Nearest Faraway Place nearestfar.exblog.jp

好きなリンク先を入れてください

Talks About Music, Books, Cinema ... and Niagara


by hinaseno
プロフィールを見る
画像一覧

<   2017年 09月 ( 17 )   > この月の画像一覧


石川茂◯


今日も時間があまりないので、小さな話を。


このブログでも何度か紹介した岡山の古書五車堂さんが今月で実店舗を閉められることになったので、昨日行ってきました。サイト等での販売は続けられるそうですが、店長の中川さんにはいろいろとお世話になっていたので本当に残念というほかありません。書店という場でしか出会えない本もあるし、中川さんと話ができなくなるのもさびしいです。

さて、昨日”出会った”本。

a0285828_12265571.jpg


筆者の名前が石川茂雄。一瞬アッと思って手に取った、ただそれだけ。これも縁なので。

コンパクトサイズの植物図鑑。季節ごとに分けられているので便利。荷風さんも植物の名前を一生懸命覚えた時期があったそうですが、僕も最低限の植物の名前は覚えなくてはと最近強く思っています。植物の名前、全然知らないんですね。情けないくらいに。


ところで中川さんに最近木山捷平のこと、全然書いていないですねと言われてしまいました。ほんとにそうですね。古書五車堂が店を開かれているのは今月30日が最後。気になる方、ぜひ足を運んで下さい。


[PR]
by hinaseno | 2017-09-28 12:28 | 雑記 | Comments(0)

また、ちょっとティータイム。

先日もお伝えしましたが、現在あの武蔵新田のティールグリーンで高橋和枝さんの『月夜とめがね』の原画展が開催中です。本当に素晴らしい絵ばかりなのでぜひ行って見て下さい、というか僕が行きたくて仕方がありません。

今回はほぼすべてのページの絵が展示されているということなので、おひさまゆうびん舎のときには飾られていなかった絵もいくつもあるんですね。それらの絵も見たいし、それから高橋さんのブログで少し紹介されていた販売用に作られた作品も気になります。

とりわけ欲しいのが今回ポストカードとして売られている絵。なんと僕の携帯の壁紙にしていると紹介した絵がポストカードになっているんですね。10枚くらい欲しいけど、え~っと、おひさまゆうびん舎で売ってもらえないのかな。


ところで今朝更新されたアゲインの石川さんのブログ。先日のブログで高橋さんがアゲインを訪ねられたことが書かれていましたが、石川さん、早速ティールグリーンに行かれたんですね。ティールグリーンの店内で撮られたお二人のツーショットの写真も貼られています。お二人の後ろには僕の一番好きな汽車の絵。あの汽車はどれだけ眺めても見飽きないです。

ただちょっと思ったのは石川さんは話をされるのが大好きなので、そっちに夢中になって絵をじっくり見られる時間をあまり持てなかったのではないかと。

でも、遠く離れているけど心から身近に感じられるお二人が、あの絵に囲まれて話をされている風景を想像するのは本当に幸せな気持ちになります。


そういえば石川さんと言えば来月こんなものをされるんですね。

a0285828_10333216.jpg


「マスターの自由自在」と題された新企画。石川さんがお気に入りの音楽や映画、小説などについてランダムに話しをされるということです。この方ほどサービス精神の旺盛な方はいないと思っている石川さんがどんな話をされるのか本当に楽しみ。ですけど僕は行けそうにありません。

「どういった展開になるか、盛り上がるか、コケるかは参加者次第」とのことですので、ぜひ行ってみて下さい。きっと少しだけ(あるいは大きく)人生観が変わるはずです。

『月夜とめがね』の原画展は10月8日まで、そしてマスターの自由自在は翌日の10月9日です。


[PR]
by hinaseno | 2017-09-27 10:35 | 雑記 | Comments(0)

1979年の夏頃から1980年の春ぐらいまでに大瀧さんが書いた原稿の中で一番興味深いのは『音楽専科』という雑誌に1980年2月号から10月号にかけて連載されたものでした。これは『大滝詠一 Writing & Talking』には「ナイアガラ・タイム・マシーン・ミュージック」と題されて掲載されています。

その最初、1980年2月号に掲載された原稿のタイトルは「ナイアガラは何度でも死にます〈ナイアガラ・レーベル始末記〉」。ちなみにこれは雑誌に掲載されたもの。

a0285828_14460788.jpg


手書きのタイトルは「ナイアガラ」ではなく「ナイヤガラ」になってますね。おいおい! タイトルのそばには「詠ちゃん、言ってやって言ってやって‼︎」。詠ちゃんって、矢沢さんじゃないんだから。

されはさておき内容は大瀧さんの現状報告。イラストにも書かれているけれど「復活」の話ですね。雑誌の発行日は1980年2月1日。とすると大瀧さんが原稿を書いたのはぎりぎり1980年1月の初めでしょうか。

以前紹介した朝妻さんの話では『ロンバケ』の制作がスタートしたのは80年代に入って大瀧さんが朝妻さんの会社にやってきて「ちょっとまたアルバムを作りたいんだけど」と切り出し、J.D.サウザーの「ユー・アー・オンリー・ロンリー」をかけて「こういうのがやりたいんだ」と言ったときからスタートしたようになっていましたが、この「ナイアガラは何度でも死にます〈ナイアガラ・レーベル始末記〉」を読むと、すでにこれを書いたときには『ロング・バケイション』の制作に向けてかなり具体的にものごとが進んでいる段階(たとえば作詞家を松本隆さんにすることなど)であることがわかります。

