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Talks About Music, Books, Cinema ... and Niagara


by hinaseno

今日は3.11。3.11といえば…、忘れられないあの日の出来事をはじめとして、いろんなことを考えてしまいますが、ナイアガラーとしてはナイアガラ・デイのカウントダウンが始まる日でもあります。

今年は『EACH TIME』40周年盤。その『EACH TIME』の中で詞、曲、アレンジ、コーラスと何から何まで文句なしの最高傑作がこの「ペパーミント・ブルー」。



この曲が生まれたのが1983年の今日3月11日なんですね。3月11日は「ペパーミント・ブルー」の誕生日。ということで、毎年僕はこの日にこの曲を聴くようにしています。一昨年の3月12日に書いたブログでこんなことを書いています。


「ペパーミント・ブルー」が出来上がったのは1983年の3月11日。つまり来年の3.11は「ペパーミント・ブルー」40周年の記念日ということになります。ただ、「ペパーミント・ブルー」がらみの未発表音源が出るのは再来年の3.21ですね。どんなものがとびだすやら。


その日があと10日後。待ち遠しいですね。

「ペパーミント・ブルー」は1987年に姫路にやってきた年にももちろんいろんなところで聴いていました。一番よく覚えているのが初めて姫路から電車で神戸に行ったときのこと。例によってウォークマンで『EACH TIME』を聴いていて、ちょうど明石を過ぎて海が見えてきたあたりで「ペパーミント・ブルー」が流れてきたんですね。あのドラムのフィルインとそれに続く大瀧さんの多重コーラス。初夏の日差しが海にキラキラと輝いてその上を船がゆっくりと行き来している。その風景に「ペパーミント・ブルー」がぴったりと合って。たまらなかったな。

以後、電車で神戸に行くたびに海が見えてくるあたりで「ペパーミント・ブルー」を聴くということをやっていました。カセットテープだったのでぴったりとはいかなかったけど。

そういえば昨日、その『EACH TIME』の歌詞カードの裏側の下の方の「駅売り愛読者一覧」のところに名前が載っている方に手紙を書きました。

「ドジャー・ブルーとペパーミント・ブルー、そしてパーム・ツリーのある風景」と「木山捷平と関口良雄と山高登のトライアングル」と「1987年、姫路に」がつながる_a0285828_13291322.jpg

「ドジャー・ブルーとペパーミント・ブルー、そしてパーム・ツリーのある風景」と「木山捷平と関口良雄と山高登のトライアングル」と「1987年、姫路に」がつながる_a0285828_13291601.jpg


もうどなたかわかりますね。関口直人さん。

この関口直人さんが夏葉社から復刊された『昔日の客』の著者の関口良雄さんのご子息だというのがわかるまでには1987年からさらに15年の歳月を待たなければなりません。でも、姫路にやってこなければずっと知らないままだったかもしれません。

そういえば昨晩ある方から上林暁さんの『ばあやん』という短編集に木山捷平の詩が出てくると教えられて、えええっと思って読み返しました。

実は上林暁という作家に出会ったのは木山捷平に出会う一年前の2011年のことで、その年に夏葉社から出た上林暁傑作小説集『星を撒いた街』と、それからほぼ同時期に出たはずの吉田篤弘さんの『おかしな本棚』にも上林さんの本の話が出てきて興味を持って、上林さん(と小沼丹)の本を探しにあちこち古本屋めぐりをしはじめたんですね。まだおひさまゆうびん舎さんに出会う前のこと。『ばあやん』は確か倉敷の長山書店で見つけたはず。

木山さんの詩が収録された作品というのは「オシとツンボ」という作品。その最初に木山さんの「メクラとチンバ」の詩が引用されていました。「オシとツンボ」というタイトルは「メクラとチンバ」のパロディだったんですね。この話に登場する坪田譲治がツンボで上林さんがオシってこと。

