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Talks About Music, Books, Cinema ... and Niagara


by hinaseno
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今日は小さな自慢を。
これです。
a0285828_1194419.jpg

「隣町探偵団」と書かれているバッジ。
「町」の部分が赤くなっているところ、それからうっすらとバックに描かれている中折れ帽がしゃれています。
上下に「Neighborhood Detectives」との英語の文字もありますね。というわけで僕は勝手にこれを「NDバッジ」と呼んでいます。

本部は東京都の南西部の大田区にあります(たぶん)。荷風がよく歩いた隅田川や荒川とは反対側を流れている多摩川にそった地域ですね。大田区は小津の『早春』とも関係の深い場所です。池部良が三石に来る前に住んでいたのが大田区の蒲田。ということで『早春』には蒲田駅周辺や多摩川沿いの風景が何度か出てきます。池部良と岸恵子が一夜を過ごしたのも(もちろん役の上で)大田区にある大森海岸のあたり。大田区は僕にとっては深いつながりを感じる場所です。

さて、このバッジを作った人は。
もちろんこのブログに何度も登場している方です。
平川克美さん。
平川さんが子供の頃、江戸川乱歩の『少年探偵団』が好きなことは以前にここで書きました。そして現在、隣町探偵団を結成して隣町探偵をされていることもここで書きました。
作られたんですね、バッジ。大瀧さんといい、平川さんといい、こういう小さな遊びができる人っていいですね。

で、このバッジは非売品(のはず)。平川さんが団員として認められた方だけ送られているんです。そう、僕が団員として認められたんですね。「旭東綺譚」も読んでいただけていたようです。
このバッジ、高橋源一郎さんにも渡されたとか。さらには関川夏央さんにも渡されるおつもりだとか書かれていました。おそらくいずれは”あの方”にもお渡しになるはず。これ以上ない光栄なことです。
平川さんの『移行期的混乱』に書かれていた言葉を借りれば「一朝事あらば事件解決の出動要請がくるかもしれないという空想に胸を躍らせて」います。

ところで、平川さん率いる隣町探偵団の探偵報告でもあった朝日新聞土曜版beに連載されている「路地裏人生論」、あと数回で終了とのこと。本当に残念です。
毎週土曜日の朝、コンビニで新聞を買ってきてコーヒーを飲みながら、ときに地図などを見ながらこれを読む日々(実際にはふた月ほどでしたが)を心より楽しんでいましたので、それがなくなってしまうのは悲しいですね。平川さんの隣町探偵はこれからも続けられると思いますので、できれば何らかの形で報告し続けていただけたらと思っています。
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# by hinaseno | 2013-03-04 11:13 | 雑記 | Comments(0)

 今、これを書きながら聴いているのは、作家の小川洋子さんがパーソナリティをつとめている「メロディアス・ライブラリー」というラジオ番組。日曜日は午前中にこれを聴き、午後に達郎さんの「サンデー・ソングブック」を聴くのが日課です。
 先日書いた「旭東綺譚」の最後に書いたdedicationに小川洋子さんの名前をちゃっかり入れました。もちろん前から書いているように彼女のファンなのですが、彼女の出身地が岡山市森下町なんです。そう、ちょうど西大寺鉄道の森下駅があったところです。彼女はそこから見えたはずの金光教の教会で生まれたんですね。彼女が生まれたのは昭和37年。
 実は昭和37年というのは西大寺鉄道が廃止になった年。小川洋子さんが生まれたのはその年の3月、西大寺鉄道の閉業は9月。ということは、もしかしたら彼女は西大寺鉄道に乗っているんじゃないかと思ったんです。廃止されるとなれば、親としては子供を乗せたくなりますよね。ましてやそれが目と鼻の先を通っている鉄道であるならば。もちろん小川さんはそれに乗っていても覚えていないだろうとは思いますが、もしかしたら何かのエッセイに書かれているかもしれませんね。また、調べてみたいと思います。
 で、小川さんが生まれた森下町のすぐ隣の古京町で生まれたのが内田百閒。後楽園の目と鼻の先で生まれているんですね。森下駅から見えたはずの(というかかなり遠くから見えるんですが)安住院の多宝塔は「瓶井の塔」と呼ばれて、やはり百閒の阿房列車に出てきます。「瓶井の塔」が見える瞬間を描いた場面は何度読んでも心躍ります。で、その安住院には東京中野の金剛寺から分骨したものが埋められた墓がつくられています。ということで百閒もdedicationに加えました。