一気にものごとが進んでいったのかもしれないけど、大瀧さんが朝妻さんの会社に行ってJ.D.サウザーの「ユー・アー・オンリー・ロンリー」をかけたのはもう少し前のことだったのかもしれません。


ところでこのエッセイで興味深いのはこの辺りに書かれていることでしょうか。


 休止の理由は? 第一に契約切れになったこともありましたが、4年間やってみての反省点をじっくり検討してみよう、というのが主な動機です。一番大きかった問題点はプロデューサーとアーティストとの両立のさせ方でした。この2つの職種には相矛盾する事柄がとても多く、同時期に1人の人間が両方こなすのは至難の技だとぼくには思えます。もちろん出来る人はいると思いますが、ぼくは自家中毒をおこしてしまった感じです。それからビジネスとサウンドのプロデューサー、そしてアーティストの3者がうまくかみ合うといい仕事ができるのですが、スーパーマンになる道は険しかった、というところでしょうか。負け惜しみですが、これは昨今流行の敗北宣言ではありません。自分の目的は数役を兼ねることではなく、いい仕事をしたい、の方であることを再確認した、といわせて下さい。
 という訳で原点であるアーティストに立ち帰る、これが休養の理由の一つでもあります。作詞家であり友人の松本隆はこういいます。「走りながら給油する」と。しかしこれも人それぞれタイプがあるのではないでしょうか。ある期間休んだ方がいいのが出来るぞ、という暗示にかかりやすいタイプもあります。または沢山作った方がその中で特によいものが出来るもあるようです。筒美京平さんなどはそういうタイプなのではないでしょうか? ぼくは前者のタイプで、ひたすら自己暗示にせいをだしている今日この頃ではあります。

ポイントはプロデューサーをビジネス・プロデューサーのサウンド・プロデューサーに分けていること。プロデューサーとアーティストの両立をやめてアーティストに立ち帰ると言っていますが、サウンド面のプロデューサーは続けてビジネス・プロデューサーを人に任せるということですね。で、そのビジネス・プロデューサーを任せたのが朝妻一郎さんでした。


何度も書いていますが、その朝妻さんのところに「ちょっとまたアルバムを作りたい」と言いに行った時に持っていったのがJ.D.サウザーの「ユー・アー・オンリー・ロンリー」。「こういうのがやりたいんだ」と大瀧さんが言ったら朝妻さんは「最高。これいいよ!」と答えたんですね。

それは1979年の暮れか1980年の初頭のこと。いずれにしても「カナリア諸島にて」が生まれて半年近く経っていました。


さて、『音楽専科』という雑誌に連載を始めた次の号(1980年3月号)に大瀧さんが寄稿したのはまさにそのJ.D.サウザーを取り上げた文章でした。


[PR]
by hinaseno | 2017-09-26 14:47 | ナイアガラ | Comments(0)

昨日、庭瀬の方へ行く用事があったので、あの荷風さんの『断腸亭日乗』の昭和20年7月13日の日記に出てくる白石橋の近くの万歩書店さんに久しぶりに立ち寄りました。いつ以来だろう。手元にあったスタンプカードは2枚とも有効期限がずっと前に切れていました。


店に入ってすぐに探したのは大瀧さんが1979年の夏頃から1980年の春ぐらいまでに書いた原稿が載っている雑誌。でも残念ながら無し。このあと墓参りに行かなくてはならなかったのですぐに帰ろうかと思ったけど、せっかくなのでゆっくりと見て回りました(2時間近く)。探していた本もいくつか見つかってかなりの収穫。

でも、やっぱり本屋で何よりもうれしいのは、思わぬ出会いがあること。その意味でいちばんの収穫はこれでした。

a0285828_12495641.jpg


『THE AMERICAN MOTEL』という写真集(洋書)。

モーテルやダイナーがある風景というのは、アメリカのスモールタウンを愛する人間にとってはたまらないものがあります。モーテルといえば日本ではいかがわしい場所というイメージがありますが、本来は幹線道路沿いにある、自動車旅行者のための小さなホテル。アメリカのロードムーヴィーを見ていたら必ず出てきます。それが日本では、少なくとも僕がその存在を知った頃には今のラブホテルと変わらないものになっていたんですね。

僕が持っていたイメージを変えたというか本来のモーテルがどういうものかを知ったきっかけはやはり大瀧さんの「Velvet Motel」でした。『ロング・バケイション』の2曲目に収められた曲ですね。なんども言いますが死ぬほど好きな曲。

この曲が生まれたのは1979年の夏。「カナリア諸島にて」が生まれる直前のことでした。この曲が「カナリア諸島にて」を呼び寄せたと言っても過言ではありません。『ロング・バケイション』で大瀧さんが「Velvet Motel」の次に「カナリア諸島にて」を並べたのは、そういう流れがあったからのはず。

アン・ルイスさんのために書かれた「Velvet Motel」は、当初のタイトルは「Summer Breeze」。歌詞は(おそらく)大瀧さんが書いていました。でも、ボツになって、改めて松本隆さんの詞が付けられてタイトルも「Velvet Motel」に。車に乗った男女がモーテルに泊まる話ですが、男性は結局ソファーで眠ることになります。何があったんでしょうね。


