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Talks About Music, Books, Cinema ... and Niagara


by hinaseno
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大瀧さんが成瀬巳喜男監督の『銀座化粧』(昭和26年)と『秋立ちぬ』(昭和35年)という2つの映画のことを調べ始めたのは10年前の2007年のこと。きっかけはやはり”たまたま”だったようです。

たまたま知人に教えてもらった『秋立ちぬ』を見ていたら、そこに映った公園がつい先日まで『Niagara CM Special』の30周年記念盤のマスタリングのために通っていた銀座のスタジオ(音響ハウス)のすぐそばだったことがわかったんですね。

さらに『秋立ちぬ』には大瀧さんとつながりを感じさせるものがいくつも。例えば主人公の少年(秀男)は野球好きの小学6年生。映画の作られた昭和35年はまさに大瀧さんが小学6年生のときでした。それから「母ひとり子ひとり」の家庭だったというのも大瀧さんと同じ。

更にそのタイトル。大瀧さんが2003年の春にスタートするテレビドラマの主題歌として作った「恋するふたり」という曲は松田聖子に作った「風立ちぬ」の続編として作ったので(カラオケを聴くと全く同じ部分があります)最初につけた仮のタイトルは「春立ちぬ」だったと。ここまでくると運命的なものを感じずにはいられなかったはず。


そういえば大瀧さんは続編というか姉妹編というかシンメトリーというべき作品を作るのが大好きなんですが、『秋立ちぬ』はその9年前に作られた『銀座化粧』の続編ともいうべき作品であることがわかって(築地川を舞台にした、母ひとり子ひとりの物語)、これはもう絶対に調べなければと思ったんですね。

そこでまず最初に読んだのが川本三郎さんの『銀幕の東京』。この本で『銀座化粧』と『秋立ちぬ』のつながりを発見して、大瀧さん独自の、いかにも大瀧さんらしい研究を始めます。例のDVDの静止画像による細かい分析とフィールドワークですね。でも、何よりもすばらしいのはその視点。

で、それから2年間ほど研究して、2009年の8月3日に、自身の研究のきっかけを与えてくれた川本三郎さんにその成果を報告したんですね。もちろんこれは密かに行われたもの。

川本さんは大瀧さんの映画に対する知識とその研究の内容に驚愕。あまりに面白かったので、川本さんは『東京人』のインタビューという形で改めて大瀧さんの成果を語ってもらうことにします。それが2009年8月26日。で、そのインタビューが『東京人』2009年11月号に掲載されます。

それまで僕は『東京人』という雑誌のことは全く知らなかったので、とにかく驚きました。何よりも大好きな大瀧さんが大好きな川本三郎さんと会ったというのが信じられなくて。そしてこの本に掲載された2人のツーショットの写真は僕の宝物になりました。

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この写真の撮影場所は築地の新富橋。

『東京人』の取材の日に、ここを2ショットの場所として選んだのは大瀧さんだったようです。新富橋は『銀座化粧』と『秋立ちぬ』に映された風景の中で、唯一同じ場所。つまり成瀬巳喜男がつくった築地川の物語のシンボルというべき場所だったんですね。

ということでその場所に行ってきました。

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ここが8年前のあの日、大瀧詠一さんと川本三郎さんがいっしょに立っていた場所。感無量でした。

二人が立っていたのと同じ場所に立って、近くにいた人に写真を撮ってもらいました。大瀧さんと同じようなポーズをとって。

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# by hinaseno | 2017-06-03 15:39 | 雑記 | Comments(0)

これは先月末に発売された『別冊太陽 銀座を知る111章』。

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東京行きを決めた頃に買いました。理由は川本三郎さんのエッセイが収録されていたから。これを買ってパラパラと読んでいた時には銀座に行こうなんて思ってもいませんでした。

表紙を飾っているのはやはり服部時計店(現在の和光)。まちがいなく銀座のシンボルですね。そういえば5月初旬に発売された『東京人』の6月号の表紙も服部時計店でした。


その銀座のシンボルである服部時計店は映画にもしばしば登場します。すぐに浮かぶのは成瀬巳喜男の『銀座化粧』。最初のカットが服部時計店。

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それから僕が武蔵新田のことを調べて、いろんな不思議な巡り合わせの末に石川さんと高橋さんと一緒に武蔵新田を歩くきっかけとなった川島雄三の『銀座二十四帖』でもタイトルといっしょに映るのがこの時計台。

