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Talks About Music, Books, Cinema ... and Niagara


by hinaseno

アゲインの石川さんから、アゲイン10周年を記念して作られたCDを送っていただきました。今日はそのCDの話。近いうちにアゲインに行かれる予定のある方はCDを手にされた後で読んでください。


収録されているのは全部で19曲。最初は曲のリストを見ないで聴きました。僕のよく知っている話につながる曲もあれば、そうでない曲もあって、おっと思ったり、へえ〜と思ったり。

いつものテーマソングの次は大瀧さんかと石川さんをつなぐきっかけとなったデイヴ・クラーク・ファイヴの「I Miss You」。そして次はもちろん大瀧さんの曲。そこで選ばれていたのが前回紹介した大瀧さんの「私の天竺(私の青空)」でした。いかにあの日のイベントが石川さんにとって重要なものであったかがわかります。

その後も、ジャック・ケラー作曲の「Beats There A Heart So True」(野口久和ビッグバンドの演奏したもの!)やハリー・ウォーレン作曲の「The More I See You」など、嬉しい曲がいくつも続きます。アゲインで収録された伊藤銀次さんの「ウキウキWatching」も最高。

そんな中、とりわけおっと思ったのはマイクロスターの「My Baby」。この曲の開放感ったらないですね。聴いたのは久しぶりだったんですが、とにかく天国的に素晴らしい曲ですね。

そして、最後から2曲目に収録されたのが村田和人さんの「Hello Again」の替え歌の「Cafe Again」。これはもう涙なくして聴けません。2年前にアゲインが8周年を迎えた時に、アゲインで定期的にライヴをされていた村田さんが石川さんのために歌ったもの。貴重すぎる音源です。この曲のことは知っていましたが、聴けたのははじめて。村田さんはその翌年、アゲインが9周年を迎える前に亡くなられたので、余計にこの曲を聴くと心が震えてしまいます。

さて、その曲。原曲はこれです。




で、その替え歌である「Cafe Again」の歌詞はこうなっています。どんなふうに歌詞が変えられているか、原曲を聴きながら読んでみてください。


想い出だけは今でも この店にある 
いつも出てた ライブカフェ 今年8年目
時の流れより早く変わるのは 
店のメニューと街の景色 
あの頃のお客さん 懐かしい顔がある 
古ぼけた 蓄音機 抱えて鳴らせば
 
徹夜して準備した New Badge 君だけに
あげたくて Telephone Call 覚えているかい 
違う時を過ごしている二人でも 
同じライブを観に行ったね 懐かしいフレーズが休憩を告げてくる 
少しだけお菓子買おう 笑顔にCafe Again
 
時の流れは戻せないね
 
新しいドリンクに もう君は慣れた頃 
繰り返すオーダーと あの声にSay Goodbye
懐かしいフレーズが 休憩を告げてくる 
少しだけお菓子買おう 想い出にCafe Again
Say hello and say goodbye with love with regret…


この替え歌の歌詞を書かれたのは石川さん。石川さんらしいユーモアに溢れた歌詞になっていて、何度も笑い声が起こっていました。

特に一番大きな笑いが起こったのは「時の流れより早く変わるのは店のメニューと街の景色」の部分。でも、今、武蔵小山はアゲインのメニュー以上に街の景色が激変しているんですね。

ところで歌詞に「徹夜して準備した New Badge」というのが出てきますが、その10周年のニューバッジもいただきました。

時の流れより早く変わるのは店のメニューと街の景色_a0285828_13230386.jpg

# by hinaseno | 2017-03-13 13:30 | 音楽 | Comments(0)

私の青空


今日は3.11。3月は記憶すべき大事な日がたくさんありますね。3月15日はアゲインの開店記念日。そして3月21日はナイアガラ・デイ。

震災の起きた年のナイアガラ・デイ前日の2011年3月20日、武蔵小山のアゲインでは予定通りナイアガラ・デイを祝うイベントが行われました。自粛ムードが広がって、大瀧さんがらみのイベントもいくつかは中止される中での開催。

そのイベントがあった日はまだ、アゲインの石川さんとメールや電話のやりとりをできるようになる前のことでしたが、心はアゲインにとんでいました。その日のアゲインのイベントのゲストは平川克美さん。その頃平川さんは父親の介護の日々を送られていて数日前に父親の胃ろうの手術をされたばかり。その平川さんが父親の介護のことを記した『俺に似たひと』に、その日のアゲインでのイベントの話が出てきます。