さて、『THE AMERICAN MOTEL』を書店で手に取ったとき、僕の中には「Velvet Motel」のメロディが流れていたんですが、本を開いた最初のページに載っていたのがこの写真。

a0285828_12504466.jpg


中庭にあるプール。

というわけで、当然ながら「Velvet Motel」のこのフレーズが流れてきました。


Velvet Motelの中庭から抜け出して
Blue Pool 小雨に打たれて泳いだ

このページの写真なんか、もろ『ロング・バケイション』の「Velvet Motel」の世界。

a0285828_12501165.jpg


アメリカのモーテルは何と言っても看板がいいんですね。達郎さんの『For You』のジャケットのイラストを描いた鈴木英人さんのイラスト集から出てきたような看板がずらっと並んでいます。古く錆びついているのがまたいいんですね。

a0285828_12515529.jpg

a0285828_12514304.jpg

a0285828_12515163.jpg


a0285828_12515715.jpg


この写真集にはこんな写真もありました。

a0285828_12524465.jpg


ヒッチコックの『サイコ』に出てくるモーテル。あの怖いシーンで使われたものですね。


ところで、この写真集を見ながら、僕はある作家の、ある本のことをずっと考えていました。彼もこの写真集に載っているモーテルに泊まりながらアメリカの旅を続けていたのだろうかと。そうしたらちょっと驚くようなことが。

今朝、日本のAmazonで『THE AMERICAN MOTEL』のことを調べていたときのこと。洋書なのに商品説明が日本語でかなり詳しく書かれていたんですね。しかも内容が素晴らしい。一応、その全文を。


裏表紙に引用されている言葉が印象的だ。「今日におけるモーターキャンプは、アメリカ民主主義の最も素晴らしい側面を集約してみせている」
今日、というのは1927年のことだ。ルート66が開通した翌年にあたるのは偶然ではないだろう。そしてここで言う「モーターキャンプ」とは、車で移動してどこかで泊まる行為のことを指している。できるだけ長い日数をかけて、家族で自動車旅行をすることが民主主義の集約だというのだ。この言葉はビジネス雑誌から引用されたもので、それだけに真剣な内容と推測していいだろう。それは単なる娯楽ではなく、アメリカの理念を全米規模でかたちにした偉業だったのだ。
道、移動そして家族は、アメリカという国の根幹を成すものだ。そのようにして作られた国家だからだ。それを強くひとつにつなぎ止めるものとして自動車が普及することで、国民はより自由な自己実現を図ることになる。少なくとも1960年代前半までは、その夢は有効なものとして発展を続けた。
車で移動する人々に清潔なベッドと完備されたトイレを提供する仕事は、やはり1920年代後半から始まった。そのとき道路は、モーテルという「メイド・イン・アメリカ」の独特の文化を、同時に生んだことになる。
初期のモーテルは一棟建ての小屋のようなもので、車をその前に駐車するスタイルだった。やがて小屋の数が増え始めると土地利用のうえで効率が悪くなり、廊下でつながれた横長の建物となる。現在のモーテルの原型だ。その後さらにネオンがあしらわれ、テレビも完備し、中庭にプールを抱えるモーテルも登場する。家族が家族であることを確認できるしくみだ。このようにモーテルはそれぞれに個性豊かに工夫と演出を凝らし、それ自体がひとつの目的となるような旅のハイライトへとなっていく。しかしながら著者のウィッツェルは、現在のモーテルに不満と警鐘を最後に鳴らしている。「そこはビジネスマンが出張で泊まる場所になってしまった。そうなるともう、自由とは距離が遠い」。

モーテルがだんだんと進化していって「中庭にプールを抱えるモーテルも登場する」というくだりには思わずにっこり。

びっくりしたのはこの説明文の最後に記されていた名前。


駒沢敏器。

そう、僕が『THE AMERICAN MOTEL』を読みながら思い浮かべていたのは駒沢敏器の『語るに足る、ささやかな人生』でした。いや、本当に驚きました。

ちなみに『THE AMERICAN MOTEL』が出版されたのは2000年。駒沢敏器の『語るに足る、ささやかな人生』が出版されたのは2005年。

彼がこのAmzonの商品説明の文章をいつ書いたのかわかりませんが、もしかしたらこの写真集を見てアメリカを旅したのかもしれません。『語るに足る、ささやかな人生』を読み直して、彼が泊まったモーテルが『THE AMERICAN MOTEL』に載っていないか調べてみようと思います。

彼が『語るに足る、ささやかな人生』で紹介しているいくつかのスモールタウン映画(たとえば『ギルバート・グレイプ』や『ラスト・ショー』)を久しぶりに観たくなった。


[PR]
by hinaseno | 2017-09-24 12:55 | 雑記 | Comments(0)

ブログ5年目にして


昨日は家にいるときには「Lipstick On Your Lips」を、車の中では「When The Boys Get Together」をずっと聴いていました。いずれもシャーマン・エドワーズ作曲、ハル・デイヴィッド作詞の曲。

