Nearest Faraway Place nearestfar.exblog.jp

好きなリンク先を入れてください

Talks About Music, Books, Cinema ... and Niagara


by hinaseno
プロフィールを見る
画像一覧

東京に行ってからひと月がたってしまいました。早いですね。ブログの方は2日目の、5月9日の後半の話の方に入りかけていますが、ここでまた少し後戻り。


実はこの日のブログに貼ったこの写真について高橋和枝さんがちょっと興味深い情報をくれたんですね。

a0285828_13234388.jpg


高橋さんが教えてくれたのはかなりへ~っと思えるような話だったんですが、改めてそのあたりのことを調べていたら、なんと! なんと!の連続。ということで黙っておくわけにはいかなくなったので書くことにしました。

きっかけは森崎書店、ではなくて森岡書店。ってことで、ここ数日、この森岡書店がらみのことを調べる日々が続いています。とにかく驚くことばかり。


上の写真は僕が新富橋に向かうときに通った道でたまたま目に留めた建物を写したもの。かなり急ぎ足で歩いたときにパッと見つけてパッと撮ったものだったので、正直、どこで撮ったか覚えていませんでした。

もともとあの日は三原橋の交差点から昭和通りを通って、新富橋に入る道にあった建物を目印に歩いていたんですが(それがたぶん最短距離)、昭和通りを歩いてもあまりおもしろくなかったので、途中で右に折れて路地に入ろうと考えたんですね。もちろん大瀧さんがそのあたりの路地を歩かれたんだろうなとおぼろげに考えながら。

で、いくつかの路地をやりすごして入ったのが写真に写っている岩瀬博美商店という建物のある路地でした。なんとなく惹かれるものがあったんですね。あくまで直感ですが。


高橋さんが教えてくれた興味深い話というのは、この岩瀬博美商店の左に半円形の装飾がついた建物についてのこと。僕はかなりの勢いで歩いていたのできちんと見ていなかったんですが、この建物、実は素晴らしいんですね。

これはネットで拾った写真。ビルの向こうに僕が写した岩瀬博美商店が見えます。

a0285828_13271887.png


この建物の名前は鈴木ビル。建てられたのは昭和4年。あの服部時計店よりも古い。

で、このビルの一階の、あの半円形の装飾の下に森崎書店、ではなくて森岡書店というのがあるんですね。チラッと目に入ったような気もするけどはっきりとは覚えていません。

この森岡書店は書店といっても「1冊の本を売る本屋」という特殊なお店とのこと。1冊の本を売るためだけのギャラリーのような本屋だそうです。

で、ここで高橋さんが絵を描かれた小川未明の『月夜とめがね』の最初の展示会が開かれたんだそうです。この展示会の後、おひさまゆうびん舎で『月夜とめがね』の展示会が開かれたんですね。

この『月夜とめがね』はどれも素晴らしい絵ばかりですが、とりわけこのページの絵は大好きで、おひさまでの展示会でこの汽車が描かれた箱も買いました。大事な宝物。

a0285828_13274205.jpg


高橋さんからいただいた情報にはいろいろと興味深いことが書かれていて、改めてネットで調べたら森岡書店を紹介している記事がいっぱい。

驚いたのは店主の森岡さんはあの話題になった『荒野の古本屋』を出した方だったんですね。晶文社の「就職しないで生きるには21」というシリーズの1冊。話題になっていたということもありますが、僕は西部劇ファンなので「荒野の~」という言葉に目をとめたんですね。

この「就職しないで生きるには21」のシリーズの次に出たのが夏葉社の島田さんの『あしたから出版社』。ということで森岡さんは島田さんともお友達のようで、夏葉社の本の展示会もしたことがあるそうです。

そういえば隣町珈琲の本棚には確かこの2つも並べて売られていたはず。


森岡書店のある鈴木ビルにはあの木村伊兵衛も参加していた「日本工房」が入っていたそうです。木村伊兵衛といえば、この日のブログでも紹介していますが『東京人』での大瀧さんと川本さんの対談で、川本さんにDVDを静止画像にして調べることについて尋ねられたときの大瀧さんのこの言葉。


