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by hinaseno

ふたたび大正14年の雑司ヶ谷に


いきなりですが、大正14年の木山捷平の話。東洋大学に通うために東京の雑司が谷に住んでいた頃の話です。"昭和2年の木山さん"とともに、この"大正14年の木山さん"にも深い関心を持ってしまいました。
見るもの聞くもののすべてが驚きと輝きにあふれていた日々。その年、木山さんが見ていた風景を、姫路のように実際に行ってみることはできませんが、ちょっとずつ辿ってみたいと思いました。

ところで先日、神戸に行ったとき、 中古レコード屋さんとともに何件かの古本屋さん巡りもしてきたのですが、木山さんに関する本をいくつか見つけることができてとてもラッキーな気分になりました。
まず、うれしかったのは昭和43年に三月書房から出版された『角帯兵児帯(かくおびへこおび)』という本を、元町の高架下の小さな本屋さんで見つけたこと。布ばりの、文庫本より少し小さい、本当にかわいらしい本。
ふたたび大正14年の雑司ヶ谷に_a0285828_10472086.jpg

棚に何冊も重ねられた本の一番上に、"ひょっこりと"置かれていました。
この本、以前、知人の方に見せてもらっていて、欲しくて仕方のなかったもので、ネットで買おうと思えば買えたのですが、 やはり木山さんの本(に限りませんが)にはこんな出会い方をするのがいちばんうれしいです。

この『角帯兵児帯』には、いろんなエッセイを集められていて、なんと「雑司ヶ谷」と題されたエッセイまでありました。もちろん雑司ヶ谷に住んでいた頃の思い出を記したもの。エッセイが書かれたのは昭和35年ですから、35年前の思い出ということになります。といっても、僕の大瀧さんに関する話の多くも30年くらい前のことになってしまうので、あまり変わらないですね。僕にとってそうであるように、木山さんにとっても昨日のように思い出されるのだと思います(でも、その後の姫路での日々は木山さんの記憶の遠い彼方に消し去られているのですが)。

最近、ふと気づいたことなのですが、木山さんは大正11年に一度、姫路の師範学校を抜け出して上京していますが、その翌年のに関東大震災が起こっています。木山さんはその大正12年から2年間、兵庫県北部の出石小学校に勤めています。それから大正14年にふたたび上京するのですが、その年に北但馬でかなり大きな地震が起きて、木山さんのいた出石のあたりも大きな被害を受けたようです。
それぞれに、もし、あと1年そこに留まっていたら、自分はどうなっていたんだろうという気持ちを抱いたはず。1度ならず、2度同じようなことがあったわけですから動揺しないはずがありません。

「大地変」と題された詩があります。大正14年に書かれた詩。「山陰大地震の報を見て」という副題が付されています。

突如! 起つた大地変に
城崎温泉は灰になつたといふ。
そして、
私のかつての日

つかれ果てた悩みの心を
一夜、
かりそめにもあたためてくれた
あの地蔵の湯は冷水に変つたといふ
ああ、
私は今、
見舞のすべもわからない。

今日はこの後、神戸、それから西宮に行きます。神戸には何度行っても、あの日の地震のことを考えてしまいます。
個人的な話になりますが、あの阪神大震災があった翌日の、確か祝日に、神戸美術館で開催される予定だった「兵馬俑展」を見に行くことにしていました。地震のエネルギーの爆発が、もう1日あまり遅れていたらどうなっていたんだろうと今でも時々考えてしまいます。
Commented by 39nemon at 2012-12-03 00:30 x
小さな本屋さんに"ひょっこりと"置かれていましたなんて、なんかいいですね。よくぞ見付けました!
地震のことでいうと、今回の地震で本当に認識が変わりました。今までに経験したことのない大きな揺れに、心底自分の中心部までに教え込まれた気がします。だからと言って、被害など全くない地域での話です。木山さんにしてもhinasenoさんにしてもほんの短い時間差で、自分の身がどうなっていたかもしれない事柄に、言いようもない思いで居られたのでしょうね。
by hinaseno | 2012-12-02 10:57 | 木山捷平 | Comments(1)