Nearest Faraway Place nearestfar.exblog.jp

好きなリンク先を入れてください

Talks About Music, Books, Cinema ... and Niagara


by hinaseno
プロフィールを見る
画像一覧
カレンダー

<   2017年 08月 ( 15 )   > この月の画像一覧





「朝妻一郎さんのこと」というタイトルでいろいろと書いていこうと思いましたが、大瀧さんの話がいっぱい出てくるので、タイトルはそのときそのときの話で決めていくことにしました。


朝妻一郎さんといえば、大瀧さんが発した2つの言葉が僕の中で強く印象に残っています。ひとつは大瀧さんのことを知った頃に読んだ本の中に載っていたインタビューの中の言葉。もうひとつはラジオデイズの「大瀧詠一的」の中で、ちらっと発せられた言葉。後者は直接朝妻さんの名前は出されなかったけれども、後で調べて、ああ、それは朝妻さんのことだったんだなとわかったんですね。

今回の朝妻さんの放送を聞いていたときに、大瀧さんと一番多くアメリカンポップスの話をしたはずの朝妻さんが紹介するアメリカンポップスを心ワクワクしながら聴く一方で、後者の立場にいる朝妻さんのことを考えずにはいられませんでした。ただ、その立場のことを書いちゃうと、後が書きにくくなりそうなので、とりあえずそれはおいておきます。


さて、大瀧さんのことを知った頃に読んだ本というのは萩原健太さんの『はっぴいえんど伝説』(1983年)。それはあの『レッツ・オンド・アゲン』を出した後の、『ロンバケ』誕生前夜の話。


 このLPを最後にコロムビアとの契約が切れてーー切れたんだけど、発売権は残ってたの。二年間。だから、他で僕がソロ出しても、旧譜はコロムビアから出てる。と、市場が混乱するじゃない。それ避けようと思って待ってたの。レーベルを大切にしたかったんだね。だって、ナイアガラがなくなったら大滝詠一もなくなるって思ってたからさ。
 で、その間、またCMやったり、業界の出版物に文章書いたり、ロフトで公開DJしたり、他人に曲をチョコチョコ書いて、みんなボツになったりね(笑)。一人で腹立ててたね。
 そのころ、ポッと「カナリア諸島にて」ができて、朝妻さんとこ行って喜んだんだけどね。”あ、そう”なんて、意外に本気にされなかったの、実は。レコーディング始めてからでも、まだ本気にされなかったみたいよ。それだけ、過去裏切った事実ってのが深く残ってたんじゃないかな、みんなに……。

最初ここを読んだときは「朝妻さんってだれ?」でした。朝妻さんはアメリカンポップスの中でも胸キュンな曲が大好きで、で、大瀧さんにもそういう曲が書けることを知っていたので、『ナイアガラ・カレンダー』を出したときには大瀧さんに「Blue Valentine's Day」や「真夏の昼の夢」みたいな曲を集めてアルバムを作ろうよと言ってたんですね。ところが大瀧さんが出したのはインストルメンタルの『多羅尾伴内楽團』や、さらには冗談としか思えないような曲ばかりを集めたあの怪盤『レッツ・オンド・アゲン』。「過去裏切った」っというのはそういうこと。


でも、その『レッツ・オンド・アゲン』を出したあとに、大瀧さんは他人への提供曲やCMソングという形で、そういう胸キュン路線の曲を作り始めます。まあ、お金のこともあるはずなので、大瀧さんとしてはやはり採用されることを望んでいたはずだけど、結果的にはほとんどがボツ。とは言え、大瀧さんとしてはある種の確信のようなものはつかんだんでしょうね。で、ある日、大瀧さんは朝妻さんのところに行って、まさに朝妻さんが望んでいたようなアルバムを作ることを告げます。

『ロング・バケーション』はこの時期に作られたボツ曲が中心となっているわけですが、でも、最初に自分自身の新しいアルバムのために作ったのは「カナリア諸島にて」でした。


