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by hinaseno
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  焚き火のある風景


今日はいよいよ今年度のノーベル文学賞の発表の日。
落ち着かない一日になりそうです。

今日の話に入る前に、昨日の高田渡さんに関して書いたことで、訂正すべきことががいくつもありました。訂正内容は昨日の文章に赤字で入れましたのでお読みいただけたらと思います。自分がきちんと調べずに書いたのがそもそも悪いのですが、それにしてもウィキペディアは全く信頼のおけないものであることを改めて痛感しました。
本当に申し訳ありませんでした。


さて、しばらくずっと木山捷平という作家のことを書いてきましたが、今日で一旦は話をおくことにします(と言いつつ、また明日何か書くことになるかもしれませんが)。
きっかけは村上春樹の『サラダ好きのライオン』に収められている「秋をけりけり」というエッセイでした。

その村上さんの「秋をけりけり」のエッセイでは、木山さんの詩を引用したあと、次のような村上春樹の高校時代の思い出が書かれています。神戸高校のときのことですね。

高校生の頃、深夜机に向かって勉強(だかなんだか)をしていると、窓ガラスにこつんと小石があたって、ふと外を見ると、友達が手を振っていた。「海岸に行ってたき火でもしないか」というので、一緒に海岸まで歩いて行った。そして流木をいっぱい集めて火をつけ、とくに何を話すともなく、砂浜で何時間もその炎を二人で眺めていた。その頃にはまだ兵庫県芦屋市にもきれいな自然の砂浜があったし、たき火は何時間眺めても飽きなかった。

芦屋。
木山捷平が「ひょこひょこ」と訪ねていった「たった一人の友」である大西重利が、大正の末に何らかの教育活動をしていた可能性のある場所ですね。もちろん大西が教えていた頃、村上さんはまだ生まれていません。でも、何かがつながっているような気がします。

つながっているといえば、木山さんも矢掛中学時代、冬場に二里の道を歩いて学校に行っているときに何度も焚き火をしていました。
『わが半生記』にはこんなことが書かれています。

かちかちに霜のおりた道を歩いて行くと、足の先がちぎれるほど冷たいのが閉口だった。冷たさを解消するには焚火をして当たるのが一等早い解決策だった。
焚火は田んぼに積んである藁を抜いて来て、道のまんなかでもした。二回ほどして一里ほど行くと、連中があちこちからあらわれて、またそれから三回ほどして学校にたどり付くのが毎日のおきまりだった。
連中が多くなればなるほど、焚火の時間は長びいた。自転車通勤の先生も自転車からおりて、
「今日は特別寒いのう。どう、わしにもちょっと当たらしてくれ」
とかじかんだ手をこすりながら火に手をかざして当たることも度々であった。
先生は先発する時、
「お前たち、今日は燃え出した火だから仕様がないが、明日からは決して焚火などするんじゃないぞ」
と、一言訓戒をたれて行くのがおきまりだった。
「はい、明日からは決して致しません」
と生徒はいさぎよく答えるが、明日になると生徒も先生も同じことをくりかえして、…。

木山捷平と村上春樹、それぞれに学生時代に焚き火の思い出をもっているんですね。そして焚き火の話は、それぞれの書いた小説にも出てきます。いずれも僕が大好きな短編小説。

木山さんは前に一度触れた「軽石」で、焚き火のことを書いています。調べてみたら『わが半生記』の文章とほぼ同じ頃に書かれていますね。こんな書き出し。

十年あまり前、正介は焚火に凝ったことがある。はじめ庭に出て紙屑を燃やしたのが病みつきになったのだが、そのころは家を建てて、まだ日が浅かったので、焚くものに不自由はしなかった。家と行ってもわずか十三坪の小屋みたいなものだが、大工の残して行った脚立や梯子の類が雨ざらしになって腐りかけているのを整理するという意味においても、趣味と実益を兼ねそなえた一石二鳥の焚火だった。
ところが何カ月かたつうちに、焚火の材料が不足して来た。…