「Lipstick On Your Lips」はブライアン・ハイランドの前にリッキー・ヴァランス(Ricky Valance)というシンガーが歌っています。「ラ・バンバ」を歌っているリッチー・ヴァレンス(Ritchie Valens)と紛らわしいですね。それからあのサイモン&ガーファンクルのポール・サイモンもJerry Landisという名義で歌っています。こちらはどうやらdemoのようですができはこれが一番いいように思います。ちなみにJerry Landis名義の曲のタイトルは「I'd Like To Be (The Lipstick On Your Lips)」。僕は君のくちびるの口紅になりたいという意味。ハル・デイヴィッド、かわいらしい詞を書きます。


ところで、唐突ですが今朝、僕のブログの訪問者数が累計で10万人に達しました。

a0285828_15160668.png


もしかしたら寝ている間に超えちゃうかと思ったんですが、無事その瞬間を見ることができました。


考えたらブログを始めたのが2012年9月。ちょうど5年目での達成。1日平均は54人くらいということになりますが、お一人だけにこっそりとお伝えしてブログを始めたので、最初の頃は1日10人の訪問者があるかないかの状態がずっと続いていました。今は1日100人くらいの数になっています。びっくり。こんな内容のものを100人もの人が毎日覗いてくださっているとは(僕のブログで訪問者をどのようにカウントするのかよくわかっていないところもあるけど)。

お気に入りとかにして毎日読んでくださっている方が30人くらいはいるんでしょうか。とりとめのない長話ばかりになっていますが、読んでくださって本当にありがとうございます。


というわけで久しぶりにブログの最初の方を読んだら、3回目にハル・デイヴィッドのことを書いていました。彼は2012年9月1日に亡くなっていたんですね。

ということなので最後にシャーマン・エドワーズとハル・デイヴィッドのコンビで書いた曲の中でもとりわけ好きな、このエルヴィスが歌った曲を。曲も詞も素晴らしいです。




[PR]
by hinaseno | 2017-09-22 15:17 | 雑記 | Comments(0)

Lipstick On Your Lips


大瀧さん関係の原稿の長い引用が続いているのでここでひと休み。

朝妻さんの話にはなかなかいかないですね。夢の話もいったいどこに…、いや、昨日の最後にちょこっと「吉備団子の夢」が出てきました。

ところで、最近手に入れたのがこのシングル盤。

a0285828_14332407.jpg


シェリー・フェブレーの「悲しきテレフォン・デート/ビッグ・スター」。最高のカップリングでずっと探していたもの。待てば海路の日和あり、でした。他にも嬉しいのが2枚ゲットできたんですがそれはまた改めて紹介します。

A面は「悲しきテレフォン・デート」。原題は「Telephone」。曲を書いたのはバリー・マン(作曲)とシンシア・ウェル(作詞)。大瀧さんが小泉今日子さんのために作った「快盗ルビイ」にはこの曲と、同じくバリー・マンとシンシア・ウェルのコンビで作った「Johnny Loves Me」を合わせたような作りになっています。


B面の「ビッグ・スター」は原題も「Big Star」。松田聖子さんの「風立ちぬ」の下敷きとして使われていたことがわかってから大好きになりました。個人的には「Telephone」よりも好き。「風立ちぬ」の影響のせいかこの季節に聴きたくなりますね。何度聞いても胸がキュンキュンします。

曲を書いたのはシャーマン・エドワーズ(作詞はシド・ウェイン)。シャーマン・エドワーズはかの「See You In September」を聴いて以来、大好きになったソングライター。というわけなので僕のパソコンのiTunesには当然”Sherman Edwards songbook”というプレイリストを作っています。


ところでいつもチェックしているこちらのサイトを見たら、富田さんが続けられているソングライター・シリーズでつい先日取り上げられたのがなんとシャーマン・エドワーズ。いや、うれしかったですね。「Big Star」、「See You In September」やジョニー・ソマーズの「Johnny Get Angry」、「When The Boys Get Together」などなど。最高ですね。この「When The Boys Get Together」は久しぶりに聴いたけど、なんて魅力的な曲なんだろう。




知らない曲ではポール・ピーターセンの「Girls in The Summertime」という曲がなかなかよかったです。早速パソコンに取り込んでプレイリストに入れました。


ところで話はまたまたちょっと逸れるんですが、昨日、あることがきっかけで「くちびる」に興味をもってしまって(どんなきっかけなんだ)、で、それならばと「くちびる(Lips)」の曲を集めてプレイリストを作りました。「Lips」で検索したら「Lipstick」とタイトルにつく曲もたくさん出てきたのでそれも入れることに。それならば邦題で「口紅」とつくものも入れられるので当然「Tシャツに口紅」も。

というわけで30曲くらい集まったので、1枚のCDにしようかといろいろ聴いていたときに流れてきたのがブライアン・ハイランドのこの「Lipstick On Your Lips」という曲。これがいい曲なんですね。朝妻さんならきっと胸キュンになるはず。




この曲、パソコンに取り込まれたものは作曲者のクレジットが表示されていなかったので調べてみたら曲を書いたのはシャーマン・エドワーズ(作詞はハル・デイヴィッド)。なんてすてきなタイミング。

というわけで近いうちに「Sherman Edwards songbook」も1枚のCDにしようと思っています。


ところで「Lips songs」の方。基本的にはタイトルのしばりをかけようと思っていますが、「くちびる」という言葉で始まる「君は天然色」を入れようか入れまいかと思案中。

