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Talks About Music, Books, Cinema ... and Niagara


by hinaseno
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228と288


228と288。
この2つの数字がある時期から僕の頭の中でまわり続けています。

9月5日のブログで、僕は姫路時代の木山捷平の最大の謎の場所として、姫路市南畝町288という住所のことを書きました。姫路市内の荒川小学校(後に姫路北部の菅生小学校)に勤務していた木山さんが自費出版で出していた『野人』の昭和2年7月から9月にかけて発行された第1輯から第3輯までの、編輯兼発行者である木山さんの住所と発行所である「野人社」があった住所。そこが姫路市南畝町288です。昭和30年代に姫路市は住所、番地名の変更が行われていますので、今その住所はありません。そしてもちろん戦災でそこにあったはずの建物も今はありません。

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木山捷平は昭和2年に姫路にやってきて小学校で教師として働きはじめているのですが、実はその5年前の大正11年、18歳のときに教師になるために姫路師範学校という全寮制の学校に入って1年間勉強していたのです。
岡山の矢掛中学校を卒業した後、木山さんは早稲田大学の文科への入学を希望しましたが、父親に強く反対され、父親の強いすすめで教員になるよう姫路師範学校に入学したのです。いうまでもなく木山さんは学校に行くのがいやでいやで仕方がなかったようで、何度か学校を脱走しては帰郷したり東京に行ったりします。結局は父親によって学校に戻されることになるのですが。

その大正11年9月24日に、木山さんは郷里の先輩の米山千秋という人に手紙を送っています。不思議なのはその手紙の差出人の住所。姫路師範学校の寮(正確には姫路師範学校南寮14室)にいたはずの木山さんの住所が姫路市南畝町228となっているのです。寮にいた木山さんがなぜ別の住所から手紙を、しかもその住所が『野人』を発行した住所と同じ姫路市南畝町とは。ただし、番地が微妙に違っている。288ではなく228。

228と288。

まるで村上春樹の『1969年のピンボール』に出てくる双子の姉妹のシャツに書かれていた数字みたいですね(ちなみにそれは208と209)。
あるいは小川洋子の『博士の愛した数式』でも取り上げられた、最も小さな友愛数の組み合わせにも似ています(ちなみにそれは220と284)。

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228と288という似通った2つの番地。すぐ近くなのか、それともどちらかが間違って書いたもので、実際には同じ住所なのか。いずれにしても木山さんと南畝町(に住んでいただれか)とのつながりは、木山さんが姫路の師範学校にいた頃にできていたことは確かなようです。
 
木山さんが米山千秋氏に手紙を送ったのは9月。実は木山さんはその少し前の8月頃に師範学校を抜け出して上京し、ある人物を訪ねています。
内藤鋠策(しんさく)という抒情詩社という出版社を作った人。
内藤自身も詩人でいくつもの詩を残しています。木山さんが上京する前年の大正10年には『かなりあ』という詩誌を発行し、それには西條八十や野口雨情らの詩が収められているとのこと。木山さんは姫路にいるときに、何かのきっかけで『かなりあ』を読んだのかもしれません。

木山さんは東京でひと月ほど過ごした後、結局また姫路に戻ってきます。米沢氏への手紙は姫路に戻ってきてすぐ、たぶんまだ師範学校の寮に戻る前に出されたものではないかと思われます。ここにもしかしたら南畝町228あるいは288の秘密があるのかもしれません。そしてその秘密の鍵となるかもしれないのが、木山さんが上京したときに訪ねていき、のちに木山さんの第一詩集を発行した内藤鋠策という人物であるのかもしれません。
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# by hinaseno | 2012-09-17 14:44 | 木山捷平 | Comments(0)

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昨日予測した映画の最後の場面で上りの汽車が走る風景を撮った場所についての補足。
昨日も書きましたが、あの場所には前回三石を訪れたとき、最初に足を運びました。でも、あの方向に目を向けることはありませんでした。その理由は単純です。あの場所から見た上り電車は三石の駅から遠ざかるのではなく、三石の駅に”近づいてくる”ことになるからです。
「早春」では、あの場面が写る前に淡島千景がこうつぶやきます。