 さて、話は大瀧さんの「五月雨」に。
 実はこれを書きたいがために長い話をいろいろとしてきたように思います。いったい大瀧さんは、荷風のどの本からあの「五月雨」の歌詞に使った言葉をとりだしたのだろうかと。大瀧さんの楽曲の元ネタ探しはネット上のいたるところに見受けられますが、さすがにこの作業をしている人はいないようです。結論的に言えば、どうやら一冊の本ではなさそうです。作業を始めたときは「雨」つながりで、まず「つゆのあとさき」ではないかと思って調べたのですが、全然見当たらない。で、中断。再開したのはつい最近。きっかけは去年の夏に出た『KAWADE夢ムック 増補新版 大瀧詠一』に載っている「スペシャル・インタビュー」を読み返してのことでした。増補された部分ですね。そこに「五月雨」に関する大瀧さんのこんな発言が載っています。

詞は〈たいふう〉の続編で、「五月雨を 集めてはやし 最上川」だから芭蕉なの。「あ」音が強調(基調の誤植?)になっていて、「さみだれ」という音(おん)が気に入ったのでタイトルにした。で、ネタがないから、歌詞は手元にあった永井荷風の随筆から言葉を抜き出して……「憂鬱」、「旋毛曲り」、「矢継早」、「気が滅入る」、「無鉄砲」、「無茶苦茶」……漢和辞典をひきながら単語を抜き出して、適当にストーリーを作り出すという、意味はみんなが勝手につけてくれるだろう、と。


 荷風の随筆だったんですね。で、読んでなかった荷風の最も有名な随筆である『日和下駄』(川本さんが解説を書いている講談社文芸文庫版)をみると、出てくるわ、出てくるわ。「無暗矢鱈」「一目散」「薄墨」そして「憂鬱」。おおっ、これだって思ったのですが、まだまだ足りない。困ったなと思ったら、今、便利なものがあるんですね、ネットの青空文庫で荷風のエッセイがほとんど読める。しかも検索できるから作業が早い。
 で、見つかった言葉。
 「塒」は『十日の菊』、「旋毛曲り」は『妾宅』、「傍目」は『元八まん』(『元八まん』には「軒」もありました。でも「軒」はそれ以外にも結構あるはず)、「顫」は『夏の町』。
 ここまで見つかりましたがまだ「矢継早」「気が滅入る」「無鉄砲」「無茶苦茶」「雨曝し」「舌切り雀」が見当たりません(「雀」と「軒」は『蟲の聲』にありました)。「曝す」は確か『日和下駄』にあったように思います。 漢字ではないですが「こうぢゃ」も気になります。
 ただ、ひとつ気がついたのはネットの青空文庫は漢字がひらがな表記に変えられているものが結構あるこということ。例えば「無闇矢鱈」はひらがなになっています。僕が読んだ講談社文芸文庫版は漢字ですが、岩波文庫の『荷風随筆集』に収められているものはひらがな。青空文庫のはそれを定本にしているみたいです。

 見つからない字はおいとくとして、それ以外の言葉が収められた作品はすべて岩波文庫の『荷風随筆集(上・下)』に入っているので、大瀧さんの手元にあった荷風の随筆集はこれで決まり、と思ったのですが、実は岩波文庫の『荷風随筆集(上・下)』が出版されたのは1986年。大瀧さんが「五月雨」の詞を書いたのは1972年。岩波文庫版は当時出ていない。旧版もないみたいですし。それから、さっき指摘した「無暗矢鱈」がひらがなになってもいるし。といって、『日和下駄』は別として、他のおそらくかなりマイナーな作品も含めて全て収めているような随筆集は出ていなかったはず。
 となると考えられるのはただひとつしかないですね。
 『荷風全集』(岩波書店)。
 その13巻から17巻にこれらの作品は収められています。大瀧さんはこのあたりのものだけを持っていたのか、それとも全巻揃えられていたのか。大瀧さんは20代の始め頃から荷風のコアなファンだったんでしょうか。
 でも、先程のインタビューには次のような言葉が続いています。