[PR]
by hinaseno | 2017-08-31 13:21 | ナイアガラ | Comments(0)

夏がやってきたら


夏が終わりそうだというのにこのタイトルって何? ですね。朝妻一郎さんのことを書き始めたばかりですが、ちょっと中断。今日書くことは前から決めていました。タイトルはさっき考えたのだけど。

今日はわれらが世田谷ピンポンズさんの五周年記念公演が行われる日。場所は東京のザムザ阿佐ヶ谷。残念ながら僕は行くことはできないけど、姫路のおひさまゆうびん舎関係の人たちが大挙して行くようなので、彼女たち(「彼」もいるのかな)に魂は預けています。どんなライブになるのか想像するだけでわくわくしますね。ライブ会場で売られる特典も気になるものばかり。


この五周年記念公演のことを知ったのはおひさまゆうびん舎で3月に行われたライブでした。姫路から東京というのは絶対に1泊はしないといけないということもあるし、平日の夜ということもあって、さすがの窪田さんですらどうしようかどうしようかと悩んでいたようです。体調の心配もあったようですが、やはり好きな人の大事な日にその場に居たいという気持ちを抑えきれなかったようです。で、同行される方々が何人も出てきて。すばらしいですね。


きっと彼女たちが行くことを決めたのはまだ春だったはずなので、夏がやってくること、この8月のライブの日がやってくることを指折り数えていたに違いありません。

僕の方はこの8月にいくつかの心配事が重なっていたので、心の中では8月がやってこないことを願っていたこともありました。でも、季節はかならず巡って来るものです。当たり前だけど。


ピンポンズさんの5周年というのは公な形で始めてリリースした『H荘の青春』が発売されてからということだそうです。というわけで、今回のライブはそのアルバムをフィーチャーする形になるみたいですね。今回の講演のタイトルである『都会、なんて夢ばかり』というのは、その『H荘の青春』の帯に書かれていた文字。面白いことに、このCDをiTunesに入れるとアルバムタイトルがこんなふうに『都会、なんて夢ばかり』になっているんですね。お気を付けください。僕はパソコンに取り込んでから直しました。

a0285828_10201573.jpg


このアルバムで最初に気に入った曲は「オレンジジュース」。でも、3月のライブで聞いた「H荘の青春」のニューバージョンが素晴らしくて、是非もう一度それを聞いてみたいと思っているんですが、今回のライブでそのニューバージョンが演奏されるでしょうか。

ニューバージョンは歌詞が少し変わっていたけど、この部分の歌詞はこのままだったかな。


夏がやってきたらいろいろ考え直してみようかな
夏がやってきたらもっとまじめに生きよう
夏がやってきたらことさらまじめに生きよう
夏がやってきたら君の事もっとまじめに考えよう

さてピンポンズさんの五周年記念公演の当日券は少し残っているようです。お近くの方、ぜひ行ってみて感想を聞かせてください。

a0285828_10204801.png



[PR]
by hinaseno | 2017-08-29 10:20 | 音楽 | Comments(0)

朝妻一郎さんのこと


アゲインの石川さんから送っていただいたのは今月の8月7日(月)から10日(木)にNHK-FMで全4回にわたって放送された特集番組『ポピュラーミュージックヒストリー ~発展の歴史と舞台裏~』を録音したものでした。

ホストを務められたのは朝妻一郎さん。朝妻さんの声を聞くのは初めて。


朝妻一郎さんの名前はこのブログでも何度も出ています。全て大瀧さんがらみですね。朝妻さんは大瀧さんと公私にわたって関係の深い人でした。ビジネスの大切なパートナー(大瀧さんが契約していたフジパシフィックミュージックという音楽出版社の偉い人。知り合ったときにはまだそんなには偉い人ではなかったかもしれないけど)であり、アメリカン・ポップスについてコアな話ができる数少ない友人(朝妻さんのほうが大瀧さんよりも5歳年上でしたが)でもあったようです。