「行くわ、汽車」

「やって来たわ、汽車」ではなくて、「行くわ、汽車」。
つまり汽車は映画的には三石駅を出て遠くに去ってくことになっているのです。ですから僕はあの方向ではなく、三石駅から北の方向を眺めました。そして別の場所に行っても、やはり三石駅から北の方向の景色を探しました。そして結局あの映画の風景を見つけることができませんでした。
あの方向は自分にとって盲点だったのです。映画的に三石から汽車が遠ざかっていく風景がとれる場所ではないと。

改めてあの下宿から眺めた汽車の走る風景を。a0285828_19464521.jpgやはり遠ざかって行くようにしか見えません。さて、ここには何らかのトリックがあるのでしょうか。あるいは単に「行くわ、汽車」という言葉の後に出てきた風景なので、実際には汽車は三石に近づいて来ているのに、汽車があたかも三石から遠ざかって行くものとの思い込まされたのか。

この疑問は一週間後に三石に行ったときに解決されるのか、あるいは全くあてがはずれてあの風景を見つけることができないのか、さてどうなることやら。

ちなみに映画では最後に、三石の煙突をとらえた風景が2つ映し出されます。a0285828_19492345.jpgこれがその最後のものです。「早春」で最後に映し出される三石の風景。
最初に三石が映し出された時の陰鬱な感じとは違って、明るく力強く、どこか希望にあふれたものの象徴として煙突がとらえられています。
モクモクと黒煙を吐き出す1本の煙突。背景は間違いなく"青空"。空には雲が半分写っていますが、雲はどんどんとれています。この場面の背景は絶対に青空でなくてはなりませんね。

最後に今年の夏、快晴の日に僕がとった三石の写真を。
まずは三石駅のホームからのもの。ここに写っている2本の煙突が、あの池部良の下宿のあった家の背後に写っている煙突です。
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これは石段の下から駅舎をとらえたもの。赤い屋根が印象的ですね。
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次は昭和初期に作られた三石小学校。すばらしすぎて言葉が出ませんでした。
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これがその校舎の階段。そうじ道具やスコップが並んでいます。
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最後はやはり四列穴門ですね。ただしこの写真だけは別の雨の日に撮ったものです。ここだけは雨の日に撮ったものの方が雰囲気がありました。
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いつか機会があったらぜひ見に行ってみて下さい。きっと、町のこと、好きになると思います。

では、三石のことに関しては1週間後に。
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# by hinaseno | 2012-09-16 20:02 | 映画 | Comments(0)

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本来であれば昨日はこの話をブログにアップするつもりでしたが、関口直人さんのことであまりにもびっくりしたために急遽そちらのほうを載せることにしました。そうしたら昨夜、アゲインの石川さんから電話があったかと思うと、急にどなたかにかわられて…、なんとそれが関口直人さんだったんですね。2日続けて腰が抜けてしまいました。あまりに急なことで舞い上がってしまって、その後も興奮してなかなか眠りにつけませんでした。だって、当たり前ですよね。大瀧さんと一緒に仕事をされていた方でもあるし、シリア・ポールがいた伝説の存在であるモコ・ビーバー・オリーブに曲を書かれていた方でもあるし、そしてそのお父さんである良雄さんはあの木山捷平や上林暁との交流をもたれていた方なのですから。ああもう死んでもいいです、と石川さんに思わず言ってしまいました。

ところで、つながりついでのことになりますが、関口良雄さんの「昔日の客」の最初に出てくる話は「正宗白鳥訪問記」。関口良雄さんが作家の正宗白鳥の家を訪問したときの、とても微笑ましいエピソードが書かれています。この正宗白鳥の出身地が、木山捷平と、つまり僕と同じ岡山なんですね。しかも正宗白鳥は、今、僕がブログで書き続けている三石のある備前市の出身。三石からは車で10分くらいのところです。生家が今も残っているとのことなので、いつか必ず行ってみたいと思っています。ちなみに木山さんとも交流のあった藤原審爾の生家も白鳥の生家のすぐ近くです。そしてその備前市には大瀧山福生寺という、偶然というにはあまりにも奇跡的な名前の、僕が子供の頃から何度も行っていたお寺があるという。なんという不思議なつながりなんでしょう。
とにかく僕もこの素晴らしい出来事があった証拠として、今朝石川さんのブログに掲載されたこの写真を載せておきます。右がアゲインの石川さん、そして左が関口直人さんです。
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翌日、石川さんよりもう1枚送っていただいたので、そちらも載せておきます。
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これが本物の関口さんですよって、指をさされているみたいですね。