永井荷風なんて読んだことないから。横にあっただけ。


 果して大瀧さんの家には『荷風全集』があったんでしょうか。ただし、それはまだ大瀧さんが福生に移られる前の話。
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# by hinaseno | 2013-03-03 11:55 | 雑記 | Comments(0)

 ロネッツの曲、というかスペクターのつくった曲は基本的にはローティーンをターゲットにしていました。でも、ロネッツのヴェロニカの声の色気は、とてもローティーン相手のものではないですね。最近改めて聴き直してみて、本当に詩情あふれた歌い方をしていると思いました。特にこの「When I Saw You」は、たまらないほどいいです。


 作ったのは詞、曲ともフィル・スペクター。彼の作った曲によくある3連バラードの曲。でも、アレンジも含めて素晴らしすぎます。
 もちろんこの曲も以前からよく知っていた曲。正直言えば、エリー・グリーニッチやキャロル・キングやバリー・マンらが作った楽曲からすれば一段も二段も低く見ているところがありました。でも、今回「ゴー!ゴー!ナイアガラ」の特集を聴いて見方が変わってしまいました。
 詞もいいですしね。こんな感じで始まります。

 あなたに出会ったとき、それはつまり、あなたのことを知ったとき
 私はあなたに心を奪われてしまった。
 あなたをつかんだとき、それはつまり、あなたのことを知ったとき
 私はあなたに心を奪われてしまった。 
 
a0285828_16413496.jpg この曲を作ったときスペクターとヴェロニカの間にどれだけ恋愛感情が生まれていたのかはわかりませんが(後に結婚、そして離婚することになります)、スペクターがヴェロニカに気のあったことは確かで、こんな内容の歌詞の曲を歌わせるなんて、何と言うか...ですね。昔出たスペクター・ボックスのブックレットのこの曲の歌詞が載っているページの写真もかなり意味深です。

 さて、昨日最後に触れた大瀧さんの「五月雨」について。実はバージョンが2つあります。はっぴいえんどに在籍していた1972年に作られたものと(ファーストアルバム『大瀧詠一』に収録)と1977年に作られた『ナイアガラ・カレンダー』に収録されたもの。
 この2つのバージョン、曲は全く違いますが詞は同じ。と言っても、歌詞カードを見ると、漢字、ひらがな、カタカナと表記が違っています。もともとはおそらく全て漢字だったんでしょうね。ただ、最初にシングルで出すときには漢字をひらがなやカタカナに直したのではないかと思います。つまり歌詞で言えば、あとで出された『ナイアガラ・カレンダー』の歌詞カードに書かれているものがオリジナルの詩だったんだろうと思います。
 曲のタイトルは大瀧さんが作詞も手がけた曲の連作システムで考えられたものだとのこと。
 「いらいら」→「たいふう(颱風)」→「さみだれ(五月雨)」→「びんぼう」。
 すべて4音の言葉。4音シリーズの一つだったんですね。
 ポイントはやはり歌詞ですね。オリジナルであるはずの漢字表記の多い『ナイアガラ・カレンダー』の方の歌詞を載せておきます。ちなみに歌詞カードは縦書きです。難しい漢字が多いですがふりがなはありません。
 
 憂鬱な雨 降り続く
 薄墨色の空
 旋毛曲りの いつもの天気
 毎日こうぢゃ 気が滅入る
 五月雨

 矢継早に 滅茶苦茶降る
 無鉄砲な雨
 塒へ帰る 舌切り雀
 軒の下で 雨宿り
 五月雨

 傍目もふらず 走る川
 五月雨集めて 一目散
 無暗矢鱈 降り続く
 くすみ果てた 空
 顫えている わなわなと
 雨曝しの街
 五月雨

 読めない字多いですよね。
 
 さて、『ナイアガラ・カレンダー』には曲ごとのクレジットが書かれたプロダクション・ノートというのがあります。「五月雨」には、ミュージシャンの名前の下に、こんな言葉が添えられています。

