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Talks About Music, Books, Cinema ... and Niagara


by hinaseno
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4月20日に発売される益田ミリさんの『今日の人生』についてもう少し。みんなのミシマガジンでは『今日の人生』特設ページというのが作られて、『今日の人生』に関する興味深い話がちょっとずつ明かされています。

かつて大瀧さんの『EACH TIME』が出るときに、その発売の数ヶ月前から「EACH TIMES」という新聞が出て少しずつ内容を明かしていたことを思い出しました。こういうのって、ただ発売される日を待つだけとは違う楽しみを味わうことができますね。


昨日アップされた空白のセリフ(スピーチ・バルーンですね)が描かれた少しだけ未来の「今日の人生」も面白くて、しばらく考えていました。

「今日の人生」は基本的に話の最後は「…だと思った今日の人生」という形で終わるので、その形にしようと思うのだけどなかなか難しい。でも、本が発売されて手に入るまでには一つくらいは考えておきたいですね。


一昨日にアップされているのは予約特典の写真のこと。

ミリさんは写真もいいんですね。たとえばこれは『47都道府県 女ひとりで行ってみよう』の中に収録された「思い出アルバム」。

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エッセイを読んだあとで、写真を見ると結構面白いです。兵庫県は「たんば黒豆入りくずもち ふと見かけて、買ってすぐ食べた」と。

ミリさんが兵庫県に来たのは2005年7月中旬。場所は姫路! 

ミリさんは新幹線で姫路にやって来て姫路駅から姫路城に向かいます。ということなので、おひさまゆうびん舎の前を通っていますね。ただし12年前なのでおひさまゆうびん舎はまだできていないけど。今のおひさまの場所にあったツリーハウスはできていたんでしょうか(窪田さんは働いていたのかな?)。

お城を見た後に行ったのが県立歴史博物館と姫路市立動物園。なんと、あの動物園に行ってるんですね。ただし残念ながら動物園の感想はありません。

僕はこの動物園のすぐ近くに住んでいたことがあるので、平日に、客の全くいない動物園にもちょこちょこ行っていました。あるいはそばの美術館の庭のベンチに腰掛けて本を読んだりCDウォークマンで音楽を聴いたりしていました。なぜかハリー・ニルソンとクローバーズを聴いていたことだけよく覚えています。ああ、なつかしい。

ミリさんはこの後商店街を歩いて「果物屋の2階のフルーツパーラー」に入ってフルーツサンドを食べ、デパ地下に行って惣菜を買ったりしたようですが「たんば黒豆入りくずもち」の話はどこにもなし。どこで買ったんだろう。


ということで、『今日の人生』の特典の写真もとても楽しみ。収録されているマンガと関係のある写真なのかどうかも気になります。

で、ミシマガジンにはこんなことが書かれていました。


この限定365部を運良くゲットされた方はぜひ、「今日の写真」をTwitter、Facebook、instagramなどSNSにアップして、共有してもらえるとうれしいです。
 いったいどんな365枚なんでしょう? 1年分をまとめて見てみたいですね!
 どの写真がどの方の手にわたったのか...こっそり、益田ミリさんが覗いているかもしれません。
 さてSNSでの共有のときですが
 #今日の人生
 とハッシュタグをつけてもらえると、よりわかりやすくてうれしいです。ミシマ社メンバー、かならずコメントいたしますよ!(えっ、いらないですか?)

ということですが、やっぱり実物を見せ合いたいですね。

おひさまゆうびん舎で買った人だったらそれが可能だと思うので、ぜひぜひおひさまで300冊くらい注文して、みんなで写真を見せ合いましょう。「『今日の人生』を語り合う会」というのをやってもいいかもしれないですね。あの空白のセルフをそれぞれが自分なりに考えてきて披露し合うとか。


といういろんな楽しみを考えていた今日の人生。


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# by hinaseno | 2017-04-05 12:19 | 文学 | Comments(0)

『NIAGARA 45RPM VOX(ナイアガラ 45 ヴォックス)』に合わせるように発売された『大滝詠一読本 完全保存版 2017 EDITION』。大瀧さんのインタビューなどが載っているわけではないのでどうしようかと思っていましたが、立ち読みでいくつか読んでいたらおもしろそうだったので結局買ってしまいました。

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巻頭の特集は「周辺アーティスト&スタッフ最新インタビュー」。大瀧さんの”書生”というか”丁稚”をしていた湯浅学さんが大瀧さんの身近にいた5人の方々にインタビューをされています。5人の中には名前だけ見ただけでは誰だろうという人も。もちろんよく知っている人もいますが、大瀧さんが亡くなって以後いろいろ出た本の中では、たぶんそれほど大きく取り上げられることがなかった人たちばかり。松村邦男、駒沢裕城、後藤博、吉田保、中村欣嗣、子安次郎。

