永井荷風の『断腸亭日乗』の昭和20年7月13日に書かれた日記をどのような形で紹介したらいいのかと、いろいろ考えていたのですが、とりあえずは全文引用する方がいいように思いました。一つ一つの文章が荷風の気持ちそのままに幸福感に溢れています。天気も雨上がりの快晴。真夏ですが、秋のような爽やかな風が吹いていたと書かれています。何もかも申し分ない一日。
で、この日の日記のとなりのページには荷風によって、色鉛筆を使ってきれいに彩色されたこの地図が添えられています。山は緑に、川は青で色付けされています。そして出発地である三門の家と、この日訪ねていった場所には赤で○をされ、荷風が通った道は赤い線で記されています。これは白黒の本では気づくことはできなかったものです。
次回からは少しずつこの日の日記の説明をしていこうと思います。
七月十三日。快晴。朝十時過S氏夫婦と共に寓居を出で二里半ばかりの道を歩み、庭瀬駅停車場附近なる福田村の山上に果樹を栽培せる平松氏を訪ふ。平松氏は先に岡山市中弓之町に松月といふ旅館を営みしことあり。去月廿八日旅舎焼亡の際余は宿賃を払ふ暇だになく逃れ去りて今日に至りしなれば、此日雨後の空晴渡りて風秋の如く冷なるに乗じ、途上の風景を見がてら尋ね行くことになせしなり。西の方倉敷に至る一条の坦途帯の如く曠漠たる水田の間を走る。田植既に終り、稲苗青くして芝生の如く、蛙声盛に起り、赤き蜻蛉の片〻として翻るを見る。農家の庭に木槿また桔梗の花の開けるさま既に秋分の時節となれるが如し。薇陽の風物東部に異なること亦甚しきを知る。河流、堰、堤防、石橋等の眺望一ツとして画趣を帯びざるはなし。河は笹ケ瀬川と云。橋は白石橋と云。倉づくりなる農家の立ちつづくあひだに清流盈〻たる溝渠の迂曲して通ずるあり。樹陰の桟橋に村の女の食器を洗ふあり。窓の下に繋げる田舟に児童の小魚を捕ふるあり。これ等田園の好画図は余のこの地に来つて初めて目にするところなれば徒歩のつかれを知らず。道を村媼に問ふこと再三。二時間程にて丘陵の麓に人家の散在する福田村に至る。こゝより羊腸たる石径を登ること三四丁。平松氏の家に達す。石径に沿ひ其果実を紙に包みし果樹林をなしたり。平松氏の家族は老弱二夫婦なるが如し。果実のみならずダリアの如き花もつくる。其大なるもの牡丹の如し。階除の花壇に立つに渺茫たたる水田を隔てゝ左方に岡山の市街を望み、右方に児島湾口の連山、また牛窓の人家を見る。園主旧式の遠目鏡を出し連山の彼方に烟の如く小豆嶋を見るべしとて、審に地理を説く。余小豆島の名を聞き成嶋柳北が明治二年にものせし航薇日記中の風景を想起して却て一段旅愁の切なるを覚えたり。薇陽の山水見るに好しと雖到底余の胸底に蟠る暗愁を慰むべきに非らず。園主のすゝむる白桃と杏を食して其味を賞し其厚情を謝し、坐いまだ久しからざるに早くも辞して山を下りぬ。帰路日没して道に迷ふることをおそれたればなり。(備前国都窪郡福田村妹尾崎晴耕園)
で、この日の日記のとなりのページには荷風によって、色鉛筆を使ってきれいに彩色されたこの地図が添えられています。山は緑に、川は青で色付けされています。そして出発地である三門の家と、この日訪ねていった場所には赤で○をされ、荷風が通った道は赤い線で記されています。これは白黒の本では気づくことはできなかったものです。
次回からは少しずつこの日の日記の説明をしていこうと思います。