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Talks About Music, Books, Cinema ... and Niagara


by hinaseno

「未来門」のすぐそばに


昨夜、アゲインの石川さんと電話。いろんな話をしましたが、中でも驚いたのは、僕がブログに貼った例の「未来門」の写真に、つい先日のアゲインでのイベントに参加されていた方の店が写っていたとの話。

その方に、僕のブログに載っている写真を見せて「これ、君の店だろう」と言われたそうです。店の名前をうかがったら確かに写ってました。

こんな偶然信じられます? びっくりすぎますよね。

とはいいつつ、石川さんも僕も、もうこんなことには慣れっこになっているので、結構普通に話していましたが、後で考えたらやはりこれはすごすぎる話だなと。

ただ、僕の推測が正しければ、その方の店は例の「サロン ひとみ」の隣の「○○モーター商会」と書かれている場所ということになるのですが、○○と現在そこにある店の名前(その方の名前をそのまま店の名前にしています)が違っていることは確認していました。その方のお店は代々続いているとのことなので僕の推測は外れていた可能性もあるのかなと思いますが果たして。その方がそのあたりの古い写真をお持ちであれば一番いいのですが。

いずれにしてもいつかは未来門をくぐって新田神社にお参りしておかなくてはならないような気がしてきました。


ところで偶然といえば、僕が武蔵新田に関する話を書く前にブログで長々と書いていたのはロス・バグダサリアンというアーティストのこと。

先日、久しぶりに中古レコード屋さんに行ったら、棚の目立つところにこのレコードが置かれていてびっくり。

「未来門」のすぐそばに_a0285828_13504906.jpg

『The Mixed-Up World of BAGDASARIAN』というアルバム。ロス・バグダサリアン名義のたぶん唯一のこのアルバムが出ていたことは調べていて、海外のサイトに注文しようかと考えたりもしていたのですが、まさかこんな形で出会うとは、でした。

なかなか面白いジャケットですが(手前に写っているのはエリマキトカゲですね)内容はイマイチでした。彼の地声は正直あまり魅力的なものではありません。


# by hinaseno | 2017-01-18 13:52 | 雑記 | Comments(0)

長らく続いたこのシリーズの話も今日が最後。何度あのあたりの地図(ストリートビュー)を見たことだろう。おかげでもし今、武蔵新田駅に降り立ってもスマホのナビを使わずにティールグリーンに行けるし、武蔵新田の商店街を通って新田神社にも行く自信があります。


さて、『銀座二十四帖』の「サロン ひとみ」のあった場所のこと。

そういえば「大瀧詠一的手法で」とかいいながらちっともそれをしていませんでした。もちろん大瀧詠一的手法を使わなくても戦後すぐのこのあたりの住宅地図があって「サロン ひとみ」を見つけることができればそれで決まり。でも、たぶんこの「サロン ひとみ」の電飾看板は映画用に取り付けた可能性が高そう。


ちなみに大瀧詠一的手法というのは、まず映画の静止画像をキャプチャーして、その中にあるあらゆる情報を読み取っていくというもの。

まずはこのシーン。

武蔵新田からナイアガラ・トライアングル・ステーションへ(最終回)_a0285828_12574167.png

いくつか看板が見えますね。これを拡大したり、目を細めたりしながら読み取ります。いちばん気になるのは「サロン ひとみ」の真向かいにある店。

電柱に取り付けられた「食料品」という字の下に店の名前がうっすらと。どうやら「朝日屋」。で、角度が斜めになっていてちょっと見づらいものの店舗の正面に大きく取り付けられている看板も「朝日屋食料品店」と読めそうです。その向こうの店の前に取り付けられている看板は「○○川洋服店」と読めそう。


次にこのシーン。

武蔵新田からナイアガラ・トライアングル・ステーションへ(最終回)_a0285828_14185997.png

電柱の看板は「芝村税理事務所」と読めます。すぐ近くにあったものなのかどうかはわかりません。「サロン ひとみ」の向こうの店は「○○モーター商会」。「三原」とも読めそうだけど、ちょっとわからない。


これらの看板は簡単に取り付けられるものではないので、おそらく当時商店街に実際にあったはずの店。でも、残念ながらこれらの名前の店はこのあたりには見当たりませんでした。でも、古い住宅地図を見ればすぐにわかりそうですが、ただ、いきなりそれを見るのは面白くもなんともない。

僕もそうですが、きっと大滝さんも住宅地図を調べるのは最後の最後にしたはず。ある程度予想を立てて、そこを歩いてみて、それから最後の確認のために住宅地図を調べたはず。