それにしても「Lips」「Lipstick」がタイトルにつく曲はいいのが多いですね。


[PR]
by hinaseno | 2017-09-21 14:36 | 音楽 | Comments(0)

「カナリア諸島にて」が生まれた1979年の夏の話は前回で終わりにしようと思っていたけどもう少し。

1979年という年(正確にいえば『ロング・バケーション』のレコーディングに入る1980年の4月くらいまで)、大瀧さんはご本人の表現を借りれば「世を忍ぶ仮の姿で、原稿を書きまくって」いました。『All About Niagara』の「執筆原稿リスト」をリストを見ると、この時期に書いた原稿は全体のほぼ半数を占めています。しかもどれも長いものばかり。原稿用紙の枚数でいえば相当なものになるはず。


この時期に書いた原稿は『All About Niagara』、『大滝詠一 Talks About Niagara』『大滝詠一 Writing & Talking』でほぼ全て読むことができますが、書かれた時期を意識して読むと、以前本を一気に読んだときとは違っていろんな発見があります。とりわけ1979年の夏に書かれた(はずの)この3つの原稿はとても興味深いものがあります。


・「ビーチ・ボーイズの初期サウンド①」(『ミュームージック・マガジン』8月号→『大滝詠一 Talks About Niagara』)

・「ビーチ・ボーイズの初期サウンド②」(『ミュームージック・マガジン』9月号→『大滝詠一 Talks About Niagara』)

・「ナイアガラ・サマー」(『LA VIE』 9月号→『大滝詠一 Writing & Talking』)


ところで「カナリア諸島にて」といえばビーチ・ボーイズの「Please Let Me Wonder」。♪Please let me wonder, please let me wonder, please let me wonder, love♪と歌われるところは「カナリア諸島にて」の♪カナリア(ン)・アイランド、カナリア(ン)・アイランド、風も動かない♪のフレーズとそっくりなんですね。




「カナリア諸島にて」の元ネタが「Please Let Me Wonder」であることは大瀧さん自身が証言されたのだから間違いはないのですが、あくまで「20分の1」ですね。その「Please Let Me Wonder」についてこんな話が出てきます。


次に「Please Let Me Wonder」(65年、52位)と続くが、このミディアム・テンポのバラードが一番ビーチ・ボーイズらしいと私は思う。なお、この曲調は、特にロニーとデイトナスに影響を与え、65年の「サンディ」や同タイトルのLP(夏の必需品)はすべてこの曲調で埋められている。 (「ビーチ・ボーイズの初期サウンド①」)

ロニーとデイトナスの『サンディ』というアルバムについてはずっと以前にブログで書いたような気がしますが、「カナリア諸島にて」はビーチ・ボーイズの「Please Let Me Wonder」からロニーとデイトナスの『サンディ』につながる”あの雰囲気”を意識して作ったことは間違いないはず。悪いはずがありません。


ところで「カナリア諸島にて」で♪カナリア(ン)・アイランド、カナリア(ン)・アイランド、風も動かない♪の部分でビーチ・ボーイズ風の素晴らしいコーラス(もちろん大瀧さんの一人多重コーラス)を聴くことができます。1979年の夏に「カナリア諸島にて」のメロディを完成させたとき、おそらく大瀧さんの頭の中にはサウンドとコーラスが浮かんでいたはず。

そのコーラスについてもちょっと興味深いことを書いています。

話は1979年7月に発表された(まさに大瀧さんが「カナリア諸島にて」をつくった頃)ピンク・レディのこの「波乗りパイレーツ」に触れる形で、「風」の話へとつながります。




ちなみにこの「波乗りパイレーツ」はB面。このB面はアメリカで録音されて、なんとバックコーラスはビーチ・ボーイズ。リハビリ中のブライアン・ウィルソンも参加しているんですね。A面の日本吹込盤はどんなのか知らなかったのでiTunesでダウンロードしました。

さて、大瀧さんの話。


 ピンク・レディの「波乗りパイレーツ」でのビーチ・ボーイズのコーラスを聞きながら、A面の都倉俊一氏との差(優劣という意味合いからでなく、只単に違いのこと)を感じ、こういうコーラスは日本人には無理だナァー、とつくづく感じた。編曲を同じにして、声色を似せたところで、カリフォルニアの爽やかな風が吹くだろうか。その風が吹かないなら、こんなコーラス、何程のことがあろう。
 サーフィン・ミュージックを意識して作曲したと思われる都倉氏のメロディー・ラインに「カモメの水兵さん」を感じるし、ビーチ・ボーイズを意識したと思しきコーラスに伝統的な大和コーラスーーお囃子を感じる。こういう無意識(多分!)のうちに選択している我々の伝統的なものを、ビーチ・ボーイズが感じさせている、といってしまってはカッコ良すぎたみたいネ。 (「ビーチ・ボーイズの初期サウンド②」)

これからビーチ・ボーイズのような曲をレコーディングすることを考えていたはずの大瀧さんにとって、こういう発言は結構ハードルを高くするように思えますが、でも、自分がやればこんな風にはならないという確信がこのときすでにあったんでしょうね。そして実際、大瀧さんは見事なくらいに「爽やかな風」を吹かせてくれました。


