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Talks About Music, Books, Cinema ... and Niagara


by hinaseno
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 「それでいて声の大きな人物はひとりもいなかった」


昨日、平川克美さんが朝日の「路地裏人生論」で取りあげられた駒沢敏器の『語るに足る、ささやかな人生』(単行本の副題は「アメリカの小さな町で」)のことを書いておきます。前にも少しだけ触れたことがありますが。

昨日の朝、平川さんの書かれた文章を読み終えて、ちょっとAmazonをチェックしてみたら、なんと数年前に出ていた文庫本まで廃刊になっているのがわかりました。できるだけ多くの人に読んでもらいたくて、本のことを紹介しようと思ったのですがびっくりでした。
しかも、昨日の朝は1円で中古本が出ていたのですが、今朝見たら驚愕の値段がついていました。ここにはその値段を書かないことにします。1日も早く復刊されるのを願うのみです。

僕がこの本に出会ったのは新聞の書評(朝日新聞)でした。
本の表紙の写真が載っていたのですが、そこに使われている絵はまぎれもなく僕が最も好きな画家であるエドワード・ホッパーの「Gas」。そして、まるで村上春樹を彷彿させるようなタイトル。さらには書評を書いていたのが大好きな小池昌代さん(ここにその書評が載っています。本の画像は文庫本)。これだけそれっていては買わずにはいられません。すぐに書店にとんで行ったように思います。

とにかくいい本でした。駒沢が車でアメリカのスモールタウンを旅した話。わくわくするような話があるわけではありません。ガイドブックにもならないように思います。でも、僕はこの本を読んでいくつも行って見たい町、会ってみたい人ができたことは確か。一つ言えるのは、駒沢は、おそらくは小さな声で語られたはずの、いい言葉を聴き取る並外れた才能を持っているということ。
実際、彼はいい耳を持っていることは確かで、音楽にも造詣が深い。

と、ここまで書いて僕は「駒沢」と呼び捨ての形にしていますが、彼は年齢的にも、そしてたぶん性格的にもすごく似ているような気がして、まるで自分の同士のような気持ちを抱いているので、どうしてもよそよそしい感じのする「さん」を付けづらい気持ちになってしまうんです。もちろん、彼に対する敬意は溢れるほど持っているつもりです。

本当は彼の本を手にとって読んでもらいたいのですが、現状はそうにもいかないみたいですので(でも、大きな書店に行かれればまだ残っている可能性は十分あるだろうと思います)、彼の書いた文章をいくつか引用しておきます。

まずは「スモールタウンへようこそ」と題された最初の言葉。

そこに住んでいる人以外は誰も知らないような、ごく小さな町が、アメリカには星の数ほどある。「スモールタウン」と呼ばれている。人口は、多くても1万人に満たない。せいぜいが3000人どまり、町のサイズはメイン・ストリートを中心に、縦横にわずか数ブロックほどだ。
普通なら訪れることもなく、偶然に通りかかってもそのまま車で過ぎてしまうような場所だ。そこにどのような人たちが住み、どのような生活が営まれているのかは、多くの現代アメリカ人にとっても、完全に関心の外側だろう。
発展から取り残されたために町家立てものは古く寂れ、時間は50年代から止まったままのようであり、アメリカの本流からは遠く離れてしまっている。もはや見向きもされない場所と言い切っても、現実と違わないはずだ。町に1軒の映画館は封鎖されたままだし、狭い町がいやで家出を試みても、隣町までのあまりの遠さにやる気がなくなったりもする。
しかしスモールタウンが都会と比べてネガティヴなばかりの場所かどうか、そこは視点を少し変えてみなければならない。たとえばそこでは、家に鍵をかける習慣などいまだにないし、住人どうしが皆顔を知っているから、一定の距離を保ちながら互いを支え合って生きている。小さな町だけにひとりひとりの役割が与えられており、子供から大人まで、皆等しくその町の構成に参加している。犯罪はないに等しく、ささやかだけど健やかな人生を描くことは可能だ。自分として生きることに手応えがあり、それは確かな誇りにつながったりもする。


このあといくつかスモールタウンを舞台にした駒沢の好きな映画が紹介される。
「ギルバート・グレイプ」「ドグ・ハリウッド」「ストレイト・ストーリー」「パラダイスの逃亡者」「マイ・ドッグ・スキップ」「プレイス・イン・ザ・ハート」「ラスト・ショー」。

で、序章の最後は次のような言葉が書かれています。ぐっとくる文章です。

ごくささやかな町を舞台に、誰もが人生の主人公だった。語るべき内容と信念を人生に持ち、それでいて声の大きな人物はひとりもいなかった。大きな成功よりも小さな平和を、虚栄よりも確実な幸福を、町の住民に自分が役立つ誇りを、彼らは心から望んでいるように見えた。
そしてそのような在り方は現在のアメリカとは完全に逆を向いており、その意味では彼らの生き方は今や、反アメリカ的と言ってもいいくらいだった。国家と勝者が暴走する一方で、その国の内部をほんの少しでも奥へ入れば、無意味な成功と倫理観の崩壊を心から軽蔑する人たちが、かくもおおぜいいるのだ。

今日は時間がないので、この続きはまた次回に。
 「それでいて声の大きな人物はひとりもいなかった」_a0285828_10285653.jpg
by hinaseno | 2013-03-17 10:30 | 文学 | Comments(0)