とはいうものの実際に歩くことができないので途方に暮れてしまう。ストリートビューでも限界があるし。


ふと例の『東京人』の大瀧さんと川本三郎さんとの対談でのこんな会話を思い出しました。


川本:気になる場面を静止画像で確認して、実際にその場所に足を運ばれたわけですね。
大瀧:そうです。ロケ場所を確認することで、はじめて自分でその世界を動くことができました。(で、大瀧さんはいくつかのシーンの細かい部分を川本さんに説明)
川本:これは静止画像にしないと、わかりませんね。
大瀧:「木を見て森を見ず」と言われそうですが(笑)、たとえば木村伊兵衛の一枚の写真を見て、そこから膨大な情報を得るのと同じです。

これを読み返して重要なものを見落としていたことに気づきました。それは「木」。

「森」、というか実際には街並みばかり見ていて「木」を見ていなかったと。改めて上の写真を見ると新田銀座のアーチの向こうにかなり高い木が見えます。何度か商店街をストリートビューで歩いていたので、あっと気づきました。

これは新田神社の木!


もしや。と思って、平川克美さんの隣町探偵で知った例の「未来門」を撮ったこの写真を見返しました。

武蔵新田からナイアガラ・トライアングル・ステーションへ(最終回)_a0285828_12595032.png

新田神社は右手にありますが、そのあたりに高い木が見えます。ただ、映画には左手にも高い木があります。

で、改めて新田神社の前までストリートビューを使って歩いてみたら、道を挟んだ向かいにもそこそこ高い木が生えていることがわかりました。現在はマンションが建てられたためにそこにあったはずの高い木が切り倒されたのではないかと。

で、改めて考えたらこの「未来門」のアーチの立っている場所がまさに映画の「新田銀座」のアーチのある場所では。

よくみたら映画のシーンではアーチのすぐ下に道が横切っているのが見えるのですが、現在のアーチの下あたりにも道がありました。

そしてさらにびっくりしたのは、ストリートビューでもう少し下がって「未来門」をとらえたこの風景。

武蔵新田からナイアガラ・トライアングル・ステーションへ(最終回)_a0285828_12551870.png

右に見える現在「さわやか整骨院」となっている建物があの「サロン ひとみ」にそっくり。ちなみにこれは2009年のストリートビューの画像。

武蔵新田からナイアガラ・トライアングル・ステーションへ(最終回)_a0285828_12555376.png

「さわやか整骨院」の場所はシャッターが降りていて、正面から見ると「肉の大田屋」も文字がうっすらと。

武蔵新田からナイアガラ・トライアングル・ステーションへ(最終回)_a0285828_12562620.png

2階の窓のあたりなど、何度か手を加えた跡が見えますが、建物の高さといい、外装の感じといいあの「サロン ひとみ」の痕跡があちこちに見えます。たぶんここがあの場所にちがいありません。この建物がかつてカフェーだったのかどうかはわかりませんが。

ちなみにこれはこのあたりを上空から見た現在の風景。

武蔵新田からナイアガラ・トライアングル・ステーションへ(最終回)_a0285828_12570101.png

水色の丸をした場所にある水色の屋根が「サロン ひとみ」があったと考えられる現在の「さわやか整骨院」の場所。水色の丸の左上あたりに「未来門」のアーチがあります。で、その上の木の生い茂った場所が新田神社。

写真の手前にある大きな建物は「マルエツ」。この左手あたりにカフェー街があったようです。カフェー街のすぐ近くだったんですね。


というわけで、あとは古い住宅地図で確認できたらとは思いますが、まず推測は間違いないはず。結果的には大瀧さんの「木を見て森を見ず」という言葉と平川さんが目に留めた「未来門」に助けられました。


いつかここを歩いて見たいですね。本物の「銀座」を歩くよりもこちらの商店街を歩いた方がはるかに楽しいだろうな。


# by hinaseno | 2017-01-17 12:58 | 雑記 | Comments(0)

『銀座二十四帖』で、新田銀座が映る最初のシーンの場所は推測できましたが、問題はその次に映るこのシーンの場所。

武蔵新田からナイアガラ・トライアングル・ステーションへ(その9)_a0285828_12574167.png

いろんな看板が目に入りますが、すぐに目がいくのは武蔵新田と書かれたアーチ以外で唯一電飾の看板が使われている右側の「サロン ひとみ」。この建物から朝帰りする若い男が出てきて、次に2階の窓から下着姿の女性が声をかけます。

武蔵新田からナイアガラ・トライアングル・ステーションへ(その9)_a0285828_14185997.png

ここはカフェーで男はこの店の常連であることがわかります(直前のカエルのカットとつながってるようですね。説明はしないけど)。


武蔵新田にカフェー街があったことはやはり川本三郎さんの『東京の空の下、今日も町歩き』にも触れられています。川本さんが武蔵新田の商店街を歩きながら探していたのはかつてカフェー街があった場所。