さて最後に、『LA VIE』という雑誌に掲載された「ナイアガラ・サマー」の最後の部分を。これを書いたときにはおそらく「カナリア諸島にて」はできていたはず。なぜか、わが「桃太郎」が登場します。


 日本人全体としてレジャーを中心とした〈夏〉を楽しめるようになったのは、「想い出の渚」が出てきた頃だったのではなかったか、そしてそれを凌ぐ曲が出るか出ないか? 又果たして〈桃太郎〉は出現するか? するとしたらそれは何時か?
 波の音でも聞きながら、吉備団子の夢でも見ることにしよう……。


[PR]
by hinaseno | 2017-09-20 15:23 | ナイアガラ | Comments(0)

1979年夏の、「カナリア諸島にて」が生まれたときの大瀧さんの心の状態を一言で表すならば「憑き物が落ちた」ということになるんでしょうね。

ここで改めて先日紹介した北中正和さんによるインタビュー記事を。


北中:活動再開のきっかけになったのは、何だったのですか。
大瀧:79年の夏に、本を読んでたら、自然に1曲できた(「カナリア諸島にて」)のね。そういうことって、ほんとうに何年振りかのことでね。『ナイアガラ・ムーン』以降、タイトルを作ってから、曲を作るやり方が続いていたのね。ずーっと。
北中:新しいアルバムは、親しみやすい曲が多いですね。
大瀧:ぼくにとって第1期ナイアガラは、メロディ拒否の時期だったのね、意固地に。その前にソロ・アルバムや、はっぴいえんどの時期があった。それに対して濡れたところを拒否しようみたいな気持ちがあって、歌謡曲対アンチ歌謡曲みたいな感じで、いかに乾くか、ということに専念していたんじゃないかな。当時は、みんな乾燥剤をどれだけ入れるかの勝負だったでしょう。もう、カラカラにひからびで『レッツ・オンド・アゲン』(78年)まで行ったんだけど、さすがにひからびすぎて、体の方が耐えられなかったのか、ふっと浮かんできたのが「カナリア諸島にて」のメロディだった。それがすごいうれしくて、みんなに言って歩いたのね。やれるんじゃないかと。ただし、第1期と同じ轍を踏むことはできない。この3年間アーティストとして、何をしていたかの答えが、今回のLPということなんだと思う。
北中:もう少し説明してくれませんか。
大瀧:ウェットとドライ、対立概念としてとらえていたのをやめて、ひとつのものと見ようとするようになったわけです。

『ロング・バケイション』制作中の、あるいは制作直後のインタビューを読むと、この「ウェットとドライ」についての話が、ときには「涙(泣かすこと)と笑い」、あるいは「メロディとコミカル」と表現を変えながら何度も語られています。例えば何度も紹介している木崎義二さんのインタビューでもこんなやり取りが。


木崎:ここ数年、大瀧さんといえば、コミカルな曲が目立っていたと思うんですが、このアルバムでは再びバラードに力を入れていますね。心境の変化でも?
大瀧:以前はメロディアスな曲とコミカルな曲を対立させて捉えていました。それをやめたってことなんですよ、一言で言ってしまえば。コミカルなアイディアがメロディアスな曲のなかに存在していても、別に代わりはないんです。
木崎:「Velvet Motel」がそれですね。
大瀧:そう。それでね、コミカル・ソングをずうっとやってきたんだけど、ある種、質的な面で壁に突きあたったということもあるんです。ぼくとしてはコミカル・ソングでマッドネスまでどうしても行きたかった。けれども、いくらやってもクレージネスで止まっていてマッドネスまで行けないんです。
木崎:それで反対の曲にあるメロディアスな曲に戻ったというわけですか?
大瀧:最初は反対の曲に戻ったつもりだったの。ところが戻りきれなかったのか混沌とした世界になってしまったんだよ。そこでよく考えてみたところ、さっき言ったような結論に達したというわけ。
木崎:メロディアスVSコミカルの対立概念が消えてしまったわけですね。
大瀧:うん。その対立概念から離れてみたら、進歩とか変革といったものについての概念も消えちゃったんです。なんていうか、歴史的な進歩概念が消えたんですよ。そのときに自分にとって何がやりたいか、これが結果として歴史をつくるんだ、ということに気がつきました。
木崎:その考え方で今回のアルバムはつくられていると……。
大瀧:「今、これがいちばんやりたい」という観点から作ってあります。今いちばんやりたいことなら音楽でなくてもいいわけで……、ただ、大瀧個人としては音楽が最もやりやすいというわけでね。

大瀧さんが一時期、表現者として二つの概念の対立に悩まされ続けていたかがわかります。で、それから解放されて生まれたのが「カナリア諸島にて」で、それが『ロング・バケイション』につながっていったと。


さて、最後に、改めて「カナリア諸島にて」が生まれたときに読んでいた本のこと。それはきっとこれだろうなと。

a0285828_12210073.jpg


中村光夫著『日本の近代』(1968年)。

この本についてはこの日のブログで紹介した「本との出会い」と題された大瀧さんのエッセイに出てきます。

大瀧さんは『CanCam』という女性雑誌に1982年(『ロング・バケイション』の発売翌年)の1年間、「デジタルトーク」と題したエッセイを連載していました。この「本との出会い」というエッセイはおそらく10月号に掲載されたもの。