村松さんと駒沢さんはナイアガラ・サウンドを支えた重要なミュージシャン。村松さんはエレキ・ギター、駒沢さんはペダルスティールを演奏。ちなみに『多羅尾伴内楽團』の『Vol.1』は駒沢さん、『Vol.2』は村松さんをフィーチャーしています。

吉田保さんは『ロンバケ』以降のエンジニア。あのナイアガラサウンドに欠かせない人。後藤さんはそのロンバケの一つ前の『レッツ・オンド・アゲン』のエンジニアをされていたんですね。知りませんでした。しかも『レッツ・オンド・アゲン』に収録された「ピンク・レディー」という曲を歌っていたようです。グループ名はモンスターですが、『レッツ・オンド・アゲン』の解説(書いたのは大瀧さん)には「正式には『後藤博とモンスター』といい、メンバーは後藤(32才)を中心に全5人で平均20才のグループ。全員がピンクレディーの大ファンで、さるアマチュア・コンテストで、ピンクレディーの曲を歌い、その熱狂ぶりがプロデューサー大瀧の目にとまり、大瀧は一週間眼科へ通うはめになった。…」と書かれていますね。まあ、遊んでいるというかなんというか。これがあの『ロンバケ』の一つ前のアルバムなんですから。

子安さんは湯浅さんと同じく大瀧さんの”書生”だった人。のちにディレクターとなってウルフルズを担当されていたようで、ウルフルズがらみの興味深い話がいっぱい。

中村欣嗣さんはオーディオショップのスタッフとして大瀧さんの家のオーディオ・システムを長く見てきた人とのことですが、実はこの中村さんのインタビューが一番面白かった。大瀧さんの”人となり”がよく出ているエピソードの連続。「(大滝さんは)”良い音”の一歩手前がお好きなんです」という言葉には、ひざを10回くらい打ってしまいました。


さて、最後に一番いい話を。それは駒沢さんのインタビューの中の言葉。駒沢さんは先ほどの『レッツ・オンド・アゲン』でも「ピンク・レディー」という曲をはじめとしてほとんどの曲でペダル・スティールを弾いているんですが、実は駒沢さんはこの後、しばらくミュージシャンとしての活動から離れられるんですね。


駒沢:(大滝さんは『レッツ・オンド・アゲン』で)やり尽くした感じがあったんでしょうね。でも、今から思えば大滝さんがコロンビアでナイアガラを閉めたタイミングと、僕が足を洗ったタイミングはほぼ同じ。どこか運命的なものを感じますね。
湯浅:どうして足を洗おうと思ったんですか?
駒沢:業界の俗っぽい感じとか、いろんなことに嫌気がさしてしまったんです。その間は農地を開墾したり無農薬の野菜を育てて売ったりしていました。7年ぐらいそんな生活をして、85年の12月にまた戻ってきたんですけど。湯浅:復帰後、大滝さんとも再会したんですか?
駒沢:それがね、またしても運命を感じないではいられなかったんだけど、音楽をやめていた後、最初に電話してきてくれたのが大滝さんだったんですよ。「頼みたいことがある」と。
湯浅:復帰のきっかけが大滝さんだったんですね。
駒沢:具体的にどんな仕事だったかは忘れてしまったけど、誰かへの提供曲のレコーディングだったのかな。とにかくそれが復帰後最初の仕事。だから僕のキャリアの節目には、必ず大滝詠一という人がいるんです。
湯浅:そういう時に閃くんですよね、大滝さん。関わりの深い人の節目、節目に出てくる。
駒沢:つい先日、武蔵小山のAgainで安宅浩司くんとダブル・ペダル・スティールのライブをやったんです。そのアンコールで「空いろのくれよん」を演奏してね。いろんなことを思い出しました。大滝さんのことは、亡くなってからずいぶん考える時間が増えた気がします。僕は村松くんのように近年まで一緒にやっていたわけではないけど、あれほど濃密な時間を過ごした人は他にいません。
湯浅:コロムビア時代には、左チャンネルから駒沢さんのペダル・スティールが聴こえる曲が本当に多いですね。いつも駒沢さん用のトラックを空けて待っていた。大滝さんにとっては、自分の中にある得も言われぬ感覚を音にしてくれる要人だったんだと思います。
駒沢:そう思ってくれていたなら嬉しいけど。

