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Talks About Music, Books, Cinema ... and Niagara


by hinaseno
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『音楽専科』という雑誌の1980年2月号から連載を始めた大瀧さんが翌月の3月号に寄稿したのが、このJ.D.サウザーを取り上げた文章でした。

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この号から大瀧さんのエッセイは「大滝詠一の”ナイアガラ・タイムマシーン・ミュージック”」というタイトルがつけられて、5回続くことになります。取り上げたアーティストは順にJ.D.サウザー、フィル・スペクター、ローリング・ストーンズ、ビーチ・ボーイズ、そしてキャロル・キング。ローリング・ストーンズ以外は『ロング・バケイション』というアルバムの重要な鍵になっているアーティストばかり。

さて、その第1回目。J.D.サウザーの話に入る前に、ちょっと長い前書き。こんな言葉から始まります。


25年前の歌が過去のものであるのと同じように、今年の1月に出た歌もまた〈過去〉に属しています。昔の歌をただ古いからという理由だけで、興味の対象にしないという時代はもう終りました。と同時に、ナツメロ、オールディーズというレッテルを貼ってただ懐しの涙を流す、という時代も終り、80年代は時間軸を自由に操作した《タイムマシン・ミュージック》の時代なのだよ。

で、このあと「ちょうど25年前にロックン・ロールが生まれました」との言葉。1980年の25年前といえば1955年のこと。

ちなみにタイム・マシンに乗ってまさにロックン・ロールが生まれた1955年に行く映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』が公開されるのはこの5年後の1985年のこと。

『バック・トゥ・ザ・フューチャー』といえば『キネマ旬報』1985年12月上旬号に掲載された小林信彦さんとの対談はまさにその『バック・トゥ・ザ・フューチャー』に関する話(『映画につれてって 小林信彦対談集』1987年に収録)でしたね。こんな会話が出てきます。


小林:『バック・トゥ・ザ・フューチャー』にしても、1955年に戻ると言う時代設定が、とにかく素晴らしい。「ロック・アラウンド・ザ・クロック」の年だと、その時代に生きていた人は、すぐに思いますからね。
大瀧:そうですね。だから、ひょっとすると、キリがいいところで、85年になるまで製作を待っていたんじゃないですか、30年前に戻るために。
小林:スクリプトを書き下ろしたのが80年ですから、5年前ですね。その時は、25年前に戻るという話だったのかもしれない(笑)。

というわけで、タイムマシンを使ってロックンロールが生まれた1955年という年に戻る『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の脚本が書かれた年に、大瀧さんが『音楽専科』という雑誌に「ナイアガラ・タイムマシーン・ミュージック」という連載を始めているのは偶然というにはできすぎていますね。


さて、その「ナイアガラ・タイムマシーン・ミュージック」で最初に取り上げたのが、その前年に「ユア・オンリー・ロンリー」という曲を大ヒットさせたJ.D.サウザー。そしてタイムマシンでさかのぼるのは1960年。登場するのはロイ・オービソン。


ところで、8月に放送された朝妻一郎さんの『ポピュラーミュージックヒストリー~発展の歴史と舞台』の第1回目の3曲目にかかったのはスティーブン・フォスターの名曲「Beautiful Dreamer(夢見る人)」。1862年に生まれたこの曲は数多くのアーティストによって演奏されて、歌われてきましたが、その数ある演奏の中から朝妻さんが番組でかけたのは、まさにそのロイ・オービソンが歌ったこのバージョンでした。ロイ・オービソンが「Beautiful Dreamer」を録音したのは曲が生まれてほぼ100年後のこと。




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# by hinaseno | 2017-10-07 12:57 | ナイアガラ | Comments(0)

「恋はメリンゲ」


数日前に突然Youtubeにアップされたこの映像の話を。大瀧さんが「恋はメレンゲ」を歌っているライブ映像。もうびっくり仰天。




アップされたのは先月26日(僕が気づいたのは昨日)。10月10日までの限定公開とのこと。

一体これはなんだろうってことで、調べたらすぐにわかりました。


『ナイアガラ・トライアングル VOL.1』を制作中に、それのプロモーション・フィルムを作ろうということになって録音したそうです。録音は1976年2月20日。場所は福生スタジオ。

撮影のため大瀧さんはこのとき真っ赤な服を着て登場したそうですが、白黒ではわかんないですね。

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ミュージシャンはドラムが上原裕、ベースが寺尾次郎、ギターが伊藤銀次と村松邦男、ペダル・スティールが駒沢裕城、そしてピアノが坂本龍一。それぞれ、このブログで何度も登場している人たちです。

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このシーンでは真ん中で歌っている大瀧さんを囲んで右から寺尾次郎、駒沢裕城、上原裕、村松邦男、坂本龍一、伊藤銀次です。坂本さんの場所は暗くって顔の判別ができませんね。

