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Talks About Music, Books, Cinema ... and Niagara


by hinaseno
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「アーアー、聴こえますか。JOAK、JOAK、こちらは東京放送局であります」


今日はラジオの話。
といっても、ここで書いてきたことの多くはラジオが元になっている話ばかりですね。大瀧さんと達郎さんの「新春放談」であったり、今年、NHK-FMで放送された大瀧さんの「アメリカン・ポップス伝Part. 2」であったり(アル・カイオラの話のきっかけはこれでした)、ラジオデイズが制作したインターネット・ラジオの「大瀧詠一的」であったり(古関裕而さんの話のきっかけはこれでした)、あるいは松たか子さんが村上春樹の小説を朗読した番組であったり、そして何よりもここで書いていることの大半を占めているはずの大瀧さんの伝説のDJ番組である「ゴー!ゴー!ナイアガラ」(録音されたものを石川さんに送っていただいているのですが)であったり。

ところで、一昨日行ったチーフタンズは結成50周年記念のコンサートだったのですが、結成50周年といえば、わがビーチ・ボーイズも、今年結成50周年記念(実際には51年目になっていますが)で来日コンサートを開きました。でも、行きませんでした。深く後悔しています(泣)。
そのビーチ・ボーイズはコンサートのための再結成を記念して1枚の新しいアルバムを出しました。タイトルは『THAT’S WHY GOD MADE THE RADIO( 邦題は「神の創りしラジオ」)』。アルバムのタイトルにもなっている曲がこれです。曲を書いたのはもちろんブライアン・ウィルソン。


神様がラジオを創った。まさに、その通りですね。今年ほど「ラジオ」というもののありがたさを実感したことはありません。

ラジオの聴き方にはいろいろありますが、多くはその日のその時間にその番組が放送されることを知った上で、たいてい録音しながら聴きます。最も長い間聴き続けているのは達郎さんの「サンデー・ソングブック」ということになるでしょうか。「サタデー」だったときから聴いています。テープにたくさん録音していましたが、10年くらい前に一人の教え子(当時、中学2年)が、ある日、何かのきっかけで「僕、山下達郎のファンです。特に『ヘロン』が好きです」って言ってきたのがうれしくて、彼に「新春放談」と特集以外のテープをすべてあげてしまいました。

そんな聴き方とは別に、車でときどきラジオを聴くことがあります。基本的にはカーステにはCDを入れているので、エンジンをかければそれが自動再生されることになるのですが、そのCDを交換するときにラジオに切り替わって、ときどきそこではっとするような音楽に出会うこともあります。
たとえば、昨年であれば、まだおそらくはそれほどヒットしていなかった頃に「トイレの神様」という曲がラジオから流れてきて、次の差し込む予定のCDを手に持ったまま聴き入ってしまいました。歌詞もそうですが、「テネシー・ワルツ」的な曲調が耳をとらえたのかもしれません。
今年、最もうれしかったのは、古関裕而さんの「ひるのいこい」がナレーションとともに流れてきたときでした。何かで、今は使われていないようなことを読んでいたので、ジャストのタイミングでかかったときは本当にびっくりしました。

ところで、日本でラジオ放送が始まったのはいつかご存知でしょうか。
と、偉そうな感じで問いかけていますが、実は昨日それを知ったばかり。かなりびっくりしたのですが。

何と、大正14年。そう、あの大正14年なんです。
一昨日に紹介した木山捷平の『角帯兵児帯』を読んでいたら、木山さんが銀座辺りの街頭の人だかりの中で、その第一声を聴いたことが書かれていたんです。
調べてみると日本初のラジオ放送があったのは大正14年(1925年)3月22日の9時30分とのこと。3月22日というのはナイアガラ・ファン的には「惜しい」ですね。

その第一声は、
「アーアー、聴こえますか。JOAK、JOAK、こちらは東京放送局であります。こんにち只今より放送を開始致します」

これ、どこかで聴いたことがありますね。たぶん、テレビの何かの番組で、おそらく何度か聴いてはずです。
でも、この第一声を木山さんが聴いていたなんて、ちょっとした感動です。木山さん、大正14年の3月までは兵庫県の出石小学校に勤務していたはずですが、3学期(という言葉が当時もあったかどうかはわかりませんが)が終了して、本当にすぐに飛んでいくように上京したんですね。
で、おそらく上京してすぐに、まさに放送が開始されたラジオを聴いている。もちろん銀座までは電車に乗っていって。木山さんの興奮ぶりが手にとるようにわかります。