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小津ももちろんいくつかの映画で服部時計店をとらえています。これは紀子三部作の1作めの『晩春』でのカット。

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映画では連続したカットですが、時間がかなり違っていますね。下の時計の針を見ると10時30分を少し過ぎたところ。

この服部時計店の入り口あたりで原節子さんは「きたならしい」「不潔な」おじさまと待ち合わせをしていたんですね。そういえば川本三郎さんも銀座で誰かに会う時には必ずこの服部時計店で待ち合わせをしたようです。確か亡くなられた奥さんとここで待ち合わせをして、知り合いの女性へのプレゼントを一緒に探されたことが何かのエッセイに書かれていました。


小津は映画だけでなく日記にも服部時計店のことを記しています。そして日記といえば荷風の『断腸亭日乗』にも服部時計店が何度も登場するのは以前のブログで紹介した通り。「服部の時計を見るに十二時二十分過なり」(昭和9年8月4日)とか「銀座行の市内電車に乗りかへ尾張町に至りて服部の時計を仰見れば正に六時なり」(昭和11年3月17日)とか。


そしてこれも以前ブログに書いたことですが『断腸亭日乗』の岡山の日々を読んでいた時のこと。ある日散歩の途中で荷風が石材屋がたくさんある場所を見つけたんですが、それが万成石という有名な石が採れる場所。そして川本三郎さんのエッセイであの服部時計店がまさにその万成石を使って作られていることを知って一気に服部時計店が身近なものとなったんですね。


さて、泰明小学校から晴海通りを下っていたら、まもなく服部時計店がその姿を見せました。正直、震えるくらいに感動しました。

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これは別の通りから。

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そしてこれは銀座四丁目の交差点の向かい側から。素晴らしい。

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時間はちょうど10時半。予定通り。

ここで駅に行って次に行く予定の新宿行きの電車に乗ろうかと考えたんですが、もう少し晴海通りを下って三原橋に向かいました。で、振り返って服部時計店を。

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いや、ここでは遠すぎるかと思って、手元に持っていた写真を確かめながらその写真が撮られた場所を探しました。

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手元に持っていたのは成瀬巳喜男の『秋立ちぬ』のスチール写真。

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この写真は実は映画では出てこないカットなんですが、例の大瀧さんと川本さんが対談をした『東京人』2009年11月号に大きく写っていて激しく心が揺さぶられました。すべては1枚のこの写真から始まったと言っても過言ではありません。

交差点を渡ろうとする少女。その少女より少し年上の少年が、手を握ることができなくて彼女の持っているポシェットの端をつかんでいる。そしてその向こうに服部時計店の建物。

服部時計店が写っている数ある写真の中でもっとも好きなものです。


さて、時刻は10時40分近くになっていたでしょうか。”あの場所”まで行こうかどうしようかと考えました。行くのなら歩いていかなければ意味がないし。1時間くらいで戻ってこれれば、後の予定にはぎりぎり間に合うかなと。


で、その場所に行って戻ってきたら服部の時計は11時30分少し前。

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この1時間足らずの間に行ったのはこの場所でした。

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# by hinaseno | 2017-06-02 12:42 | 雑記 | Comments(0)

銀座に行こうと思ったのは、東京に行く前日でした。東京行きを決めた当初は11時くらいから開店し始める神田の古書店をいくつかまわろうと考えていたのですが、神田のあたりの地図を見ていたら銀座がそんなに遠くないとわかったので、じゃあ行ってみようと。


銀座といえばなんといっても服部時計店(現在の和光)。で、最寄りの駅から和光への道を地図で確認していた時に、その建物が目に入ったんですね。

泰明小学校。

あの鈴木信太郎の「東京の空」に描かれている泰明小学校がこんなところにあったのかと思いました。ちなみに「東京の空」の正式な題名は「東京の空(数寄屋橋付近)」。数寄屋橋がどのあたりにあるのかは昔調べたことがありましたが、すっかり忘れていました。銀座だったとは。