そこにこんな話が出てきます。


このごろ、私は童話に興味を持って、古今東西の童話を読む。そして、「福の小づち」といふ十枚の童話を書き上げた。それを坪田さんの主宰する童話雑誌『びわの実学校』に寄稿した。せめて昔の罪ほろぼしの気持ちからであった。『びわの実学校』に版画を描いてゐる、坪田さんの弟子筋に当るY君にたのんで、載せてもらったのであった。肩の重荷を下ろした気持ちになった。Y君はある出版社に勤めてゐて、私と気心の合ふ仲間であった。


このY君というのは以前「木山捷平と関口良雄と山高登のトライアングル」と題して書いていた山高登さんのこと。10年前にたつのの九濃文庫で山高登展を開くとき、『びわの実学校』を集めるのにかなり協力しました。

「オシとツンボ」には『びわの実学校』の40号の記念号の話がちょっと出てくるんですが、それも展示されていました。

「ドジャー・ブルーとペパーミント・ブルー、そしてパーム・ツリーのある風景」と「木山捷平と関口良雄と山高登のトライアングル」と「1987年、姫路に」がつながる_a0285828_13291834.jpg


ところで「オシとツンボ」の最後にこんな話が書かれています。


 それから間もなく二人は立ち上がった。Y君が私事をひそひそとささやいた。
「句集は十月初めに出来上がりますよ」
 私の仲間で句集を出すことになってゐて、Y君が主になって編集をしてゐた。そして、版画も描く予定になってゐた。
「さう。それはご苦労さんです」
 Y君は坪田さんの方に向き返って言った。
「僕たちの仲間で、句集を出すことになってゐますから、出たらお目にかけます」
「それはたのしみだなア」坪田さんはまた高い声で言った。


ここで出てくる句集というのがこれなんですね。

「ドジャー・ブルーとペパーミント・ブルー、そしてパーム・ツリーのある風景」と「木山捷平と関口良雄と山高登のトライアングル」と「1987年、姫路に」がつながる_a0285828_13292098.jpg


昭和45年に永田書房から出た『群島』。濃いブルーの袋といい手作り感がいっぱい。

そしてこれが山高さんの版画。

「ドジャー・ブルーとペパーミント・ブルー、そしてパーム・ツリーのある風景」と「木山捷平と関口良雄と山高登のトライアングル」と「1987年、姫路に」がつながる_a0285828_13292253.jpg


注目すべきは目次。

「ドジャー・ブルーとペパーミント・ブルー、そしてパーム・ツリーのある風景」と「木山捷平と関口良雄と山高登のトライアングル」と「1987年、姫路に」がつながる_a0285828_13292478.jpg


並んでいる名前は尾崎一雄、上林暁、木山捷平、関口銀杏子(関口良雄さんの俳号)、そして山高のぼる(なぜか「のぼる」とひらがなになっています)。

木山さんは2年前に亡くなっていたんですが、仲間に入れてくれたんですね。

この『群島』のことは「木山捷平と関口良雄と山高登のトライアングル」と題した話の最後に書くつもりでいたものの忙し過ぎて書けなかったわけですが、こんな形で書けることになろうとは思いもよりませんでした。ありがとうUさん。

ちなみに野長瀬正夫さんは戦後、童話をいっぱい書くようになって坪田譲治の『びわの実学校』に作品はいくつも掲載されています。そういえば吉田さんからいくつかコピーをもらっていたような。また探してみます。

ということで「ドジャー・ブルーとペパーミント・ブルー、そしてパーム・ツリーのある風景」とか「木山捷平と関口良雄と山高登のトライアングル」とか「1987年、姫路に」というタイトルで書き続けていて書けないままになったことが結構書くことができました。


# by hinaseno | 2024-03-11 13:33 | ナイアガラ | Comments(1)

昨日までの荒れた肌寒い天気とは違って、今日は今朝から穏やかな日が差していて、縁側の部屋もぽかぽかして居心地がいいです。It’s cozy!

