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Talks About Music, Books, Cinema ... and Niagara


by hinaseno
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先日、森光子さんがなくなられたことに触れて、『放浪記』の舞台音楽を古関裕而さんが作っていたことを書きました。何でだろうと調べたら、『放浪記』は古関さんと一緒にたくさんの曲をかいている菊田一夫の作品だったんですね。例の「鐘」シリーズの一つである「フランチェスカの鐘」の歌詞も菊田さんが書いています。菊田・古関コンビで最も有名なのはやはり「君の名は」でしょうか。古川ロッパの歌う「さくらんぼ道中」もこのコンビの作品(アゲインの石川さんが作られた「古川ロッパ傑作集」の最後に収められています。とっても素敵な曲なのでぜひ聴いてみて下さい)。

さて、『放浪記』の音楽。僕の持っている『古関裕而全集』に2曲入っています。
菊田さんが亡くなられて演出家が変わられて、最初に作られた古関さんの曲のいくつかは使われなくなったようです。もったいないですね。
というわけで、その、今は使われていない方の曲を。実は先日、こっそりとYouTube上にアップしましたので、ここに貼っておきます。とても綺麗な曲です。
森光子さんのご冥福をお祈りします。

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# by hinaseno | 2012-11-17 08:53 | 音楽 | Comments(3)

基本的に、何かに気づくのには時間がかかります。というよりも、すぐそばにあって目に入っているのにもかかわらず、気づかないこともしばしばあります。
昨日のブログの最後で「三月三十日」と題された詩を引用したときに、ちょっとびっくりするようなことに気づいてしまいました。何ヶ月か前に一度確認していたことであったはずなのに、”それ”につながりませんでした。偶然にしては、できすぎているつながりです。

ちょっともったいぶるようですが、大正14年の木山さんのことに話を戻します。雑司ヶ谷に住んで、おそらくは開業したばかりの路面電車に乗って東洋大学に通っていた頃ですね。何となくこの年の木山さんのことをいろいろと考えてみたくなりました。
で、昨日、ブログを書いたあとで、改めて地図をいろいろ眺めていたら、いろんなことがわかってきました(ストリートビューもちょっとやってみました。すごいですね。店の中にまで入れちゃうんだ)。
一つは雑司ヶ谷は当時木山さんが通っていた東洋大学よりも、その3年前に進学を熱望していたけど父親の大反対で行くことができなかった早稲田大学に近いんですね。でも、考えてみたら、なぜ木山さんは早稲田ではなく東洋大学に行ったんでしょうか。(『木山捷平 父の手紙』を読むと、大正14年5月1日の手紙には「『日本大学』をやめて『東洋大学』にすること賛成す」と書かれているので、最初は一旦、日本大学に入学したた可能性もあります。どこまで父親に正直に手紙を書いたかはわかりませんが)。もしかしたら早稲田もこっそりと受験したけれども、合格できなかったのかもしれませんね。
小さなカミングアウトをすれば、僕は1度だけ東京に行ったことがあります。まさに早稲田大学の文学部を受験するためです(希望したのは文学科ではありませんでしたが)。唯一、東京で受けた学校でした。結果的には不合格となって、地元の大学に通うことになったのですが。
当時、僕はそんなに本を読む人間ではありませんでしたし、村上春樹のこともまだ知りません。でも、なぜか早稲田の文学部には憧れを抱いていました。理由は今もってよくわかりません。ただ、受験の日、僕は高田馬場で電車を降りて、早稲田周辺を歩いています。僕が東京の街歩きをした唯一の場所です。雑司ヶ谷まで歩いたかどうかはわかりませんが、あの辺りにあるケヤキ並木を歩いたような気もします。
雑司ヶ谷の近くには墓も多いんですね。木山さんは墓が好きで、墓巡りをよくしたことが詩などにも書かれています。あの辺りの墓は、確か荷風も歩いていたのではなかったでしょうか。川本さんの本で読んだ気がします。
それから木山さんの、昭和2年に姫路で書かれた詩(「失業者の夕暮」)に出てくる護国寺も、この雑司ヶ谷にあるということがわかりました。姫路に戦前にあった寺なのかと思っていましたが、詩に出てくる「坂」は姫路には存在しないものでしたから。
いずれにしても雑司ヶ谷近辺、護国寺、鬼子母神などの風景がとても気になってきました。近くにはいろんな大学もあって、細野晴臣さんや佐野元春さんが通っていた立教大学にも近いんですね。ぐっと身近になってきました。