僕が初めて朝妻さんの言葉を見たのは『All About Niagara』に掲載されたこの対談(対談が行われたのは1976年)でした。

a0285828_13464277.jpg


これを読むとお二人は本当に気の合う仲間だったんだなと。ただ、気の合う仲間とは言っても、大瀧さんは朝妻さんに対してアメリカンポップスを愛する(ただ愛するだけでなく、それを日本に広めようと努力してきた)先輩として敬意を抱き、朝妻さんも大瀧さんに対して一人のミュージシャンとして敬意を持っていたこともよくわかります。


さて、そういう朝妻さんなので、今回の番組は同じくNHK-FMの夏休み期間に放送されていた大瀧さんの『アメリカンポップス伝』を意識していたことはいうまでもありません。『アメリカンポップス伝』の続編をという要望があったのかもしれません。

で、朝妻さんがされたのは、大瀧さんの放送の続編という形ではなく、大瀧さんが多くは語らなかった舞台裏の歴史でした。中心として語られたのは朝妻さんご自身がずっとされてきた音楽出版社の歴史。

ということなのでビジネスの話がたくさん出てきます。まあ大瀧さんはビジネスの話はお好きではないのですが、音楽の歴史を考える上ではやっぱり避けて通れない部分ですね。もちろん大瀧さんはその部分をよく知っていたはずですが。


ビジネスといえば、ぱっと浮かぶエピソードがあります。それは朝妻一郎さんのこの本に収録された「『A LONG VACATION』」と題されたエッセイに書かれていること。

a0285828_13473618.jpg


 大滝君というのは、人から何かをせかされたりとか催促されることが嫌いなんだと思う。「黙っててもアルバムを作りたくなるような環境ができれば、作るよ」と彼はずっと思っていたんじゃないかな。
 これは僕の失敗談だけど、97年に久々に出したシングル「幸せな結末」が売れたときに、「大滝君、久しぶりにシングル出したんだから、これをフィーチャーしてアルバム作ろうよ」って言ったら、「朝妻さんは、すぐビジネスなんだから」と立腹させてしまったんだ。あまりにも短絡過ぎて、「もうちょっと何か言い方があるでしょ」みたいなことだったんだろうね。でも音楽業界の人だったら普通、当然そう言うでしょ。


大瀧さん、このとき本気で怒ったのかな。冗談交じりに言葉を返したような気もするけど。でも、ちょっと興味深いエピソード。


朝妻さんの話はこの後こう続きます。


 大滝君の場合は、基本的にはやるきになるのを待つしかないんだ。自分の音楽を作る上での、その美学は譲れないわけだし、それは、そもそも「ナイアガラ」ってレーベルを作りたいと考えて、実際に始めたところから続いているものだ。自分のレーベルを持つこと自体、新しい考え方だったのに、ましてはマスターを全部自分で持つという発想はさらに先を行っていた。やっぱり今、彼がマスターを持っているから、再発のたびごとにリマスターをしたりして、自分の音楽を管理することができているわけだからね。彼自身、ティン・パン・アレイ時代からのアメリカの音楽出版とレコード・ビジネスの歴史をよく勉強していたと思う。
 僕が大滝君に何か影響を与えたことはないと思う。だけど、自分でレーベルを持つというアイデアを思いついたときに、そういう話に乗りそうなやつは誰かなと思って見回したときに、たぶん、朝妻一郎だったら話が分かるかなと思ってくれたんじゃないかな。そのことは僕にとってとても大きかったと思うね。

今回の朝妻さんのラジオ番組はまさに「ティン・パン・アレイ時代からのアメリカの音楽出版とレコード・ビジネスの歴史」だったんですが、その朝妻さんははっきりと「彼(大瀧さん)自身、ティン・パン・アレイ時代からのアメリカの音楽出版とレコード・ビジネスの歴史をよく勉強していたと思う」と書いていますね。