コージー(cozy)といえば、今朝聴いているのはスティーヴ・ローレンス&イーディー・ゴーメの『コージー(COZY)』。このコンビのアルバムでは一番好き。春っぽい弾むような感じの曲がいくつもあってこれからの時期にぴったり。以前ハリー・ウォーレン作曲の「Would You Like To Take A Walk」を紹介した気がするので今日は「Wouldn't It Be Loverly」を。



映画『マイ・フェア・レディ』の挿入歌。“loverly”ってずっと”lovely”だと思ってました。「恋人(lover)のような」という意味のようですが、曲の邦題は「素敵じゃない?」となっています。

「素敵じゃない?」っていえばビーチ・ボーイズの「Wouldn't It Be Nice」という曲がすぐに浮かびます(そちらの邦題は「素敵じゃないか」)。曲調も結構似ているのでもしかしたらブライアンは「Wouldn't It Be Loverly」を意識して「Wouldn't It Be Nice」を書いたのかもしれませんね。

それはさておきスティーヴ&イーディーの『COZY』というアルバムは、まさにコージーな感じの曲ばかりを集めたもので、聴いているこちらもなんともコージーな気分になれます。

で、今も『COZY』を聴きながらコージーな気分で食後のコーヒーを飲んでいるわけですが、コーヒーはもちろん塩屋の余白珈琲さんに送ってもらった豆を挽いたもの。コージーな気分がさらに倍になります。

そんなコージーな気分で朝からずっと作業していたのは余白珈琲さんから過去4年間にわたって送られてきていたペーパー余白の整理。なんでそんなことをしたかというと昨日送られてきた珈琲豆と一緒に入っていたメッセージカードに先日紹介した「ほたるぶくろ」のことが書かれていたから。一昨年の初夏のハンコのデザインの一部にほたるぶくろが使われていたと(水まんじゅうとほたるぶくろと潜水艦ですね)。

コージーな気分でコーヒーを、そしてほたるぶくろの真相!?_a0285828_14504148.jpg


で、もしかしたら当時のペーパー余白にほたるぶくろについて何か書いてあるかもしれないと思って、メッセージカードとかその他諸々といっしょにごそっとボックスに入れていたペーパー余白を全部順番に並べようと一枚ずつ取り出して見ていたら結構面白くて結局昼過ぎまでかかってしまったというわけ。

それにしても1号から、いや、正確にいえば0号から今年の3月に出た51号まで全部持っている人ってそんなにはいないでしょうね。ごく少数の幸運な人間の一人です。

結局、ほたるぶくろに関する記事も漫画も見当たらなかったのだけれど、前回ほたるぶくろについて「どこかで見たことがあるような気がするけど」と書いたのは、余白珈琲さんのハンコに使われていたものだったかもしれませんね。


それはさておき木山みさをさんが野長瀬正夫にほたるぶくろというニックネームをつけたことについてちょっと調べてみたら面白いことがわかりました。それは以前野長瀬正夫についてこのブログに書いたところにぽこっとありました。昭和8年に書かれた「秋」という詩で木山さんと一緒に”秋をけりけり”した友達を探るために紹介した当時のいくつかの日記の中。

まずは昭和7年11月20日の日記。


 村井武生来訪。共に野長瀬君をホタルアパートに訪う、留守。


それから昭和8年2月4日の日記。


 朝赤松月船訪問。『出石』書き改めたものを見てもらう。これにて短篇になりし由。帰りに野長瀬をホタルアパートに訪う。昨夜もらって忘れたとちの餅をもらってくる。


そう、野長瀬正夫はどうやらホタルアパートという名前のついたアパートに下宿していたようなんですね。みさをさんがつけた野長瀬正夫のニックネームの由来はそこからきていた可能性が高そう。もう少しロマンチックな想像をしていたんだけど。でも、きっと野長瀬さんは顔(面長)とか佇まいがほたるぶるろのような人だったのは間違いのないはず。

