荷風が平松さんの農園に行くまでに見た「薇陽」の風景。戦時中で、しかもつい数日前には直線距離で10kmも離れていない東の市街地周辺で激しい空襲があったとはとても思えないような、のどかな牧歌的な風景が描かれています。
そして、やはり荷風は川、そしてそこにかかる橋に目を留めます。
白石橋。
荷風がこの日歩んだ場所でどうしても見ておきたかったのがこの橋でした。
本当は荷風の歩んだ道を行けばよかったのですが、荷風が歩いたはずの現在の国道162号線ではなく、途中までは少し北の国道242号線を通って行きました。
国道242号線を通って西に向かっていたら、笹ケ瀬川の手前のあたりにモールのようなものがあり、そこの一画に書店があったので、ちょっと立ち寄ってみました。実は岡山に戻っても新刊書店に立ち寄ることはめったにありません。立ち寄るのは古書店ばかり。
広い店内をぶらぶらと見ていたら、郷土関連の本を集めたコーナーが目に留まりました。当たり前のことではありますが、ネット上の書店や、あるいは姫路の書店では絶対に目にすることのない本ばかり。で、平積みにされている本で特に惹きつけられたのが小西伸彦著『鉄道遺産を歩く―岡山の国有鉄道』という本。発行は吉備人出版。吉備人出版といえば、このブログで何度も紹介した『瀬戸内シネマ散歩』を出版している所ですね。いい本出しています。カラー満載。著者の小西伸彦さんについても店の人にお墨付きを頂きました。
ちょっとその本を紹介すると、たとえば、荷風の地図にも描かれていて、一カ月後には荷風も乗っている吉備線(昔は何度か乗ったことがあります)の備前一宮あたりの写真。左の備前一宮駅は吉備線に残っている木造駅舎だったとのこと。でも2008年に取り壊されているんですね。それから備前一宮駅のプラットホームも、あるいは右のページの吉備線に一部残っている築堤も花崗岩で造られているとのこと。おそらくは近くの万成でとれたものなんでしょうね。へえ〜ってことが多いです。実家にある駅についても知らなかったような話が。いい本買いました。
本屋といえば。白石橋に到着して車を止める所を探していたら、橋を渡った所によく名前を知っている古本屋の本店が。まさかこんなところにあるなんて思いも寄りませんでした。というわけで、車をそこの駐車場にとめて、とりあえずは白石橋を見に行くことに。
かなり車通りの激しい道にかかっている橋なので、残念ながら橋は荷風が渡った時のような石橋ではなく、コンクリートの橋になっていました。おそらくは元はその名と通り白色の花崗岩(御影石=万成石)で造られていたんでしょうね。橋名を記したものがどこかにないかと探したのですが、残念ながら見当たりませんでした。でも、まあ、この橋を今からほぼ70年前の夏の日に荷風が渡ったことだけは確か。
さて、白石橋を見た後、車を止めた古本屋さんへ。本はびっくりするほどいっぱい。でも、この後行かなくてはならない所もあるし、日も暮れかけ、天気も崩れかけ。ざあーっと見てたら『荷風全集』の端本がいくつか。手にとった一冊に「平維盛」が収められているのを発見。荷風が書いた歌舞伎の台本ですね。どうしようかなと思いましたが、いろいろ考えて結局やめました。
後で考えてみたら、たまたま手にとって、ぱらっと開いたページに「平維盛」があったというのも、すごく運命的な出来事でしたので、やはり買っておけばよかったかなと、少し後悔しました。
で、白石橋に別れを告げて、平松さんの晴耕園があった丘に向かいました。
そして、やはり荷風は川、そしてそこにかかる橋に目を留めます。
河流、堰、堤防、石橋等の眺望一ツとして画趣を帯びざるはなし。河は笹ケ瀬川と云。橋は白石橋と云。
白石橋。
荷風がこの日歩んだ場所でどうしても見ておきたかったのがこの橋でした。
本当は荷風の歩んだ道を行けばよかったのですが、荷風が歩いたはずの現在の国道162号線ではなく、途中までは少し北の国道242号線を通って行きました。
国道242号線を通って西に向かっていたら、笹ケ瀬川の手前のあたりにモールのようなものがあり、そこの一画に書店があったので、ちょっと立ち寄ってみました。実は岡山に戻っても新刊書店に立ち寄ることはめったにありません。立ち寄るのは古書店ばかり。
広い店内をぶらぶらと見ていたら、郷土関連の本を集めたコーナーが目に留まりました。当たり前のことではありますが、ネット上の書店や、あるいは姫路の書店では絶対に目にすることのない本ばかり。で、平積みにされている本で特に惹きつけられたのが小西伸彦著『鉄道遺産を歩く―岡山の国有鉄道』という本。発行は吉備人出版。吉備人出版といえば、このブログで何度も紹介した『瀬戸内シネマ散歩』を出版している所ですね。いい本出しています。カラー満載。著者の小西伸彦さんについても店の人にお墨付きを頂きました。
ちょっとその本を紹介すると、たとえば、荷風の地図にも描かれていて、一カ月後には荷風も乗っている吉備線(昔は何度か乗ったことがあります)の備前一宮あたりの写真。左の備前一宮駅は吉備線に残っている木造駅舎だったとのこと。でも2008年に取り壊されているんですね。それから備前一宮駅のプラットホームも、あるいは右のページの吉備線に一部残っている築堤も花崗岩で造られているとのこと。おそらくは近くの万成でとれたものなんでしょうね。へえ〜ってことが多いです。実家にある駅についても知らなかったような話が。いい本買いました。
本屋といえば。白石橋に到着して車を止める所を探していたら、橋を渡った所によく名前を知っている古本屋の本店が。まさかこんなところにあるなんて思いも寄りませんでした。というわけで、車をそこの駐車場にとめて、とりあえずは白石橋を見に行くことに。
かなり車通りの激しい道にかかっている橋なので、残念ながら橋は荷風が渡った時のような石橋ではなく、コンクリートの橋になっていました。おそらくは元はその名と通り白色の花崗岩(御影石=万成石)で造られていたんでしょうね。橋名を記したものがどこかにないかと探したのですが、残念ながら見当たりませんでした。でも、まあ、この橋を今からほぼ70年前の夏の日に荷風が渡ったことだけは確か。
さて、白石橋を見た後、車を止めた古本屋さんへ。本はびっくりするほどいっぱい。でも、この後行かなくてはならない所もあるし、日も暮れかけ、天気も崩れかけ。ざあーっと見てたら『荷風全集』の端本がいくつか。手にとった一冊に「平維盛」が収められているのを発見。荷風が書いた歌舞伎の台本ですね。どうしようかなと思いましたが、いろいろ考えて結局やめました。
後で考えてみたら、たまたま手にとって、ぱらっと開いたページに「平維盛」があったというのも、すごく運命的な出来事でしたので、やはり買っておけばよかったかなと、少し後悔しました。
で、白石橋に別れを告げて、平松さんの晴耕園があった丘に向かいました。