そういえばビジネスといえば、もう一つ、例のラジオデイズの『大瀧詠一的』で平川克美さんが大瀧さんにストレートに「ビジネス、嫌いですか?」と尋ねた瞬間がありましたね。そのとき大瀧さん、どう答えたんだったっけ。あまりにストレートな問いだったので、大瀧さん、ちょっと動揺されていたような。


[PR]
by hinaseno | 2017-08-27 13:48 | 音楽 | Comments(0)

アゲインの石川さんから送っていただいた例の朝妻一郎さんがホスト役を務められたラジオ番組の話に移る予定でしたが、せっかくなので朝妻さんのことをしっかりと書いておきたいと思い、その仕込みに時間がかかっているので、内藤篤さんの『円山町瀬戸際日誌』のことをもう一回だけ書いておきます。昨夜読んだところに、ちょっと面白いことが書かれていたので。


前回も書きましたが、石川さんがミュージカル映画に関してとりわけご執心なのがバスビー・バークレーという振付師。彼は自ら振付をした映画の監督もしています。

今回のシネマヴェーラ渋谷での「ミュージカル映画特集Ⅱ」がどういう形で終わったのかはわかりませんが、次はバスビー・バークレー特集なんかをしたら石川さんが狂喜乱舞されるのでは、と思っていたら、そのバスビー・バークレーに関しての話が『円山町瀬戸際日誌』に出てきました。2014年に特集した「映画市場の名作」でバスビー・バークレー監督の『青春一座』を上映したんですね。

実は内藤さんは『青春一座』に関しては集客的にはあまり期待していなかったとのこと。ところが予想に反して客の入りは上々だったんですね。で、こんなことを書かれています(ちなみに筆者の内藤篤さんは「バスビー・バークレー」ではなく「バズビー・バークレイ」と表記)。


『青春一座』は、ミッキー・ルーニーとジュディ・ガーランドの一連の青春アイドル路線の第一作だが、あのバズビー・バークレイをバズビー・バークレイたらしめている華麗なダンスシーン演出はなくて、むしろ当時のMGMの看板スターのクラーク・ゲーブルをめぐる楽屋オチを楽しむような、ミュージカルファンにはやや物足りない一篇である。ああ、そうか、それでむしろ一般の客は入ったのか⁉︎ いや、しかしそこまで中身を熟知して、見に来てるとは思えないわけで、どうにも合点がゆかぬ。


これだけ読んでも名画座を経営する難しさがわかります。

『青春一座』は先日の「ミュージカル映画特集Ⅱ」でも上映されていて、石川さんはやはり見に行かれていました。石川さんの感想を読むと「いわゆる万華鏡バークレー・ショットは見られ」なかったことがちょっと残念だったようですが、映画としては楽しめたようです。


さて、果たしてシネマヴェーラ渋谷でバスビー・バークレー特集をやる日がやってくるでしょうか。お一人はきっと毎日通われるはずですが…。


[PR]
by hinaseno | 2017-08-25 10:14 | 映画 | Comments(0)

『円山町瀬戸際日誌』を読む前は名画座というものにロマンチックなイメージをもっていたけど、いざ経営ということになるとやはりいろいろと大変そうです。当たると思った特集が全然不調だったり、逆に苦しいかなと思った特集に結構人が集まったりとか。


ちょっと興味深かったのはちょうど10年前(2007年の末から2008年の初め)に行われたミュージカル特集のこと。この特集、どうやらかなり客の入りが悪かったようです。

