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Talks About Music, Books, Cinema ... and Niagara


by hinaseno
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昨日撮ったこの写真を。


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赤いサンタ帽をかぶった女の子とトナカイの角をつけた男の子がぴったりと寄り添っています。この日この場所で結婚式をあげた二人の間にはスキマはありません。スキマがあるとしたら、男の子の頭の上の2本の角の間くらい(それくらいのスキマは必要)。

二人の向こうで歌っているのは世田谷ピンポンズさん。ピンポンズさんはこう歌っていました。


♫珈琲の味は恋の味♫

すぐ目の前のこの光景を見ながら、まるでメルヘンの世界にいるような気分になっていました。いや、幸せでした。涙が出るほどに。


ところで今朝、高橋和枝さんのブログを見たらこんな素敵な絵が貼られていました(勝手にお借りしてすみません)。



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なんとクリスマスツリーのそばでサンタクロースとくまくまちゃんが向き合って(たぶん)珈琲を飲んでいます。いや、この絵にも泣けました。きっとサンタさんとくまくまちゃんもこの日結婚した二人をお祝いしてたんでしょうね。もちろんくまくまちゃんからのプレゼントはサンタさんがしっかりと届けてくれていました。


ところでジャズのクリスマス・アルバムの中では一番好きなのがヴィンス・ガラルディの『スヌーピーのメリークリスマス(A Charlie Brown Christmas)』。中でも一番のお気に入りが1曲目に収められた「O Tannenbaum」という曲。

この曲ですね。




ところでタイトルの「O Tannenbaum」ってどういう意味なんだろうと思いながら調べていなくって、先日ようやく調べました。

もみの木のことだったんですね。


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# by hinaseno | 2017-12-08 15:56 | 雑記 | Comments(0)

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塩屋に行くときに探していた本がありました。初めてある土地に行くときにガイドブックのようなものを読むことはまずしないのですが、播磨と呼ばれる地域の土地を訪ねるときには見ていた本。それがこれでした。

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『播磨古歌考』(橋本政次著 昭和45年)。万葉集から古今和歌集以下の勅撰集、勅撰外の歌集など、播磨地方の古歌を網羅的に調べたもので、播磨のいろんな地域の古歌が掲載されています。こんな場所の歌があったんだと驚くことばかり。よくぞここまで調べられたなと感心します。

この本は姫路での木山捷平を調べるために近くの図書館で郷土誌のコーナーに置かれている本をあれこれ眺めていたときに見つけました。以来、何度もこの本を借りては、どこかに行ったときなどにそこの歌を調べるようにしていました。


この本が、おひさまゆうびん舎のとなりのされど…さんにあるとき入ったんですね。でも、もうたぶんこれから先、そんなには播磨のあたりを歩くことはなくなるだろうと思ったので買わずにいたんですが、いよいよされど…さんともお別れというときに、その本を手に取って眺めていたらプレゼントしてくれたんですね。貴重な本なので決して安くはなかったけど。

でも、やはりなかなか見る機会がなかったので、どこにしまいこんだかわからなくなっていたんですね。それが先日、別の本を探していたときにひょこっと見つかったわけです。奥ではなく見やすい場所に置いていたのに、パラフィンがかかっていたために見逃していました。


『播磨古歌考』に収められた「塩屋」に関する和歌は全部で20首あるのですが見て驚きました。ほとんどの歌に「煙」が出てくるんですね。いくつか並べてみます。


ふる雪にあまの塩やも埋もれてたくものけぶりゆく方もなし
白砂のあまの塩やはうづめども煙はゆきにかくれざりけり
煙たつ塩やのすゝけ見せじとて雪のうはぶきけさはしてけり
沖津風塩屋の浦を吹くからにのぼりもやらぬ夕煙かな
常よりもふかくたく藻の煙かな塩屋をこめて霧や立つらむ
すまの蜑の塩屋も雪にうづもれてたくも煙ゆく方もなし
二見がた春のしほやのよはの月煙いとへばかすむ空かな
いかにせむあまの塩やにまがへても恋の煙はたちやまさらむ
あまのたく磯の塩やの夕けぶりおもひきゆとも人に知らすな
いつまでか立つる煙を恨みけむあるゝ塩やの秋の夜の月
霞み行く裏の塩屋の夕煙その色となく春ぞざびしき
塩やだにまれなる浦のよそめには煙の末も寂しかりかり