コージーな気分でコーヒーを、そしてほたるぶくろの真相!?_a0285828_14503822.jpg


# by hinaseno | 2024-03-10 14:41 | 雑記 | Comments(4)

Don’t Go Away, Steve


月に一度の割合でレコード棚のある部屋を掃除しているんですが今日がその日(たいてい8日)。部屋を掃除するついでにこれから聴こうかなと思うLPを10枚ほど取り出してレコードプレーヤーのそばに置いてあるサイドラックに入れます。で、その代わりに10枚ほど取り出して棚にしまう。

今日ちょっと悩んで棚にしまったのがこのレコード。

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スティーヴ・ローレンス&イーディー・ゴーメのおしどり夫婦の『At The Movie』。手に入れたのは去年の夏くらいだったはずですが、何度かの入れ替え時期があったにも関わらず棚にしまうことなくラックの前に立てかけていました。季節を問わず折に触れて聴きたくなるんですね。

とりわけこのA面1曲目の「To the Movies We Go」という曲が好きで好きで。



アルバムのタイトル通りこのアルバムに収められている曲は有名な映画の挿入歌ばかり。でも、1曲目の「To the Movies We Go」はたぶんオリジナルのはずで、さあ、これから二人で映画に出かけましょ、って感じのワクワク感あふれる曲なんですね。シャッフル・ビートのリズムもこれからの季節に似合いそう。

でも、さすがに最近は針を下ろしていなくて、そろそろしまいどきかなと思って棚に戻したんですね。そこにはスティーヴ&イーディーのレコードが何枚か置かれていてちらっと眺めましたが、今特に聴きたいものはないかと棚に納めて数時間後、スティーヴ・ローレンスの訃報が飛び込んできたんですね。

実はその前に漫画家の鳥山明さんの訃報を目にしていてまだ若いのになあと思っていたときにスティーヴ・ローレンスの名が目に入ってきて、びっくりでした。

享年88歳。10年ほど前に奥さんのイーディーを若くして亡くされたときには随分とさびしいだろうなと思ったものでしたが、それでも一人で10年以上の日々を過ごされていたんですね。でもやっぱりさびしかっただろうな。

スティーヴ・ローレンスといえばなんといっても「Go Away Little Girl」。大瀧さんが大好きだってことで知った曲ですが、他の人の歌ったバージョンはどんどんCD化されたのにオリジナルのスティーヴが歌ったものはなかなかCDにならなくてやきもきしたものでした。

その後、スティーヴ・ローレンス関係のCDは結構出ましたが(あやしいCDもいっぱい出ていますが、一番いいのは2016年にTeensvilleから出たCDかな)、ある時期から僕はスティーヴ・ローレンスのソロの曲よりもイーディーとデュエットした曲の方を好んで聴くようになりました。基本的にはあまり好みではないミュージカルっぽいものもスティーヴ&イーディーのはどれもすごくいいんですね。どれを聴いても幸せな気持ちになれます。

ってことでしばらくはスティーヴ&イーディーのアルバムを聴くことになりそうです。

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# by hinaseno | 2024-03-08 16:33 | 音楽 | Comments(0)