 このあたりはまた、戦時中から戦後にかけてカフェー街があったので知られる。洲崎の業者が昭和20年の7月、敗戦直前に、この地に移ってきて開業した。工場で働く”産業戦士”の遊び場所となった。
 終戦後は羽田に駐留したGIたちがジープで遊びに来た。そば屋(昼食をとった浅野屋のいうそば屋)のご主人によると30数間の店があったという。

でも、どうやらカフェー街を見つけられなかったようなので川本さんがどうされたかというと、


 地元の人にこういうことを聞くのは少しはばかられたが、思い切って聞いてみると、そば屋のご主人は気軽に「そこのマルエツの奥だ」と教えてくれた。

で、言われた場所に行ってみて、2軒ほどそれらしい家を見つけます。実は単行本には写真はないのですが、『東京人』にはそこで撮った写真が掲載されています。

武蔵新田からナイアガラ・トライアングル・ステーションへ(その9)_a0285828_14204542.jpg

こんな建物の2階から女性が男に声をかけていたんですね。

ところでマルエツというスーパーはまだありました。ただ、ストリービューでいろいろ歩いてみましたが川本さんが撮影した建物は見当たりません。

実は平川克美さんが武蔵新田を歩いたのもこのカフェー街を探すため。川本さんが行かれてから10年の歳月が流れているので、建物は一軒も残っていなかったようです。


ところで、『銀座二十四帖』では森繁のナレーションで「銀座は銀座と言ってもここは東京郊外にある有名な多摩川新田銀座」と語られるのですが、この「有名な」というのはカフェー街があったことで有名だということだったんでしょうね。考えてみたら監督の川島雄三は『銀座二十四帖』の翌年に洲崎の遊郭を舞台にした映画『洲崎パラダイス赤信号』を撮っているので赤線についてはかなり詳しく調べていたはず。武蔵新田を映画に使ったのはそういう背景がありそうです。


そういえば、何度か紹介している小津の『早春』で語られる杉村春子の言葉。この淡島千景と語るシーン。夫の浮気の話ですね。

武蔵新田からナイアガラ・トライアングル・ステーションへ(その9)_a0285828_14214651.png


「(小指を出して)これ……、駅向うの川っぷちにカフェーがあるでしょ。あたし、あそこだとばっかり思ってたら、そのとなりの玉突き屋のゲーム取りだったの。それを火の見の傍のアパートに住まはしてたのよ。その時分、うち矢口に住んでいたでしょ」


この矢口というのは武蔵新田の商店街があるあたりの地名。ここで語られていたカフェーというのは武蔵新田のカフェー街だったのかもしれません。

面白いことにこの昭和24年(といってもたぶん昭和17~8年ごろ)の地図を見ると、武蔵新田の商店街のある通りの矢口の「矢」の文字のあるあたりに火の見櫓のマークがあります。
武蔵新田からナイアガラ・トライアングル・ステーションへ(その9)_a0285828_14255536.png
僕にとっては縁がありすぎる『早春』に、ちらりとはいえ武蔵新田のことが入り込んでいるとするとちょっとすごすぎますね。


次回は「サロン ひとみ」があった場所を確認してみます。


# by hinaseno | 2017-01-16 14:22 | 雑記 | Comments(2)

ところで、『銀座二十四帖』の冒頭に映っている(と思われる)、かつて武蔵新田駅と慶大のグラウンドの間を、現在の環八に沿うように流れている川なんだろうかと考えて、ふと思い当たることがあって調べたらやはり。

平川さんの隣町探偵で知った六郷用水でした。

「ミシマガジン」のこのページに貼られている地図の分岐する手前の水路を北西に少し辿ったところがまさにあの場所。ここのサイトに六郷用水の詳しい地図が掲載されていますが、それを見ると「南堀(大堀)」という名がついた六郷用水のようです。

それにしてもこの地図を見ると大田区の蒲田のあたりがかつて水郷の町だったことがわかります。

そういえば何度も引用している川本三郎さんの『東京の空の下、今日も町歩き』の「トライアングル・ステーション」について書かれた話のタイトルは「『池上』『千鳥』『蒲田』慎ましく懐かしい、水郷の町の面影」。ということで今もあのあたりを流れている呑川(『シン・ゴジラ』でゴジラが上陸した川でしたっけ)や六郷用水のことが紹介されています。