さて、最初の話に戻ります。
実は木山さんには日付が題名になっている詩が、いくつかあります。
『木山捷平全詩集』には全部で5篇。「メクラとチンバ」に収められたものが3篇、そして未発表詩篇に2篇。昨日引用した「三月三十日」は未発表詩篇に収められています。
「メクラとチンバ」に収められているのは「一月一日」「一月三日」「二月二十八日」、そして未発表詩篇に収められているのは「三月三十日」と「二月二十八日」。なんと「二月二十八日」という詩が2つもあるんですね。2つの詩は内容が全く異なっています。書かれたのも昭和6年と昭和9年。
詩の書かれた日付を詩の題名にしたのであれば、もっといろんな日付の詩があってもいいはず。でも、残っているのはたった5つ。しかもそのうちの2つは全く同じ日。この偶然は何なのでしょうか。

興味深いのは、未発表詩篇に収められた、昭和9年に書かれた「二月二十八日」の詩の内容です。

僕は二月二十八日と言ふ日が好きなり。
もしも気早やな米屋ありて
勝手口にのぞき米代を求めんには、
「ああ米屋さんか、生憎今日はないから三十日にしておくれ」
と答へん。
もしも気早やな大屋ありて
玄関のたたきに立ちて家賃を求めんには、
「ああ大屋さんか、生憎今日はないから三十日にしておくれ」
ああ今日はわれらの日なり。明くれば弥生三月ついたちなり。

木山さんらしいユーモアにあふれた詩です。
でも、ポイントは「僕は二月二十八日と言ふ日が好きなり」という言葉、あるいは「ああ今日はわれらの日なり」。

「二月二十八日」、そう228です。
木山さんが大正11年に姫路の師範学校を抜け出して上京したけど、父親の激しい怒りを買って姫路に戻ったときに、郷里の先輩に出した手紙に書かれていた木山さんの住所の番地(姫路市南畝町228)と同じ。
偶然にしては出来すぎている話。
前にも書きましたが、木山さんは姫路にいる時、おそらくは一度も南畝町には住んでいません。仮の家を持つ金銭的な余裕なんてあるはずがありません。
以前、僕はそこに木山さんと関係の深い”だれかが”住んでいるという仮説を立てましたが、もしかしたら新たな仮説を立てなければいけないのかもしれません。
南畝町228は、しゃれっ気のある木山さんが思いついた、まさに捏造された住所ではなかったのかと。どうせ姫路には長く腰を据える気もないからと、適当な住所を勝手に考えた。そのときに番地に使ったのが自分の(いつから好きになったのかはわかりませんが)一番好きな数字「228」。
果たして真相やいかに。

a0285828_9202323.jpgの写真は僕の持っている本に載っていた明治時代の鬼子母神のケヤキ並木の風景です。
大正14年、木山さんはおそらく何度もこの辺りを歩いているんでしょうね。「ケヤキ」をキーワードにして改めて詩集を読み返してみます。
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# by hinaseno | 2012-11-16 09:25 | 木山捷平 | Comments(0)

いつか雑司ヶ谷駅で


ときどき何かに関心を持つと、偶然にしてはちょっとびっくりするようなつながりを発見することがあります。

昨日紹介した木山捷平の「女学生」という詩。とっても素敵な詩なのですが、もしかしたら読まれた人(特に女性であれば特に)こんなふうに思われたかもしれません。

いくら女学生(あの時代なのでおそらくは女子中学生)が素敵に見えたからといって、わざわざ彼女たちを追いかけて同じ入り口から乗らなくったっていいんじゃない?

