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Talks About Music, Books, Cinema ... and Niagara


by hinaseno
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  七月になると荷風は


 6月18日に後楽園を越えた旭川の袂で西大寺鉄道の発着駅を見つけた荷風。気持ちが落ち着いてきたのか、翌日からもう少し活発に動き始めます。でも散策の中心はやはり旭川沿い。
 
 まず、6月19日には滞在していた旅館近くにあった渋沢温泉という銭湯に行っています。夕食をとったあと旭川の土手を歩いています。

  七月になると荷風は_a0285828_20155150.jpg 6月20日にはさらに行動範囲が広がります。まず、知人といっしょに市内電車に乗って京橋に行っています。市内電車とはもちろん現在も走っている路面電車ですね。この写真がおそらく京橋を渡っている路面電車をとらえたものだと思います。時代はよくわかりませんが。荷風が岡山の路面電車に乗っていたなんてうれしくなりますね。
 で、そのあたりを散策。当然のことながら旭川に浮かぶ中島を発見します。遊廓が立ち並んだ小さな島。昭和11年4月に木山捷平が人力車でやって来た(連れてこられた)場所ですね。荷風は別にどこかに立ち寄るわけでなく、いくつかの橋を渡りながらいろんな風景を見ています。それから岡山城内を歩き、また後楽園に行っています。

 6月21日は午前中散歩、夕食後、前日の知人といっしょに再び電車に乗り京橋に行き、やはり前日同様中島を散策しています。こんな記述があります。

たまたま門口に立出る娼婦を見るに紅染の浴衣にしごきを巾びろに締め髪を縮したるさま、玉の井の女に異ならず


 東京にいたときに足繁く通っていた隅田川の東の玉の井を思い浮かべています。僕の中では隅田川と旭川が重なり、玉の井と中島が重なり、そして荒川放水路と百間川が重なっています。でも、荷風はまだ百間川を発見していません。

 6月22日は松月の旅館で終日読書。

 6月23日は旭川とは反対側の市内を歩いていろんな建物を見ています。

 6月24日は来客が来たり、同じ岡山県の勝山に避難してきていた谷崎潤一郎に手紙を書いたりしています。

 6月25日には洗濯をしたあと銀行に行っています。夕食後、また旭川沿いを歩いています。

 6月26日には銀行に行ったついでに、また岡山城のあたりを散策しています。この日書かれている旅館の軒につくられた燕の雛の話が、結果的には不吉な前兆としてあとにつながっていきます。

 6月27日には住所変更の通知をしています。しばらく弓之町の松月に滞在することにしたんですね。
 しかし、その翌日の晩、正確には6月29日の未明に岡山が空襲されます。この日(6月28日)の日記。

 晴。旅宿のおかみさん燕の子の昨日巣立ちせしまゝ帰り来らざるを見。今明日必異変あるべしと避難の用意をなす。果してこの夜二時頃岡山の町襲撃され火一時に四方より起れり。警報のサイレンさへ鳴りひゞかず市民は睡眠中突然爆音をきいて逃げ出せしなり。余は旭川の堤を走り鉄橋に近き河原の砂上に伏して九死に一生を得たり。


 荷風が逃げた鉄橋というのは山陽本線の鉄橋。旭川を北に上ったところにあります。荷風は岡山に来てから旭川沿いを旅館から南の方向しか歩いてはいませんでした。おそらくは人々はみな北側に逃げていたんでしょうね。僕の父も家族とはぐれながらも、そちらの方向に避難する約束をしていたそうです。
 空襲という生きるか死ぬかの状況であっただろうとはわかっていながら、一方で僕は地理のよくわからない荷風が父のすぐあとを追いかけていた映像を思い浮かべて、甘美な気持ちになってしまいます。

 さて、荷風が避難した山陽本線の鉄橋。そこから北に1kmも行かない場所に旭川から百間川に分流するところがありました。もちろん荷風はそこを見ることなく、岡山市の西の三門というところに避難して終戦を迎えるまでそこで過ごすことになります。

 でも、もしあの日空襲がなく、7月という新しい月を迎えていたら、荷風はきっと...。
by hinaseno | 2013-02-24 20:18 | 文学 | Comments(0)