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by hinaseno
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三月になれば米屋と大屋は


基本的に、何かに気づくのには時間がかかります。というよりも、すぐそばにあって目に入っているのにもかかわらず、気づかないこともしばしばあります。
昨日のブログの最後で「三月三十日」と題された詩を引用したときに、ちょっとびっくりするようなことに気づいてしまいました。何ヶ月か前に一度確認していたことであったはずなのに、”それ”につながりませんでした。偶然にしては、できすぎているつながりです。

ちょっともったいぶるようですが、大正14年の木山さんのことに話を戻します。雑司ヶ谷に住んで、おそらくは開業したばかりの路面電車に乗って東洋大学に通っていた頃ですね。何となくこの年の木山さんのことをいろいろと考えてみたくなりました。
で、昨日、ブログを書いたあとで、改めて地図をいろいろ眺めていたら、いろんなことがわかってきました(ストリートビューもちょっとやってみました。すごいですね。店の中にまで入れちゃうんだ)。
一つは雑司ヶ谷は当時木山さんが通っていた東洋大学よりも、その3年前に進学を熱望していたけど父親の大反対で行くことができなかった早稲田大学に近いんですね。でも、考えてみたら、なぜ木山さんは早稲田ではなく東洋大学に行ったんでしょうか。(『木山捷平 父の手紙』を読むと、大正14年5月1日の手紙には「『日本大学』をやめて『東洋大学』にすること賛成す」と書かれているので、最初は一旦、日本大学に入学したた可能性もあります。どこまで父親に正直に手紙を書いたかはわかりませんが)。もしかしたら早稲田もこっそりと受験したけれども、合格できなかったのかもしれませんね。
小さなカミングアウトをすれば、僕は1度だけ東京に行ったことがあります。まさに早稲田大学の文学部を受験するためです(希望したのは文学科ではありませんでしたが)。唯一、東京で受けた学校でした。結果的には不合格となって、地元の大学に通うことになったのですが。
当時、僕はそんなに本を読む人間ではありませんでしたし、村上春樹のこともまだ知りません。でも、なぜか早稲田の文学部には憧れを抱いていました。理由は今もってよくわかりません。ただ、受験の日、僕は高田馬場で電車を降りて、早稲田周辺を歩いています。僕が東京の街歩きをした唯一の場所です。雑司ヶ谷まで歩いたかどうかはわかりませんが、あの辺りにあるケヤキ並木を歩いたような気もします。
雑司ヶ谷の近くには墓も多いんですね。木山さんは墓が好きで、墓巡りをよくしたことが詩などにも書かれています。あの辺りの墓は、確か荷風も歩いていたのではなかったでしょうか。川本さんの本で読んだ気がします。
それから木山さんの、昭和2年に姫路で書かれた詩(「失業者の夕暮」)に出てくる護国寺も、この雑司ヶ谷にあるということがわかりました。姫路に戦前にあった寺なのかと思っていましたが、詩に出てくる「坂」は姫路には存在しないものでしたから。
いずれにしても雑司ヶ谷近辺、護国寺、鬼子母神などの風景がとても気になってきました。近くにはいろんな大学もあって、細野晴臣さんや佐野元春さんが通っていた立教大学にも近いんですね。ぐっと身近になってきました。

さて、最初の話に戻ります。
実は木山さんには日付が題名になっている詩が、いくつかあります。
『木山捷平全詩集』には全部で5篇。「メクラとチンバ」に収められたものが3篇、そして未発表詩篇に2篇。昨日引用した「三月三十日」は未発表詩篇に収められています。
「メクラとチンバ」に収められているのは「一月一日」「一月三日」「二月二十八日」、そして未発表詩篇に収められているのは「三月三十日」と「二月二十八日」。なんと「二月二十八日」という詩が2つもあるんですね。2つの詩は内容が全く異なっています。書かれたのも昭和6年と昭和9年。
詩の書かれた日付を詩の題名にしたのであれば、もっといろんな日付の詩があってもいいはず。でも、残っているのはたった5つ。しかもそのうちの2つは全く同じ日。この偶然は何なのでしょうか。

興味深いのは、未発表詩篇に収められた、昭和9年に書かれた「二月二十八日」の詩の内容です。

僕は二月二十八日と言ふ日が好きなり。
もしも気早やな米屋ありて
勝手口にのぞき米代を求めんには、
「ああ米屋さんか、生憎今日はないから三十日にしておくれ」
と答へん。
もしも気早やな大屋ありて
玄関のたたきに立ちて家賃を求めんには、
「ああ大屋さんか、生憎今日はないから三十日にしておくれ」
ああ今日はわれらの日なり。明くれば弥生三月ついたちなり。

木山さんらしいユーモアにあふれた詩です。
でも、ポイントは「僕は二月二十八日と言ふ日が好きなり」という言葉、あるいは「ああ今日はわれらの日なり」。

「二月二十八日」、そう228です。
木山さんが大正11年に姫路の師範学校を抜け出して上京したけど、父親の激しい怒りを買って姫路に戻ったときに、郷里の先輩に出した手紙に書かれていた木山さんの住所の番地(姫路市南畝町228)と同じ。
偶然にしては出来すぎている話。
前にも書きましたが、木山さんは姫路にいる時、おそらくは一度も南畝町には住んでいません。仮の家を持つ金銭的な余裕なんてあるはずがありません。
以前、僕はそこに木山さんと関係の深い”だれかが”住んでいるという仮説を立てましたが、もしかしたら新たな仮説を立てなければいけないのかもしれません。
南畝町228は、しゃれっ気のある木山さんが思いついた、まさに捏造された住所ではなかったのかと。どうせ姫路には長く腰を据える気もないからと、適当な住所を勝手に考えた。そのときに番地に使ったのが自分の(いつから好きになったのかはわかりませんが)一番好きな数字「228」。
果たして真相やいかに。

a0285828_9202323.jpgの写真は僕の持っている本に載っていた明治時代の鬼子母神のケヤキ並木の風景です。
大正14年、木山さんはおそらく何度もこの辺りを歩いているんでしょうね。「ケヤキ」をキーワードにして改めて詩集を読み返してみます。
by hinaseno | 2012-11-16 09:25 | 木山捷平 | Comments(0)