昭和20年7月13日。
この日、荷風はある用事で、滞在していた三門の家から10km近く離れた場所に住んでいる人を歩いて訪ねています。このとき荷風は67歳。しかも行く場所行く場所で空襲にみまわれたせいで、精神的にも肉体的にもかなり弱った状態になっていた荷風にとって、この行程は相当にきつかったのではないかと思います。でも、そこで目にしたもの、あとで知ったことによって、この一日は荷風にとってかけがえのないものになりました。
この日の『断腸亭日乗』の文章は、岡山の、荷風の言葉を使えば「薇陽」の風景やそこに暮らす人々への愛情にあふれています。何度読み返しても胸が熱くなります。岡山の日々を記した『断腸亭日乗』で最も好きな一日。
で、この日の日記にはこの日の行程を記した簡単な地図が付けられているのですが、先日来紹介している『新潮日本文学アルバム 永井荷風』には、浄書されたその日の日記と、この地図がカラーで載っているのを知りました。正直、これを見つけたときには腰が抜けるくらいびっくりしました。僕の持っている2種類の『断腸亭日乗』では知りえなかった美しく彩色された地図。荷風のこの地に対する思いが伝わってきます。
この浄書されたページを見ると、翌7月14日と15日の日記を書きかけて消しています。浄書しながら、どうしても地図を描いておきたくなったんでしょうね。この日、この場所で見たものを忘れないために。
この日、荷風はある用事で、滞在していた三門の家から10km近く離れた場所に住んでいる人を歩いて訪ねています。このとき荷風は67歳。しかも行く場所行く場所で空襲にみまわれたせいで、精神的にも肉体的にもかなり弱った状態になっていた荷風にとって、この行程は相当にきつかったのではないかと思います。でも、そこで目にしたもの、あとで知ったことによって、この一日は荷風にとってかけがえのないものになりました。
この日の『断腸亭日乗』の文章は、岡山の、荷風の言葉を使えば「薇陽」の風景やそこに暮らす人々への愛情にあふれています。何度読み返しても胸が熱くなります。岡山の日々を記した『断腸亭日乗』で最も好きな一日。
で、この日の日記にはこの日の行程を記した簡単な地図が付けられているのですが、先日来紹介している『新潮日本文学アルバム 永井荷風』には、浄書されたその日の日記と、この地図がカラーで載っているのを知りました。正直、これを見つけたときには腰が抜けるくらいびっくりしました。僕の持っている2種類の『断腸亭日乗』では知りえなかった美しく彩色された地図。荷風のこの地に対する思いが伝わってきます。
この浄書されたページを見ると、翌7月14日と15日の日記を書きかけて消しています。浄書しながら、どうしても地図を描いておきたくなったんでしょうね。この日、この場所で見たものを忘れないために。