ここで大瀧さんが出会いとして紹介しているのは『日本の近代』に収録された「笑いの喪失」というエッセイ。内容は悲劇と言われる文学作品の中にも笑いがいくつも散りばめられているというもの。ただ、日本では文学において(私小説というものが主流になって)だんだんと笑いが失くなってきたと。メロディアスVSコミカルの対立概念が消えたという話に通じる内容ですね。

『CanCam』でのエッセイでは「笑いの喪失」の内容には触れていませんが(このエッセイはおそらく語り下ろしで、雑誌の雰囲気に合うように軽い感じで書かれているので、ちょっとヘヴィな話はカットだったんでしょうね)でも、あえて「本との出会い」というタイトルでこの本を紹介したのは、このエッセイを書く何年間かの中では一番大きな出会いだったからではないでしょうか。

まあ、個人的には村上春樹の『風の歌を聴け』との出会いの方が、話としては面白かったんだけど。


[PR]
by hinaseno | 2017-09-18 12:22 | ナイアガラ | Comments(0)

今日の話のキーワードは「風」ということになるでしょうか(数日前に、キーワードは「夢」と言っていたのに、「夢」の話はちっとも出てこない)。


キーワードといえば、先日紹介した木崎義二さんによるインタビューの最後に「今いちばんいいたいこと」として、大瀧さんはこう答えられていました。


ぼくが出したいのは直接的な「音」そのものではなく「雰囲気」なんです。ナイアガラの旧譜に関して一線級のミキサーは「あれが音か?」という。また、一線級のディレクターは「まるで、デモ・テープをレコードにしたみたいだ」と、決して褒めた言い方はしない。確かに「音」は悪い。つくりも粗い。しかし、確実に「雰囲気」は録音されている。こんどのレコードも当然「雰囲気」中心で、また「音」もよく、つくりも丁寧な出来上がりとなっています。


考えてみたら、僕がはじめて「ロング・バケイション」に針を下ろしたときに魅了されたのは、まさにあのジャケットを含めての「雰囲気」でした。


で、その「雰囲気」が最初に大瀧さんの中でできあがったのが1979年の夏だったんですね。

ということで1979年の夏のことをもう少し考えてみたいと思います。実は大瀧さんが本がストーリーを書いた永井博さんのこの絵本が出たのがまさに1979年の夏。

a0285828_15173849.jpg


本のタイトル「A LONG VACATION」を考えたのは大瀧さん。当初僕はこの本を書店で見たときに大瀧さんの『A LONG VACATION』のアルバムが売れたので、それに便乗して、大瀧さんの名前もちゃっかりと載せて出したものとばっかり思っていたんですが(だから何度か手に取ったものの結局買わなかった)、そうじゃないことに気づいたのはずいぶん後のこと。

レコーディングが終わってアルバムのタイトルを決めるときに、この絵本のタイトルが収録された曲のイメージにぴったりということで、表紙に使った絵も含めてそのままアルバムタイトルにしたんですね。

ちなみにこの本の発行日は1979年7月25日。なんと村上春樹の『風の歌を聴け』と全く同じ。

「カナリア諸島にて」が生まれる前に、大瀧さんがこの絵本に添えられた絵を見ながら、どこか遠く離れた南の島で過ごしている物語を考えていたのは間違いありません。


「カナリア諸島にて」が生まれる前の1979年6月、大瀧さんは2曲の重要な曲を作っていました。いずれも他人への提供曲。

1曲目はアン・ルイスのために書いた「サマー・ブリーズ」。結果的にはボツになってしまうのですが、のちに松本隆さんの詞がついて「Velvet Motel」になる曲。「サマー・ブリーズ」を詞を書いたのは大瀧さん。依頼する側の要望もあったかもしれませんが、まさに永井博さんの絵本の絵に描かれた夏の海辺にふいている爽やかな風を曲全体に感じることができます。大瀧さんの中に一つの確かな「雰囲気」がつくられていたことがわかります。

で、「サマー・ブリーズ」の次に作ったのがこれ。




歌っているのはスラップスティックという声優のグループ(大瀧さんはこのグループにいくつもの重要な曲を書いています)。

一聴してわかるようにのちに「恋するカレン」になった曲ですね。これはボツになってはいないので「恋するカレン」が出たときにはこの曲の盗作だとずいぶん言われたそうです。

ちなみにこの曲は大瀧さんが曲先で作ったもので、あとで詞がつけられています。タイトルは「海辺のジュリエット」。舞台はやはり海辺(松本さんはのちにこの曲に「浜辺」という言葉が出てくるものの冬の室内の詞を付けました)。

で、次に生まれたのが「カナリア諸島にて」。一つの流れができていたというか、奇跡的とも言っていいほどの名曲がこの1979年の6~7月に立て続けに生み出されていたわけです。


ところで「カナリア諸島にて」が生まれたときに大瀧さんが村上さんの『風の歌を聴け』を読んでいたというのは、もちろん僕の希望的な要素を大量に含んだ妄想に過ぎないのですが、でもその頃、大瀧さんの体の中に(一時期の相当鬱屈した状態を通り越して)爽やかな風が吹き始めていたことは間違いありません。