内藤さん、こんなことを書かれています。


 さて、劇場はといえば、年末年始の年越しのミュージカル特集は不調で、筆者の見るところ、これは上映作品がどうのこうのというより、たぶん日本人はミュージカル映画がキライだ、ということなのだと思う。アステア映画が一本もないなど、作品的にも苦戦したのは事実だが(略)ジャンルとしてのミュージカル特集への敵意というのか無関心というのかが、日本全体を覆っているとしか思えない。漠然とは、そうした匂いを知らなかったわけではないから、今回も「ミュージカル」を前面には出さずに、「踊る人」という看板をかかげて、バレエ物や「踊りといえばベルトリッチ」などを混入させて「特集偽装」(?)をはかったのだが、やはりバレていたようだ。ピーマン嫌いの子供にピーマン食べさせようとして、細かく切って卵焼きか何かに混ぜて、どさくさ紛れに食べさせようとしても、そういうことには妙に敏感で、すぐに感づかれてしまうのと似ている。どうせ不調ならば、全部MGM映画でやれば良かったかもしれない。バレエ物も好きだが、一番好きなダンス映画が何かといわれれば、文句なく、RKOのアステア=ロジャース物とMGMのアーサー・フリード作品群である。ま、前者は公式には上映用プリントは存在せず、後者も三週間のプログラムを埋めるほどにはないのだけれども。

正直言えば、僕もずっとミュージカル映画は苦手でした。唯一好きだったのが、オードリー・ヘプバーンとフレッド・アステア主演の『パリの恋人』。これでフレッド・アステアを知って彼のCDをいろいろ買ったりしましたが、あくまで関心をもたのはアステアの歌であって、彼が主演した映画はいまだに

ほとんど見ていません。「日本人はミュージカル映画がキライだ」という内藤さんの意見にも頷けるものがあります。


ただ、僕の場合、最近はミュージカル映画で使われて、のちにスタンダードになった音楽への関心が急速に高まっているので、その流れでミュージカル映画もちょこちょこ見るようになりました。最近観たのでは大好きなハリー・ウォーレンの曲が使われている『四十二番街』とか。この振り付けをしているのがバスビー・バークレー。アゲインの石川さんが今最も強い関心を持たれている人ですね。

そう、最近の僕のミュージカル映画への関心の高まりは石川さんの影響大×4です。その石川さんが足繁く通われたのがシネマヴェーラ渋谷で6月から7月にかけて行われていたミュージカル特集Ⅱ。タイトルに「Ⅱ」がついているのは10年ぶりに行われる特集だからですね。

おそらく前回の第一回目の特集の反省を踏まえて「RKOのアステア=ロジャース物とMGMのアーサー・フリード作品群」を前面に押し出してのもの。内藤さんにとっては満を持してという感じだったでしょうか。果たして客の入りはどうだったんでしょう。


さて、ミュージカル映画への関心に多大なる影響を与えてくださったアゲインの石川さんから、またまた素晴らしいものを送っていただきました。先日、NHK-FMで4回に渡って放送されたこの番組を録音したもの。これが大瀧さんのアメリカンポップス伝を思い起こさせてもらえるような、超わくわくの番組だったんですね。これについてはまた次回に。


[PR]
by hinaseno | 2017-08-23 13:20 | 映画 | Comments(0)

先日書いた牛窓の話に関して、おひさまゆうびん舎の窪田さんから牛窓にあった絵本屋さんは宇吉堂という店ではとの連絡がありました。ネットで調べてみたら、宇吉堂は現在金沢に移転しているようですが、牛窓にあったときの情報も残っていたのでそれを見ると宇吉堂のあった場所は僕の記憶しているところと同じ。どうやら僕が言った絵本屋さんは宇吉堂でまちがいないようです。窪田さんは宇吉堂に何度か行かれていたばかりか、おひさまゆうびん舎やお隣にあったツリーハウスも宇吉堂とつながりがあったそうです。ツリーハウスでは出張宇吉堂というのを何度かやったそうです。へえ~、ですね。

その窪田さんから、世田谷ピンポンズさんの好きな曲についてのアンケートを半月ほど前に頼まれていて、先日ようやく書いて送りました。

好きな曲を5曲ということだったんですが、文句なしに入るという曲ですぐに4曲埋まってしまって、残りの1曲をどうするかでずいぶん悩んでしまいました。候補が5曲以上あったので。