 ―Dedication―
 松尾芭蕉、永井荷風、Doc Harvey、Goffin-King

 実は先日「旭東綺譚」の最後に書いたのはこれのパロディでした。その時に書いた人物と重なっているのは永井荷風とDoc Harvey。
 
 まず、松尾芭蕉ですが、これはタイトルの元になった俳句「五月雨を集めて早し最上川」に敬意を表してのものですね。歌詞にも「五月雨集めて」という言葉が出てきます。
 で、永井荷風です。
 2008年のインタビューで大瀧さんはこんな発言をされています。

とにかく書きづらい漢字を使って。これは「憂鬱」から始まって「塒」とか「矢鱈」とか「矢継早」とかわざわざ古い漢字を使って。永井荷風の本から。あえてそういう風にしてみようと。

 何と大瀧さん、永井荷風の本から難しそうな漢字をひっぱってきて歌詞に入れていたんですね。では、いったいどの本から、ということが僕としてはひどく気になるのですが、それはまた次回に。一応僕はこの大瀧さんのアイデアをいただいて「旭東綺譚」を書くときに荷風の「濹東綺譚」に使われている文章をかなりたくさん入れこみました。"滅茶苦茶"遊んでました。

 さて、先程の荷風のあとに書かれているDoc Harveyという人。この人、正直ずっとわからないままでいました。でも、あるとき気がつきました。Harvey(ハーヴェイ)はフィル・スペクターの本名のファーストネームだということを。本名、ハーヴェイ・フィリップ・スペクター。Doc Harveyはフィル・スペクターのこと。その次のGoffin-Kingは、もちろんジェリー・ゴフィンとキャロル・キングのソングライター・コンビですね。「五月雨」の曲にこのコンビの作った「Is This What I Get For Loving You?」という曲のリフを入れたためとのこと。その曲を歌っているのはロネッツ、そしてプロデューサーはいうまでもなくフィル・スペクター。

 永井荷風・ミーツ・フィル・スペクター。何という興味深い取り合わせ。

 「五月雨」の最初のバージョンはハニー・コーンという当時大瀧さんが大好きだったノーザン・ソウルのグループ(意外ですね、でもこのグループのこと全く知りません)の感じで作ったとのこと。で、『ナイアガラ・カレンダー』で何か(ロネッツの曲タイプの)スペクターをやろうと思って「五月雨」の歌詞を使おうと考えたとのことですが、この偶然のマッチングは僕にしてみると奇跡的な組み合わせのような気がします。荷風の言葉の入った歌詞を曲にするにはスペクターのプロデュースしたロネッツの曲しかない。あくまで個人的な考えですが。

 ところで、Goffin-Kingと書かれてはいますが、曲全体の雰囲気はやはり昨日貼ったバリー・マンとシンシア・ウエルの作った「Walking In The Rain」の影響を強く感じます。"雨"つながりでもありますから。それから、同じコンビでライチャス・プラザーズが歌った「You've Lost That Lovin' Feelin'」ももちろん意識されたはず。大瀧さんの歌い方はライチャスのビル・メドレーのパロディですね。2曲とも「ゆー」という不機嫌なイメージの言葉から入るところが共通しているのが面白いですね。どこまで大瀧さんは意識してされていたんでしょうか。とりあえず聴いてみてください。ご存知の方は改めて。


 正直に言えば、はじめて聴いたとき、なんて変な曲だろうと思いました。よく聴けばサウンド的には『ロンバケ』の「恋するカレン」につながるものがあるように思うのですが、なにせ低音で、しかもさらにどんどん低くなって行くメロディ・ラインには抵抗をおぼえてしまいますよね。これががいいなんていう人はたぶんほとんどいないでしょう。

 でも、いるんですね。これがかなり笑える話。さっきの大瀧さんのインタビューで面白いエピソードが語られています。80年代初頭、ということは『ロンバケ』が出て間もない頃のことでしょうか、大瀧さんが中学の同窓会に一度出られたそうです。出身の岩手に行かれたんでしょうね。
 同級生の一人が大瀧さんのところにやってきて、レンタル屋でお前のレコードをいろいろ借りて聴いて『ナイアガラ・カレンダー』が気に入った、と。特に「五月雨」がいいなあ、と。もっとああいう曲やってくれと言ってきたそうです。
 その人は歌謡曲、しかも演歌しか聴かない人。そういう人の心には届いていたんですね。
 大瀧さんの言葉。

