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Talks About Music, Books, Cinema ... and Niagara


by hinaseno
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  商店街がクリスマス


今日は楽しいクリスマスです。年に一度のクリスマスです。
商店街がクリスマスです。商店街「も」、ではなくて「が」です。中心にあるのは、あくまで商店街です。

平川克美さんは町歩きをよくされていて、東京の町、たいていは商店街のある町を歩かれています。川本三郎さんの影響もあるみたいですね。にぎわいのある商店街から、閑古鳥の鳴き方が半端ではない商店街まで、いろいろと。今年は一度岡山にも見えられて、「三丁目の夕日」の舞台になった岡山の西大寺商店街も歩かれています。
そんなあちこちの商店街で見られた風景、出会った人のことを書いた文章が、最近いろんなメディアに載っています。僕もすべては追うことができていませんので、いつかそれらがまとまって一冊の本になるだろうと思っていますので、その日を楽しみにしたいですね。

さて、にぎわいのある商店街から、閑古鳥の鳴き方が半端ではない商店街まで、と言ってもおそらくはかなり閑古鳥の鳴いている商店街が多くなっているはずですが、今日は商店街がクリスマスなんです。いったいどんなクリスマス・ソングが流れているのでしょうか。閑古鳥の鳴いているような商店街で、ワムとかマライヤ・キャリーなんかの80年代後半(でしたっけ?) に流行ったような装飾に満ちたクリスマス・ソングが流れていたら、逆にわびしい気持ちになってしまいそうです。

そんな閑古鳥が鳴いていようが、鳴いていまいが関係なく、商店街にぴったりのクリスマス・ソングがあります。この曲です。この曲が日本全国の商店街で流れていたら、きっと素敵だろうなと思います。


曲のタイトルは「ナイアガラ音頭」。『ナイアガラ・カレンダー』というアルバムに収められた大瀧さんの作った唯一のクリスマス・ソング。なんでよりにもよって音頭なんだと思われるかもしれませんが、そこが大瀧さんの諧謔精神の現れ。といいつつ、僕も最初は戸惑いました。達郎さんの「クリスマス・イブ」に負けないどころかそれ以上にロマンティックなクリスマス・ソングは作れる人なのに、何で音頭を、と。

話はちょっととびますが、今から10年以上も前のこと、お正月に実家に帰省していて、その日は新春放談の放送日だったのですが、ちょっと出かける用事があって、放送開始の録音ボタンを押して外出したことがありました。戻ってみたら、母親が「でえれぇ(=「とても」の意味の岡山弁)、ええ曲がかかっとったがな」と一言。どうやらラジカセを置いていた二階の部屋に何かの用事で入ったらしい。
ところがその日、なぜか一時停止のボタンを押したままになっていて録音は失敗(そういう失敗って何度かありました)。いったいその日、何がかかったんだろうと気になったけど、いつのまにか忘れてしまってました。
で、ある日、ネットで過去の達郎さんのラジオ番組のオンエアリストが載っているサイトを見つけて、その日の曲目を調べました。2000年1月2日の放送。

1曲目は大瀧さんの「Rock’n’Roll お年玉」。恒例です。
2曲目は達郎さんの歌う「Angel」。エルヴィスのカバーですね。
3曲目は竜ヶ崎宇童(デビュー前のシャネルズですね)の「禁煙音頭」。
4曲目は細川たかしの「レッツ・オンド・アゲイン」。布谷さんのカバーですね。
で、最後の5曲目が大瀧さんの当時の新曲「幸せな結末」。

1〜2曲目のときはまだ母親は、下の部屋にいて何か作業をしていたはずなので、3曲目以降だろうと考えました。「幸せの結末」は、何度か母親を連れてどこかへ出かける時に、車でかけていたこともあって、特に反応を示した記憶もなかったので、3曲目か4曲目のどちらかということに。いずれも大瀧さんが作った音頭ですね。でも、ちょっと「禁煙音頭」は違うだろうなということで、確かめたわけではありませんが、どうやら母親は細川たかしの「レッツ・オンド・アゲイン」がすごく気に入って聴いていたみたいです。
この曲です。