「木を見て森を見ず」と言われそうですが、たとえば木村伊兵衛の一枚の写真を見て、そこから膨大な情報を得るのと同じです。

この大瀧さんの言葉で、僕は「木」に目をとめて新田神社に気がついたんですね。それにしてもあの木村伊兵衛が参加していた工房があんなところにあったとは。

森岡さんは元々「日本工房」の仕事を追っていたそうで、新しい店舗を探していたときにたまたま奇跡的にそこに空きができて入ったとのことです。

森岡書店の銀座店がオープンしたのは2015年5月5日。高橋さんの『月夜とめがね』の原画展が開かれたのはその年の秋。そして翌年の初めにおひさまゆうびん舎の原画展とつながっているんですね。


ところで高橋さんに情報をもらって、鈴木ビルや岩瀬博美商店のある場所のことを調べていたら、びっくりするようなことが続々と。まず最初にわかったのはそこの昔の地名。

なんと木挽町!

木挽町を強く意識するようになったのはクラフト・エヴィング商會の吉田篤弘さんの『木挽町月光夜咄』を読んでのこと。この本がきっかけで銀座という華やかな町の中にかつてあった木挽町という町を密かに愛するようになりました。ちなみに吉田さんは木挽町の生まれ。荷風も木挽町に住んでいたことがあります。大瀧さんの研究にももちろん木挽町が出てきます。


ここまででも結構へえ~っという話の連続なんですが、話はそこで終わりませんでした。

改めてあの辺りをGoogleマップで見ながら僕の足取りを確認していたらびっくりするようなものが目に飛び込んできたんですね。

これがこのあたりの地図。紫色の矢印で示したのが僕の足取りです。

a0285828_13290032.png


驚いてしまったのは岩瀬博美商店と森岡書店のある路地に入る角にある建物。

なんと音響ハウス。

1973年から大瀧さんがCMを録音するときに使っていたスタジオのある建物がこんなところに。大瀧さんが2007年に出した『ナイアガラCMスペシャル 30周年記念盤』のマスタリングのために通っていたのもまさにこの音響ハウスでした。そのときに毎日通っていた道のそばにあった公園が成瀬の『秋立ちぬ』のロケ地だったことがわかって、大瀧さんの成瀬研究が始まったんですね。

まさかその音響ハウスがこんなところにあって、そこを僕が通っていたとは思いもよりませんでした。


[PR]
# by hinaseno | 2017-06-09 13:30 | Comments(0)

川本三郎さんと大瀧さんの対談がきっかけで日本の古い映画に興味を持つようになり(小津の映画だけはいくつか見ていましたが、当時まだ『早春』は見ていませんでした)、同時に東京の古い町にも惹かれるようになって、『東京人』という雑誌もときどき買うようになりました。どちらかといえば古本の方が多いけど、新しいのもちょっと立ち読みして面白そうな記事があれば買っています。


で、今月号。

いやはやびっくりでした。

今月号の特集は「土木地形散歩」というものだったのでどうかなと思ったけど、表紙に「御茶ノ水」と書かれていたのでおっと思って見たら聖橋周辺の写真とともにいろんな御茶ノ水の記事がいっぱい。さらにこんな古い絵はがき(カラー)が掲載されていました。

a0285828_14363137.jpg


もちろんニコライ堂、そして聖橋が写っています。これで買うことを決めて家に戻ってぱらぱらと他のページをめくっていたら、なんと。

a0285828_14364167.jpg


見覚えのある建設中の東京タワーの写真がド~ンと! で、「編集者そして版画家、山高登が撮った 昭和三十年代の東京。」の見出し。

そしてページをめくると。

a0285828_14365184.jpg

「川本三郎・文」

さらにもう2ページ。

a0285828_14372851.jpg


夏葉社から出た『東京の編集者 山高登さんに話を聞く』と、それには未収録の写真についての記事を川本三郎さんが書かれていたんですね。『東京の編集者』が出たとき、一番最初に思ったのは、これをぜひ川本三郎さんに読んでもらえたらなということ。で、できれば書評のようなものを書いてもらえたらと思っていたのですが、まさか『東京人』で、こんな素晴らしいものが読めるとは思ってもみませんでした。もう涙が出るほどうれしかったです。で、すぐに龍野のYさんに電話。Yさん、すでに知っていました。その日の新聞の広告欄に出ていたとのこと。でも、もちろんすごく喜んでいました。


