川本三郎さんの『そして、人生はつづく』を読み進めています。昨日も書きましたが、この本に収められた文章の多くは『東京人』という雑誌に書かれたもの。時期は最も古いものが2010年7月号、最も新しいものが2012年11月号。ちょうど"あの日"をはさんでいるんですね。”あの日”とはいうまでもなく、大震災と原発事故が起きた2011年3月11日。その日のことは、2011年5月号に収められた文章に書かれています。ちょうどその日、川本さんの『マイ・バック・ページ』を映画化した山下敦弘さんと脚本家の方と座談会があったとのこと。座談会の場で川本さんは思わず「これでもう思い残すことはない。いつ死んでもいい」と言ってしまったそうです。で、その後、地下鉄に乗っていたときに地震に遭遇。
この日から書かれた文章には、2012年11月号に収められたものまでずっと地震のこと、東北のことが書かれ続けられます。絶望の中で小さな希望を見出そうとされているのが痛いほどわかります。と同時に絶望の中で小さな希望を見出そうとしている人たちに目を向け、彼らの言葉を聴き取ろうとされています。
さて、僕のような音楽を愛する人が、"あの日"の後に最初に購入して聴いて、救われたようになった気持ちになったのが、先日触れた細野晴臣さんの『HoSoNoVa』というアルバムです。「スマイル」や「悲しみのラッキースター」が収められているアルバムですね。これを聴いた多くの人が思ったことは、このアルバムは"あの日"の出来事で精神的な打撃を受けた心を癒すために、"あの日"の後に作られたように感じたことでした。現在であれば、さらにそう思うかもしれません。発売されたのは2011年4月ですが、実際に作られたのは"あの日"の前。かなりの期間をかけてゆっくりと作ったようです。このCDに収められたブックレットの最初の細野さんの言葉は2011年3月8日に書かれています。"あの日"の3日前ですね。
平川克美さんの『移行期的混乱』の最後に収められた解説を書かれている高橋源一郎さんがこんなことを書かれています。
"あの日"よりも以前に作られたものなのに、あたかも"あの日"の後に作られたような音楽。"あの日"よりも以前に書かれたものなのに、あたかも"あの日"の後に書かれたような本。前に触れた今村さんたちのグループが作られた"あの日"の前に作られたCMはどれも、"あの日"の後に作られたようなものばかり。
そういえば平川さんの『移行期的混乱』の「文庫本のための端書」(文庫本発売のために2012年11月1日に書かれたもの)を読んで一番興味深かったことは、そこに3.11のことが”書かれていない”ことでした。経済のことを考えるならば、触れずにはいられないはずのことなのですが、平川さんは一切触れていません。原発事故などは、まさに平川さんが批判する、性急さに駆り立てられ、日本的労働エートスを失った人々によって引き起こされたと言っても過言ではなく、「それみたことか」というようなことを書いてもいいはずなのですが(世の中には、特に政治家に多いのですが、自分を責任のない場所において「それみたこと」と声を大にして言う人があふれています)平川さんはそれをしません。きっと書かないことを意識されたのだと思います。ここに、平川さんという人の誠実さを感じずにはいられません。
『移行期的混乱』の「文庫本のための端書」の最後の言葉を引用しておきます。
川本三郎さんの『そして、人生はつづく』の「東京人」2011年7月号に書かれた文章の最後にはこんな言葉が書かれています。
平川さんのいう「成熟」した人々が生まれつつあることは確かなこと。でも、残念ながらそのような人々の思いを救い上げるような政党が存在しません。政治家に精神的に成熟した人がいないんですね。と同時に「性急さに駆り立てられるひとびと」は、そんな政治家の安酒をふるまうような言葉(@村上春樹)に容易に酔わされてしまいます。
懲りない人は懲りない?