でも、母親が気に入ったのは実は「禁煙音頭」だったりして...。それはさておき、しつこいようですが、『ロンバケ』から大瀧さんの音楽に入った僕のような人間にとって、音頭は抵抗感が強くありました。でも、母親のような世代にとっては抵抗がないばかりか、むしろ心地よく響く。意外な発見でした。

音頭を大瀧さんが作った理由はいろいろあるんだろうと思いますが、「おっかさん、聴いてくれ」って気持ちもあったんじゃないかと思います。

今住んでいるところから2〜3キロのところにちょっと小さな商店街があります。車では何度か通っているのですが、一度ゆっくり歩いてみたいなと思いつつ、まだ実現していません。歩かなければ発見できないものがいくつもあるはずですから。ただ、僕が都合がつくのはわりと午前中。でも商店街は「三丁目の夕日」ではないけど、やはり夕方が似合いますね。

余談ですが、音頭は60年代ポップスで多く聴かれるシャッフル・ビートの変形と言えますね。だから大瀧さんが音頭にした「イエロー・サブマリン」のようなシャッフル・ビートの曲と相性がいいようです。
スペクターのこの曲なんかをちょっとだけいじって手拍子なんかを入れたら「クリスマス音頭」に似てくるような気がしました。

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# by hinaseno | 2012-12-25 08:38 | 音楽 | Comments(3)

『東京ファイティングキッズ』の「おわりに」に平川克美さんはこんな言葉を書かれています。

「ビジネスにおいて最も大切なことのひとつは『繰り返される』ということであると僕は思っている」

「ささやかであっても繰り返し注文をもらうこと。繰り返し雇ってもらえること。繰り返し声をかけてもらうこと。こういった繰り返しがなければ、ビジネスそのものが成立しないのである。
そして、この『繰り返される』ということを担保するのは、戦略という好戦的なものではなく、むしろ見えない資産である『信用』というものである。
どんなに精緻な戦略的言辞を弄しても、「だまされた」と思えば顧客は二度と買ってはくれない。逆に信用が増えれば、この繰り返しは必ず拡大再生産される。あたりまえのことのようだが、戦略的な思考をしているとこの道理が見えないのである」


極めてまっとうな言葉ですね。でも、テレビなんかに出てくる経済学者やビジネスの専門家と呼ばれるたちから、僕はこんなまっとうな言葉をきいたことがありませんでした。そしてこの言葉には物語があります。ささやかな繰り返しを大切にする人たちの物語が。

a0285828_115029.jpgで、『東京ファイティングキッズ』が出て間もなく平川克美さんの最初の著書『反戦略的ビジネスのすすめ』が出版されます。正直僕はビジネス書には全く関心はなくて今まで一冊も買ったことはなかったのですが、でも、発売されてすぐに買いました。タイトルに「反戦略的」という言葉があるように、ありがちなビジネス書ではないこともわかっていましたしたから。

『反戦略的ビジネスのすすめ』には各章のはじめに、詩や小説からの一節が載せられています。 黒田三郎、飯島耕一、三木卓の詩、そして太宰治、シェイクスピア、岩井克人、メルロ=ポンティなどからの引用。普通のビジネス書(といっても全然読んでいないので確証はありませんが)とは全然違っています。
そして極めつけは第二章。村上春樹の『1973年のピンボール』です。内田先生同様、平川さんも村上春樹の大ファンだったんですね。引用されているのはこの言葉。

しかしピンボール・マシーンはあなたを何処にも連れて行きはしない。リプレイ(再試合)のランプを灯すだけだ。リプレイ、リプレイ、リプレイ……、まるでピンボール・げーむそのものがある永劫性を目指しているようにさえ思える。


まさにささやかな繰り返しを描いた場面ですね。『反戦略的ビジネスのすすめ』のこの章には1977年に(まさに大瀧さんの「ゴー!ゴー!ナイアガラ」を放送していた頃)平川さんは内田先生たちと「アーバン・トランスレーション」という翻訳会社を設立したことが書かれています。会社名を「ア」から始めるというのも極めてナイアガラ的です。会社名を決めたのは内田先生と、専務の〇〇さん(後ほど登場します)だったのでしょうか。