音楽を離れていた時に、農業をされていたという話に驚きました。川上哲治みたいですね。

そして駒沢さんの話の最後にはアゲインのこともちらっと。以前、そのアゲインの石川さんから駒沢さんの『私のモーツァルト』という素晴らしいアルバムを録音したものを送っていただきましたが、他のアルバムも聴いてみたくなりました。


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# by hinaseno | 2017-04-03 14:44 | ナイアガラ | Comments(0)

前にも書きましたが、設立当初から応援している出版社の一つであるミシマ社がウェブ上で毎日更新しているミシマガジンは、始まった当初からほぼ毎朝のぞいています。当初はなんといっても内田樹先生の「凱風館日乗」と平川克美さんの「隣町探偵団」が更新されるのを楽しみにしていましたが、このサイトを通じて何人もの人を知っていきました。

なかでもとりわけ好きになったのが、毎月、月末に更新される益田ミリさんの「今日の人生」。益田ミリさんというマンガ家のこともこれで知りました。今では大ファン。


つい先日、3月30日に更新されたのがこれ

ここで、「今日の人生」が単行本になって4月20日に発売されることが書かれていたんですね。わおっ、でした。

それだけでなく、ミリさんが撮った写真を365部限定で発売記念の特典として付けるというようなことが書かれていて。これは絶対にほしいと。

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↑ということなので、待っていたら昨日ミシマ社から告知。ここでまたさらに驚き。

予約できる店が全国で16書店限定ということで店のリストをみていたら、大書店や超有名書店がずらりと並ぶ中に、なんと! 姫路のおひさまゆうびん舎の名前が。兵庫県でただ一つ。岡山には一つもなし。

こんなことを言ってはあれですが、おひさまはミシマ社の本を常時扱っているわけではないし、ミシマ社の本を常設している店でもリストには載っていないのに…。

ミシマ社の人はよくわかっているんですね。なんだか自分のことのように嬉しくなりました。

ということで、みなさん、ぜひ、おひさまゆうびん舎に予約しましょう。素晴らしい本であることは僕が保証します。

店ごとの予約数の振り分けは特にないみたいなので、全国でいちばん予約の数が集まる店になったらいいですね。


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# by hinaseno | 2017-04-02 15:44 | 文学 | Comments(0)

陽春四月が来ると、…


4月になりましたね。ただ、陽春というにはまだ肌寒い日が続いています。

いろんなことがあった3月も、今振り返るとあっという間に過ぎ去ったように思います。でも、きっとこの3月にあったいくつもの出来事の記憶はずっと僕の心を温め続けてくれるだろうと思います。


ところで3月で、一つ大事なことを忘れていました。

姫路のおひさまゆうびん舎で3月16日に行われたおひさまふふふフェスティバルの翌日は高橋和枝さんの誕生日だったことは前にも書きましたが、3月25日に行われた世田谷ピンポンズさんのライブの翌日の3月26日も、僕にとっては大事な人の誕生日でした。

われらが木山捷平。

木山さんの誕生日のことをすっかり忘れてしまっていましたが、でも前日のライブでピンポンズさんが「船場川」と「鳴るは風鈴」を歌ってくれたので、僕に変わってピンポンズさんがお祝いをしてくれた感じです。


木山捷平の第一詩集『野』の最後に収められた「跋」と題されたあとがきで木山さんはこんなことを書いています。姫路、播磨のこともちょっと出てきます。「跋」が書かれたのは昭和4年1月。このとき木山さんはまだ姫路に住んでいました。


 私は明治三十七年三月二十六日、岡山県小田郡新山村に生れた。この日は、当時の報道によれば、広瀬中佐が旅順港外でズドンと煙にまった日であったという。すなわち、私の父は捷平と名づけてくれた。
 私が幼い時分、私たちの村は中国一の桃の村と称された。陽春四月が来ると、村は桃の花で埋まった。岩目山、坊山、長尾山、天神山と、村の田圃をめぐった山とは名ばかりの丘は、ことごとく桃の花で包まれた。丘から丘へ、腰にひょうたんをぶら提げた花見客がつづいた、青い目をした異人がやって来た。私たちは珍しそうに、洟をたらしたまま藁草履をひっかけて、のっぽの異人の尻についてまわった。
(中略)
 私に学歴、そんなものがあるとするならばそれだけだ。姫路及び東都の学舎に暫くいたこともあるが、語るべきもない。それに反して、転変流転波瀾重畳ーーそう言った風な日々が続いていた。姫路、但馬、東京、播磨、と野良犬のように移り歩いて、一所不在の苦しい日々を送って来た。ある時は明日のパンに窮して都の路次をさまよったり、ある時は絶望のどん底に落ちこんだ上病にとりつかれ、ある時は村に帰って土を耕し猫車を押した。
 私は十七の年に初めて詩を書いたが、ここに拾い集めたものは、最近四五年間のものである。詩作十年、そっと内証のようにふりかえって、兎に角にも処女詩集とする。
 私の修業はこれからだ。
(中略)
 私の詩は小さく弱い。私はそのことをよく知っている。それは何よりも、私の体質がおのずからそうさせてしまった。
 しかし、私だって大きくなりたいと思う。強くなりたいと思う。正しく燃える野心も持ちたいと思う。時に際しては青竹を尖らせて立ちたいと思う。