 ……かれらが福島第一原子力発電所に入って大活躍した日の翌日、友人の石川茂樹が武蔵小山でやっているライブカフェ「アゲイン」で、ちょっとしたイベントがあった。
 石川は、俺が内田樹らと興した翻訳会社のほぼ創立メンバーで、最後までこの会社の専務として働いてくれた竹馬の友である。俺が会社を辞めると、しばらくして彼も会社を去り、武蔵小山駅前でライブカフェを開いた。この日は四周年記念日であり、大瀧詠一さんの「ロング・バケーション」三十周年記念アルバム発売日ということで、俺にも何かやってくれないかとの打診があった。会場には、大瀧詠一さんのファン(大瀧さんが1974年につくったレーベル、「ナイアガラ」にちなんで、ナイアガラーと呼ばれている)が全国から集まってきていた。全国からといっても二十名ほどなのだが、そのなかには福島原発から二十キロ圏内の相馬にご実家のある方が駆けつけてくれていて、現地の状況をスライドで見せてくれた。彼も熱烈なナイアガラーのひとりだった。
 俺は場違いな人間であったが、石川くんの求めに応じて、移行期的混乱のこと、進行中の原子力発電所の事故に関して、自分が日頃感じていることなどを話した。意外にも、ナイアガラーの諸君は熱心に俺の話を聴いてくれた。 
 俺の話が終わると、大瀧詠一さんゆかりの曲が、会場に流された。そのなかに大瀧さんが歌う「私の青空」があった。
 その歌は、俺にとっては特別な歌だった。
 もともとは、アメリカでつくられ、1920年代に大ヒットして以来スタンダードナンバーとなった「マイ・ブルー・ヘブン」という曲である。日本語にしたのは堀内敬三で、二村定一、天野喜久代の歌唱によりコロムビアから発売された。
 1920年代の発売であったが、以後時代を越えて多くの日本人歌手がこの歌をカヴァーしてきた。エノケンこと榎本健一が中心となって合唱する映像や、「上海バンスキング」での吉田日出子の歌声も印象的なものであった。特に、俺と同じ年の破天荒な酔っ払いである高田渡のライブ演奏を映画で見たときは、心が震えた。
 日本で歌い継がれた理由はその曲調にもあったが、なによりも堀内敬三の詞が、当時の日本人の生活にぴったりと合致したからだろう。小市民的な幸福を歌った歌詞だが、昭和初期の日本を生きてきたものなら誰もがこの歌が指し示す「家庭の幸福」に、痺れるような懐かしさを覚えるだろう。
 その理由は、今はもうそれが失われて久しいというところにあるのかもしれない。「日暮れて辿るは、我が家の細道」というところを聞くと、俺も父親と歩いた銭湯帰りの光景を思い浮かべてしまう。不思議なことに、この歌は状況が悪ければ悪いほど身に染みるのである。デスペレートな空気のなかで、なお湿度と温度を吹き込んでくれる。
 この日の大瀧さんの歌声は、この歌が最初に歌われたクルーナー唱法を思い起こさせてくれた。そして、感傷を排除して歌えば歌うほど、身に染みるということも。俺は手元の携帯電話からツイートした。

3月20日(日)15:32
 大瀧さんの私の青空がかかっている。滲みる。

 その晩、自宅へ戻ってパソコンを開くと、くだんのナイアガラーくんから俺の話が的確で、意義のある会話ができたとの返信があった。そして「よかったですね。私の青空」と書き添えてられていた。
(中略)
「アゲイン」でのイベントが終了して、俺はその足で病院へ向かった。
 届かないことを承知で、「どうだい、顔色いいじゃないか」と声をかける。しばらく様子を見てから、おむつと尿とりパットを補給し、汚れ物を持って病院を後にした。
 家に戻る車中で、購入した大瀧詠一さんの「A LONG VACATION(ロンバケ)30th Edition」のCDを聴きながら、これからのことを漠然と考えていた。とはいえ、これからのことが何を意味しているのかよく分からなかった。それは、今のこの生活がいつまで続くのか、あるいはどこかで終止符が打たれるのかということしかないはずだった。それでも、俺はそのようには考えなかった。
 これからは来るのだろうか。それは、どんなこれからなんだろうかーー。
 ただそれだけを漠然と考えていたのである。


というわけで、僕は3.11がやってくると大瀧さんの「私の青空」を聴きたくなります。大瀧さんはあえて「私の天竺」というタイトルにして歌っています。




今日は青空が広がった一日。で、僕もいろいろと「これから」のことを考えていました。漠然としか考えることのできない「これから」のことを。


# by hinaseno | 2017-03-11 18:19 | 雑記 | Comments(0)

ちょっとバタバタと落ち着かない日々。読書もあまりできません。大好きな村上春樹の新刊『騎士団長殺し』を発売日に買ったものの、まだ上巻の半分あたり。まあ、久しぶりの長編小説、急ぐ必要は全くないのでゆっくりと味わっています。そのうちきっと途中でやめられなくなってペースがあがるはずだけど。