平川さんと内田先生が「アーバン」という翻訳会社をされていたことは『東京ファイティングキッズ』は内田先生の著書で知っていましたが、興味深かったのは、1980年に村上春樹の『1973年のピンボール』が発表されたとき、友人から「『ピンボール』のモデルは君たちではないのか」といわれたとのエピソードが書かれていたこと。『1973年のピンボール』に描かれた情景、あるいは小説の中で交わされている会話に、平川さんらがされていた翻訳会社と似通った風景がいくつもあったことが書かれていました。
もちろん、平川さんや内田先生も驚かれたかもしれませんが、僕自身にとっても、たまたま実家に戻っていたときに開いた新聞から関心を持った人たちが、僕の大好きな村上春樹に深くつながっていったのですから。運命的と思わざるを得ませんでした。

そしてここにはもう一つの運命的なつながりがありました。それがこの章に登場する「専務のイシカワくん」です。こんな紹介の言葉が。

「専務のイシカワくんは音楽への造詣の深い、優しい精神の持ち主で、最近60年代の音源を紹介する本を共同執筆し、出版しています」


「専務のイシカワ」さんはまさにこの時期に、「ゴー!ゴー!ナイアガラ」を深夜まで起きて録音されていたわけですが、平川さんの『反戦略的ビジネスのすすめ』を読んだ時にはちっとも”あの方”とつながるはずもありませんでした。
a0285828_113534.jpgちなみにここに書かれている「最近60年代の音源を紹介する本」とはこの『ゴールデン・ポップス』という本のことです。このシリーズの本は何冊か持っていて、もちろんこの本も買っていましたが、この「専務のイシカワ」さんが書かれているのを知ったのは今年のことでした。すみませんでした(誰に謝っているのでしょうか...)。ちなみにこの本の表紙の女の子(ルラルですね)が手に持っているのは大瀧さんの好きな「ティーンエイジ・トライアングル」ですね。今、気づきました。
(続く)


残念ながら明日から仕事でかなりハードな日々が週末まで続くことになりますので、このブログの更新は今までのように毎日は無理になりそうです。本当はこんなに長くなるとは思わなかったのですが、まあ「大瀧詠一的2012」がすべて配信されるまでに終ればいいかなと思っています。
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# by hinaseno | 2012-12-24 11:06 | 全体 | Comments(0)

内田先生の本やサイトに書かれた文章を読んだとき、なんてまっとうな意見を言う人なんだろうと、心から感動したことを覚えています。この声はもっともっと多くの人に、できれば為政者と呼ばれるような人たちに届けばいいと心から思いました。それは、まもなくあっという間に実現することにはなったのですが。でも、僕が内田先生のサイト(最初はブログ形式ではなかったように思います)を見始めたときには、まだそんなにはカウンター数も多くなくて、「ちょうど〜件目の訪問者の人は証拠の写真を送ってください。粗品を進呈します」みたいなことも書かれていて、僕も何度か狙ったこともありましたがだめでした。当初はそんなふうなとても牧歌的、家庭的なサイトでした。
そういえば『子どもは判ってくれない』の書評には、確か内田先生がその本を最後に断筆宣言をされたと書かれていたような記憶があります。なんてもったいないんだろうと思ったりもしたのですが、結局、執筆活動を再開されます。考えてみると、内田先生はサイト(ブログ)で何度か断筆宣言をされています。結局は再開されて今に至っているのですが。
『大瀧詠一的』のどこかで、大瀧さんが、あてにならないことの喩えとして「内田先生の断筆宣言みたいなもので...」と語られていて、知らない人には「?」なのですが、僕はそれを聞いて思わず吹き出してしまいました。

さて、『子どもは判ってくれない』に「友達であり続ける秘訣」という文章があります。その友達として語られているのが平川克美さん。小学校5年生のときに内田先生が転校してきて平川さんと同じクラスになって以来の友達なんですね。平川さんはどうやらそのクラスを仕切っていたようです。二人はすぐに意気投合して仲良しになる。どうやら二人とも相当の悪ガキみたいですが、そのときの担任の先生がよかったみたいですね。
その文章には平川さんと最近(文章を書かれた2001年当時)の会話が書かれている。平川さんの会社が株でかなりの損失を出してしまったという話を聞いての会話。


