川本三郎さんの『そして、人生はつづく』を読み終えてから、いよいよ永井荷風の『断腸亭日乗』を、と思ったのですが、その前にこれまで部分的にしか読んでいなかった川本さんの『荷風と東京―「断腸亭日乗」私註』を読むことにしました。
ただ、これを読むのもかなりの決心がいります。なぜなら600ページを超える大書ですから。でも、この本を読むタイミングとしては、『断腸亭日乗』を手に入れたということも含めて、今がいちばんいいように思いました。
今はまだ、2章しか読んでいませんが本当に興味深い話が続きます。昨日読んだ章では荷風の老人好きのことが語られています。
例えば、昭和10年10月25日、荷風はある路地裏を歩いていて、小さな古本屋を見つけます。
「日本堤東側の裏町を歩み行く時、二間程の間口に古雑誌つみ重ねたる店あるを見たれば硝子戸をあけて入るに、六十越したりと見ゆる坊主の亭主坐りゐて、明治廿二三年頃の雑誌頓智會雑誌十冊ばかりを示す」
「禿頭の亭主が様子話振りむかしの貸本屋も思出さるゝばかり純然たる江戸下町の調子なれば、舊友に逢ひたる心地し、右の雑誌其他二三種を言値のまゝにて購ひ、大通に出ればむかしの大門に近きところなり」
なんという荷風らしい風景! こういう場面を想像するだけでたまらない気分になります。
路地裏で思いがけず古本屋を見つける。そしてその店の年老いた主人に「舊友(=旧友)に逢ひたる心地し」て、いくつかの本を「言値のまゝに」に買ってるんですね。
路地裏と言えば、川本さんは『白秋望景』でこんなことを書かれています。
「風景はいつも発見されるものだ。前からそこにありながら、誰もそれに気がつかなかったものが、ひとたび意識して見つめられる時に、新しい風景としても意味を持ってくる。
武蔵野の雑木林は国木田独歩によって発見された。そして路地は永井荷風によって発見された」
『白秋望景』では北原白秋が水を発見したことを指摘しています。 もちろん彼らの「発見」を発見したのは川本三郎さん。発見したことの発見。川本さんが路地裏や郊外や水の風景を再発見されているからこそなしえたこと。
さて、川本さんの他にも、現在、路地裏を探索し、新たな発見をされている人がいます。平川克美さんですね。平川さんは先週も触れましたが、現在朝日新聞の土曜日版の「be」に「路地裏人生論」というコラムを連載されています。書かれている内容は地理的な意味合いでの路地裏を語ったものばかりではないのですが、路地裏を探る目を持った人ならではの切り口で、グローバル化といった現在の大通りに見られる世界からは縁遠い場所(すぐそばにありながらはるか遠くにはなれた場所ですね)にいる人(ときには動物)たちのことを描き続けられています。
僕は現在、朝日新聞を購読していませんので、平川さんが「路地裏人生論」の連載を始められてからは、2週間に1度くらいの割合で近所の図書館に行ってコピーをとったりしていたのですが、正直、行っても誰かが新聞の束を確保していることが多く、結局見ることが出来ないまま帰ることになることが続いていました。
で、先週初めて買ったのをきっかけに、土曜日だけは近所のコンビニで新聞を買うことにしました。ということで、今朝、少し早く起きて、ちょっとだけ離れたコンビニまで散歩がてら歩いて行って新聞を買ってきました。そしてコーヒーを飲みながら平川さんの「路地裏人生論」を読みました。なかなかいいものです。土曜日の朝の新しい日課になりそうです。
今日の「路地裏人生論」の書き出しはこんなふうになっています。
「晴れた日曜日は、絶好の町歩き日和。とはいえ、遠出は億劫だ。最近はもっぱら隣町を歩く。いつもの三人組で、隣町観光、いや隣町探偵をするのが楽しい。脚下照顧。ちょっと使い方が違うが、わかっているつもりの隣町でも歩いていると思わぬ発見がある」
「探偵」という言葉が書かれていて思わずニンマリですね。ここでの「いつもの三人組」の残りの二人は、石川さん、内田先生とは違うようです。いろんな探偵団をもっているようです。
この日訪れられたのは武蔵新田という所。もちろん全くわかりません。でも、平川さんに歩かれることによって、そこが身近な場所になってくるから不思議です。川本さんが歩かれた場所がそうであるように。