さて、話は小津の「早春」のことに。
一昨日まで書いたことというのはこの数ヶ月の間に確認したことをまとめたものなのですが、まとめつつ、なんとなく腑に落ちないものを感じていました。このままではたぶん、次に三石に行って映画の最後の場面で上りの汽車が走る風景を撮った場所は、つまり小津が三石に来てその風景を撮るために櫓を建てた場所はここでした、という話で終わりそうになってしまう。

そもそも僕がこのような形で「早春」の研究を始めたのは、大瀧さんの成瀬・小津研究でした。僕のような地方に住んでいる人間にとって、大瀧さんが確認された場所を見て回ることはできません。でも、大瀧さんがそこでとられた手法を自分なりに生かすことができないだろうか、というのがそもそもの出発点でした。で、前から気になっていた三石を舞台にした「早春」に当てはめてみたんですね。そこならば何度も足を運ぶことができると。そうしていくつかの場所、いくつかの事柄を発見したり確認したことをまとめたのが前回までのものでした。
でも、正直、そこまでは時間があればだれでも調べられることです。比べることがそもそもの間違いだとはいえ、大瀧さんの研究とは決定的に何かが違っている、決定的な何かが欠けていると思いました。ただ時間をかけただけではない、研究の姿勢が決定的に違っているなと。

大瀧さんの研究(映画に限らない)では、しばしば「あたりをつける」という言葉が出てきます。ただやみくもに歩かれたり調べられたりされているわけではなく、「あたり」をつけたうえでの行動をとられているんですね。そしてそれはだいたいにおいて的中しています。
では、どうやったらあたりをつけられるかというと、小津の研究に関して言えば、大瀧さんがしばしば語られていたように小津になってみる、ということなんだろうと思います。成瀬研究であれば成瀬になってみる、そしておそらく、先日放送されたアメリカン・ポップス伝でも、その内容が石川さんの指摘されていたように深い物語性をもっているのは、おそらくそこに登場してくる何人ものミュージシャンや関係者に「なってみる」ことをしていたからこそ、あれだけの(大きなものから小さなものまでを含めた膨大な)つながりを発見されていったのだろうと思います。もちろん「なってみる」にはそれなりの膨大な知識と経験が必要なことは言うまでもありませんが。

で、「早春」と三石のことに関して、それは映画のほんの数分の場面とはいえ、小津になって考えてみたいと思いました。そうすればもしかしたら、映画の最後の場面の、上りの汽車が走る風景を撮った場所の「あたりをつける」ことができるのではないかと。
つまり、池部良の下宿として設定した場所と、その下宿の2階のセットと、その下宿から見た汽車の走る風景を実際にとった場所には小津なりの何らかの必然的なつながりがあるのではないだろうかと思いました。小津ならば、ほんの数分の場面であっても、こだわった何かがあるはずだと。
そこで、ふと気がついたのが、DVDのジャケットにも使われている、池部良と淡島千景が下宿から電車を眺めているこの写真。a0285828_8174890.jpg窓から外を眺める場合、普通であれば窓に正対するはず、しかもセットなのですから、そこから見ている風景は実際のものとは関連性がないのですが、この写真の2人はかなり斜めの方向を向いていることがわかります。背後の壁のかど、そして最大のポイントは襖に吊るしている淡島千景のワンピースですね。セットであればこれほど無理な方向を向かなくてもいいはずなのに、小津はあえて2人をその方向に向かせている。ここに何か手がかりがありそうな気がしました。
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それで、小津はセットの部屋でも、かなり細かく部屋の構造を考えるということを以前読んだことがありましたので、映画を見てのわかる範囲で部屋の見取り図と、池部良と淡島千景の2人の動きを示したものを描いてみました。そして最後の場面の二人の視線の方向も。

















そして次にこの家を実際の地図の家の場所に置いてみたらおもしろいことがわかりました。
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2人はすぐ前の線路ではなく、部屋の窓からはかなり斜めの方向の、地図上では南の方向の線路を見ていたことがわかりました。でも、この方向でも、下宿のあった場所から線路までは近すぎて、あの風景にはなりません。あの風景は、反対側の山の麓あたりでとったはずですから。
で、その視線の方向の線を地図で逆に辿ってみたら、ちょうど赤のマルで囲んだ辺り、ホシレンガという工場の背後辺りになります。そこから試しにGoogle Earthであの線路の方向を見たら、それらしい山並みが!
実はこのホシレンガの背後の場所は前回、行っているんです。でも、まさかあの方向だとは思わず、三石駅のある方向、あるいはそれよりも北の方向を見ていました。