ほたるぶくろという花を知っているでしょうか。こんな花です。

ほたるぶくろのような人 ― 木山捷平展@姫路文学館 #8_a0285828_15132568.png

ほたるぶくろのような人 ― 木山捷平展@姫路文学館 #8_a0285828_15132850.png

どこかで見たことがあるような気がするけど、少なくともわが家の庭には咲いていないし、咲いたこともない、はず。キキョウ科なんですね。どこか凛とした感じもあります。

この花、その名の通り、花の中にホタルを入れて楽しむこともあったよう。ネットにはホタルを入れたこんな写真もありました。

ほたるぶくろのような人 ― 木山捷平展@姫路文学館 #8_a0285828_15132437.png


なかなかに趣があります。でもホタルを入れないで垂れ下がっている姿を昼間に見る方が素敵かな。

さて、今回の木山展の目玉はなんといっても【発見 ― 「失われた詩稿」】なんですが、この話のキーパーソンが野長瀬正夫という人物でした。僕は以前から野長瀬正夫という人物に好感を覚えていて、以前のブログで昭和8年の「秋」という詩(これも今回の展示の目玉)の木山さんと一緒に”秋をけりけり”した人物はおそらくは野長瀬正夫だと書いたこともありました。

その野長瀬が木山さんから詩集のための原稿を預かったわけですが、それが失われてしまうんですね。木山みさをの『生きてしあれば』の「失われた詩稿の行方」には野長瀬が木山さんに宛てた謝罪の手紙がそのまま引用されています。これはなかなかに胸を打つものがあって、詩稿を失う直接の原因となった人物にすら責めようともしない野長瀬の優しさに感動すら覚えます。とはいえ責任は最初に詩稿を預かった野長瀬にあるわけなのですが、みさをさんは決して彼を責めようとはせず、彼が亡くなった時に焼香しながら「永いこと御厄介をおかけしてごめんなさい」とつぶやいてもいます。いい話なので機会があればぜひ読んでみてください。そしてまた木山展に足を運んでみてください。

ところでその野長瀬正夫は『生きてしあれば』の他のエッセイにも何度か登場します。どれも微笑ましいエピソードばかりで、きっと木山さんもみさをさんも野長瀬さんのことが大好きだったんだろうなと思いました。

で、昨夜、本の後半に収められた「寂聴氏の花」を読んでいたらその最後にこんな話が書かれていたんですね。


 私が昔、長男出産の産褥にある時の無聊と徒然に記した紙片がある。
 井伏鱒二(梅)夜ふけと梅の花を枕頭においていた。蔵原信二郎(河骨)外村繁(侘助椿)上林暁(春蘭)檀一雄(たんぽぽ)野長瀬正夫(ほたるぶくろ)草野心平(あじさい)倉橋弥一(ほうせんか)赤松月船(野菊)太宰治(こぶし)保田与重郎(のうぜんかつら)捷平(ねぎ坊主)
 以上は花に託したニックネームである。日本の野の花ばかりである。


最後の「捷平(ねぎ坊主)」に笑っちゃいましたが、目を留めたのは「野長瀬正夫(ほたるぶくろ)」でした。

ほたるぶくろ?

だったんですが寝る前だったのでパソコンで調べることもなく、次の「あさきゆめ見て」と題された章へと読み進めたらその最初の「七夕のころ」というエッセイの中にそのほたるぶくろの話が出てきてびっくり。


 この頃咲く「ほたるぶくろ」はうすい青い花でほたるを入れる花提灯と思った。垂れ咲きのこの花を手折った。夜になるとこの花はほたるを入れるのにむつかしいと言って、祖父が蓮の葉に適当な穴をあけて、上を糸でしばりつけると、提灯になった。この提灯の中にほたるを入れると、明滅する青い光が美しかった。何匹も入れると小さな提灯の明かりであった。


みさをさんのおじいさんは結局「ほたるぶくろ」にほたるを入れることはしなかったみたいですね。でも、ほたるぶくろ、その形といい、名前といい、とてもロマンチックなものを感じさせますね。包み込むような優しさもある。ねぎ坊主とは大違いだ(笑)。


さて、七夕ごろに咲くというほたるぶくろ、野で咲いているのを発見するのは難しそうなので植木鉢ででも育ててみようかなと考えています。野長瀬正夫という人のことを考えながら。咲いたときにはあ感謝の気持ちを伝えたいですね。