すごい数ですね。ただ最初の歌の解説に書かれているのですが、ここに選ばれた歌のいくつかに出てくる塩屋は単に塩を焼く小屋である場合もあって、地名の塩屋なのかそうでないのかは判断しづらいんですね。一応選者はとりあえず塩屋(塩や)とあるものをすべて収録したようです。

いずれにしても塩屋という場所は本来は煙と深く結びついていたことがよくわかります。煙のある風景こそまさに塩屋だったわけです。

塩屋で余白珈琲さんといろいろと話をしたときに、いずれは塩屋に店を持ちたいという希望を持っていることを聞きました。ただ、問題は煙。何か商売をするにも煙というものは都市化された社会においてはかなり難しい問題のようです。

「まわりに煙突がいくつもあるような場所ならいいんですけど」と言ったので、ああ、それならば三石がぴったりだねと言ってから、でもあそこはかなり過疎が進んでいるなと考え直して備前焼の里の備前でもいいかもしれないと言って、で、そういえばと、ある話を思い出したんですね。

その「そういえば」の話がタルマーリーさんのことでした。勝山でタルマーリーの渡邊格さんと話をしたときに、実は勝山に来る前に備前に店を持っていたことを教えてもらったんですね。備前といってもはずれのほうの香登(かがと)。香登って地名を聞いても普通は知らない人が多いんですが僕はよく知っていました。なぜならばそこは中学から高校にかけての頃、熊山(!)の中腹にある大好きな寺、大滝山福生寺(!!)に行くために自転車で何度も通っていた場所だったから。

で、さらにそういえばって話をしたんですが、数日後に、その「そういえば」話がなんだかまるで瓢箪から駒みたいな感じでつながるような、あっと驚くイベントがあることを知ったんですね。しかもその日は…、実際にはその前日は(!)、とか、いろんな縁がつながっていくようなことになっていたので、こうなったらあの方(!)もお呼びしてみようとか、今いろいろと考えているところです。

それにしてもすごい縁だなと思っているんですが、もしかしたら余白珈琲さんが着ていた服の胸に描かれていたビートルズが呼び寄せたのかもしれないと思ったりもしています。なんのこっちゃ、ですね。


それはさておき、余白珈琲さんの店は、やはり塩屋という場所が似合っていると思います。あの谷に煙が流れている風景は素敵だと思うので。そして潜水艦のロゴを考えるとやっぱり海が近くにないとね。


都市化が進んだ、平川さんの楕円思想の中の言葉を使えば無縁化が進んだ塩屋にもきっと煙を許してくれるような有縁の場所、スキマのような場所があるはず…、と、今、これを入力していたら「無縁」は最初は「無煙」に変換されてびっくり。

そうか、「縁」は「煙」にもつながっているんだ。とすれば「有縁(うえん)」は「有煙」でもありますね。煙草のお好きな平川さんにとっても、これは!のはず。


余白珈琲さんと別れた後、僕は塩屋の街を2時間ほど歩きました。もちろん例の旧グッゲンハイム邸や他の異人館にも行きましたが、やはり塩屋の魅力を感じたのは駅前近くの路地でした。

そんな中でもとりわけ惹かれたのがこの路地でした。

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この路地に入った瞬間にこれはって感じで写真を何枚も撮りました。

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で、足を止めたのがこの場所。

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前を歩いた親子連れが店の前に立ち止まったら店の中から女性が出てきて話しかけている。どうやら親子連れはスタンプラリーをしていたようで、その説明をしてあげていたのかもしれないけど、店の雰囲気も含めてなんともいい感じだったんですね。松村さんの言葉を使えば、まさにここはスキマだと思いました。

実は写真の右端の方に写っていますが、この店の横には本棚があって古い本が並んでいるんですね。売っているのか、どうぞご自由にお読みくださいということなのかよくわからなかったけど、でも、ずっとそこにいたいような場所でした。

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で、この店の前には坂を登るもう一本細い路地がありました。「とうふ田仲」と書かれた看板?が見えます。

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もうちょっと下がって見たら…。

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実はこの写真はちゃんと見ていなくて今日これを貼るときに気がついたんですが、なんと「とうふ田仲」と書かれていたのは煙突ですね。たぶん。