この、あたりをつけた場所が、あの風景を撮った、櫓を建てた場所であるかどうかは次回、彼岸の頃に岡山に戻るときに確認してみたいと思っています。当たっていたらうれしいですね。

当たっていることを前提にして考えるならば、小津はまずあの汽車が走る風景を撮れる場所を、あのホシレンガの背後辺りに見つけた。そしてそのライン上にあって、背後に三石の煙突が見える工場付近の家として、あの下宿の場所を見つけた。そしてその下宿の2階のセットでも、あの場所の家であることを考えながら、2人の視線をあの方向に向けさせたのだろうと。

次に三石に行ってみるのが楽しみです。
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# by hinaseno | 2012-09-15 08:26 | 映画 | Comments(0)

関口直人さんのこと


今朝起こった信じられないようなすごい話のことを。

この話のきっかけは、先日アゲインの石川さんに送っていただいた1977年6月14日と21日の2回にわたって放送された大瀧詠一の「ゴー!ゴー!ナイアガラ」の「シリア・ポール特集」でした。特集では、大瀧さんとシリアで、大瀧さんのプロデュースで作られたシリア・ポールの出たばかりの新しいアルバムを紹介しつつ、2人に関わった人たちとの不思議なつながりが語られます。亀渕昭信や朝妻一郎や布谷文夫さんの名前も出てきます。どれも運命的としか言いようのない話ばかり。いつも思うことですが、大瀧さんという人の周辺には、「縁」と一言で言えばそれまでなのかもしれないけど、不思議としか言いようのない人とのつながりが多すぎますね。そんな話の中で関口さんの名前が出てきました。
CM関係の仕事に関わっている関口さん、という言葉。はっと思いました。その関口さんは、以前にシリアがいたモコ・ビーバー・オリーブというグループに曲を書いているんですね。その「海の底でうたう唄」という曲が番組でかかります。


実はこれを聴いたのが仕事帰りの車の中だったので、家に戻ってすぐに確かめました。やはり、間違いない。関口直人さん。

関口直人さんの父親は関口良雄さん。東京の大森で山王書房という古本屋をされていた人。関口良雄さんのことを知ったのは夏葉社から一昨年に復刻された「昔日の客」という本です。
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夏葉社という出版社は、2年前に出たマラマッドの「レンブラントの帽子」という本をきっかけにして知りました。夏葉社の出した最初の本ですね。表紙が和田誠さんの絵だったので手にとりました。考えてみたら、和田誠さんというのをきっかけにしていること自体、ナイアガラ、あるいは村上春樹につながる要素を持っていましたね。
で、その夏葉社の2冊目の本が、関口良雄の「昔日の客」でした。僕が読んだのは今年の春だったと思います。そしてその「昔日の客」の最後に文章を書かれていたのが関口直人さん。亡き父のことを語られた文章がとても感動的なものであったこともそうですが、その中でCM制作に関わられていたことが書かれていて、それを心に留めていたんですね。で、「CM」、「関口さん」という大瀧さんの言葉でつながったんです。
関口さんは大瀧さんがCMソング作りに関わっていたときに一緒に仕事をしていた大森昭男さんのところでアシスタント・ディレクターとして働かれていたんですね。大瀧さんは冗談っぽくだけど関口さんを「アゴでこき使った」って言ってます。でも、大瀧さんも関口さんとの不思議な縁に驚かれています。

僕の持っている大瀧さん関係のもので関口さんの名前がどこかにないかと思って探したら1つありました。「EACH TIME SINGLE VOX」の中に収められたクレジットカードの右下の「駅売り愛読 者一覧」の中にいます。Cider Trioの一人として。
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関口直人さんの父親の関口良雄さんは古本屋を営んでいたこともありますし、何よりもお人柄がものすごくよかったことで、数多くの著名な文学者との交流をもっています。そんな人たちとの交流をえがいたのが「昔日の客」ですね。夏葉社から著書が出版されている上林暁さんも登場します。