引き受けたときには楽しい作業に思えたんですが、選ばなかった曲に対してちょっと申し訳ない気持ちになっちゃうんですね。でも、選曲しながらピンポンズさんのいろんな曲を聴いて改めて本当にすばらしいシンガーソングライターであることを再認識しました。


さて、文句なしに選んだ1曲が「名画座」。これはもう詞も曲も最高です。

そして名画座といえば、今もがんばっているシネマヴェーラ渋谷。

シネマヴェーラ渋谷といえば、先日時間つぶしに立ち寄った(というのは嘘で、立ち寄るのも目的に1つにしていた)本屋で、いろいろとながめていたときにパッと目に飛び込んで来たのがこの本でした。

a0285828_12125713.jpg


あのシネマヴェーラ渋谷の館主の内藤篤さんが書かれた『円山町瀬戸際日誌 - 名画座シネマヴェーラ渋谷の10年』という本。以前、このブログにシネマヴェーラ渋谷のことを書いたときにおひさまゆうびん舎の常連さんの方から教えていただいて(いろんなつながりにびっくりでした)同じ本屋で探したときには見当たらなかったはずだったんですが、ひょこっと本棚に収まっていました。これも何かの縁ですね。

ってことで本を買って今読んでいるところ。日記形式で書かれているのですが、あちこちで笑えて楽しく読んでいます。まだ途中ですが、へえ~っという話がいくつも。

一番びっくりしたのは館主の内藤さんはあの岩井俊二監督といくつか一緒に仕事をされていたということ。シナトラの「マイ・ウェイ」を『スワロウテイル』で使う交渉をしたのは内藤さんとのこと。あるいは『リリイ・シュシュのすべて』でもリーガルアドバイザーとして内藤さんの名前を見ることができます。すごいですね。

岩井監督といえば、毎年この時期になると必ず観ている『打ち上げ花火下から見るか横から見るか』を一昨日観たばかりですが、今、そのアニメ版が上映されているんですね。奥菜恵さんが演じたなずなの声を広瀬すずさんがやっています。広瀬さんは挿入歌も歌っているんですね。それが松田聖子の「瑠璃色の地球」のカバー。詞はもちろん松本隆さんです。アニメ版、観ようかどうしようか悩んでいます。

その岩井さん、ちょっとびっくりしたのは最近こんな仕事をされていたんですね。




新山詩織さんという女性シンガーの新曲『さよなら私の恋心』のMusic Videoを岩井さんが作られたんですね。いかにも岩井さんらしい映像です。曲は岩井さんとも関係の深いCharaが書いています。


ところで新山詩織さんとシンガーのことを知ったのはこの曲でした。




大瀧さんの「君は天然色」のカバー。こんな可愛い女の子がカバーしてくれるなんて、大瀧さんも喜んでいるでしょうね。


話が「円山町瀬戸際日誌」のことからそれてしまいました。次回はその本のことをもう少し


[PR]
by hinaseno | 2017-08-22 12:15 | 映画 | Comments(0)

先日、病院の待合室で岡山のタウン情報誌をパラパラとめくっていたら牛窓に汐まちカフェという名前のお店がオープンしていたことを知りました。場所は牛窓の古い町並みが残っているしおまち唐琴通り。ここは牛窓に行けば必ずと言っていいくらい歩く通りなので、オープンしてからも店の前を歩いたはずだけど気づきませんでした。元々あった歯科病院を改装したとのこと。今度牛窓に行ったら、ぜひ立ち寄ってみようと思います。夏が終わるまでには行けるかな。


ところで、しおまち唐琴通りにあるということから来ているのかもしれませんが、汐まちカフェという名前はとてもいいですね。雑誌をパラパラとめくっていて目に飛び込んできたのはやはり「汐まち」という名前が見えたから。