この「五月雨」が縦書き歌いの初なんだよ。だから演歌の人にはびしっと行ったんだよ。えっと思ったんだよね。なんで、こいつは。センスが先に進んでいるのか、と思ったら、ものすごい遅いやつだったんだよ。

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# by hinaseno | 2013-03-02 16:54 | 音楽 | Comments(0)

 唐突に音楽の話に。といっても昨日まで書いていた「旭東綺譚」とかなり深く関わっていることではあるのですが。

 最近、一番よく聴いているのは、なんとロネッツです。
 きっかけはやはり石川さんに送っていただいた「Go! Go! Niagara」のロネッツ特集(1&2)。3月に放送されることが決まった大瀧さんのアメリカン・ポップス伝パート3では、いよいよ僕にとってはたまらない1963年あたりのポップスの話になり、当然その流れでフィル・スペクター(本名ハーヴェイ・フィリップ・スペクター)に行くだろうということで、その予習をかねて石川さんに全5回にかけて放送されたスペクター特集を送っていただきました。で、メインはやはり2回に分けられて放送されたロネッツ。
 もちろん僕もスペクターといえば何よりロネッツでした。初めて「ビー・マイ・ベイビー」を聴いたときには心から感動しました。もちろんかなりの後追いでしたが。
 ただ、だんだんといろんなものを聴くようになって、最近ではロネッツよりはクリスタルズの方がいいかなと思えるようになっていました。

 CD-ROMといっしょに同封された石川さんのコメントでは、こんな言葉がありました。

 今やスペクターに関しては専門の方がいろいろおられましが、あの頃騒いでいたのは大瀧さんくらいではなかったかと思っています。ですから今の基準であの特集や大瀧さんに対するコメントをするのはちょっと酷なような気がします。


 僕は大瀧さんをきっかけにしてフィル・スペクターを知りましたが、その頃にはスペクター関係のもの(レコードや本)なんて日本には皆無に近い状態でしたから。ある日、岡山市内のもうはるか昔になくなってしまった中古レコード屋で輸入盤のスペクターのベスト盤のLPレコードを見つけたときには本当に狂喜乱舞したことを覚えています。
 で、徐々にCDやら本がいろいろと出るようになり、いまやスペクターに関するものは容易に手に入るようになりました。僕も本も含めてたくさん買いました。おそらくは大瀧さんが今から36年も前の1977年の1月に放送されたときに大瀧さん自身が持たれていたものよりははるかに多くの音源と情報を手にしているように思います。
 でも、石川さんの書かれていたことは杞憂に終りました。発見、再発見の連続。ここ何年か全くきかなかったロネッツにすっかりはまってしまいました。音楽って不思議というか、全く同じものなのに、大瀧さんによって一言その音楽についての言葉をそえられただけで聴こえ方が全然変わってしまうんですね。
 ちなみにこの特集で大瀧さんはスペクターにならって自分もナイアガラだけではなくヨーロー(養老)とかケゴン(華厳)というレーベルをつくってみたいと語られているのにはびっくりしました。ヨーロー(Yoo-Loo)は以前触れた渡辺満里奈の『うれしい予感』を出しているレーベルでしたからね。この頃からその構想があったんですね。もちろんこの頃には単なる思いつきだったのかもしれませんが、それを何年もあとに実現してしまうところがすごいですね。

 さて、ロネッツ特集を聴いて特にはまったのはこの曲でした。もちろん以前からよく知っていて何度も何度も聴いていた曲。タイトルは「Walking In The Rain」。


 ロネッツの1964年の作品。曲をかいたのはバリー・マンとシンシア・ウェイル。
 実は「旭東綺譚」を書いているときにずっと聴いていたのがこの曲でした。「旭東綺譚」(その2)の最初に「雨の中を歩く。」と書いたのは、その小さな告白でした。そういえば村上春樹は『ノルウェイの曲』を書いているとき、たしかビートルズの『ラバー・ソウル』を聴いていたんですね。引き合いに出すのはあまりにもおこがましいですが。