僕が関口良雄さんの本を読んでいて一番好感を持ってしまうのは、関口さんがまだ親しい関係にはなっていない(かなり偉い)文学者の家に行ってはじめて酒を飲んで、酔ってしまうと必ず歌を歌っていいですかと言って、立ち上がって手をふりふり歌うところですね。そんな場面を描いたものがいくつかあったと思います。
そして実は、関口さん、僕が今一番関心を持っている木山捷平とも交流があったんですね。つい最近知ったばかりです。上に貼った「昔日の客」の左の、関口さんと交流のあった人たちが関口さんとの思い出を語った「関口良雄さんを憶う」(これも夏葉社の出版です)には、木山さんの奥さんのみさをさんが文章を書かれています。
それによると関口良雄さんは、昭和40年1月20日に初めて木山さんの家を訪問しています。他の2人と上林暁さんの病床を見舞われた帰りに木山さんの家に立ち寄られたとのこと。こんなエピソードが書かれています。木山さんと少し酒を飲んだ後のことです。

しばらくして関口さんは誰にいうとなく『歌をうたってもいいでしょうか』と言われた。そして『佐渡おけさ』『山中ぶし』をうたわれた。目をつぶって、少し顔をふせるようにして、嫋々とした哀切な正調の節廻しに、一同はうーんと、うなった。「これほどの低音でしかも素人ばなれした歌声に感嘆したことであった。

関口さん、木山さんの家に初めて行った日にもいきなり歌ってるんですね。でも、不思議なことに、この日の木山捷平の日記には関口さんが来たことは一切書かれていません。
木山さんの日記に出てくるのは昭和41年3月7日です。

近藤良夫氏と関口良雄氏、岡本功司氏と3人で上林暁氏を見舞った。(顔色よく安心した。別途にねたまま)3人と帰宅して一杯やった。関口良雄氏談。『野』小生の処女詩集1冊出たので3980円とつけたが、4500円で他の人におちたと残念がっていた。この本は昭和4年の粗末な装幀が逆に人気があった。 

古本のオークションで落札できなかった話ですね。50年近く前での4500円ってすごいですね。今だったら、その10倍以上? あるいはもっと上?
ちなみに「昔日の客」が最初に出たときの出版社は三茶書房で装幀が山高登です。これはここでも前に触れた村上春樹が古本屋で買った箱入りの「木山捷平全詩集」と同じです。
夏葉社の「昔日の客」には山高さんの大森を描いた装画が載っています。

最後に、その夏葉社の「昔日の客」の最後の「復刊に際して」と題された関口直人さんの文章を引用します。

 亡くなる十日ぐらい前でした。真夜中に仕事から帰ると、父は眠れずに目を開けていました。足の裏を揉んであげると、気持ち良さそうな表情を浮かべながら静かに話してくれたのです。「どんなものでもいいから、お前は詩を書け。詩を書くことによって、お前の人生は豊かになる」、窓のカーテンが時折り緩やかに揺れ、月の光が差し込んでいました。「分かった。書くよ」と、私は答えました。
 数年経って父との約束を思い出し、俳句を詠みながら酒を飲む会を始めました。その会も来月、節目となる三百回を迎えます。またひと頃、日記のような短歌を夜毎に一首詠み、千首連ねたこともありました。するとそれを知ったプロデューサーから、突然作詞の依頼が来たのです。長らくCM音楽制作をしてきた私は、作曲の仕事はしていましたが、作詞は殆ど初めてでとても遣り甲斐のあるものでした。
 思えば約三十年の月日が経ち、私が間もなく父の年になろうとしていた頃です。「アニー・ローリー」というスコットランド民謡の美しい旋律に新しい歌詞を書きました。父の遺言として大事な言葉を受け止めた夜のことを思い出した時、「父の言葉」という歌が生まれたのです。「俺はお前の中にいつまでも生きているからな」と言って去って行った父は、歌の中にも生きてくれていると、口ずさむ度に実感しています。 