牛窓は古くから風待ち、潮待ちの港として栄えた町ということなので「汐まち」の「まち」には「待ち」というとこばと「町」という言葉がかかっているはず。

そういえば僕が車で牛窓に行くようになった頃には「風街」という名の喫茶店があって必ず立ち寄っていました。店主がはっぴいえんどのファンであったことは間違いのないはず。店内にははっぴいえんどや大瀧さんのレコードが並んでいました。

当時牛窓はリゾートブームの中、日本のエーゲ海として一躍脚光を浴びていた頃。海沿いにはエーゲ海にうかぶ島をまねて真っ白い、おしゃれな建物が次々に作られていました。「風街」のあった建物は今もそのまま残っているけど、やはり真っ白い建物(今の目から見ればちっともおしゃれでないけど)。

牛窓はまさに白い港になっていたんですね。僕は大瀧さんの曲や松田聖子の曲の歌詞(ほとんど松本隆さんが書いたもの)の風景が、ちょっとしょぼかったけど、確かにそこにありました。

でも、ある時期からしばらく牛窓にも行かなくなって、ある日、牛窓にちょっといい感じの絵本屋さんができたということを知って牛窓に行ったんですね。このときにはすっかりリゾート感も失われて、寂れた感じが漂い始めていました。でも、牛窓本来の風景に戻りつつあったというか、古民家を利用した店が出来始めていたのもその頃。その絵本屋さんも古民家を利用していました。

それから、さらに10年くらい経って、川本三郎さんが牛窓に行かれていたこと、そこを住んでみたい町だとエッセイに書いていたことを知って久しぶりに訪ねて、それ以来、何度も行くようになって現在に至っています。


さて、「シロ」に会った日とは別の日のことですが、先月、牛窓に行った時には久しぶりにここのヨットハーバーに行きました。

a0285828_11471801.jpg


ここにやってくると大瀧さんの「白い港」のこのフレーズが流れてきて、


〽︎セイルを下ろした無数の帆柱が怖いほど綺麗だよ

松田聖子の『Silhouette シルエット』のA面3曲目の「Sailing」のこのフレーズが流れてきて、


〽︎ヨットパーカー そして白いデッキシューズ
〽︎ヨットハーバー 赤く染めるサンセット

で、やはり松田聖子の『Silhouette シルエット』のA面2曲目の「白い貝のブローチ」をちょっと口ずさみます。


いろんな時代の、いろいろな人たちとの、いろいろな出来事を思い出しながら。


[PR]
by hinaseno | 2017-08-19 11:48 | 雑記 | Comments(0)

久しぶりに想田和弘の『観察する男』(ミシマ社)を読み返しています。それにしてもミシマ社は僕にとってうれしくなるような本をいっぱい出してくれていますね。


想田さんが初めて牛窓にやって来たのは2012年の夏。奥さんの母親が牛窓出身という縁で、たまたま空き家となった牛窓の海岸近くの家を借りてその夏を過ごされたんですね。で、牛窓に興味を持った想田さんは翌年2013年の夏休みも牛窓で過ごすことにします。

想田さんに興味を持ち始めてツイッターなどで想田さんをチェックするようになったのがその少し前のことだったので、想田さんが牛窓にいるというツイートを読んだときにはびっくりでした。でも、まさかそこで映画を撮影するなんて思いもよりませんでした。


牛窓で過ごしていたある日、想田さんは「やっぱり、ここで映画を撮っておいたほうがいいんじゃないかな」と漠然と思うんですね。で、その年の秋に再び牛窓にやって来て撮影を開始します。

撮影を開始したのが2013年11月4日。その日のツイッターに「今日から早速撮影を始めました~。」と書き込んでいます。

翌11月5日にはこうツイートしています。


僕の映画は常に「とりあえず撮っておこう」で始まります。

そう、想田さんの観察映画はこういうものを撮ろうという計画がないところから始めるんですね。

その後、こんなツイートが続きます。


2013年11月7日
今日は朝から晩までカメラをまわしっぱなし。さすがに死んだ。
2013年11月11日
牛窓での新作撮影、続行中です。映画の輪郭もおぼろげながらみえてきました。でもそれが何なのか今は言えない。

