今日は3.11。3.11といえば…、忘れられないあの日の出来事をはじめとして、いろんなことを考えてしまいますが、ナイアガラーとしてはナイアガラ・デイのカウントダウンが始まる日でもあります。
今年は『EACH TIME』40周年盤。その『EACH TIME』の中で詞、曲、アレンジ、コーラスと何から何まで文句なしの最高傑作がこの「ペパーミント・ブルー」。
この曲が生まれたのが1983年の今日3月11日なんですね。3月11日は「ペパーミント・ブルー」の誕生日。ということで、毎年僕はこの日にこの曲を聴くようにしています。一昨年の3月12日に書いたブログでこんなことを書いています。
「ペパーミント・ブルー」が出来上がったのは1983年の3月11日。つまり来年の3.11は「ペパーミント・ブルー」40周年の記念日ということになります。ただ、「ペパーミント・ブルー」がらみの未発表音源が出るのは再来年の3.21ですね。どんなものがとびだすやら。
その日があと10日後。待ち遠しいですね。
「ペパーミント・ブルー」は1987年に姫路にやってきた年にももちろんいろんなところで聴いていました。一番よく覚えているのが初めて姫路から電車で神戸に行ったときのこと。例によってウォークマンで『EACH TIME』を聴いていて、ちょうど明石を過ぎて海が見えてきたあたりで「ペパーミント・ブルー」が流れてきたんですね。あのドラムのフィルインとそれに続く大瀧さんの多重コーラス。初夏の日差しが海にキラキラと輝いてその上を船がゆっくりと行き来している。その風景に「ペパーミント・ブルー」がぴったりと合って。たまらなかったな。
以後、電車で神戸に行くたびに海が見えてくるあたりで「ペパーミント・ブルー」を聴くということをやっていました。カセットテープだったのでぴったりとはいかなかったけど。
そういえば昨日、その『EACH TIME』の歌詞カードの裏側の下の方の「駅売り愛読者一覧」のところに名前が載っている方に手紙を書きました。
もうどなたかわかりますね。関口直人さん。
この関口直人さんが夏葉社から復刊された『昔日の客』の著者の関口良雄さんのご子息だというのがわかるまでには1987年からさらに15年の歳月を待たなければなりません。でも、姫路にやってこなければずっと知らないままだったかもしれません。
そういえば昨晩ある方から上林暁さんの『ばあやん』という短編集に木山捷平の詩が出てくると教えられて、えええっと思って読み返しました。
実は上林暁という作家に出会ったのは木山捷平に出会う一年前の2011年のことで、その年に夏葉社から出た上林暁傑作小説集『星を撒いた街』と、それからほぼ同時期に出たはずの吉田篤弘さんの『おかしな本棚』にも上林さんの本の話が出てきて興味を持って、上林さん(と小沼丹)の本を探しにあちこち古本屋めぐりをしはじめたんですね。まだおひさまゆうびん舎さんに出会う前のこと。『ばあやん』は確か倉敷の長山書店で見つけたはず。
木山さんの詩が収録された作品というのは「オシとツンボ」という作品。その最初に木山さんの「メクラとチンバ」の詩が引用されていました。「オシとツンボ」というタイトルは「メクラとチンバ」のパロディだったんですね。この話に登場する坪田譲治がツンボで上林さんがオシってこと。
そこにこんな話が出てきます。
このごろ、私は童話に興味を持って、古今東西の童話を読む。そして、「福の小づち」といふ十枚の童話を書き上げた。それを坪田さんの主宰する童話雑誌『びわの実学校』に寄稿した。せめて昔の罪ほろぼしの気持ちからであった。『びわの実学校』に版画を描いてゐる、坪田さんの弟子筋に当るY君にたのんで、載せてもらったのであった。肩の重荷を下ろした気持ちになった。Y君はある出版社に勤めてゐて、私と気心の合ふ仲間であった。
このY君というのは以前「木山捷平と関口良雄と山高登のトライアングル」と題して書いていた山高登さんのこと。10年前にたつのの九濃文庫で山高登展を開くとき、『びわの実学校』を集めるのにかなり協力しました。
「オシとツンボ」には『びわの実学校』の40号の記念号の話がちょっと出てくるんですが、それも展示されていました。
ところで「オシとツンボ」の最後にこんな話が書かれています。
それから間もなく二人は立ち上がった。Y君が私事をひそひそとささやいた。
「句集は十月初めに出来上がりますよ」
私の仲間で句集を出すことになってゐて、Y君が主になって編集をしてゐた。そして、版画も描く予定になってゐた。
「さう。それはご苦労さんです」
Y君は坪田さんの方に向き返って言った。
「僕たちの仲間で、句集を出すことになってゐますから、出たらお目にかけます」
「それはたのしみだなア」坪田さんはまた高い声で言った。
ここで出てくる句集というのがこれなんですね。
昭和45年に永田書房から出た『群島』。濃いブルーの袋といい手作り感がいっぱい。
そしてこれが山高さんの版画。
注目すべきは目次。
並んでいる名前は尾崎一雄、上林暁、木山捷平、関口銀杏子(関口良雄さんの俳号)、そして山高のぼる(なぜか「のぼる」とひらがなになっています)。
木山さんは2年前に亡くなっていたんですが、仲間に入れてくれたんですね。
この『群島』のことは「木山捷平と関口良雄と山高登のトライアングル」と題した話の最後に書くつもりでいたものの忙し過ぎて書けなかったわけですが、こんな形で書けることになろうとは思いもよりませんでした。ありがとうUさん。
ちなみに野長瀬正夫さんは戦後、童話をいっぱい書くようになって坪田譲治の『びわの実学校』に作品はいくつも掲載されています。そういえば吉田さんからいくつかコピーをもらっていたような。また探してみます。
ということで「ドジャー・ブルーとペパーミント・ブルー、そしてパーム・ツリーのある風景」とか「木山捷平と関口良雄と山高登のトライアングル」とか「1987年、姫路に」というタイトルで書き続けていて書けないままになったことが結構書くことができました。