この「父の言葉」という曲、関口直人さんの歌で、YouTubeで聴けるんですね。

関口直人さんの文章を読んでこの曲を聴くと、なおさらぐっとくるものがありますね。

最後に、もう一つの不思議な偶然のつながりがありました。
関口さんのお父さんが亡くなられたのは、「ゴー!ゴー!ナイアガラ」の「シリア・ポール特集」があった1977年6月のほんの2ヶ月後の1977年の8月のことでした。本当に不思議なつながりの連鎖を感じます。そしてその中に僕も少しだけ入り込んだような気もしています。
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# by hinaseno | 2012-09-14 12:20 | 全体 | Comments(0)

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「早春」の映画に出てくる、池部良の三石での生活をとらえた3つめの場面。映画のクライマックスです。
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下宿に戻った池部良は「ただいま」と1階にいるはずの人(大家さん)に声をかけて、家の中にある階段を使って2階に上がっていきます。彼がこの家の2階に下宿していることがわかります。


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で、これが2階の下宿している部屋に上がってきた場面。襖に女性のワンピースがかけられていて、その下には大きめの鞄がいくつか置かれています。池部良には気づかない形で、すでに奥さんである淡島千景が三石にやってきていることを映画を見ている人に知らせています。おもしろいですね。

そして手前の部屋に入ってきてしばらくして池部良はそれらがあることに気づきます。この瞬間の彼の表情も含めて、僕はこの場面がたまらなく好きです。
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で、淡島千景が階段から上がってきて、2人は三石で再会します。
そしてこんな会話が交わされます。
「狭い町だぜ」
「さっき買い物に出て見てきたわ」
「ここで2、3年も暮すとなると、大変だよ」
「そうね、でもいいわよ、お互いに気が変わって」

a0285828_9442768.jpgこの後、汽笛が聞こえて2人は並んで下宿の2階の窓から汽車が走る線路を眺めます。この映画の最大のクライマックスです。






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ここで池部良が淡島千景をそっと抱き寄せて汽車を眺める場面は、「早春」の映画を代表する場面として、僕の持っているDVDの表紙を含めて最もよく使われています。






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この2階の部屋から2人が見つめている上りの汽車が走る風景が先日示したこの場面です。ある意味では「早春」という映画の最も大事な場面といえるかもしれません。小津が三石にやってきて、まず探したのは山間の町を汽車が走る風景を最もいい場所を探すことだったのでしょう。

僕は池部良の下宿のあった場所を見つけたとき、そこが山陽本線に近すぎることがすぐにわかりました。あの場面はここにあったはずの家の2階からとらえられた風景ではないと。セットだったんですね。あの2階は。
三石での歓迎レセプションのときの写真を見てもわかるように、淡島千景は三石には来ていなかったんですね。まだ、あの場所を確認する前、淡島千景のインタビューなどいろいろ探していたのですが、三石に関する話が一切見つからないはずでした(池部良は著作も多く、「早春」や三石に関する話をいくつも書いていますが)。

いずれにしても、池部良の下宿のあった場所と、その家の2階から見えることになっている上りの汽車が走る風景が見える場所は、同じである必要はなかったんですね。あの風景が見れて、あのような間取りの2階の部屋がある家を三石で探すのは不可能でしょう。
ですから、小津はあの風景が見れる場所をまず見つけて、そこに櫓を建てたんですね。2階の高さになるように。これはこれですごいことのように思います。映画の中でのほんの数秒の場面であるならば、ロケハンで決めた場所にカメラを固定して撮ってもいいように思いますが、あえて2階であることを示すために櫓を建てて撮影した。その2メートルくらいの高さの違いからとらえられた風景の違いがわかる人なんてだれもいないように思うのですが。でも、あえてわざわざあの櫓を建てた。
この櫓を建てた場所は必ず探してみたいと思っています(一度かなり時間をかけて探してみたのですが見つかりませんでした)。

さて、では下宿のあった家はどのようにして選ばれたのでしょうか。
煙突のある工場から近い場所で選ばれたのだとは思いますが、「瀬戸内シネマ散歩」に載っていた写真で示したように、下宿とされた津村さんの家は平屋でした。もちろん映画では建物の入り口付近しか映っていませんので、2階建か平屋かはわからないのですが、2階建の家を探して、その2階建の家を映像で見せた上で、セットの場面を使ってもよかったように思うのですが。
でも、いうまでもなく背後に煙突が何本か見える場所としてあの場所がベストだったんでしょう。そしてあの辺りには都合のいい2階建の家はなかったのでしょう。
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# by hinaseno | 2012-09-13 10:09 | 映画 | Comments(0)