木山さんが自分の家にラジオを備え付けたのは昭和12年とのこと。それからテレビを備えたのは昭和36年(1961年)のようです。1961年といえばビーチ・ボーイズの結成された年。
テレビが家に入って木山さんはやはり相撲を見ています。この時期木山さんは阿佐ヶ谷の近くに住んでいたので当然応援していたのは地元の若乃花(もちろん初代。ちなみに子供の頃阿佐ヶ谷に住んでいた川本三郎さんは当然、若乃花のファン)だろうと思っていたのですが、どうやら応援していたのは松登という力士。松登、どこかで聞いたことがあるような気がします。僕が聞いたことがある場合、だいたいは大瀧さんにつながるのですが。調べてみると松登は若乃花と一緒に大関になっています。その後、けがなどして横綱にはなれなかったみたいですが、なかなか個性的な力士みたいだったようです。

相撲の話といえば、つい先日、石川さんから新たに送っていただいた「ゴー!ゴー!ナイアガラ」を聴いていたらうれしいことがありました。1977年の3月22日(おおっ、また3月22日!)に放送されたもの。前に触れた「CMスペシャル」を特集したものです(資生堂の「Summer Lotion」の「あれ?」バージョンには驚きました)。
この日、CM制作に関わった人が3人ゲストで出演しています。ONアソシエイツというCM会社の大森昭雄さん、同じく当時ONアソシエイツに外部協力されていた牧村憲一さん、それから大瀧さんのCMソングのほとんどの歌詞を書いた伊藤アキラさん。途中で、なんと関口直人さんの話も出てきます。アシスタント・ディレクターとしてONに入ったばかりの頃に、相当ハードな仕事を与えられていたことが、4人の笑い声とともに語られています。
で、最後に話がすこしそれて相撲の話が出てきます。そこで出てきた力士がなんと若三杉。「若三杉、いいですよ」って大瀧さんが言ってるんですね。
若三杉は、後にも先にも僕が一番よく相撲を見ていたとき、最も応援していた力士だったんです。先程出た若乃花が阿佐ヶ谷につくった二子山部屋の力士。後に横綱になって2代目若乃花になります。横綱若乃花になってからは、相撲がつまらなくなってしまったのですが、関脇、大関、横綱とかけあがっていくときには最高に魅力的な相撲をとっていました。相撲雑誌もたくさん買っていましたが、後に全部処分してしまいました。ああ、もったいない。
でも、大瀧さんの口から「若三杉」という言葉が発せられるのを聞けて、若三杉を応援していたことがわかって本当にうれしかったです(「松登」のこともどこかで言ってたはずだけど、一体どこに)。
いずれにしてもラジオって最高ですね。
Commented by 39nemon at 2012-12-04 23:59 x
ラジオの話ですか、いいですねー!ラジオといえば、学生時代にFM局が次々開局され、そのワクワク感は今以ていい思い出です。私がここに来たのは石川さんのサイトにリンクが貼ってあったからですが、このブログも石川さんのサイトも、私にとってラジオ的存在である訳です。マイペースで続けて下さい。
Commented by hinaseno at 2012-12-05 14:17
僕のブログを見られている方の多くは石川さんのサイト経由だと思っています。石川さんにリンクしていただいたことはこの上ない光栄なことでした。石川さんのご期待に応えられている自信はありませんが、39nemonさんに石川さんのサイトと同様、僕のブログもラジオ的存在と言っていただき大変うれしく思いました。ただ、これから年末年始にかけてペースが落ちる可能性がありますので、よろしく。
Commented by 39nemon at 2012-12-07 23:00 x
年末年始にかけてお忙しいでしょう。体調など崩さぬよう、マイペースでたのしんで続けて下さい。私はちょっと風邪っぴきで寝込んでしまいました。
早速、クリスマス特集などupされているようですね。ゆっくり読ませてもらいますね。
Commented by hinaseno at 2012-12-08 19:47
お体を大切に。ご無理なさいませんように。
Commented by 39nemon at 2012-12-11 22:49 x
御気遣いありがとうございます。ペース落ちてない、流石です!
by hinaseno | 2012-12-04 09:52 | 木山捷平 | Comments(5)