さらに驚くことが翌日(11日の日曜日)にも。毎日新聞の書評欄の最初のページに。

a0285828_14384040.jpg


『東京人』に掲載された川本さんの記事はおもに山高さんの写真に関する話が中心でしたが、こちらは『東京の編集者』の書評。「小さな宝石のような美しい本」という言葉がたまらないですね。もちろん山高さんが荷風に会われた時のエピソードにも触れられています。感涙。

毎日新聞の書評はネットでも読めるようになってからは新聞は買わなくなりましたが、これはもちろん買いました。川本さんの書評の下に和田誠さんの絵があったりして。新聞ってやっぱりいいですね(全然ダメな新聞もあるけど)。


そういえば東京から戻った後に関口直人さんに教えていただいたのですが、先月『週刊ポスト』にも坪内祐三さんが山高さんの写真のことを紹介されたんですね。この画像、関口さんに送っていただきました。

a0285828_14385307.jpg


この坪内さんの記事で紹介されていたのが新宿で開かれていた山高さんの展示会。ただしそれは先月の21日で終了。

ただ、明後日6月9日から今度は神田の古書会館で山高登・玉手箱 展というのが開かれるんですね。この展示会にはYさんの本も40冊くらい展示されるとのこと。僕が見つけた本もあるかな。

なんだか山高登さんの時代が来ていますね。


ところで今朝、録画していた成瀬巳喜男の『女が階段を上る時』を見ていたらこんなシーンが出てきてびっくり。

すぐに場所がわかりました。佃の渡し。

a0285828_14390386.jpg


山高さんの『東京の編集者』の表紙に使われた写真と全く同じ風景。

a0285828_14392769.jpg


[PR]
# by hinaseno | 2017-06-07 14:39 | 雑記 | Comments(0)

タイトルが「再びニコライ堂」となっていますが、別に銀座からニコライ堂に戻ったわけではありません。前にニコライ堂のことを書いた後で、いくつかニコライ堂に関する興味深いものが見つかって、それについて書きたいと思っていたところに、なんと昨日紹介した「大瀧詠一的2009」で、平川さんがニコライ堂に関するびっくりするような話をされていたんですね。

その話が出たのは、大瀧さんに聞き込み調査のことを聞く直前。その前に石川さんが日本という国は記録などを大事にせず、むしろ民間が持っているものに貴重なものが多く含まれているという話をしたのを受けてのこと。


「民間にすごいのがいるね。あそこのニコライ堂を、最初木組みで建てていってだんだん建ちあがっていくじゃないですか。あれを全部写真に残している人がいて。で、全部骨組みができたときにニコライ堂の上から周囲を全部カメラで撮影したという、それがあるんですよ、今。僕、その本もらったんだけど、神田の…、これは是非見てください、これはね。当時の秋葉原とか全部出てんですよ。要するにあきばっぱら(秋葉ツ原)なんですよ。あのへんがね」


この本、なんだろうかと調べたんですがよくわからない。どうやら市販されているものではなさそう。この本、見てみたいです。どんな風景が映っているんだろう。


さて、今は東京に行った時の写真やそれに関連する写真を整理しながらこれを書いているのですが、先日パソコン内のアルバムで見つけたのがこの写真でした。

a0285828_13180961.png


成瀬巳喜男の『稲妻』のワンシーン。高峰秀子さんが歩いている後ろにニコライ堂が大きく映っています。で、今は土地勘がかなりできているので、このシーンがどこで撮影されたかすぐにわかりました。