さて、ここのところの生活の中心はというと、相変わらずジャック・ケラー。空いた時間はジャック・ケラー絡みの作業をしています。かなりの数の音源を集めたので、とりあえず現段階で何か形にしておこうかと。といっても、集めた音源をただ単純にCDにするだけでは芸がないので、どうしたら面白いものになるかといろいろ考えて、結局7枚組のCDボックスを作ることにしました。ある程度構想が固まって今は選曲中。


そういえば一昨日発見したのがこの「I Miss My Surfer Boy Too」という曲。




歌っているThe Westwoodsというのはジャック・ニッチェの奥さんがリードシンガーをしているグループ。アレンジはもちろんジャック・ニッチェ。レコーディング・スタジオはあのゴールドスター。ということでウォール・オブ・サウンドのサーフィン・ソング。悪かろうはずがありません。只今制作中のCDには文句なしに入る曲。

ところでこの曲、YouTubeから結構手間をかけて取り込んだら、あとになってAceから出ていた『Hey, Beach Girls! Female Surf'n'Drag 1961-1966』というCDに収録されていて、すでにパソコンに取り込んでいたことがわかりました。なにやってんだか。


それにしても選曲って難しいですね。正直言えば、ジェック・ケラーに関してはいい曲の割合は3割前後。超A級と言えるような曲はあまりなくて、B級といってもいいような曲ばかり。さらに言えばいい曲とそうでない曲の線引きが難しいんですね。くだらない曲だと思っても、何度か聴いているうちにどこか愛すべきところを発見してしまう。聴けば聴くほど愛しくなる。

たとえばこのThe Cinderellasというグループの「Yum, Yum, Yum」という曲。




作詞はノエル・シャーマン。つまり「Beats There A Heart So True」と同じコンビによる曲。すごい違いですね。どうってことのない曲と言ったらそれまで。でもどこか捨てがたい魅力がある。大瀧さんの「FUNx4」にも似たところもあったりするので、もしかしたら下敷きのひとつになっているかもしれません(タイトルも「Fun, Fun, Fun」につながるものがあります)。

大瀧さんはジャック・ケラーが自分の体質にいちばん合っていると言ってましたが、こういう曲を聴くとそれがよくわかります。僕はもうすっかり大瀧さんによって体質改善(?)されてしまっているので、こういう曲がなんとも愛しく思えてくるんですね。これも当初は入れる予定はなかったけど、今では外せない曲になってしまいました。


ということでまだまだ選曲の試行錯誤は続きそうです。今月の、できれば3月21日のナイアガラ・デーまでにジャック・ケラー・ボックスを完成させることができるでしょうか。ただ、先日、YouTube、iTunes、アマゾン等でどうしても見つからないもので、でもきっといい曲に違いないという予感のある2枚のシングルを現在海外に注文したので、それがいつ届くかにもよりそうです。


# by hinaseno | 2017-03-10 15:03 | 音楽 | Comments(0)

「粗茶ですが……」


昨日、3月6日は小山清の命日ですね。おひさまゆうびん舎のブログには連翹の花の話が書かれていました。小山清が亡くなったとき庭には連翹の花が咲いていたということ、その連翹は木山捷平が小山清に贈ったという。ちょっと忘れていました。

前者は小沼丹の「連翹」(『埴輪の馬』に収録)というエッセイに、後者は井伏鱒二の「小山清の孤独」(『荻窪風土記』に収録)というエッセイに書かれています。で、久しぶりに、小沼丹の「連翹」を読みました。何度読んでもいい話です。

小山清が井の頭公園の近くに住んでいたときに、家を訪ねて行ったときの話が素敵なのでちょっと紹介します。そのとき小山清は古い家の二階の一部屋を借りていたようで、まだ独身。


その小さな部屋は綺麗に片附いてゐたような気がする。それから、小山さんが茶を出して呉れて、
ーー粗茶ですが……。
 と云つて、自分から可笑しさうに笑つたのを憶えてゐる。普段口数の尠い小山さんが、粗茶ですが、なんて云ふと一種の感じがあつた。
 もう一つ憶えてゐるのは、小さな本棚に本が並んでゐるが、その一冊一冊に小山さんの愛情が籠つてゐるやうに見えたことである。一冊一冊が、大事にされてゐる本と云う顔で並んでゐて、この感じは悪くなかつた。

なんでもないエピソードですが、どちらも小山清の人柄がくっきりと出ていて、なんとも微笑ましいですね。


それはそうと、木山さんが小山清に連翹の木を贈ったことは、木山捷平の何かのエッセイに書かれているんだったっけ? 木山さんのエッセイや小説には、人からいろんな木をもらったり、あげたりする話はよく出てきているけど。また調べてみよう。