一番おっと思ったのは、駒沢裕城さんがペダル・スティールを演奏している場面が大きく映ったところ。

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かなりの早弾きです。つい先日、石川さんと電話でペダル・スティールの話をして、ペダル・スティールを演奏しているのを生で見てみたいと言ったところでした(アゲインでは駒沢さんも含めてペダル・スティールを演奏する人が来るんですね)。ペダル・スティールの音色って、好きな人は本当に好きなんです。


この日録音された曲は「福生ストラット(PARTⅡ)」「あの娘に御用心」「楽しい夜更し」「ハンド・クラッピング・ルンバ」「恋はメレンゲ」の5曲。「恋はメレンゲ」は最後に演奏されたようです。ちなみに、これらの5曲はすべて1995年に出た『NIAGARA MOON』のボーナストラックに収録されています。

さて、映像をアップした方がどういう人なのかわかりませんが、今後、他の曲の映像もアップしてくれるんでしょうか。あるいは10月10日までこの映像が残ることができるんでしょうか。


ところでビデオでひとつ気になったのは大瀧さん、かなり意図的に「メレンゲ」を「メリンゲ」と発音して歌っていますね。メレンゲの語源はフランスのデザートのメレンゲから来ているという説があって、その綴りは「meringue」。これを意識したんでしょうか。発音を考えると「綴り不思議」です。


最後に、「恋はメレンゲ」といえば、シリア・ポールさんが歌った「恋はメレンゲ」の話をした時に紹介したナンシー・シナトラの「フルーツ・カラーのお月さま」のレコード、手に入りました。ほしかったんだ、これ。B面も最高だし。

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かなり長い間いくつかのネット・オークション・サイトを見張っていて、何度か出品されても僕の考えている上限を超えてしまっていて諦めていたんですが、待てば海路の日和ありです。先日、こちらもほしかった「リンゴのためいき」とともにひっそりと出品した方がいて、いずれも競合もなく、びっくりするような安価で落札できちゃいました。レコード、ジャケットともコンディションは最高です。


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# by hinaseno | 2017-10-02 13:14 | ナイアガラ | Comments(0)

石川茂◯


今日も時間があまりないので、小さな話を。


このブログでも何度か紹介した岡山の古書五車堂さんが今月で実店舗を閉められることになったので、昨日行ってきました。サイト等での販売は続けられるそうですが、店長の中川さんにはいろいろとお世話になっていたので本当に残念というほかありません。書店という場でしか出会えない本もあるし、中川さんと話ができなくなるのもさびしいです。

さて、昨日”出会った”本。

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筆者の名前が石川茂雄。一瞬アッと思って手に取った、ただそれだけ。これも縁なので。

コンパクトサイズの植物図鑑。季節ごとに分けられているので便利。荷風さんも植物の名前を一生懸命覚えた時期があったそうですが、僕も最低限の植物の名前は覚えなくてはと最近強く思っています。植物の名前、全然知らないんですね。情けないくらいに。


ところで中川さんに最近木山捷平のこと、全然書いていないですねと言われてしまいました。ほんとにそうですね。古書五車堂が店を開かれているのは今月30日が最後。気になる方、ぜひ足を運んで下さい。


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# by hinaseno | 2017-09-28 12:28 | 雑記 | Comments(0)

また、ちょっとティータイム。

先日もお伝えしましたが、現在あの武蔵新田のティールグリーンで高橋和枝さんの『月夜とめがね』の原画展が開催中です。本当に素晴らしい絵ばかりなのでぜひ行って見て下さい、というか僕が行きたくて仕方がありません。

今回はほぼすべてのページの絵が展示されているということなので、おひさまゆうびん舎のときには飾られていなかった絵もいくつもあるんですね。それらの絵も見たいし、それから高橋さんのブログで少し紹介されていた販売用に作られた作品も気になります。

とりわけ欲しいのが今回ポストカードとして売られている絵。なんと僕の携帯の壁紙にしていると紹介した絵がポストカードになっているんですね。10枚くらい欲しいけど、え~っと、おひさまゆうびん舎で売ってもらえないのかな。


ところで今朝更新されたアゲインの石川さんのブログ。先日のブログで高橋さんがアゲインを訪ねられたことが書かれていましたが、石川さん、早速ティールグリーンに行かれたんですね。ティールグリーンの店内で撮られたお二人のツーショットの写真も貼られています。お二人の後ろには僕の一番好きな汽車の絵。あの汽車はどれだけ眺めても見飽きないです。

ただちょっと思ったのは石川さんは話をされるのが大好きなので、そっちに夢中になって絵をじっくり見られる時間をあまり持てなかったのではないかと。

でも、遠く離れているけど心から身近に感じられるお二人が、あの絵に囲まれて話をされている風景を想像するのは本当に幸せな気持ちになります。


そういえば石川さんと言えば来月こんなものをされるんですね。

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「マスターの自由自在」と題された新企画。石川さんがお気に入りの音楽や映画、小説などについてランダムに話しをされるということです。この方ほどサービス精神の旺盛な方はいないと思っている石川さんがどんな話をされるのか本当に楽しみ。ですけど僕は行けそうにありません。