戦争の混乱の中で、ある人物に手渡すまでは彼が大事に木山さんの原稿を持っていたことは間違いのないことだったので、今回の姫路での木山捷平展が開けたのも彼のおかげでした。もしも木山さんの詩稿が何の問題もなくすんなりと出版されていたら、【発見 ― 「失われた詩稿」】の話はなかったわけだから。

ということで次に木山展に行ったときには野長瀬さんの展示をメインに見てみることにしよう。写真の彼の顔がまたいいんだ。

ほたるぶくろのような人 ― 木山捷平展@姫路文学館 #8_a0285828_12154937.jpg


# by hinaseno | 2024-03-05 15:18 | 木山捷平 | Comments(1)

姫路文学館で生誕120年記念の木山捷平展が始まってから2週間が経ちました。その広がり具合を日々”エゴサーチ”しながら確認しています。あの方もこの方も来てくれたんだなとニコニコする一方で、あの人にもこの人にも来てもらいたいなあと願う日々。

そんな日々を送る中、海の向こうの翔平さんのニュースは見ようとしなくてもどんどんと入ってきます。”エゴサーチ”なんかしてたら大変です(ちなみに”エゴサーチ”って言葉、わりと最近知りました)。

あのドジャーブルーのユニフォームを着て最初に臨んだ試合でのホームラン。そして驚きの結婚発表。

その相手はだれだろうという話題でテレビもネットも騒然とした状態が続いていますね。やっぱりあの大谷選手が選んだ人だからどんな人なのかは気になります。個人的には有名人でもなんでもない人で、岩手か山陰のどこかに住んでいて、学校の先生をしていて、さらに名前が「みさを」さんであれば最高です。

と、こんなことを書くのは、この本を読み始めたから。

「しょうへい」さんの奥さんになった人が「みさを」あるいは「しのぶ」さんであれば。そして木山さんの中の”女性性” ― 木山捷平展@姫路文学館 #7_a0285828_16371021.jpg


木山みさを著『生きてしあれば』。そう、翔平、いや捷平さんの奥さんのみさをさんの随想集です。みさをさんは山陰の出身で木山さんと結婚する前、学校の先生をしていました。帯は木山さん夫婦と親交のあった瀬戸内寂聴さんが書いていますね。

この本、実は持っていなかったんですが、これに収録された「失われた詩稿の行方」というエッセイが今回の木山展の『発見ー失われた詩稿』の話に繋がっているということで先日ようやく入手しました。

「失われた詩稿の行方」はすでにコピーで読んでいたので、その前に収められた「木山捷平の詩」と題されたエッセイを最初に読みました。こんな言葉で始まります。


木山捷平と結婚したのは昭和六年秋であるから、私はそれ以前のことは知らない。詩集『野』を昭和四年、『メクラとチンバ』を昭和六年春に出版して、……


というわけなのでみさをさんはそれ以前の姫路での木山さんの活動のことはほとんど知らない。きっと姫路で教師をしていたことも聞いていなかっただろうと思います。

でも結婚した当初、木山さんの周りには若い詩人たちがいっぱいいました。

こんな言葉も出てきます。


しかし大詩人は別として、若い詩人は詩では生活出来ない時代であった。が、貧乏が恥ずかしい時代ではなかった。


木山さんと結婚してから30年ほどは相当に貧しい暮らしをしていたはずのみさをさんが「貧乏が恥ずかしい時代ではなかった」と語っているのがいいですね。なんか救われる気持ちになります。

それから目を留めたのはこの部分。


捷平の詩は平易で難解な文字はない。老若男女誰にわかってもらえる文字で書くのが自分の詩であるといっていた。その詩を林芙美子や宇野浩二が励ましてくれた。……


文字というのは言葉のことですね。おっと思ったのは「老若男女誰にわかってもらえる文字で書くのが自分の詩であるといっていた」の「若」と「女」の部分。まあ僕は「女」でもなく、木山さんの詩と出会ったときには「若」でもなかったわけですが、でも、僕はずっと木山さんの詩は「若(子供も含む)」と「女」、特に「女」の人にこそ気に入ってもらえるんじゃないかとずっと思っていたんですね。