川本三郎さんの『いまむかし 東京町歩き』の「泰明小学校」の章はやはり鈴木信太郎の「東京の空」の話から始まります。


 昭和に活躍した洋画家、鈴木信太郎に「東京の空(数寄屋橋付近)」という作品がある。昭和6年(1931)に当時、数寄屋橋の脇にあった朝日新聞社の五階あたりから新橋方向を描いた絵で、画面の中央にあるのは、数寄屋橋の架かる外濠川(戦後、埋め立てられる)と、川べりに見える名門、泰明小学校。
 大正12年(1923)の関東大震災で創立時のレンガ造りの校舎が倒壊した。そのあと、いわゆる震災復興小学校のひとつとして昭和4年に竣工した。
 鈴木信太郎はその出来たばかりの新しい建物のモダンな姿に惹かれたのだろう。泰明小学校を画面の中央に置いている。

ということで改めて鈴木信太郎の「東京の空(数寄屋橋付近)」を。泰明小学校がどれかわかるでしょうか。

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川本さんの文章の続きを。


 この建物が、現在も数寄屋橋交差点の近くに健在なのはご存じのとおり。昭和はじめに建てられた建物がいまだ東京の真ん中に残っているのは、昭和7年竣工の服部時計店(現在の和光)がいまも健在なのと同様。激変が続く東京の中ではこのことは奇跡に近い。

そう、やっぱり奇跡です。ということで、泰明小学校へ。

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そばに公園があったので、ベンチに腰掛けてずっと眺めていました。いや、本当に素晴らしい建物。学校の真ん前にワインバーがあって外にもテーブルが置かれてあったので、夜ワインを飲みながら見ても最高ですね。

本当は現在の有楽町マリオンに行って、鈴木信太郎が見たのと同じ風景が見れたら最高なのですが、見えるのかな。


そういえば前回紹介した高橋和枝さんのこの絵。

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色合いもそうですが、どこか鈴木信太郎の「東京の空」にもつながる雰囲気がありますね。

まん丸く描かれた木がまるでアドバルーンみたいです。


ところで川本さんの文章を読み返していてへえ~っと思ったことがひとつ。それは泰明小学校に通っていた有名人のこと。一番有名なのは島崎藤村でそれはよく知っていました。へえ~っと思ったのは信欣三という俳優。もっぱら脇役が多い人のようですが、あの『東京暮色』に出ているんですね。なんと原節子さんの夫役。でも、原さんは別れようとしているんですね。いかにも頼りない感じの男。

『東京暮色』の原節子さんは『麦秋』の輝くような明るさはまったくなくて、ただひたすら暗い役柄を演じています。


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# by hinaseno | 2017-06-01 14:11 | 雑記 | Comments(0)

聖橋からニコライ堂の辺りに戻ってきたときに思い出したのが松本竣介のこの「並木道」という絵でした。松本竣介の作品の中で最も好きなものの一つ。絵が描かれたのは1943(昭和18)年頃。

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僕がそのとき歩いていたのは本郷通りと呼ばれる通りのニコライ堂とは反対側の歩道。ちょうどこの写真を撮っていたときのことでした。

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そういえば松本竣介に確かこの辺りで男の人が歩いている絵があったなと。家に戻って確認したらやはりそうでした。

この絵のことを知ったのは例の洲之内徹の『気まぐれ美術館』。これは『芸術新潮』に連載されたときのもの(1975年11月号)。

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下にある写真は松本竣介が絵を描いた同じ場所から洲之内さんが撮った写真。ちょっと拡大します。竣介が絵を描いてから30年の歳月が流れています。

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で、これは洲之内さんが描かれた地図。

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洲之内さんが写真を撮った場所、つまり竣介が絵を描いた場所は、この地図の矢印で示されたところ。僕がまさに上の写真を撮っていた辺りでした。


「並木道」のことを思い出した時に、とりあえず聖橋方向の写真を撮ろうかと思ったのですが、御茶ノ水駅から降りてきたものすごい数の人の波が向かってきていて、とてもそちらにカメラを向ける勇気はありませんでした。ニコライ堂を撮るのすら恥ずかしかったくらい。