ニコライ堂の前の紅梅坂を西に行って日本大学歯学部付属歯科病院の横の路地を入ったところ。残念ながらここまでは行かなかったので、例によってストリートビューの写真を。ストリートビューはかなりの広角で撮影されているので、ニコライ堂は実際よりは小さく見えています。

a0285828_13182671.png


ところで『稲妻』が公開されたのは1952年。『銀座化粧』の翌年ですが、興味深いのはやはりニコライ堂が大きく映された小津の『麦秋』の翌年でもあるんですね。小津への意識があったのか、ちょっと興味深いところ。でも、成瀬の映し出す風景は小津と違って生活感がありますね。


それから、もうひとつニコライ堂の貴重な写真を。なんとあの松本竣介がニコライ堂をカメラで撮影していたんですね。この写真を見つけたのは『松本竣介 線と言葉』という本。実はその写真は『松本竣介展 生誕100年』にも載っていて、そちらは何度も見ていたんですが、写真が小さいために気づかなかったんですね。ニコライ堂が写っているのはこの写真。

a0285828_13184366.jpg


以前紹介した市川崑の『わたしの凡てを』と同じく昌平橋のあたりから写したもののようです。松本竣介はこういう写真をもとにして絵を描いているんですね。


それからもう一枚昌平橋でとった写真。これはニコライ堂は写っていませんが、あの山高登さんが「まるでジオラマで作られたような風景」と書いていた場所ですね。竣介もこういう場所が好きなんですね。ここからの風景を描いているんでしょうか。

a0285828_13190137.jpg


さて、その山高登さんも自らが撮影した写真を元にして版画を作っていた人。僕が新宿へ行ったのは新宿で開かれていた山高登さんの写真&版画展を見るためでした。


a0285828_13191388.jpg


[PR]
# by hinaseno | 2017-06-06 13:19 | 雑記 | Comments(0)

久しぶりにこれを聞きました。2009年の暮れに収録された「大瀧詠一的2009」。録音された場所は築地。話の中心はもちろん大瀧さんが2年余りにわたって研究してきた成瀬巳喜男の『秋立ちぬ』と『銀座化粧』のロケ地巡りの話。内田先生と石川さんと平川さんの3人は、この対談の前に大瀧さんから『東京人』2009年11月号に載ったものとは別の、さらに詳しい資料を渡されていたんですね。


この対談をはじめて聞いたときには語られていたことのほとんどはちんぷんかんぷん(でも、大瀧さんの話は内容がさっぱりわからなくてもおもしろいけど)。その後『銀座化粧』を見て、さらに『秋立ちぬ』も見て、築地のあたりの地図を見たりしながら知識が増えてきて、聞き返すたびに少しずつ話の内容がわかってきたのですが、今回、新富橋まで行ってあのあたりの風景を見てようやくほぼ全ての話が理解できるようになりました。でも、改めて、やっぱり何度聞いてもおもしろいですね。同じところで何度も笑ってしまうし、何度も感心してしまう。

そういえばこの対談で、大瀧さんは新富橋の下の首都高を車で何度か走ったと言っていました。かつて新富橋の下にボートの発着所があったので(『銀座化粧』に映っています)そのボートに乗った感じを知りたいということで車で走ったそうです。風景という”カラオケ”のなかをいろんな登場人物になって動いてみる。やることが徹底しています。

大瀧さんはとにかくこのあたりの路地という路地をしらみつぶしに歩いたようで、古そうな家があれば訪ねていって話を聞いています。というわけで僕も新富橋のあたりの古そうな家を見つけては、大瀧さんが訪ねたのではないかと考えながら町を歩きました。

a0285828_14392279.jpg

a0285828_14393403.jpg


家に戻って確かめたら、下の大野屋は『東京人』に掲載された古い写真に写っていました。


ところで「大瀧詠一的2009」では、その大瀧さんの聞き込み調査についての平川さんとのおもしろいやり取りがあったので紹介します。もちろん実際のしゃべりを聞いたほうがおもしろいです。爆笑の連続。