それにしても(確証はないけど)『銀座二十四帖』に映った川が在りし日の六郷用水であれば、貴重な資料ということになりますね。

武蔵新田からナイアガラ・トライアングル・ステーションへ(その8)_a0285828_13181893.png


# by hinaseno | 2017-01-15 12:53 | 雑記 | Comments(0)

場所を特定するポイントは小さな川と橋、そしてその橋を渡ったところから始まると思われる新田銀座とよばれていた町並み。

『銀座二十四帖』では昨日紹介した場面の次にこんなカットが映ります。

武蔵新田からナイアガラ・トライアングル・ステーションへ(その7)_a0285828_12574167.png

早朝の(と、ナレーションでは説明されていますが、影の方向などを見るとどうやら夕方だろうと思われます。昔の映画ではよくあることですが)薄暗い街並みに電飾で飾られた「新田銀座」と大書きされたアーチに目が行くので、ぼんやり見てると前と同じ場所のように思ってしまいますが、実は違う場所。どうやらそこは新田銀座と書かれたアーチがいくつか立っている街並みということになります。

つまり銀座というのは商店街の別名ですね。僕の町にも「〇〇商店街」ではなく「〇〇銀座」というアーチが飾られた商店街がありました。銀座という言葉を最初に覚えたのはその商店街だったので、初めて東京に銀座という街があることを知ったときにはびっくりしたものでした。


さて、武蔵新田の商店街といえば、平川克美さんが隣町探偵で歩かれた場所。”アーチ”の話も出てきます。

平川さんが池上線の荏原中延駅近くでされている隣町珈琲のサイトの「隣町珈琲とは」を見たら、最初の隣町探偵の場所が武蔵新田だと書かれていました。平川さんにとっての”わが町”は久が原、千鳥町、下丸子で、武蔵新田は隣町。そういえば下丸子に住んでいた内田先生とは小学校が同じだったようですが、武蔵新田に住んでいた石川さんは別の小学校に通っていて、中学で同じ学校になったんですね。


さて、平川さんにとってははじめての隣町探偵である武蔵新田。平川さんのブログを見ると2013年1月20日に行かれたようです。ちょうど4年前。この日平川さんたちが探そうとしたのは昔、武蔵新田にあった遊郭跡。『路地裏人生論』にこんな話が出てきます。


久々に訪れた武蔵新田には、もう映画館はなくなっていた。遊郭跡もうまく探し出すことができなかった。そのまま引き返そうかと思ったのだが、新田神社だけはお参りしておこうということで、商店街を歩いた。入り口には「ふれ愛」というアーチ。なるほどふれあい商店街なのかと思っていると、次に「未来門」のアーチ。金魚屋や量り売りの看板のある酒屋の商店街を歩いていると出口付近で「希望門」のアーチにぶつかる。その、未来と希望のあいだに新田神社がある。

これを読んだ僕はもちろんストリートビューを使って商店街をバーチャルウォークしました。

これが現在の地図。

武蔵新田からナイアガラ・トライアングル・ステーションへ(その7)_a0285828_12582711.png

この「ふれ愛」と書かれたアーチがあるのは地図の緑で丸をした場所。

武蔵新田からナイアガラ・トライアングル・ステーションへ(その7)_a0285828_12590027.png

ここからオレンジの矢印で示した道を南に向かうと「未来門」、

武蔵新田からナイアガラ・トライアングル・ステーションへ(その7)_a0285828_12595032.png

そして「希望門」のアーチに出会います。新田神社は「未来」と「希望」の間。

武蔵新田からナイアガラ・トライアングル・ステーションへ(その7)_a0285828_13004074.png

ところで平川さんは「ふれ愛」というアーチが商店街の入り口と書いていますが、実は商店街はやや角度を変えて武蔵新田駅の方にも伸びていて、どうやら商店街の入り口は環八の南側のようでそこには「発展門」と書かれたアーチ。上の地図で青で丸をした場所。

武蔵新田からナイアガラ・トライアングル・ステーションへ(その7)_a0285828_13021464.png

「発展門」「ふれ愛」「未来門」「希望門」。考えたら「ふれ愛」だけが変ですね。それはさておき、この環八で分断された形になっていますが、環八を渡ったあたりも商店街の名残のような場所があります。おそらく環八ができる以前の本来の商店街の入り口は赤で丸をした場所ではないかと思います

で、その辺りの昭和30年代初頭の地図がこれ。

武蔵新田からナイアガラ・トライアングル・ステーションへ(その7)_a0285828_13094978.jpg

今はなくなっている川と橋を確認することができます。前回紹介したこのシーンはこの赤丸のあたりで撮影されたはず。新田銀座と書かれたアーチは黄色で示した場所でしょうね。

武蔵新田からナイアガラ・トライアングル・ステーションへ(その7)_a0285828_13192488.png

で、この映像の農夫が歩いてきているのは青い矢印で示した場所ということになりそうです。

武蔵新田からナイアガラ・トライアングル・ステーションへ(その7)_a0285828_13181893.png

ちなみにその青い矢印の上の整然とした街並みはあの慶應の野球場があった場所!この農夫はそのすぐそばを歩いていたんですね。


# by hinaseno | 2017-01-13 13:01 | 雑記 | Comments(0)