ところで手元にある『松本竣介展 生誕100年』という図録を見ていたら、この「並木道」のスケッチが2枚収められています。

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最初に描いたのは左。洲之内さんの撮った写真とそんなに変わらない風景ですね。で、坂を実際よりは少し急にして描いたのが右の絵。それを下絵にして「並木道」を描いたことがわかります。

一応ストリートビューで撮った写真を貼っておきます。

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ところで、洲之内さんの地図にも描かれていますが、右に見える石垣にそってビルの前を通って右側に下る道は幽霊坂と呼ばれています。幽霊坂というのはあちこちにあるけどこんなところにもあったんですね。昭和56年発行の『今昔 東京の坂』を読むと「人通りはまったくない」と書かれています。今はどうなんでしょう。


ニコライ堂の横を男が歩いているといえば松本竣介には「ニコライ堂の横の道」という絵があります。こちらは1941(昭和16)年頃の作品。

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前から気になっていたのは、この絵に描かれている2つの建物。どうみてもあのニコライ堂とは違うんですね。色々調べていたらネット上にこんな写真がありました。聖橋を渡ったところから撮ったニコライ堂と聖橋。撮影された年代は確認できませんでしたが、おそらく昭和初期の写真のはず。

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この写真を見たら今見ることのできる建物の右の少し離れたところに、まさに松本竣介が描いた建物が2つ見えます。

とすると「ニコライ堂の横の道」というのは紅梅坂と呼ばれている道ですね。前に紹介したこの写真に写っているのが紅梅坂。

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おそらくこの写真を撮った場所のあたりで当時右に立っていた2つの塔を描いたんでしょうね。ちなみに『今昔 東京の坂』によると、この紅梅坂は本郷通りができる前は幽霊坂とつながっていたとのこと。ここはほとんど人通りがありませんでした。


小津の『麦秋』で映し出されたニコライ堂があのように見える場所に紀子(原節子)の兄の省二と謙吉が何度も立ち寄っていた喫茶店があったとするならば、それは「ニコライ堂の横の道」に描かれた建物の塔の先あたりということになります。

省二が謙吉に徐州戦のあった1938年に麦の穂の入った手紙を送っているのですが、おそらくそれが最後の手紙だったはず。つまり省二はそれから間もなく亡くなっている。

ここで一つの妄想を。

松本竣介が「並木道」(1943年頃)と「ニコライ堂の横の道」(1941年頃)に描かれていた男は、ニコライ堂の見える風景が好きな省二ではなかったかと。それが幽霊なのかどうかはわからないけど、松本竣介にはその姿が見えていた。


さて、話はころっと変わって、この絵を。

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描かれたのは高橋和枝さん。昨年の秋に開かれた『日々 綴る。』という2人展にこの絵を展示していたそうで、そのときに高橋さんのブログにこの絵が貼られていたんですが、一目見て気に入ってしまって今ではこんなふうに携帯の待ち受け画面の壁紙にしています。

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この絵、どこか松本竣介の「並木道」につながるものがありますね。でも、高橋さんの絵には竣介の絵にはない幸福感があります。ちなみに高橋さんはこの絵のイメージの元にあったのは子供の頃に見たという長谷川りん二郎という画家の描いた「荻窪風景」という絵だったそうです。


ところで、この高橋さんの絵の前に、かなり長い間携帯の壁紙にしていたのはこの絵。

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鈴木信太郎の「東京の空」ですね。あのアドバルーンのある風景です。

学士会館に戻ってチェックアウトしてから向かったのは、この絵に描かれた場所でした。高橋さんは僕が鈴木信太郎の絵の場所に行ったなんてもちろん知らないわけですが、今回の旅の最後の最後に、おっと思うことがありました。


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# by hinaseno | 2017-05-31 14:31 | 雑記 | Comments(0)

前回の終わりに今回は松本竣介の「並木道」のことを書くという予告をしましたが、あの絵のことを思い出したのは聖橋からの帰り道だったので、時系列的に聖橋の話をもう少し書いておきます。