「どういった展開になるか、盛り上がるか、コケるかは参加者次第」とのことですので、ぜひ行ってみて下さい。きっと少しだけ(あるいは大きく)人生観が変わるはずです。

『月夜とめがね』の原画展は10月8日まで、そしてマスターの自由自在は翌日の10月9日です。


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# by hinaseno | 2017-09-27 10:35 | 雑記 | Comments(0)

1979年の夏頃から1980年の春ぐらいまでに大瀧さんが書いた原稿の中で一番興味深いのは『音楽専科』という雑誌に1980年2月号から10月号にかけて連載されたものでした。これは『大滝詠一 Writing & Talking』には「ナイアガラ・タイム・マシーン・ミュージック」と題されて掲載されています。

その最初、1980年2月号に掲載された原稿のタイトルは「ナイアガラは何度でも死にます〈ナイアガラ・レーベル始末記〉」。ちなみにこれは雑誌に掲載されたもの。

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手書きのタイトルは「ナイアガラ」ではなく「ナイヤガラ」になってますね。おいおい! タイトルのそばには「詠ちゃん、言ってやって言ってやって‼︎」。詠ちゃんって、矢沢さんじゃないんだから。

されはさておき内容は大瀧さんの現状報告。イラストにも書かれているけれど「復活」の話ですね。雑誌の発行日は1980年2月1日。とすると大瀧さんが原稿を書いたのはぎりぎり1980年1月の初めでしょうか。

以前紹介した朝妻さんの話では『ロンバケ』の制作がスタートしたのは80年代に入って大瀧さんが朝妻さんの会社にやってきて「ちょっとまたアルバムを作りたいんだけど」と切り出し、J.D.サウザーの「ユー・アー・オンリー・ロンリー」をかけて「こういうのがやりたいんだ」と言ったときからスタートしたようになっていましたが、この「ナイアガラは何度でも死にます〈ナイアガラ・レーベル始末記〉」を読むと、すでにこれを書いたときには『ロング・バケイション』の制作に向けてかなり具体的にものごとが進んでいる段階(たとえば作詞家を松本隆さんにすることなど)であることがわかります。

一気にものごとが進んでいったのかもしれないけど、大瀧さんが朝妻さんの会社に行ってJ.D.サウザーの「ユー・アー・オンリー・ロンリー」をかけたのはもう少し前のことだったのかもしれません。


ところでこのエッセイで興味深いのはこの辺りに書かれていることでしょうか。


 休止の理由は? 第一に契約切れになったこともありましたが、4年間やってみての反省点をじっくり検討してみよう、というのが主な動機です。一番大きかった問題点はプロデューサーとアーティストとの両立のさせ方でした。この2つの職種には相矛盾する事柄がとても多く、同時期に1人の人間が両方こなすのは至難の技だとぼくには思えます。もちろん出来る人はいると思いますが、ぼくは自家中毒をおこしてしまった感じです。それからビジネスとサウンドのプロデューサー、そしてアーティストの3者がうまくかみ合うといい仕事ができるのですが、スーパーマンになる道は険しかった、というところでしょうか。負け惜しみですが、これは昨今流行の敗北宣言ではありません。自分の目的は数役を兼ねることではなく、いい仕事をしたい、の方であることを再確認した、といわせて下さい。
 という訳で原点であるアーティストに立ち帰る、これが休養の理由の一つでもあります。作詞家であり友人の松本隆はこういいます。「走りながら給油する」と。しかしこれも人それぞれタイプがあるのではないでしょうか。ある期間休んだ方がいいのが出来るぞ、という暗示にかかりやすいタイプもあります。または沢山作った方がその中で特によいものが出来るもあるようです。筒美京平さんなどはそういうタイプなのではないでしょうか? ぼくは前者のタイプで、ひたすら自己暗示にせいをだしている今日この頃ではあります。

ポイントはプロデューサーをビジネス・プロデューサーのサウンド・プロデューサーに分けていること。プロデューサーとアーティストの両立をやめてアーティストに立ち帰ると言っていますが、サウンド面のプロデューサーは続けてビジネス・プロデューサーを人に任せるということですね。で、そのビジネス・プロデューサーを任せたのが朝妻一郎さんでした。


何度も書いていますが、その朝妻さんのところに「ちょっとまたアルバムを作りたい」と言いに行った時に持っていったのがJ.D.サウザーの「ユー・アー・オンリー・ロンリー」。「こういうのがやりたいんだ」と大瀧さんが言ったら朝妻さんは「最高。これいいよ!」と答えたんですね。

それは1979年の暮れか1980年の初頭のこと。いずれにしても「カナリア諸島にて」が生まれて半年近く経っていました。


さて、『音楽専科』という雑誌に連載を始めた次の号(1980年3月号)に大瀧さんが寄稿したのはまさにそのJ.D.サウザーを取り上げた文章でした。


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# by hinaseno | 2017-09-26 14:47 | ナイアガラ | Comments(0)