この「田仲とうふ店」のこと、もしかしたら、と思って森本アリさんの『旧グッゲンハイム邸物語』を見たらやはり載っていました。この店の田仲さん(僕の撮った写真に写っている人でしょうか?)は”町のレジェンド”の一人として森本さんはとても尊敬していて、なにかあれば田仲さんに頼んでいたようです。ちょっと引用。


「田仲とうふ店」の裏手には、ありとあらゆるものが蓄積されているのですが、自転車や家電が故障した、大工道具が足りない……そんなとき、とりあえず田仲さんに聞けば、修理してくれたり道具を貸してくれたりします。そして、店の前を通り過ぎるすべての子どもたちに「いってらっしゃい」「おかえり」と声をかけ、店の前には小さなジャングルのような自然とともにベンチや本棚があり、それがしっかり機能しているのです。彼らは自分たちが住む町のために、無償でさまざまなことを、自ら率先して楽しんで行っています。

自分の「スキマ」発見力を証明したみたいでなんだかうれしくなりました。

どうやらこの「田仲とうふ店」さんに相談すればいろんなことが解決しそうです。きっと煙のことも。塩屋には本来、煙のある風景があちこちに見られたことを知っているはずだから。


ということで余白珈琲さんの店が塩屋にできることを心から願っています。珈琲豆を焼くために立ち上る煙を見て、心和む気持ちになる人が必ずいるはず。


有煙は有縁。

煙がなければ珈琲豆的楕縁の世界をつくることはできません。


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# by hinaseno | 2017-12-06 12:51 | 雑記 | Comments(0)

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毎週一回、家からはそんなには遠くはないけど、風景的にはかなり田舎のパン屋さんに行っています。このパン屋さんを見つけたのは3年前の冬だったかな。たまたまいつもとは違う曜日の夕方にランニングをしていて、すっかり日が暮れてしまったときに、田んぼや畑の広がる風景の中にぽつんと、まるで童話に出てくるような明かりのついた一軒の家を見つけたんですね。なんだろうと近づいて見たら古い民家をそのまま使っているパン屋さんでした。

ちょうどその年の夏に勝山にあったタルマーリーという田舎のパン屋さんに行って、手作りのパンをおいしさというものを知ったばかりだったので、例によって「これも縁」と思ってそこでパンを買うようになりました。

このパン屋さんに行く楽しみは、もちろん焼きたての手作りパンが食べられるということもありますが、もう一つは周辺の風景。これはつい先日撮った写真。

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もうすっかり晩秋の風景。遠くの方では煙が上がっています。

ついでにこちらの写真も。やはり煙のある風景です。

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これは2年前の秋に、同じあたりから撮ったものです。ランニングの途中で撮りました。


昔から煙のある風景が好きで、特に晩秋から冬にかけて、田舎の山あいの町に行ったときにあちこちから煙が立ち上っているのを見るとなんともいえない穏やかな気持ちになります。太古から続く風景ですね。

そんなときに思い出すのは万葉集に収録された舒明天皇の「国見の歌」。


大和には 群山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば国原は 煙立ち立つ 海原は 鷗立ち立つ うまし国ぞ 蜻蛉島 大和の国は

大和にある天の香具山から国を見渡したら、あちこちの家のかまどから煙が立ち上っているのを見て、ああ大和はなんと美しい国だろうと思ったという内容の歌ですね。こういうのを感じ取れる天皇が為政者としていた時代があったわけです。


ところが今の時代、煙はかなり嫌われる存在となっています。洗濯物を干しているときなんかに、近所でだれかが何かを燃やしていたら匂いがついていやですからね。

そういえばずっと昔に書いた大好きだっただるまストーブの話。実家の工場に置いていたものを人にあげちゃったんですが、人にあげた一番の理由は以前は田んぼだった周辺の場所が住宅地になって、家がいっぱい建てられたことでした。一日中燃やし続けていて、工場の上の煙突からは煙を出し続けていたので、きっと苦情のようなものが耳に入ってきていたんでしょうね。

ただ、僕が最後にだるまストーブを燃やして、本(佐藤泰志の『海炭市叙景』でした)を読んでいたときには煙のことは全く忘れていました。後で何か苦情来たかな。


さて、長かったこのシリーズの話もとりあえずは今日と明日くらいで終わりそうです。あいかわらず行き当たりばったりで本題から外れること(珈琲豆的楕縁の内側には入っていたけど)も何度もありましたが、書いているうちに思わぬ発見があったりと、僕個人としてはとても楽しむことができました。で、その最後の話はまさに「煙」の話。