聖橋でどうしても見たかった風景がこれでした。

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この風景の何かの写真で初めて見たときには本当に心がときめきました。神田川をまたいで三本の線路が交錯する。向こうに見える緑の鉄橋もなんともいい感じ。その鉄橋を渡って電車がやってきているのがJR総武線。その下にあるのが中央線。そして手前にあるトンネルは東京メトロ丸ノ内線。

この風景、山高登さんも描いています。

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山高さんの絵を見ると3本の路線全部に電車が走っています。僕もそういう瞬間を捕えたかったのですが、2本の線路に電車が走るところすらなかなか難しくて、結局、あの鉄橋を電車が渡って来る場面を撮りました。

時間があればいつまでも眺めていたい風景ですが、この写真も工事のために作られたネットの間から撮ったような気がします。


ところで、話はころっと変わりますが、つい先日観た映画の話を。

1950年代の映画が放送されると内容がわからなくても一応録っておいて、時間があるときに早送りで風景だけを追って観ているんですが(大瀧さんもそうされていたのではないかと。でなければあれほどの数の映画を観れるはずはないので)、ときどきおっと思うような風景が映っていることがあるんですね。で、先日観たのが2ヶ月ほど前に録っていた市川崑監督の『わたしの凡てを』という映画。市川監督の映画は正直全然観ていないのですが、この映画の主演が『早春』の池部良と『東京暮色』の有馬稲子だったので録画しました。公開は1954年。つまり『早春』の前年。

さて、映画を観ていておっと思ったのはこのシーン。

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向こうに見えているのはまちがいなくニコライ堂。いったいここはどこだろうと思っていたら次に映ったのがこのシーン。

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池部良の後ろに見える鉄橋は、聖橋から見えた鉄橋に間違いありません。

このあと女性が橋を渡るシーンが映ります。

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どうやらこれは神田川にかかる昌平橋。僕が聖橋から撮った写真の遠くの方に映っています。今も橋の照明灯があるみたいですね。

で、その橋のあたりで撮られたこのシーン。総武線の鉄橋の向こうに聖橋が見えます。

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そういえばと思って山高登さんの『東京昭和百景』を見たらこんな絵がありました。

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タイトルは「交差する街」(1990年)。上の映画のシーンとほぼ、というか全く同じ場所で描いていることがわかります。いやびっくり。山高さんは電車をいっぱい描き込んでいますね。空には飛行機まで。

『東京昭和百景』のコメントでこんなことを語られています。


「ここへ立つたび、この風景が子どもの頃持っていた絵本の1ページのようだと思う。乗り物好きの現在の子どもが見たら、どんな感想を持つだろうか。まるでジオラマで作られているような風景」

まさにそうですね。山高さんが童心に返ってわくわくしながら描いていたのが伝わってくるような絵です。

ところで『わたしの凡てを』はこの後も、おっと思うシーンがいくつも出てきます。まずはこのシーン。

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左に見える特徴的な建物ですぐに場所がわかりました。場所は五反田。建物は白木屋。で、白木屋の右に見えるのは池上線の五反田駅のホームですね。

次に映るのは五反田駅。これは山手線の五反田駅でしょうか。

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このあと五反田駅周辺の風景がいくつも映ります。小津はこの映画を観て『早春』や『東京暮色』のロケ地に五反田を選んだのではないかとふと考えたりも。

いちばん驚いたのはこのシーン。

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なんと恋に破れた(映画のストーリーはわからないけど、たぶん)有馬稲子さんが線路に飛び込みかけているんですね。実際にはぎりぎりのところで踏みとどまったんですけど。

『東京暮色』では汽車にはねられてしまう(そのシーンは映されてはいないけど)役柄を演じたのは偶然なのか、あるいは小津がこの映画を観て思いついたことなのか。


最後にはこんな人が登場してまたまたびっくり。

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あのトニー谷がミス日本を選ぶショーの司会者をしてたんですね。例の「レイディース・アンド・ジェントルマン」をはじめおきまりのセリフを連発。このときは人気絶頂の時のようです。

トニー谷という人のことを知ったのは大瀧さんがプロデュースしたこのCDでした。

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解説は小林信彦さん。小林さん、お身体の方心配しています。


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# by hinaseno | 2017-05-30 12:57 | 雑記 | Comments(0)