僕も実はちょっとだけこう思いました。で、昨日、ブログをアップしたあと雑司ヶ谷の駅のことを調べました。するとあることに気づいたんです。
木山さんが乗ったのは、列車ではなくて路面電車(都電)だったんだということを。私鉄は大正14年当時、まだあの辺りを通っていませんし、地下鉄なんて当然まだありません。ですから、あの詩では「駅」ではなく「停留所(今は停留場と言われるようです)」と書かれていたんですね。 列車で綺麗な女学生を見つけて、わざわざ彼女たちを追いかけて同じ入り口から乗り込んだわけではなかったんです。路面電車の入り口は1つだけですから。少しだけ変な誤解をしていました。木山さん、すみませんでした。

調べてみると雑司ヶ谷の停留場があるのは都電荒川線。東京で現在も路面電車が走っている唯一の路線。なんと開業年月日が大正14年3月30日となっています。
わおっ、ですね。
木山さんのあの詩が書かれたのはまさに大正14年。内容から見れば4月くらい。つまり木山さんは開業してすぐの路面電車に乗っていたんですね。ちょっとした発見です。

東京の路面電車は、東京オリンピック頃からどんどんと廃止されたみたいですね。今は都電荒川線だけ。調べてみると都電荒川線には「王子駅前」という停車場が。王子駅といえば堀江敏幸の『いつか王子駅で』という本のことが浮かびます。どうやら荒川線の三ノ輪橋停留場の近くに住んでいる若者が主人公とのこと。堀江さんは大好きな作家なのですが、この本は読もうと思いながらまだ読めていなかった本。いいきっかけになったので、ぜひ読んでみようと思います。

ちなみに路面電車は今となっては全国的にもめずらしいみたいですが、岡山の人間にとってはちっともめずらしいものではありません。なぜならば岡山市の市内には今も路面電車が走っていますから。僕も子供の頃から数えきれないくらい乗りました。

さて、列車とか電車とかの話になれば、やはり川本三郎さんなので、川本さんならきっと都電のことをどこかに書かれているのではと思って、...でも、探すまでもありませんでした。まさに、今ちょっとずつ読み続けている川本さんの『小説を、映画を、鉄道が走る』の、昨日まで読んだその次の章(第11章)が東京の路面電車の話でした。残念ながら、木山さんのあの詩の引用はありませんでした。あたりまえですね。あの詩だけではどこの電車なのかわかりませんから。しかも川本さんが(短編小説は沢山読まれていることは知っていますが)木山さんの詩集まで読まれているかはわからないですし、...と書きかけてあとの方のページをめくったら、何と木山さんの詩の引用があるではないですか。
「おしのを呑んだ神戸」と題された詩。書かれたのは昭和3年。木山さんが姫路にいたときに書かれたものですね。
この詩の引用はしませんが川本さんはこの詩について「飄々とした作風の木山捷平にしては珍しく怒りが激しくて驚かされる」と書いています。昭和3年は姫路でも実際には北部の菅生小学校に勤務している頃ですからね。あの頃に書かれた詩は怒りに満ちたものが多いです。理由は言うまでもありません。
それにしても、木山さんの詩が引用された第15章の初めの部分はずっと前に何度も何度も読んでいたのですから。なぜならそこには小津の『早春』のこと。そして川本さんが岡山の三石を訪ねられたことが書かれているのですから(そこだけ読んで、この本は置いていたんです)。
もう少しびっくりしたのは第12章には中央線の話が出てきます。中央線は木山さんが姫路から再び東京に行って住むようになった場所ですね。この本のこの章では木山さんのことは出てきませんが川本さんの『それぞれの東京』という本では木山さんと中央線との関わりが詳しく書かれています。
さらにびっくりしたのは第13章。ここには木山さんの「斜里の白雪」という作品にも触れられています。「斜里と白雪」をもし単行本で読まれていれば、その中には前に触れた「夢前川」という作品も含まれています。川本さんは読まれたんでしょうか。
いずれにしても、ここからあとのページを読むのが楽しみになってきました。でも、川本さんの本は絶対に少しずつ読みます。読んでいて何かにひっかかったらしばらくはそちらに行ってしまうこともあります。でも、それでいいんです。