実は先日の展示解説会のときに講師をされた文学館の学芸員の竹廣裕子さんがある指摘をされて、目から鱗が5枚くらい落ちたような気がしたんです。

それはこんな言葉でした。


「木山さんの中にある女性性」


この言葉が出たのは木山さんが中学校時代にいろんな雑誌に投稿していた時の投稿用のペンネームの話になったときでした。

そのペンネームは図録に載っていないのでこちらにはあえて書きませんが、男性名10人に対して女性名も6人もあったんですね。いくつもの変名があることは知っていましたが女性名がこんなにもあったとは、でした(木山さんの詩にしばしば登場する「おしの」につながる「しのぶ」さんと「芝埜芙」さんがいるのも興味深い)。

ちなみに変名といえば敬愛する大瀧さんもたくさんの変名を持っていますが、女性名はたぶん一人もないはず。

木山さんはその女性名を使って詩や短歌を書いていたわけですが、それは正体を隠すことが最大の目的だったでしょうけど、それだけでなく彼は実際に女性になりきることができる才能、というかもともとそういう性質をもっていたと考えるべきなんですね。竹廣さんはそれを「木山さんの中にある女性性」という言葉で指摘されたんですが、こんな指摘、今まできっと誰もしなかったはず。でもそれを聞いていろんなことが腑に落ちるような気がしました。

木山さんが上京した年の大正14年に書いた詩に「女学生」というのがあります。好きな詩なので前にも紹介しました。こんな詩。


 朝の陽にかがやきながら
 柳の葉のたれさがつてゐる停留所で
 私が電車を待つてゐると
 女学校の二年生くらゐの少女が二人
 とぶようにしてあるいて来た。
 どちらも顔かたちがうるはしく
 無造作にたれてゐる髪の毛といひ
 短いスカアトにはきこんでゐる靴下といひ
 何んとも言へないみづみづしさ。
 二人は私の前まできてたちどまると
 ときどき地べたを靴の先でけりながら
 新しく来た先生の噂をはじめた。
 私はそれをそばからながめながら
 燕よりも軽快な彼女らが羨ましくなつて
 その時来た電車に
 世界中でいちばん仕合せなものを追ひかけるように
 二人のあとにつづいて乗りこんだのである。


この詩はなんといっても最後の2行が素敵なんですね。ただこの行動って、一歩間違えれば誤解を招きかねない気すらします。でも実際には木山さんは「燕よりも軽快な彼女らが羨ましくなつて」いるわけで、つまり彼の中のも女性性が強く刺激されているといってもいいんですね。

で、実際には7歳くらい年下の2人の女学生の仲間に自分も完全に入っていくようにして、最後の2行になるわけです。


 世界中でいちばん仕合せなものを追ひかけるように
 二人のあとにつづいて乗りこんだのである


ああ、素敵な詩だなと共感を覚えてくれる女の人もきっといるはず、だと思っているんですがどうでしょう。


ちなみに老若男女の「若」でいえば木山さんのいくつかの詩は子供にも気に入られるはずというのは岩阪恵子さんも指摘していました。それらの詩には木山さんの中の少年性あるいは少女性が出ていると考えてもいいですね。木山捷平の詩を理解する新たな視点をもらった気がしました。


追記:

つい最近、中公文庫から出た詩人の石垣りんの『詩の中の風景』というエッセイ集で「遠景」を取り上げていることがわかりました。「遠景」もまた木山さんの女性性というか少女性が出た作品と言えるかもしれません。「私にはとてもわからない」といいつつも木山さんは少女に姿に感応しているんですね。そしてりんさんもこれに共感を覚えているわけです。りんさんのこと大好きなのでうれしかったな。


# by hinaseno | 2024-03-03 16:38 | 木山捷平 | Comments(0)