塩屋のイベントで余白珈琲さんに会って話をしていたときに、ちょっとした話の流れで「煙」の話になったんですね。目の前で実演してもらいながら、どうやったら美味しい珈琲を淹れることができるかの話をしていたんですが、そこからいつものように「そういえば」って感じで話が逸れて。

でも、そのときにたまたま逸れていった話が、数日後に思わぬ偶然が結びつくことになったんですね。こういう予想外のことが何度も何度も起こるのが、この珈琲豆的楕縁の世界の不思議です。


ところで話はまた逸れますが「セレンディピティ」という言葉があることを、つい先日知りました。

ウィキペディアにはこう説明しています。

「素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見すること。また、何かを探しているときに、探しているものとは別の価値があるものを偶然見つけること。平たく言うと、ふとした偶然をきっかけに、幸運をつかみ取ることである」


偶然というものに関するものとしては「シンクロニシティ」という言葉が知られていて僕もよく使っていましたが、「セレンディピティ」なんて言葉があったとは知りませんでした。僕の場合の縁はまさにこの「セレンディピティ」でした。


この「セレンディピティ」という言葉を知ったのはこちらのページ。かの有名な「ほぼ日」ですね。最近、ほぼ日の学校長を務められるようになった河野通和さんの「ほぼ日の学校長だより」の1番新しく更新された話「出合ったときが新刊」の話の中に書かれていました。河野さんは「セレンディピティ」を「ふとした偶然から思いもかけない幸運にめぐりあうこと」としていますね。

その河野さんの話も、近いうちに書くことになりそうです。これがまたすごい縁なんだ。


さて、塩屋で余白珈琲さんと話した煙の話ですが、長くなってしまったので、また、次回に。


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# by hinaseno | 2017-12-05 11:42 | 雑記 | Comments(0)

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今も『太田裕美の軌跡~First Quarter』を聴いています。今朝から聴いていたのはCM音源やライブ音源を収めたDISC 5。今日はブログにどんなことを書こうかと思いながらぼんやりと聴き流していたら、はっと思うようないい曲に耳を留めました。それは「心象風景」という曲。

「心象風景」は名盤『こけてぃっしゅ』に収録されていて、もちろんよく知っていて、好きな曲の一つだったので塩屋に行くときに作ったプレイリストにも入れていました。でも、このCDに収録されたライブ音源(1996年)では太田裕美さんはピアノの弾き語りで歌っているんですね。これが素晴らしい。

「心象風景」は昨日ちょっと触れた「恋愛遊戯」のB面。考えたらこのシングルもすごい。でも、このシングル、太田裕美さんの歴史の中ではセールス的には大失敗だったんですね。ちょっと信じれないけど。

「恋愛遊戯」はボサノヴァ調の曲で、当時はまだこういうしゃれた曲調を受け入れる素地がなかったんですね。発売に関してはかなりの大反対があったようですが、それを押し切って発売。でもやっぱりあまり売れなかった。

「心象風景」はそのシングルのB面。でも、いい曲なんだ、これが。松本隆さんが書いた詞も素晴らしくて、とりわけタイトルの「心象風景」という言葉が好きで、僕はときどきこの言葉を使っていました。

確か「心象風景」という言葉は宮沢賢治が使っている「心象スケッチ」という言葉をもとにして松本さんが考えた言葉。まあ、調べれば松本さんよりも前にその言葉を使っていた人はきっといたような気もするけど。

そういえば「心象風景」の歌詞の中には「境界線」という言葉が出てきます。「境界線」というのも松村圭一郎さんの『うしろめたさの人類学』のキーワードの一つで、この日引用したいくつかの言葉の中にも「境界」や「境界線」という言葉がいくつも出てきます。

そう、「境界線」はスキマが生まれる場所ですね。

A面の「恋愛遊戯」には「透き間」が出てきてB面の「心象風景」には「境界線」が出てくる。このシングルも手に入れたくなりました。


さて、何度も言っているように、松村さんの本の中で「うしろめたさ」とともにとりわけ重要なキーワードが「贈与」でしたが、ちょっと面白かったのは僕が余白珈琲さんに初めて注文したちょうどその頃、余白珈琲さんは「贈るコーヒープロジェクト」を始めたんですね。それまでに温めていたイメージを具体化したようです。