ところで川本さんは岡山にやって来たときに、市内の路面電車に乗られています。『旅先でビール』という本に、その時のことが書かれています。『旅先でビール』という本には三石にやって来たときのこともかなり詳しく書かれています。その本では岡山のもう一つの場所、牛窓が出てきます。「住んでみたい場所」として。うれしいですね。

そういえば、『小説を、映画を、鉄道が走る』では林芙美子の『放浪記』の引用が数多く出てきます。『放浪記』といえば、ずっと舞台でそれを演じられてきた森光子さんが亡くなられました。つい最近知ったことですが、その『放浪記』の舞台音楽を最初に作ったのが古関裕而だったんですね。最近ではいくつかは別の人が作った曲も使われるようになったみたいですが、今でも古関さんの曲が使われているようです。

木山さんの詩に話を戻します。木山さんの詩にはもう一つ電車の風景を描いた詩があります。「三月三十日」と題された詩。昭和6年、木山さんが再び東京に戻ってから書かれた詩です。この詩も好きな詩です。

電車は本所を走つてゐた。
僕の前に
あまりきれいでない娘が
菜の花をかかえへてのつてゐた。

僕は
ふるさとの
だんだん畑を思つてゐた。


「あまりきれいでない娘が」という表現がおもしろいですね。
木山さんの年譜を見ると、この年の6月頃に林芙美子を知る、と書かれています。そしてこの年の11月にみさをさんと結婚されています。

最後に、路面電車といえば、この曲、ということで、大瀧さんのいたはっぴいえんどのおそらくは最も有名な曲「風をあつめて」を。この曲を作ったのは大瀧さんではなく細野晴臣さんです。詞を書いた松本隆さんもきっと路面電車が好きだったんでしょうね。


a0285828_9162145.jpg「風をあつめて」を収めた『風街ろまん』というアルバムの内側にはこんな路面電車のイラストが載っています。東京オリンピック前の風景でしょうか。

川本さんが「住んでみたい町」としてあげた牛窓は僕も大好きで、岡山にいるときには何度も行っていました。そして牛窓に行くと必ず立ち寄ったカフェがありました。
店の名は「風街」(街の字が違っていたかもしれません)。
この『風街ろまん』のアルバムも当然のようにかざられていました。でも、何年かして久しぶりに行ったときにはその店はなくなっていました。
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# by hinaseno | 2012-11-15 09:17 | 木山捷平 | Comments(0)

木山捷平の詩、あるいは小説には「土」のにおいがします。
いうまでもなく木山さんが農家の生まれだから。
でも、ごくまれに「土」のにおいがまったくしない作品があります。
そんな中で、僕が特に好きな「女学生」という詩を。
木山さんにもこんな詩があったんだと驚いた詩です。


朝の陽にかがやきながら
柳の葉のたれさがつてゐる停留所で
私が電車を待つてゐると
女学校の二年生くらゐの少女が二人
とぶようにしてあるいて来た。
どちらも顔かたちがうるはしく
無造作にたれてゐる髪の毛といひ
短いスカアトにはきこんでゐる靴下といひ
何んとも言へないみづみづしさ。
二人は私の前まできてたちどまると
ときどき地べたを靴の先でけりながら
新しく来た先生の噂をはじめた。
私はそれをそばからながめながら
燕よりも軽快な彼女らが羨ましくなつて
その時来た電車に
世界中でいちばん仕合せなものを追ひかけるように
二人のあとにつづいて乗りこんだのである。

大正14年に書かれた作品。木山さん21歳の時。この年にはたくさんの詩が書かれています。そしてその数年後の姫路時代の詩に比べて明るい詩ばかり。
大正11年に早稲田大学に行くことを父親に強く拒絶され、木山さんは教師になるため姫路師範学校に入ります(その年、一度学校を抜け出して上京します)。翌年、兵庫県北部の出石の小学校に行き、そこで2年間教員として勤めます。でも、大学で文学の勉強をしたいという気持ちは抑えることが出来ず、大正14年、再び上京して東洋大学文科学科に入学します。
上の詩は、おそらくは上京して間もない頃の作品。内容が4月って感じです。このとき木山さんは雑司ヶ谷に住んでいるので、雑司ヶ谷の駅の風景でしょうか。