「差損が出たらどうするの?」
「『ごめんね』って土下座する」
「『ごめんね』ですむの?」
「うん」


平川さんという人のキャラクターが出てますね。もともとこれはサイトに載っていたものが本になったものですが、こんな話、実名で書かれて大丈夫なのかなと思ってしまいました。考えてみれば、『子どもは判ってくれない』は「大人」というもののあり方を語っているのですが、当時50歳を過ぎた「大人」である人が、自分自身のまだ生きている友人のことを実名を出して、その友達関係のありようを語るなんてなかなかできることではないように思います。
『子どもは判ってくれない』にはこんな言葉があります。

私も平川くんも自分の中にある「曖昧な感覚」や「なんだか訳の分からない概念」を言語化することについてはずいぶんこだわりがある。だから、会ったときの話題はたいてい、「自分がうまく言えないこと」、「自分がそれを語る適切な語法をまだ習得していない心的過程」をめぐることになる。
ところが、まことに不思議なことではあるが、私が自分の中にある非常に言語化しにくい「思い」をようやく言葉にしたとき、平川くんから来る反応はいつでも「そう! それこそ、ぼくの言いたかったことなんだよ!」なのである(そして、当然ながら、平川くんが苦吟しつつようやく語りだす言葉はほとんどすべて「私が言いたかった、当のこと」なのである)。


本当にうらやましくなる関係。で、内田先生のサイトを見たら、すでにその平川さんと内田先生とのやりとりが書簡形式で続けられているのがわかりました。これを読んで僕はすぐに平川克美という人に惹きつけられることになります。内田先生と同じことを語っていてもちょっと表現の形がちがう。より文学的、物語的な語り口をもっているんですね。時に過激な内田先生の言葉を平川さんを通じて物語的に理解することができる。その意味では絶妙な関係だなと思いました。

このネット上での書簡形式の対話はのちに『東京ファイティングキッズ』という一冊の本になります(2004年10月発行)。
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ちなみに「東京ファイティングキッズ」というのはストーンズの「ストリート・ファイティング・マン」がネタもととのこと。ラジオデイズの『大瀧詠一的』も最初は「大瀧詠一×東京ファイティングキッズ」になっています

さて、『東京ファイティングキッズ』という本の中で僕が最も好きなのは平川さんが書かれた「『縁側』的な共有地を持たない社会というのは非常にコスト高の社会になるのは言うまでもありません」という文章。昔の家によく見られた縁側の話から、社会、共同体のあるべき姿へと話は進みます。例えばこんな言葉に僕は線を引いています。

こういった自分のものであって、自分のものでないもの、あるいは誰のものでもないものに向き合うときひとびとはいくぶんかの遠慮といくぶんかの貢献、いくぶんかの愛情といくぶんかの距離をもってそれらを消費しようとするのだと思います。そこには暗黙の了解というものが働いており、それが、(村の井戸水を)汲み尽くしてしまうといった「共同体の悲劇」にブレーキをかけるベクトルとして働きます。


平川さんのこの考えは今でも一貫して持たれていて、表現の形を変えられては発信し続けられていて、全くその通りだと思うのですが、為政者には届かないというか、むしろそればかりか縁側的な部分をどんどん失くしてしまおうとする為政者を望む社会になっているように思います。残念というか哀しいと言うか。
(続く)
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# by hinaseno | 2012-12-23 11:29 | 全体 | Comments(0)

昨日の話とは全く関係のない話を。
実は昨日はいよいよラジオデイズから「大瀧詠一的2012」が配信されましたってことで、それにからめての話をしようと思ったら、例によって話が長くなってしまって、時間がなくなってあのような形の文章になりました。まあ、でも情報提供のブログでもないからいいですね。あくまで、僕の個人的な物語を書き連ねているだけですから。昨日の続きは明日以降に。