こんな状況が震災から2年も経たないうちに出始めていることに「危機」を覚えてしまうのですが、やはりこれも「移行期的混乱」の一つの現象と考えるべきなんでしょうか。でも、正直なところ"あの日"から2年も経たないのに"あの日"を忘れたかのようにしてつくられるもの(語られる言葉)には触れたくはないですね。
この日から書かれた文章には、2012年11月号に収められたものまでずっと地震のこと、東北のことが書かれ続けられます。絶望の中で小さな希望を見出そうとされているのが痛いほどわかります。と同時に絶望の中で小さな希望を見出そうとしている人たちに目を向け、彼らの言葉を聴き取ろうとされています。
さて、僕のような音楽を愛する人が、"あの日"の後に最初に購入して聴いて、救われたようになった気持ちになったのが、先日触れた細野晴臣さんの『HoSoNoVa』というアルバムです。「スマイル」や「悲しみのラッキースター」が収められているアルバムですね。これを聴いた多くの人が思ったことは、このアルバムは"あの日"の出来事で精神的な打撃を受けた心を癒すために、"あの日"の後に作られたように感じたことでした。現在であれば、さらにそう思うかもしれません。発売されたのは2011年4月ですが、実際に作られたのは"あの日"の前。かなりの期間をかけてゆっくりと作ったようです。このCDに収められたブックレットの最初の細野さんの言葉は2011年3月8日に書かれています。"あの日"の3日前ですね。
平川克美さんの『移行期的混乱』の最後に収められた解説を書かれている高橋源一郎さんがこんなことを書かれています。
もしかしたら、ずっと後になって、この本を読む人は、「これは『3.11』の後で、それを受けて書かれたものだ」と思うかもしれない。なぜなら、ここで書かれているのは、「3.11」の後、一気に顕在化することになった、この国が抱えてきた問題の本質だからだ。しかし、この本は、「あの日」よりも以前に書かれていたのである。
"あの日"よりも以前に作られたものなのに、あたかも"あの日"の後に作られたような音楽。"あの日"よりも以前に書かれたものなのに、あたかも"あの日"の後に書かれたような本。前に触れた今村さんたちのグループが作られた"あの日"の前に作られたCMはどれも、"あの日"の後に作られたようなものばかり。
そういえば平川さんの『移行期的混乱』の「文庫本のための端書」(文庫本発売のために2012年11月1日に書かれたもの)を読んで一番興味深かったことは、そこに3.11のことが”書かれていない”ことでした。経済のことを考えるならば、触れずにはいられないはずのことなのですが、平川さんは一切触れていません。原発事故などは、まさに平川さんが批判する、性急さに駆り立てられ、日本的労働エートスを失った人々によって引き起こされたと言っても過言ではなく、「それみたことか」というようなことを書いてもいいはずなのですが(世の中には、特に政治家に多いのですが、自分を責任のない場所において「それみたこと」と声を大にして言う人があふれています)平川さんはそれをしません。きっと書かないことを意識されたのだと思います。ここに、平川さんという人の誠実さを感じずにはいられません。
『移行期的混乱』の「文庫本のための端書」の最後の言葉を引用しておきます。
わたしたちは、今日過剰ともいえる性急さを生きている。
世界の変化は、めまぐるしく、アクティブにその変化に対応していかなければ置いてけぼりになってしまうという強迫観念がある。
「バスに乗り遅れるな」「待ったなしだ」こういった掛け声で政策が決定されることも多い。
しかし、世界がめまぐるしく変化しているときほど、その変化の意味を知る必要がある。ときに、それがまだるこしく、迂遠なことのように見えようが、いま、ここで、なにが起きているのかについて出来る限り客観的な認識を共有する必要がある。
そのようにわたしは考えている。
そして、それは成熟国へと向かう、日本と日本人にとっても大切なことだと思う。
長期的な人口減少が何故起きたのか、そのことの意味を考える以前に、ひたすら経済成長を望むのは、身体は成熟したのに精神は幼いままでいる老人を思わせる。
本書が、性急さに駆り立てられるひとびとが、落ち着いて、事物を時間をかけて観察し、成熟の意味を考えることへ就くきっかけになることを願いたいと思う。
川本三郎さんの『そして、人生はつづく』の「東京人」2011年7月号に書かれた文章の最後にはこんな言葉が書かれています。
3.11以後、以前の自己責任論は消え、他者を思う新しい、いい価値観が生まれているのではないか。
平川さんのいう「成熟」した人々が生まれつつあることは確かなこと。でも、残念ながらそのような人々の思いを救い上げるような政党が存在しません。政治家に精神的に成熟した人がいないんですね。と同時に「性急さに駆り立てられるひとびと」は、そんな政治家の安酒をふるまうような言葉(@村上春樹)に容易に酔わされてしまいます。
懲りない人は懲りない?
こんな状況が震災から2年も経たないうちに出始めていることに「危機」を覚えてしまうのですが、やはりこれも「移行期的混乱」の一つの現象と考えるべきなんでしょうか。でも、正直なところ"あの日"から2年も経たないのに"あの日"を忘れたかのようにしてつくられるもの(語られる言葉)には触れたくはないですね。