おかっぱの頭か、あるいはちょっと大人になって髪の毛をあげて額を出すような女性の髪型しか知らなかった木山さんにとって「無造作にたれてゐる髪の毛」は何とも言えないくらい魅力的だったんでしょうね。
「ときどき地べたを靴の先でけりながら 新しく来た先生の噂をはじめた」なんて情景も素敵すぎます。
でも、何といってもこの詩で最も惹かれるのは「世界中でいちばん仕合せなものを追ひかけるように」という表現。
そう、この頃の木山さんは、女学生だけでなく、彼にとってようやく「世界中でいちばん仕合せなものを追ひかける」ことができるようになったばかり。木山さんの見ている女学生もはずんでいますが木山さんの心もはずんでいることがよくわかります。

でも、残念ながらまもなく病を得て東京を離れざるを得なくなり、2年後に姫路に戻ってくることになります。ほんの数年であっても素敵なものを見すぎてしまった木山さんにとって、姫路に暮らすことがどんなにつらかったかが痛いほどわかります。
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# by hinaseno | 2012-11-14 11:13 | 木山捷平 | Comments(0)

ばっちりキスしましょ


昨夜、アゲインの石川さんから電話があり、『Ring-a-Bell』の話、とてもよかったとの言葉をいただきました。うれしかったです。
で、石川さんから、そのアルバムの2曲目の「 ばっちりキスしましょ」のタイトルのことで、あれはシャングリラスの「がっちりキスしよう」からとったんじゃないかと指摘していただきました。きっとそうですね。能地さんの夫である萩原健太さんもこの曲が好きで、よくこの邦題のことも口にされていました。
ということで、シャングリラスの「がっちりキスしよう」を。ちなみに原題は「Give him a great big kiss」。原題もすごいですね。ただ調べてみたら前に触れた「がっちり買いまショウ」という番組が始まったのが1963年で、「がっちりキスしよう」が発売されたのが1964年なので、「がっちり買いまショウ」からタイトルを拝借した可能性はありますね。


シャングリラスというグループは大好きで、特に一番右で歌っているリードシンガーの金髪で長髪のメアリーは魅力的で、初めて彼女の映像を見たときにはときめきました。

ということで、今日は前にちょっとふれたナンシー・シナトラの”フルーツ”な邦題の特集をします。
まずは、前にも貼りました「Tonight You belong To Me」。邦題は「イチゴの片想い」。


で、能地さんが「 ばっちりキスしましょ」というタイトルをつけて渡辺満里奈さんが歌ったものがこの音源の2曲目。


次は、大好きな「Like I Do」。邦題は「レモンのキッス」。


大瀧さんはこの曲をCMでカバーしました。CMではアパッチというグループが歌っていますが、佐藤奈々子さんが歌ったものが220倍いいです。

次も素敵な曲。「I See The Moon」。邦題は「フルーツカラーのお月さま」。「フルーツカラーのお月さま」という言葉は、大瀧さんの「恋はメレンゲ」という曲の歌詞にも出てきます。


次は「Think of Me」。邦題は「リンゴのためいき」。


そして最後は「Just think About The Good Times」。邦題は「レモンの思い出」。途中で大瀧さんの曲に聴かれるようなメロディラインが出てきます。


楽しんでいただけたでしょうか。といいつつ、実際は僕が楽しむために作ったものなのですが。
本当に素敵な曲ばかりですね。でも、残念ながらナンシー・シナトラのこの頃に歌った曲を収めたCDはおそらく出ていないはず(ITunes Storeでは購入できるようになったみたいですが)。確か彼女がこの頃の曲を好きではないとのことが理由だったように思いますが、その後にヒットする、一連のちょっと悪ぶった感じの曲よりかはこれらの曲の方がずっといいと思います。

ただ、最近、年齢を重ねてきたせいなのか、だんだんと父親のフランク・シナトラの曲が心に響くようになってきました。
最近いいなと思ったのはこの「In The Wee Small Hours Of The Morning」という曲です。この季節にあっているように思いました。


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# by hinaseno | 2012-11-13 09:21 | 音楽 | Comments(1)