今日は書いておきたいことがあったのがけど、今朝、朝イチでこれが届いたので予定変更。ペットサウンズ・レコードさん、いつも本当にありがとうございます。
午前中、いくつか用事があるので聴きたい気持ちをぐっと抑え、午後のコーヒータイムまで我慢しようかと思っていたけど、我慢しきれず2枚組レコードのSideAの1曲目に流れてきた曲を聴いたら、思考がすべてストップ。予想通りではあったけど。
読みかけの本、聴きかけのアルバム&ラジオ音源、そして書きかけの話、書こうと思っている話、調べたいと思っていること(おもに木山さん関係)、すべてを中断させてしまう。
ということで3月21日のナイアガラ・デイがやってくるまで、とりあえず聴くのは2枚組レコードのA面だけにしておくことに決める。ブックレットや『大滝詠一レコーディング・ダイアリー VOL.3』をちょこっと開いただけでおおっ!と思ったものもあるけど、それも閉じて。少なくとも読みかけの本の一冊は読了することにしよう。
そのSideAの1曲目に収録されていたのは、1984年1月8日に放送された渋谷陽一さんのFMホットラインでかかった”あの”曲でした。”わが”『EACH TIME』の最初に耳にした曲。まさに始まりの曲でした。
大瀧さんの訃報を知った2013年12月31日のブログで、当時大瀧さんが作業をしていた『EACH TIME』30周年盤のいくつかの希望としてその曲についてこんなことを書いています。
『EACH TIME』の音として最初に耳にして心がこれ以上なくときめいた、この渋谷陽一さんの番組の最初にかかった未発表曲も入れて。
このときに貼った音源は渋谷さんの番組でかかった大瀧さんと渋谷さんの声入りのものでしたが、今それを音楽だけで綺麗な音でレコードで聴いているわけです。感動しないはずがないですね。
ここからいろんなものが始まる、と思っていたのに、結局この曲は『EACH TIME』に収録されることなくオクラ入り(大瀧さんのオクラ入りした曲の中ではこれ以上のものは存在しません)。そして『EACH TIME』は大瀧さんの最後のオリジナルアルバムとなり、以後、音楽制作のほうからは離れていってしまうんですね。
でも、あれが終わりだったとは亡くなった後になって言えることで、いつか新しいアルバムを出してくれるのではないかという、次第に淡くなっていった期待をずっとずっと持ち続けていたわけです。
ただ、アルバム制作をしなくなったからといって大瀧さんが何もしなくなったわけではなく、今にして思えばアルバム制作と同じくらい、いやそれ以上の時間と労力をかけたものを作り始めます。日本ポップス伝、アメリカン・ポップス伝、さらには未公開のままになっている小津安二郎と成瀬巳喜男の映画研究。
大瀧さんが亡くなった翌日に書いた文章はこのブログを始めて1年数ヶ月後のことでしたが、こんなことも書いていました。
ここに書いてきたすべてのことは(小津のことはいうまでもなく、荷風や木山捷平のことであっても)、大瀧さんなくしては開くことのなかった扉のむこうにあったことばかり。
そうなんです。木山捷平展が始まってから、自分が木山捷平研究を始めたきっかけを辿り直しているんですが、結局行き着いたのは大瀧さんだったなと気がついたんですね。大瀧さんの映画研究の全貌を知るという僥倖なくしては木山研究もなかったわけです。いつかそれを書いてみたい(話してみたい)と思っています。いったいだれが読むんだって話ですが。