こんな内容。


コーヒー豆を購入された方に予告なしで、「1杯分のコーヒー豆」を贈ることがあります(気が向いたらなので、ランダムです)。
贈られた方は、お返しは要らないので、是非それを誰かに贈ってあげてください。そうしてひと息をついた誰かが、また別の誰かのために何かを果たし、温かみが巡っていけば、と願っています。
テーマは『コーヒー1杯分の温かみが、社会を循環していく』です。
小さな範囲から、ちょっとしたことからでいいと思います。今回のプロジェクトには関係なくても、日常で、何か「贈り物」を受け取ったと感じたなら、誰かにパスしてください。
時に、温かな連鎖に想いを馳せながら飲むコーヒーもいいものです。

実はこの少し前にある方から素敵な贈り物をいただいていて、何かお返しをしたいなと考えていたところだったので、これは素敵だと思って「1杯分のコーヒー豆」を贈ってくださいと頼んだんですね。「予告なし」で「ランダム」となっているのにもかかわらず。でも、余白珈琲さん、そんな僕のわがままな願いを快く引き受けてくれました。

ちなみに余白珈琲さんが松村さんの『うしろめたさの人類学』を読んだのは、もう少し後のことだったようです。松村さんのイベントでの珈琲の贈与がきっかけで縁がつながった余白珈琲さんが、全く別の形で珈琲の贈与という「温かな連鎖」を作ろうとしていることに感動すら覚えました。


ところで今月もこれからいろいろと楽しみなことがいくつか待っているんですが、来年の1月も楽しみなことがいくつもあって、その中の一つがミシマ社から平川克美さんの新刊が出ることです。

テーマはまさに贈与。タイトルはどうやら『二十一世紀の楕円幻想論』。この本はかなり前から取り組んでいたようで、平川さん渾身の1作になりそうです。

平川さんはかなり前から「楕円幻想」という言葉を使われていて、僕はその「楕円」というイメージが気に入って、で、最近の珈琲豆をめぐる縁のことにつなげて「楕縁」という言葉を思いたんですね。考えたときには、おっ、これは!って感じで、すぐにこのブログにも書こうと思ったんですが、ふと、小田嶋隆さんが以前、平川さんとの対談で言っていた「これはって思うような言葉を考え出したときにググってみたら、たいていは誰かがすでに使っている」という言葉を思い出してググってみたら、なんとヒット数が141,000 件!。あの五郎丸さんがブログのタイトルとして使ってたんですね。いやはや。

まあ確かにラグビーボールは楕円ですね。ああ悔しい。

悔しいと思いながら翌日、余白珈琲さんの豆を取り出したら、珈琲豆も楕円でした。ラグビーボールとはちがって不揃いではあるけれど、僕がイメージする楕縁はこちらの形。

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ってことで、平川さんの新刊を読んだりしながら、これから自分なりの「楕縁」のイメージを膨らませていこうと思っています。


と、ここで一旦は書き終えたんですが、ふと、僕が初めて平川さんの著書で「楕円幻想」という言葉を見たのはどれだったかなと思って調べたら、5月に発売された『路地裏の民主主義』でした。この日紹介しているように平川さんの隣町珈琲に行ったときに、まだ発売前のものをいただいてサインしてもらったんですね。


で、今改めて目次を開いたら、ナント!

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「楕円幻想」の横には「木綿のハンカチーフ」!

そして「楕円幻想」の話の中には「有縁」と「無縁」という「縁」の話が出てくる。


いったい世の中はどうなっているんでしょう。

いや、少なくとも僕にとっての世の中は楕縁。ふぞろいではあるけれど、珈琲豆のような温かな膨らみのある楕円の形をしたものが存在しているようです。


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# by hinaseno | 2017-12-03 12:46 | 雑記 | Comments(0)

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太田裕美さんの『太田裕美の軌跡~First Quarter』、いや素晴らしすぎます。もう間もなく終わりを告げようとしているCDの時代を考えると、この2000年前後に発売されたものが最も愛情込められて作られていたような気がします。もうこれ以上のものは絶対に作れないでしょうね。太田裕美さんがらみのいろんなことがあった今年中にこれを手に入れることができて本当に良かったと思います。今年のベストアルバムはこれって言いたくなります。