今、Pヴァイン・ブックスから出たばかりの『レッキング・クルーのいい仕事』という本を読んでいます。
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これがめっぽうおもしろいんです。大瀧さんの「アメリカン・ポップス伝」にもつながるような、かなり綿密な調査に基づいたミュージシャン(特にバック・ミュージシャン)の物語。「大瀧詠一的2012」によれば、「アメリカン・ポップス伝Part3」(来年の3月に放送されるとのこと)は一旦、50年代後半に戻るようですが、おそらくはレッキング・クルーとして大活躍するようになる人たちの、その前の段階を語られた上で60年代に入るのではないかと思います。その意味ではこの本とかぶる部分も出てきそうです。
といいつつレッキング・クルーって何って方がいらっしゃるとは思いますが、また長くなるので説明しません。

で、昨夜読んだ、第10章の「夜のストレンジャー」を読んで、いくつもおおっと思うことがあったので、それについて少し。「夜のストレンジャー」はフランク・シナトラの大ヒット曲。こんな曲です。


実は先日神戸に行ったとき、この曲の収められたLPを買ってきてて、聴いたばかりだったんですね。
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一聴して思ったのは、なんとなくスペクターっぽいサウンドだなと。シナトラの声をもう少し抑えめにして、バックのサウンドを前面に出して、弦のアレンジを少し変えればまさにスペクターだなと。
で、『レッキング・クルーのいい仕事』を読んだら「夜のストレンジャー」の話が出てきて、何とバック・ミュージシャンはまさにスペクターと同じレッキング・クルーだったというわけ。ミュージシャン全員の名前は書かれていませんがドラムはハル・ブレイン。ちょっと、抑え気味ながら「ビー・マイ・ベイビー」風のドラムが聴かれます。
面白かったのは、そのギタリストに先日、ボビー・ラッセル特集の最後に出てきたグレン・キャンベルが呼ばれていたこと。彼はそろそろバック・ミュージシャンをやめて自分も歌を歌って名声を得たいと考えていた頃。その意味ではシナトラは雲の上にいる憧れの存在。彼は三時間の演奏中、シナトラから目を離すことができずにいる。
ふと気づくとシナトラが彼に視線を返しているように感じる。グレンはシナトラが自分のギターの腕前に惚れ込んでいるのだと、自慢げな気持ちになる。すると今度はシナトラがプロデューサーのジミー・ボーエンにグレンの方を見ながら何か話しかけている。グレンはどんな会話が交わされたのか気になって仕方がなく、あとでボーエンに確かめる。

「さっきシナトラさんは俺についてなにか話をしてた?」

するとボーエンはこう答える。

「俺のことをずっと見つめてくるギタリストがいるんだが、あのオカマ野郎は誰だ? だってさ」

もう一つ興味深いのはエンディングのフェードアウト寸前に聴かれるシナトラのアドリブについての話。ドゥドゥドゥビダ〜の部分ですね。これに関するエピソードもとっても面白い。まあ、それはここでは書かないことにします。

さて、シナトラの「夜のストレンジャー」が録音されたのは1966年の4月。調べてみるとまさに同じ年の同じ月にスペクターはロネッツのこの「I Wish I Never Saw The Sunshine」という曲を録音していることがわかりました。バックのミュージシャンは、「夜のストレンジャー」とメンバーがどれだかかぶっているかどうかわかりませんが、もちろんレッキング・クルー。作曲者は違いますが曲の雰囲気は驚くほど似ています。


ちなみに「I Wish I Never Saw The Sunshine」は個人的にはスペクター関連の曲の中では特に好きな曲。初めて聴いたのが今日のような冬の寒い日だったので、僕の中では冬の曲、特にクリスマス前後に必ず聴きたくなる1曲になっています。

レッキング・クルーといえば何といってもこの写真です。中心にいるサングラスの男はもちろんフィル・スペクター。
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# by hinaseno | 2012-12-22 21:13 | 音楽 | Comments(0)

子どもは判ってくれない


今から9年前のある日のこと、その日たまたま実家に戻っていて、実家でとっている地方新聞(山陽新聞ですね)を開いたら、書評欄があって、その中の内田樹という人の『子どもは判ってくれない』という本の書評に目に留まりました。

今でこそ本はよく読みますが、当時は何人かの好きな作家の本の新刊が出れば読むくらいで、新聞や雑誌の書評を熱心に見るようなことはありませんでした。でも、ときどきは本のタイトルや、あるいは表紙のデザインに目がとまって書評を読むことはありました。場合によってはそれで面白そうだなと思って購入することもありました。

