人気ブログランキング | 話題のタグを見る

Nearest Faraway Place nearestfar.exblog.jp

好きなリンク先を入れてください

Talks About Music, Books, Cinema ... and Niagara


by hinaseno
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

 「小商い」のある風景


このブログではいくつかの川の話を書いてきました。
川は昔から心惹かれるものがありました。

川との出会い方で最もうれしいのは、ある日、何とはなしにどこかを歩いていて、ふと川に出会ったとき、それが自分のよく知った川だということに気づいたときではないかと思います。
僕の場合は、歩いて出会ったということのではないのですが、ブログのいちばん最初に取りあげた「船場川」は、何とはなしに読むことになった木山捷平の詩集で偶然出会ったんですね。
考えてみると、僕は最初に姫路に来た日、住む場所を決めるためにまず歩いて探したのが船場川沿いでした。で、3度、移り住んだ場所も船場川に歩いて行けるような距離のところばかり。これは船場川の流れを確かめて昨年はじめて知ったことでした。
いつかかりにに姫路を離れることになって、ある日ふと姫路のことを考えたとき、きっとまず船場川のことを思い浮かべるような気がします。

全長10kmあまりの川。今年こそ歩いてみたいと思っています。

前にも書きましたが荷風は岡山で空襲を受けた後、県北の勝山にいた谷崎潤一郎に会いに行きます。そこで散歩していたときに出会った川が、その数日前まで自分がそのすぐ近くで過ごしていた旭川であることを知り、そのことを『日乗』に記しています。こういうことに悦びを感じるのが荷風らしいですね。

荷風と言えば、先日、大瀧さんの「五月雨」という曲に使われている荷風の言葉を紹介しましたが、それをチェックするために、目的の言葉をスキャンするような形で目を通しただけで、でも、ぼんやりと内容だけはとらえていた「葛飾土産」という随筆(『荷風随筆集(上)』岩波文庫)を読みました。昭和22年、つまり荷風が岡山で空襲を受けて終戦を迎えて2年後に書かれたもの。書かれた場所は荷風が死を迎えるまで過ごすことになる千葉県の市川。というわけで随筆には市川の風景がいろいろと出てきます。

「葛飾土産」は昭和22年2月に書かれたものと10月に書かれたものと12月に書かれたものの3つの文章から成り立っています。10月に書かれたものにも少し川の話が出てくるのですが(昔あったのに埋められてしまった東京の市中の溝川がいくつもあげられています。「木挽町」「新富町」という地名には心が震えます)、最も興味深いのは最後の12月に書かれた文章。これが僕のようなものには最高なんです。

ある日、荷風が市川周辺の道を歩いていると、道を横切って流れる「一条の細流」に出会います。真間川という名前の川。川幅は2間ほど。『日乗』を見ると、この川に出会ったのは昭和22年11月30日。柳橋という名前の橋を渡っています。で、堤防を20分ほど歩いて海の方に向かいます。こういうのを読むと、荷風が百間川に出会っていたなら、きっと海の方まで歩いたんだろうなと思ってしまいます。でも、結局、海まで行くのは大変そうだとわかって電車に乗って家に戻っています。

おそらく家に戻ってから地図を広げて真間川を調べたんでしょうね。あるいは昔の書物なんかも読んでいるようです。真間川が江戸川から分かれた川であること(実は船場川もある川から枝分かれした川なのですが、何とその川の名は「市川」。たまたまとはいえ...)、継川と表記されることもあることなどを調べます。

このとき荷風はこんな気持ちになります。

この流のいずこを過ぎて、いずこに行くものか、その道筋を見きわめたい心になっていた。


で、この後にこんな言葉が続きます。これがもう本当に笑えるんです。

これは子供の時から覚え初めた奇癖である。何処ということなく、道を歩いてふと小流れに会えば、何のわけとも知らずその源委がたずねて見たくなるのだ。来年は七十だというのにこの癖はまだ消え去らず、事に会えば忽ち再発するらしい。雀百まで踊るとかという諺も思合されて笑うべきかぎりである。
かつて東京にいたころ、市内の細流溝渠について知るところの多かったのも、けだしこの習癖のためであろう。


実はつい先日聴いていた「ゴー!ゴー!ナイアガラ」でも、何か似たようなことを大瀧さんが言ってたんですね。正確には忘れましたがこんなこと。

ある曲に出会うと、僕は必ずその作曲者がだれかとかプロデューサーがだれかって調べてみたくなるんですね。これは僕の昔からの癖でして、あまり一般の人にはおすすめできません。

一方は川の流れ、一方は音楽の流れ。
その場限りの風景、その場限りの音楽で終るのではなく、長いスパンでものごとを捉えることのできる人たち。それは「癖」というべきものなのか、昔からある種の人たちには普通に備わっていたのかはわかりません。そういえば大瀧さんはしばしば音楽を語るときに、川の流れの比喩を用いられます。「滝」の前後には必ず川の流れがありますからね。

ところで隣町探偵団の平川克美さんは現在、呑川という川を上へ下へと辿られているようです。面白いですね。ときどきその報告が朝日新聞のbeの「路地裏人生論」でされていて興味深く読んでいたのですが、もうあと数回で終ります。今日は前にも触れた駒沢敏器という作家についての話でした。とってもいい話です。

平川さんというと昨年『小商いのすすめ』という著書を出されていて、「小商い」という言葉が平川さんの代名詞になりつつあるように思うのですが、荷風の「葛飾土産」に、なんと「小商い」という言葉が出てくるんですね。最初にぱらぱら見たときには気づきませんでした。

真間川のあたりを歩いた風景に出てきます。

なお行くことしばらくにして川の流れは京成電車の線路をよこぎるに際して、橋と松林と小商いする人家との配置によって水彩画様の風景をつくっている。


素敵な風景ですね。川、電車、橋、松林、そして「小商いする人家」。
こんな風景を見たならば、荷風であったら絶対に絵に描きたくなるはずなんですが、荷風はある日を最後にして『日乗』に風景画を描くことはなくなります。
最後に描いたのは避難していた岡山の三門の妙林寺というお寺の辺りの風景。描かれた日は昭和20年7月19日。
この日のブログで紹介した左下の日記に載っている絵ですね。この絵に描かれた風景を、今度実家に戻ってきたときに探してこようと思っています。

ちなみに7月19日は平川克美さんの誕生日。
 「小商い」のある風景_a0285828_1226556.jpg
by hinaseno | 2013-03-16 12:33 | 文学 | Comments(0)