平川:取材をかなりしてらっしゃって、聞き込みをやってるじゃないですか。刑事みたいな。
大瀧:刑事みたいって…、志村喬じゃないんだから。
平川:あれはどんな感じでやったんですか。下から出てったっていう…?
大瀧:まあ、いや、下から出ていったっていう言い方はちょっと。上からの物言いだとね…。
平川:相手は、”あの””あの”大瀧詠一だとはわからないわけですよね。
大瀧:だって「あの」って通じるのはさ、ここの一人か二人くらいのもんだよ。「あの」で通じたらこんな楽なことはないよ。
一同:大爆笑
大瀧:だいたい世の中、たとえば今の主流はって答えられない人が何割かいるのに、「あの」だけで通用する人、どれだけいるの。分野分野の中での「あの」はいるのかもしれないけど、ましてや普通の町へ降りて行って…。
石川:下からでなく普通にでしょ。
大瀧:普通だけど頼み込むわけだから、やっぱり横柄な態度では当然いけないわけですよね。
平川:でも、ここがこうだったんですかとかいうのを聞くときに写真かなんかを。
大瀧:持って行きますよ。
平川:映画のワンカットの写真をみせながら?
大瀧:そうです。DVDも持って行って、プリントしたものも持って行ってお話聞いてっていうことをしましたけど。
平川:相手は大学の先生かなんかだと最初は思うんですかね?
大瀧:う~ん。
平川:あるいは市役所の。
内田:(笑)市役所じゃないと思うけどな。
平川:地上げの調査をしている…(笑)。
大瀧:まあ、そういうようなこともお店なんかだとね、そういうこともあって訝しげに最初は見られるということはどこでもありますけど、それはまあ当然のことだと思うんだけど。それはちゃんとそういうようなことでやっていますけどね。
平川:なるほど。

いちばん笑ってしまうのは、このときには「あの」大瀧詠一と、「あの」を強調していた平川さんが、実は他の二人とは違って大瀧さんのことをほとんど知らなくて、最初は「このおっさん誰なんだ」って感じで僕たち大瀧信者にとっては考えられないような失礼な(?)言動をいくつもされていたのに。でも、この成瀬研究を知ったあたりから「このおっさん、ただものではない」と思い始めるんですね。で、このとき大瀧さんから冗談交じりに聞き込みの仕方を聞いた平川さんが、数年後に同じような調査をされたわけですからおもしろいものです。


ところで僕は地図を見ながら新富橋周辺を30分近く歩いていたわけですが、ある重要なことを見落としていたことに昨日気がついて唖然。すぐ近くに地下鉄の新富町駅があったんですね。そこから東京メトロに乗っていれば乗り換えが一つくらいで新宿に行けたのに、僕はわざわざ和光のそばの銀座駅まで戻ったんです。

なにやってんだか、でした。


[PR]
# by hinaseno | 2017-06-05 14:42 | 雑記 | Comments(0)

川本三郎さんと大瀧さんの2ショットが載った『東京人』2009年11月号で、大瀧さんは『秋立ちぬ』と『銀座化粧』についてこんな興味深いことを語っていました。


二作品を見比べて、ひとつ思いつきました。主人公を抜いた風景を作ったらどうか……。つまり「映画カラオケ」です。カラオケに歌手がいないように、映画の場面から役者を抜いてバーチャルな世界を作り、登場人物の視線でその世界を歩く。約50年、60年前の東京を歩いた結果、この二作品は約10年という時期を経て、レコードでいうならばA面とB面、続編でもあり姉妹編でもあるということがわかりました。「母ひとり子ひとり」という同じ設定のほか、さまざまなところでシンメトリックな構造になっています。今回お話しするのは、その体験談です。


ただのロケ地めぐりとは全然違うんですね。視点というか、着眼点が独特。きっと制作スタイルが自分と重なっていたんでしょうね。だからこそいくつもの驚くような発見があったわけです。