さて、来週の「路地裏人生論」は、どうやら大瀧さんの話が出てくるようです。このブログでもずっと以前に触れた「天然の美」のことも。来週になるのが今からとても楽しみです。
ただ、これを読むのもかなりの決心がいります。なぜなら600ページを超える大書ですから。でも、この本を読むタイミングとしては、『断腸亭日乗』を手に入れたということも含めて、今がいちばんいいように思いました。
今はまだ、2章しか読んでいませんが本当に興味深い話が続きます。昨日読んだ章では荷風の老人好きのことが語られています。
例えば、昭和10年10月25日、荷風はある路地裏を歩いていて、小さな古本屋を見つけます。
「日本堤東側の裏町を歩み行く時、二間程の間口に古雑誌つみ重ねたる店あるを見たれば硝子戸をあけて入るに、六十越したりと見ゆる坊主の亭主坐りゐて、明治廿二三年頃の雑誌頓智會雑誌十冊ばかりを示す」
「禿頭の亭主が様子話振りむかしの貸本屋も思出さるゝばかり純然たる江戸下町の調子なれば、舊友に逢ひたる心地し、右の雑誌其他二三種を言値のまゝにて購ひ、大通に出ればむかしの大門に近きところなり」
なんという荷風らしい風景! こういう場面を想像するだけでたまらない気分になります。
路地裏で思いがけず古本屋を見つける。そしてその店の年老いた主人に「舊友(=旧友)に逢ひたる心地し」て、いくつかの本を「言値のまゝに」に買ってるんですね。
路地裏と言えば、川本さんは『白秋望景』でこんなことを書かれています。
「風景はいつも発見されるものだ。前からそこにありながら、誰もそれに気がつかなかったものが、ひとたび意識して見つめられる時に、新しい風景としても意味を持ってくる。
武蔵野の雑木林は国木田独歩によって発見された。そして路地は永井荷風によって発見された」
『白秋望景』では北原白秋が水を発見したことを指摘しています。 もちろん彼らの「発見」を発見したのは川本三郎さん。発見したことの発見。川本さんが路地裏や郊外や水の風景を再発見されているからこそなしえたこと。
さて、川本さんの他にも、現在、路地裏を探索し、新たな発見をされている人がいます。平川克美さんですね。平川さんは先週も触れましたが、現在朝日新聞の土曜日版の「be」に「路地裏人生論」というコラムを連載されています。書かれている内容は地理的な意味合いでの路地裏を語ったものばかりではないのですが、路地裏を探る目を持った人ならではの切り口で、グローバル化といった現在の大通りに見られる世界からは縁遠い場所(すぐそばにありながらはるか遠くにはなれた場所ですね)にいる人(ときには動物)たちのことを描き続けられています。
僕は現在、朝日新聞を購読していませんので、平川さんが「路地裏人生論」の連載を始められてからは、2週間に1度くらいの割合で近所の図書館に行ってコピーをとったりしていたのですが、正直、行っても誰かが新聞の束を確保していることが多く、結局見ることが出来ないまま帰ることになることが続いていました。
で、先週初めて買ったのをきっかけに、土曜日だけは近所のコンビニで新聞を買うことにしました。ということで、今朝、少し早く起きて、ちょっとだけ離れたコンビニまで散歩がてら歩いて行って新聞を買ってきました。そしてコーヒーを飲みながら平川さんの「路地裏人生論」を読みました。なかなかいいものです。土曜日の朝の新しい日課になりそうです。
今日の「路地裏人生論」の書き出しはこんなふうになっています。
「晴れた日曜日は、絶好の町歩き日和。とはいえ、遠出は億劫だ。最近はもっぱら隣町を歩く。いつもの三人組で、隣町観光、いや隣町探偵をするのが楽しい。脚下照顧。ちょっと使い方が違うが、わかっているつもりの隣町でも歩いていると思わぬ発見がある」
「探偵」という言葉が書かれていて思わずニンマリですね。ここでの「いつもの三人組」の残りの二人は、石川さん、内田先生とは違うようです。いろんな探偵団をもっているようです。
この日訪れられたのは武蔵新田という所。もちろん全くわかりません。でも、平川さんに歩かれることによって、そこが身近な場所になってくるから不思議です。川本さんが歩かれた場所がそうであるように。
さて、来週の「路地裏人生論」は、どうやら大瀧さんの話が出てくるようです。このブログでもずっと以前に触れた「天然の美」のことも。来週になるのが今からとても楽しみです。