収録されたCDは全部で6枚。DISC 1~DISC 3にこの年までに発売されたシングルのA面B面が全曲収録。僕が持っているのは大瀧さん作曲の「恋のハーフムーン/ブルー・ベイビー・ブルー」の1枚だけ。CDではDISC 3の最初にこの「恋のハーフムーン/ブルー・ベイビー・ブルー」が収録。あえて意図的に?と思いましたが、どうやら収録時間の関係上の”たまたま”。

大瀧さんのインタビューによると、このシングルはアフター・ロング・バケーションの1曲目ということでかなり濃いめのプロデュースをしてしまったと。特にA面の「恋のハーフムーン」についてはやりすぎてしまったと反省していました。少しあっさりめのB面の「ブルー・ベイビー・ブルー」の方が評価が高くなってしまったと。確かに僕もB面の「ブルー・ベイビー・ブルー」の方が好き。

太田裕美さんのシングルで唯一リアルタイムで発売直後に買った「赤いハイヒール/茶いろの鞄」はどこにいっちゃったんだろう。B面の「茶いろの鞄」の方が好きだったなと思って久しぶりに聴いたら「路面電車」って言葉から始まってにっこり。

ああそういえばもう1枚、「振り向けばイエスタディ/海が泣いている」を最近手に入れたんですね。とりわけB面の「海が泣いている」は僕にとっては塩屋の日々の、つまり今書き続けているこのブログのテーマソングになっています。


ところでブックレットを読み始めて、その最初の方にはっとするようなことが書かれていました。それは太田裕美さんの誕生日。

1月20日。

余白珈琲の彼はこのことに気づいてたでしょうか。


この日のブログで余白珈琲の彼らと塩屋の町との縁ができた日のことを書きました。改めてその部分を。


今年の1月の彼の誕生日に2人でどこかへ行こうと考えて、で、いろいろと調べて行ったのが先日イベントをしたカフェ。塩屋はこのときが初めてだったようです。
店の人に今日が誕生日であることを告げたら店の人は彼らにこう言ったそうです。「何も誕生日にこんな町に来なくても」と。
でも彼らはすでに塩屋という小さな海街の魅力にすっかりはまっていたんですね。本を読まなくてもそこが「人間サイズの町」であることを体で感じ取ったんですね。で、その店で珈琲のイベントを開くようになったと。今回がその2回目。

実は彼の誕生日というのがまさに太田裕美さんと同じ1月20日なんですね。いや、おもしろい。偶然にしてもできすぎ。

余白珈琲の定期便は5日おきに焼かれることになっている豆を注文することができるようになっていて、僕はあえて彼の誕生日の日になっている20日に焼かれる豆を注文することにしました。

さて、来年の誕生日の日、彼はどんな豆を焼くんでしょうか。今からとても楽しみ。


そういえば初めて豆が送られてきた日、僕は彼(大石さん)にこんな感想を送りました。


僕が好んで聴いている音楽にもぴったり合っていますね。きっと大石さんが同じような音楽を聴きながら焼いているからかもしれません。

誕生日の日も、彼はもいつもと同じ機械を使っていつもと同じように焼くはずですが、もしかしたらその日、彼は太田裕美さんの曲を聴きながら、あるいは口ずさみながら豆を焼くかもしれません。それによっていつもとは少しだけ違ったリズムが生まれ、いつもとは少しだけ違ったスキマが生まれ、そこにいつもとは少しだけ違った風が吹いて、その結果いつもとは少しだけ違った豆になったりするのかもしれません。僕にとって余白珈琲の焼いた豆の楽しみはそんなところにもあります。


さて、こんなことを書きながら『太田裕美の軌跡~First Quarter』に収録された曲を聴いていたら、「振り向けばイエスタディ/海が泣いている」とは別の曲で「スキマ」という言葉が耳に飛び込んできました。それは大好きな「恋愛遊戯」。気がつきませんでした。こんな歌詞。


走るあなたと止まる私の
透き間へと風が吹きます

やはり松本さん「透き間」という字を使っています。透き間がないと風は吹きません…、って前も書きましたね。


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# by hinaseno | 2017-12-02 12:08 | 雑記 | Comments(0)