新山の村には今、桃が咲いているんでしょうか。


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# by hinaseno | 2017-04-01 15:05 | 木山捷平 | Comments(0)

チャック・ベリーが亡くなって彼の曲をいろいろと聴いていました。主にこの2つですが。

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1つはHIP-O Selectというレーベル(一時期本当にいい編集盤を出していました)から10年前に出た4枚組のボックスと、つい先日ACEから出たチャック・ベリーの曲のカバー作品を集めたもの。特に後者のアルバムを聴いて、僕が最も愛するミュージシャンたちの魂を激しく揺さぶり、大きな影響を与えていたことを改めて痛感しました。彼がいなければロックンロールは、アメリカン・ポップスはどうなっていたんだろう。


そういえばチャック・ベリーが亡くなった翌日、アメリカの前大統領のオバマさんがこんなツイートをしていました。


Chuck Berry rolled over everyone who came before him – and turned up everyone who came after. We'll miss you, Chuck. Be good.


チャック・ベリーという一人のミュージシャンが歴史的にいかに重要だったかを”roll over”とか”turn up”といったウィットに富んだ言葉で表現しています。最後の「Be good」という言葉は、もちろん彼の書いた名曲「Johnny B. Goode」にかけてのこと。チャックへの敬愛の気持ちをこんな短い言葉で表せるのだからオバマさんという人もすごいですね。いや、ほんとに、感心します。


ところで僕とチャック・ベリーとの出会いはやはり「Johnny B. Goode」でした。いまだにいちばん好きな映画である『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のこのシーンでマイケル・J・フォックスが歌ったのがチャック・ベリーの「Johnny B. Goode」。いったい何度見ただろう。




途中でチャックのいとこが電話でこの曲を聴かせるということからロックの歴史が始まるという仕掛けがたまらないですね。その仕掛けを知ったのは小林信彦さんの『映画につれてって』に収録された小林信彦さんと大瀧さんとの対談でした。

さて、大瀧さんはもちろん『ゴー!ゴー!ナイアガラ』でチャック・ベリー特集をしていました。基本的にはカバー特集ですが、その日の1曲目にかかったのがこの「Sweet Little Sixteen」。




曲が終わると大瀧さんはこんなコメント。


この曲をかけると次に何がかかるかはだいたい想像がつくと思います。


そしてかかるのがこの曲。




ビーチ・ボーイズの「サーフィンUSA」ですね。大瀧さんのコメント。


これを聴いてもらうとわかると思います。「Sweet Little Sixteen」、チャック・ベリーの曲を下敷きにしてブライアンが「サーフィンUSA」という曲にしましてね。別段これについてなんのイチャモンをつけるというわけではないのですけれども。僕の中学3年のときでした、この「サーフィンUSA」の当時買ったシングル、ここにありますけれども、ブライアン・ウィルソン作曲となっています。で、最近、オムニバスとか、そういうのに入っている「サーフィンUSA」にはチャック・ベリー、ブライアン・ウィルソンの2人の名前が連ねてあります。


ところでサーフィンといえば、あのくまくまちゃんもサーフィンをするんですね。おひさまゆうびん舎で開かれた「おひさまふふふフェスティバル」のときに「ゆらくまちゃん キット」というポストカードが売られていたので、その日に何枚か、それからピンポンズさんのライブの時にもさらに何枚か買っちゃいました。

ランディー・ニューマンの曲に「サイモン・スミスと踊る熊」という曲がありますが、こちらはサーフィンをするくまくまちゃん。サーフィンUSAならぬサーフィンKUMAです。

そういえば今日がおひさまゆうびん舎のくまくまちゃんフェアの最終日。ゆらくまちゃんキット、まだ残っているかな。

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# by hinaseno | 2017-03-31 14:22 | 音楽 | Comments(0)