 この曲をかけたあと、大瀧さんは「これは〜いいねぇ〜。本当にこれはいいんですよ」と一言。その後こんなコメントをします。

 あそこのフックラインのときに、どこがすばらしいかというと、バーッとバックの音が大きくなった歌がだんだん小さくなる、歌がずぅーっとオフになるというのが、雨にばぁーっと打たれて、だんだん心がしぼんでいくみたいなのを表しているんです。


 大瀧さんが解説されているのは、上に貼った音源の2:30あたりからの部分ですね。
 昨年来、もうかなりの数の「Go! Go! Niagara」を聴いてきましたが、大瀧さんがひとつの曲に関して、こんな"詩的"な解説をされるのを聴くのははじめてでした。
 で、突然僕の中で、「雨にばぁーっと打たれて、だんだん心がしぼんでいくみたい」という大瀧さんの詩情あふれる表現と、荷風の『濹東綺譚』の、雨に降られる中でお雪と出会う、あの詩情あふれる場面が重なり始め、なぜかロネッツのベロニカとお雪が重なってきて、ああ、それなら大瀧さんの「五月雨」のアイデアで遊んでみようと思って、ぱっとひらめいたタイトルが「旭東綺譚」でした。
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# by hinaseno | 2013-03-01 10:55 | 雑記 | Comments(0)

 偶然思いがけなく降りた西大寺鉄道の大多羅駅。駅舎の向こう側には「平賀元義翁墓所 是より北三丁」と刻した碑と、大多羅寄宮跡の案内板がある。平賀元義は幕末期の国学者で歌人。たしか正岡子規がこの人物の歌を褒めていたように思う。こんな市内からはなれた田園が広がる土地の、山の麓の人家が散在する場所でそのような人物に出会うことにどこか運命的なものを感じる。墓所はまた別の機会に参ることにしよう。

 百間川から少し遠ざかったとはいえ、駅から百間川の土手はすぐ近くに見える。少し南に行ったところに土手の方に行く道がある。道の左右には田植えを終えたばかりの水田が広がっている。所々に農家がある。農作業をしている農民が何人か見えるが、道ですれちがう人はだれもいない。土手の上を歩いている人も見当たらない。

a0285828_11212811.jpg 土手には数分で到着する。土手の上に登って百間川の風景を眺める。かつて何度も散策した荒川放水路の眺望と重なる。蘆荻と雑草と空のほか、何も見えない。昨日歩いた上流とは違い、このあたりには水の流れがある。少し北に旭川とは別の川の水門が見える。その川から放流されたようである。

 土手沿いに南に下ってみる。遠く左の方に大きな川が見え、そのそばに大きな寺の屋根と三重塔が見える。そのまわりに町が広がっている。先程乗っていた西大寺鉄道はその方向にとぼとぼと進んでいる。おそらくそこが西大寺市なのだろう。
 目を反対側に転じると、山の中に三重塔が見える。森下駅のあたりで見えた塔もふくめてこのあたりには寺の塔があちこちに建っている。

 さらに南に進むとまた別の、やや大きな川が百間川に流れ込んでいる。近くにかかっている橋を見ると砂川と書かれている。さらに下ると岡山市内と西大寺市を結んでいると思われる道に出会う。
 そこに橋がかかっている。清内橋。ここからはもう水門が見える。ここまでだれひとり出会うものはいない。
 そういえば、わたくしが荒川放水路を散策したのは冬が多い。放水路はやはり枯れた蘆が茂っている風景が似合っている。ここから先はまた冬に歩いてみようと思う。もちろんその頃までわたくしがこの岡山の町にとどまっていればの話ではあるが。
(了)

―Dedication―
永井荷風、内田百閒、小川洋子、川本三郎、Doc Harvey、Mann-Weil、The Ronettes、大瀧詠一、石川茂樹、younger days of my father
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# by hinaseno | 2013-02-28 11:25 | 雑記 | Comments(0)