その場所からはまったく塔の姿を見ることができませんでした。
これは本堂付近から撮った塔の写真です。
成島柳北の『航薇日記』通信(その1)_a0285828_10402944.jpg


さて、熊山の中腹にある塔のあるお寺。
その名も大瀧山福生寺。
成島柳北の『航薇日記』通信(その1)_a0285828_10411165.jpg

この山号と寺の名前の組み合わせ。奇跡的ですね。
後に、大瀧さんのことを知って、福生(ふっさ)という町に住まわれていることを知ったときには本当にびっくりしました。
ちなみに福生寺は「ふくしょうじ」と読みます。
ここには国の重要文化財に指定された本当に美しい三重塔があります。いったいこの塔の写真を何枚撮ったかわかりません。これは昨年の夏に久しぶりに行ったときに撮った写真です。
成島柳北の『航薇日記』通信(その1)_a0285828_104131100.jpg

柳北はおそらく瓶井の塔を見ただろうと思いますが、 この大瀧山の三重塔は熊山の奥深い谷にあるので目にすることは絶対に無理ですね。

ところでYouTubeに、大瀧山福生寺の三重塔を撮った映像がありましたので貼っておきます。遠景は滝(大瀧という名がついていますが、実はとても小さな滝)のあるあたりから撮ったものだと思います。その滝のあたりでもよく遊びました。行ったのはいつも夏休みだったような気がします。

by hinaseno | 2013-05-02 10:50 | 文学 | Comments(0)