『子どもは判ってくれない』には、たぶんいくつか僕が目をとめてしまう要素がありました。まずは何といってもそのタイトル。いうまでもなくトリュフォーの映画『大人は判ってくれない』をもじったものですね。トリュフォーの映画は小西康陽さんの影響でよく観ていましたので、そのタイトルの感覚に惹かれたのが最初でしょうか。
それから「大人」のところを「子ども」にしているところ。教育関係の仕事をしていましたので、当然、反応してしまいます。でも、タイトルに「子ども」とついているくらいで反応していたら切りがありません。やはり「大人は判ってくれない」の「大人」のところに「子ども」が入っているという面白さに惹かれたのだろうと思います。

もう一つは「内田樹」という名前。その少し前に僕はあるものに文章を書くことがあって、そのために考えたペンネームの1つにそっくりだったんです。
「樹」は「たつる」と読むのですが、たぶんそれを確認したのはずいぶん後だったと思います。僕は最初は「いつき」と読んでいました。
「樹」という字には昔から深い縁を感じていました。まずは何よりも木(樹)が好きで、昔から木の写真ばかり撮っていました。今でも車を運転していて、いい木に出会うとうっとりと眺めてしまいます。
それから当時僕が最も読んでいた2人の作家にはいずれも「樹」という字がついていました。いうまでもなく村上春樹、そして池澤夏樹。だからペンネームは「秋樹」にしようかとも考えたのですがちょっと語呂が悪い。といって「冬樹」はちょっと。
それから、もう一つ。僕にとって大好きな映画があってそれが岩井俊二の『ラブレター』なのですが、その主人公の2人の名前(同姓同名ですね)が「藤井樹」。「樹」は「いつき」と読みます。この印象が強くて結局僕は下の名前を「樹」としました。
名字は最終的にちょっと変えたのですが1字はかぶっていました。つまり3文字のうちの2文字が僕の最初に考えたペンネームと同じだったんです。著者の名前がどれくらいのサイズで載っていたかは定かではないのですが、「内田樹」という名前を見て、あっと思ったことは確かでした。しかも本のタイトルも、僕の気になるものが含まれていて、正直運命的なものを感じざるを得ませんでした。

運命的といえば、僕は実家に戻るのはせいぜい年に5〜6回で、しかも山陽新聞に書評が載る月曜日にいることはめったにありません。年に1回あるかないか。そんな中でこの書評に出会ったんですね。

で、書評で引用されたいくつかの言葉を読んで、自分の感覚にあまりにも近いものを感じたので、自宅に戻ってきてすぐに書店に行って本を購入しました。そして一気に読んでしまいました。まずは何といっても言葉のリズムの良さ。これほど僕にぴったりあったリズムで文章を書く人は他にはただ一人しかいません(それはあとでわかるのですが)。
そしてその内容。僕が心に思っていても言葉にできなかったような内容のことを、あまりにも的確に、しかもユーモアにあふれた表現を使って書かれていました。そのユーモアの感覚と思索の方法も僕には近しいものでした(それもあとでわかるのですが)。

で、僕は内田樹という人の当時出ていた本を買い込みました。『ためらいの倫理学』『『おじさん』的思考』『期間限定の思考』『疲れすぎて眠れぬ夜のために』...。そして、そのいずれかの本でその村上春樹と大瀧詠一という名前を何度も目にすることになります。内田樹という人も、僕の最も敬愛している2人の大ファンだったんですね。運命的な出会いに、さらなる運命が待っていたんですね。もちろん驚きましたが、僕が強く惹かれた理由もそこにあったんだと納得しました。

『子どもは判ってくれない』で、内田樹という人が神戸女学院の教授をされているということがわかりましたので(現在は退官されています)、僕は個人的に内田先生と呼ぶようになりました。それからその本には内田先生のホームページのアドレスが載っていて、その日から僕はほぼ毎日更新される内田先生のブログを読み続ける日々が始まります。
(続く)
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# by hinaseno | 2012-12-21 10:50 | 全体 | Comments(0)