# by hinaseno | 2017-03-07 14:32 | 文学 | Comments(0)

昨夜、アゲインの石川さんから電話。なんと例のジャック・ケラー作曲の「Beats There A Heart So True」に関する驚くような情報。石川さんの働きかけがあってこそのことですが、とにかくこれ以上ないうれしい話。僕もこのブログにだれも興味を持たないはずのジャック・ケラーや「Beats There A Heart So True」のことを書いてよかったなと、とにかく感動してしまいました。いや、感動するのはその日、その場所にいられたらのこと。さて、その日、僕は東京のその場所に行くことができるでしょうか。


ところでそのアゲインで、先日、恒例のイベント、出張ブランディンが行われて、どうやら石川さんからの強い働きかけもあって(?)ペリー・コモの「Beats There A Heart So True」がかかったそうです。で、なんとそのときに宮治淳一さんが「2017年はJKの時代」という発言をされたとか。JKというのはもちろんジャック・ケラー(Jack Keller)のこと。ぜひ、宮治さんの力で「JKの時代」をつくって欲しいと思います。僕も陰ながら最大限の応援をします。

さて、僕は例によってこつこつとジャック・ケラーの曲を集める日々を送っています。いちばん頼りにしているのはやはりYouTube。実は昨日も10曲くらいダウンロードしていました。3ヶ月に1度くらいチェックすると以前はなかった音源がアップされていたりするんですね。シングルで全部集めるなんててともできないので本当にありがたいです(音質はひどいものも多いけど)。

それからCDになっている音源があれば、ちょっと怪しいCDでも入手するようにしています。いちばん最近CDで手に入れた音源がホンデルズというサーフィン・ホッドロッド系のグループが歌っている「Winter A-Go-Go」。映画の主題歌として作られた曲ですね。作詞はハワード・グリーンフィールド、作曲がジャック・ケラー。

ここでその映画を前編見ることができますが、そのエンディングあたりで曲が流れます。




いかにもサーフィン・ホッドロッドって感じの曲ですが、途中で胸がキュンとするようなメロディーが出てきます。いい曲。さすがジャック・ケラー。作る曲の幅の広さには本当に驚かされます。

ちなみにジャック・ケラーが生前に自分で作って知人に配ったという4枚組のCDにはなんとこの曲のデモが収録されていたようです。聴いてみたい。


ついでにジャック・ケラーが書いた曲をいくつか紹介します。まずはリタ・パヴォーネというイタリアの女性シンガーが歌ったこの「I Can't Hold Back The Tears」という曲。「ゴー!ゴー!ナイアガラ」の女性ボーカル特集のときにかかっていた曲でした。




♫パイノ、パイノ、パイノ…♫の部分は一度聴いたら耳に残りますね。ジャック・ケラーのリストの載っている曲をYouTubeで調べていたときにこの曲を聴いてどこかで聴いたことがあるなと思ったら、「ゴー!ゴー!ナイアガラ」でかかっていた曲だったんですね。曲が終わった後に大瀧さんも♫パイノ、パイノ、パイノ…♫と歌っていました。

この曲、シングルにはなっていないようでおそらくアルバムのみに収録。CD化もされていないはず。かなりマイナーな曲のようですが、もちろん大瀧さんはジャック・ケラーが作曲した曲とわかった上で曲をかけたはず。ただし、この日の放送では作曲者のコメントはありませんでした。ちなみにこの曲はジャック・ケラー選曲の4枚組のCDには収録されていません。


次はジョージア・ギブズの「You Can Never Get Away from Me」。




これはナイアガラーならば必ず反応するはず。どこかで聴いたことのあるような感じ。とはいってもこの曲を下敷きにして大瀧さんが何かの曲を作ったというわけではなく、曲のテイストがとってもナイアガラ的なんですね。大好きな曲です。ちなみにこれはジャック・ケラー選曲の4枚組のCDに収録されています。


最後にもう一つ好きな曲を。デビー・ウッズ(Debby Woods)という女性シンガーが歌っている「Dream On, Little Fool」。




これ本当にいい曲ですね。大瀧さんがこの曲をご存知だったらきっと気に入られただろうと思います。

ちなみにこのデビー・ウッズというシンガーはたった3枚しかシングルをだしていないのですが、デビュー・シングルでハリー・ウォーレン作曲の「About A Quarter To Nine」という曲を歌っていました。初めて知った曲。




JKとともにHW(ハリー・ウォーレン)の時代が来ることも期待します。


# by hinaseno | 2017-03-06 14:39 | 音楽 | Comments(0)