「カナリア諸島にて」ができたときにはまだ詞は付いていなかったのですが、松本さんはまさに大瀧さんがイメージしていたのにぴったりの詞をつけてくれるんですね。「松本隆が『カナリア諸島にて』の歌詞を電話で読んでくれたとき、 体が震えた」と大瀧さんはのちに語っていました。

曲で何度も繰り返されるのがこのフレーズ。


カナリア・アイランド
カナリア・アイランド
風も動かない



[PR]
by hinaseno | 2017-09-17 15:18 | ナイアガラ | Comments(0)

はじめに、ちょっと前置きが長くなりますが、「カナリア諸島にて」が生まれたときの話についてふれられているもうひとつ別のインタビュー記事を探すの大変でした。

その記事を見つけていたのは10日ほど前のこと。木崎さんのインタビューを見つけたのと同じ日に発見しました。ということなので、てっきり木崎さんのインタビューが載った『大瀧詠一 Writing & Talking』に収録されていると思い込んでいたんですね。ところが何度探しても見つからない。なんせ900ページにも及ぶ本なので一通り見るだけでもとんでもない時間がかかります。それを2日間かけて、空いた時間を利用して5回通りくらい見ました。でも、どこにも見当たらない。さすがにへとへとになりました。

ちょっとあきらめかけたときに、ふと冷静になって記憶を呼び起こしたら、確か赤線を引いたはずだと、それから確かインタビュアーは北中正和さんだったということを思い出しました。

改めて本をめくってみたら北中さんの記事が一つあったもののインタビューではない。そしてどこにも赤線を引いていない。なんだか神隠しにあった気さえしてきました。

もしかしたら別の本だったんだろうかと考えて、あたりを見渡してみたら『レコード・コレクターズ』の2011年4月号が目に入りました。特集は『大滝詠一/ロング・バケイション』。

ありました、そこに。北中さんのインタビュー。『大瀧詠一 Writing & Talking』には載っていないものです。

それにしても『大瀧詠一 Writing & Talking』は貴重な記事が満載だけど、唯一難点といえば、目次をもう少し詳しいものにして欲しかった。あの記事はどこにあったっけと思っても目次には載っていないので探すのが大変すぎます。


さて、『レコード・コレクターズ』の2011年4月号に載っている北中さんのインタビューですが、実はこれは『ミュージック・マガジン』の1981年4月号の記事を再掲載したもの。『ロング・バケイション』が発表された直後の記事ですね。ということなので大瀧さんの記憶も正確で生々しく、言葉の一つ一つに実感がこもっています。もちろん後付けの話もありません(かなり後付けの話が多い方なので)。


こんなやりとりがあります。


北中:活動再開のきっかけになったのは、何だったのですか。
大瀧:79年の夏に、本を読んでたら、自然に1曲できた(「カナリア諸島にて」)のね。そういうことって、ほんとうに何年振りかのことでね。『ナイアガラ・ムーン』以降、タイトルを作ってから、曲を作るやり方が続いていたのね。ずーっと。
北中:新しいアルバムは、親しみやすい曲が多いですね。
大瀧:ぼくにとって第1期ナイアガラは、メロディ拒否の時期だったのね、意固地に。その前にソロ・アルバムや、はっぴいえんどの時期があった。それに対して濡れたところを拒否しようみたいな気持ちがあって、歌謡曲対アンチ歌謡曲みたいな感じで、いかに乾くか、ということに専念していたんじゃないかな。当時は、みんな乾燥剤をどれだけ入れるかの勝負だったでしょう。もう、カラカラにひからびで『レッツ・オンド・アゲン』(78年)まで行ったんだけど、さすがにひからびすぎて、体の方が耐えられなかったのか、ふっと浮かんできたのが「カナリア諸島にて」のメロディだった。それがすごいうれしくて、みんなに言って歩いたのね。やれるんじゃないかと。ただし、第1期と同じ轍を踏むことはできない。この3年間アーティストとして、何をしていたかの答えが、今回のLPということなんだと思う。
北中:もう少し説明してくれませんか。
大瀧:ウェットとドライ、対立概念としてとらえていたのをやめて、ひとつのものと見ようとするようになったわけです。

このインタビューで僕が特に反応したのは「79年の夏に、本を読んでたら、自然に1曲できた」という部分。「カナリア諸島にて」は79年の夏に、ある本を読んでいたときに、メロディが「ふっと浮かん」だんですね。気になったのはこのとき大瀧さんが読んでいた本。インタビューのこの部分を読んだときに僕は思わず「北中さん、本が何だったか訊いてよ」って突っ込んだんですね。それで北中さんの名前を覚えていたというわけ。


前回も書きましたが「カナリア諸島にて」が生まれたのはおそらく1979年の7月。木崎さんのインタビューで「8月からレコーディングに関しての打ち合わせを始めた」と発言していることを考えると、できたのは7月の下旬。もしかしたら大瀧さんの誕生日である7月28日だったかもしれません。

1979年の夏といえば、まさにその頃に発売された本を瞬時に思い浮かべることができます。大瀧さんと学年が同じで、大瀧さんと同じく早稲田大学に行った作家のデビュー作。

これですね。

a0285828_11595891.jpg


本の発行日は1979年7月25日。表紙の上の方には「HAPPY BIRTHDAY AND WHITE CHRISTMAS」という文字が記されています。


[PR]
by hinaseno | 2017-09-14 12:00 | ナイアガラ | Comments(0)