で、この2つの映画のシンボルというべき場所が新富橋でした。2つの映画に映された風景の中で、唯一同じ場所であったということもありますが、なによりもそこが物語の重要な場所だったんですね。

とりわけ『秋立ちぬ』で少年(秀男)と少女(順子)がはじめて出会うのがまさにこの新富橋の上。

a0285828_12314583.jpg


現在の風景と重ねてみるとこうなります。

a0285828_12325189.jpg


こちら側には当時の面影は何も残っていません。新富橋という橋は残っているものの、その下には築地川の流れはなく、なんと首都高速が走っていました。なんともはや。


ところでこれは映画のワンシーンではないのですが『秋立ちぬ』のスチール写真。新富橋の上で遊ぶ秀男と順子をとらえたもの。

a0285828_12330511.jpg


この写真の向こう側、つまり新富橋の東詰に見える看板に書かれているのが「宝来園茶舗」。看板の位置は変わっているものの「宝来園茶舗」は今も残っていて、大瀧さんと川本さんはその「宝来園茶舗」の看板の前で写真を撮っていたんですね。

僕も新富橋以上にこの「宝来園茶舗」の看板が見えたときがたまらなくうれしかったです。ああ、なくなっていなかったと。

これが現在の風景と重ねたもの。ここからだと現在の「宝来園茶舗」の看板は見づらいけど。

a0285828_12332622.jpg


さて、『秋立ちぬ』では「宝来園茶舗」の看板は映っていませんが、『銀座化粧』では坊やの背後にはっきりと「宝来園茶舗」の看板が映ります。

a0285828_12335218.png


ただしよくみると『秋立ちぬ』のスチールに写っている看板とはちがっています。字が右から読むようになっています。

『銀座化粧』の坊や(春雄)はこのあと橋の反対側に行って、『秋立ちぬ』の少年と少女が出会ったあたりで、橋の欄干から築地川を覗き込みます。そのとき彼もある人物に出会うことになります。

これがその人物が近づいてくるところ。

a0285828_12341268.png


で、映ったのがこの人。

a0285828_12342503.png


三島雅夫という俳優。映画では藤村(ふじむら)という役名で出ているんですが、この坊やの母親である田中絹代に何度も金の無心にやってくる情けない男の役。子供にちょっとした小遣いもあげることができない。


実は、昨日ブログを書いた後でちょっとおもしろいことに気がついたんですね。思わずニンマリしまいました。

この三島雅夫は『銀座化粧』の2年前の映画である小津の『晩春』にも出演しているんですね。それがまさに、あの服部時計店で原節子と会った(昨日映画を確認したら、待ち合わせをしていたわけではなくたまたま出会ったようです)あの「きたならしい」「不潔な」おじさま。ただし、こちらの役は大学の教授。原節子に「きたならしい」「不潔」と言われたのは再婚をしたから。

笑ってしまったのは原節子と会った時の服装。『銀座化粧』での服装とほとんどいっしょなんですね。ハンチング帽は同じもの?

a0285828_12344928.png


a0285828_12350865.png

まるで、原節子さんと服部時計店の近くで食事をして別れた後にそのままこの新富橋にやってきたみたい(やってきた方角は違うけど)。服部時計店の近くでは高級そうな料理屋で食事をしていたのに(もちろん原さんに食事をおごったはず)、そこからほんの10数分の間にいつの間にか貧乏になって、小さな子供のお小遣いすらあげることができない情けない男になってしまったんですね。


ところで『銀座化粧』での三島雅夫の役名の「藤村(ふじむら)」というのはあの泰明小学校出身の島崎藤村からとったのではないかと大瀧さんは考えています。成瀬が映画に島崎藤村を絡めていると。映画では『藤村詩集』についてのちょっとおもしろいやり取りが出てきます。

このあたりの分析もやはり大瀧さん自身の制作スタイルに重ね合わせて考えているんでしょうね。


[PR]
# by hinaseno | 2017-06-04 12:35 | 雑記 | Comments(0)