で、しだいに蜜柑箱などを燃やすようになる。すると、その燃えかすの中に釘があるのを発見し、しだいにその釘を集めるようになる。その釘がのりの缶いっぱいにたまったので、それを売ったらたったの3円しかならなかった。で、その3円で何が買えるかあちこち歩き回ったという話。ここからは前に書きました。

  焚き火のある風景_a0285828_10382783.jpg村上春樹の焚き火の話は、やはりこれも前に少し触れた『神の子どもたちはみな踊る』に収められた「アイロンのある風景」。村上春樹の短編で最も好きです。でも、このあらすじは書きません。あらすじでは何も伝えられませんから。
この小説の中にはジャック・ロンドンという小説家の書いた『たき火』の話も出てきます。それも本当に素敵な小説。僕は焚き火の話が好きなんですね。
「アイロンのある風景」には、三宅さんという神戸出身の年配の男性と順子という若い女性のこんな会話があります。

「三宅さん、火のかたちを見ているとき、ときどき不思議な気持ちになることない?」
「どういうことや?」
「私たちがふだんの生活ではとくに感じてないことが、変なふうにありありと感じられるとか。なんていうのか……、アタマ悪いからうまく言えないんだけど、こうして火を見ていると、わけもなくひっそりとした気持ちになる」
三宅さんは考えていた。「火ゆうのはな、かたちが自由なんや。自由やから、見ているほうの心次第で何にでも見える。順ちゃんが火を見てひっそりとした気持ちになるとしたら、それは自分の中にあるひっそりとした気持ちがそこに映るからなんや。そういうの、わかるか?」
「うん」
「でも、どんな火でもそういうことが起こるかというと、そんなことはない。そういうことが起こるためには、火のほうも自由やないとあかん。ガスストーブの火ではそんなことは起こらん。ライターの火でも起こらん。普通の焚き火でもまずあかん。火が自由になるには、自由になる場所をうまいことこっちでこしらえたらなあかんねん。そしてそれは誰にでも簡単にできることやない」

きっと、僕が焚き火のことを描いた小説を好きなのは、焚き火を目の前にしているように、ひっそりとした気持ちになれるからだろうと思います。
いや、別に焚き火のことが描かれていなくても、村上春樹の小説を読むとひっそりとした気持ちになります。
もちろんそれは僕だけではなく、日本中に、いや世界中にたくさんいるんだと思います。

村上春樹が作り出した、彼でしか作り出せない自由な火の中に、自分の中にあるひっそりとした気持ちを映し出している人々が世界中にいる。

そして、僕は木山捷平の詩や小説を読んでも、やはり同じようにひっそりとした気持ちになることができます。
昨日触れた「メクラとチンバ」もやはりそう。
現在では不適切だとされる言葉が使われているということで、埋もれてしまうのはあまりにも残念ですね。ここに引用しておきます。

お咲はチンバだった。
チンバでも
尻をはしよつて桑の葉を摘んだり
泥だらけになって田の草を取ったりした。

二十七の秋
ひょつくり嫁入先が見つかつた。

お咲はチンバをひきひき
但馬から丹波へ……
岩屋峠を越えてお嫁に行つた。

丹後の宮津では
メクラの男が待つてゐた。
男は三十八だつた。

どちらも貧乏な生い立ちだつた。
二人がかたく抱き合つてねた。


村上春樹の小説にも、体の不自由な人が数多く出てきます。
ぱっと思い浮かぶのは『国境の南、太陽の西』の島本さん。足のひきずって歩く、とても魅力的な女性。
『国境の南、太陽の西』は僕が村上春樹の小説の中で最も好きなものです。
村上春樹も木山さんと同じように、体の不自由な人を差別的にも軽蔑的にも見ていません。
共感とユーモアを含んだ温かい目線。

村上春樹がノーベル賞を受賞して、木山捷平にも「知る人ぞ知る」という存在ではない形で新たな光が当たることを心から願っています。
by hinaseno | 2012-10-11 11:01 | 文学 | Comments(0)