で、撮影が終了したのが11月20日。合計17日間の撮影。


ところで『観察する男』によると、想田さんは「観察映画の十戒」というものを持っているんですね。非常に興味深いのでここに列挙しておきます。


①被写体や題材に関するリサーチは行わない。
②被写体との撮影内容に関する打ち合わせは、(待ち合わせの時間と場所など以外は)原則行わない。
③台本は書かない。作品のテーマや落としどころも、撮影前やその最中に設定しない。行き当たりばったりでカメラを回し、予定調和を求めない。
④機動性を高め臨機応変に状況に即応するため、カメラは原則僕が一人で回し、録音も自分で行う。
⑤必要ないかも? と思っても、カメラはなるべく長時間、あらゆる場面で回す。
⑥撮影は、「広く浅く」ではなく、「狭く深く」を心がける。「多角的な取材をしている」という幻想を演出するだけのアリバイ的な取材は慎む。
⑦編集作業でも、あらかじめテーマを設定しない。
⑧ナレーション、説明テロップ、音楽を原則として使わない。
⑨観客が十分に映像や音を観察できるよう、カットは長めに編集し、余白を残す。その場に居合わせたかのような臨場感や、時間の流れを大切にする。
⑩制作費は基本的に自社で出す。作品の内容に干渉を受けない助成金を受けるのはアリ。

③の「行き当たりばったり」というのがいいですね。「行き当たりばったり」というのは大瀧さんの好きな言葉でもあります。

『観察する男』にはこんな言葉もありました。


観察映画の場合、「行ったらたまたまそうだった」というだけのこと。状況をファインドアウトしただけですからね。僕がアレンジしたわけでも、探していたわけでもない。そこにあったものをそのまま撮っただけ。

そういう形で2週間あまり牛窓を取り続けたわけですが、それを編集しているときに想田さんはあることを考え始めるんですね。撮影から1年近く経った2014年10月5日にしたツイートにこんなことを書いています。


牛窓で撮影したドキュメンタリー映画を編集している。まだ分かんないけど、もしかしたら撮った素材から1本ではなく2本の映画ができるかも? なんとなくそんな予感。


ということでたくさん撮影した中から「牡蠣工場」の素材だけ集めて作ったのが『牡蠣工場』。つまり『牡蠣工場』には、牛窓に暮らす人々の生活の風景や、牛窓の街並みがほぼすべてカットされたんですね。

『観察する男』でこの話を読んだときにはまだ『牡蠣工場』を観ていなかったけど、『牡蠣工場』以上にもう一つの牛窓の物語を観たくなってしまったんですね。

で、なんと今、どうやら想田さんはそのもうひとつの牛窓の物語の編集を進めているみたいです。いや~、楽しみですね。「シロ」はきっと、そのもう一つの牛窓の物語にも登場しているはず。

ああ、また「シロ」に会いに行きたくなりました。

a0285828_14132379.jpg


[PR]
by hinaseno | 2017-08-16 14:13 | 雑記 | Comments(0)

想田和弘さんの『牡蠣工場』が日本で上映されてから1年以上が経ちましたね。ストーリーも忘れかけているので、そろそろDVDを発売してもらえないかな。

ところで映画のパンフレットの「STORY」はこんな書き出しになっています。


瀬戸内海にある小さな町・岡山県瀬戸内市牛窓。
一匹の白い飼い猫が、浜でのんびりと寝そべっている。本当の名前は「ミルク」だが、地元の人には「シロ」と呼ばれている。カメラを持った見慣れぬ来訪者に興味津々のシロは、想田らが滞在している家に侵入する機会を虎視眈々と伺っている。

想田さんが『牡蠣工場』を撮影したのは2013年11月。僕が映画や写真で見ていたのは3年半も前の「シロ」なので、海沿いで見つけた白い猫が本当にあの「シロ」なのか確信は持てませんでした。

実は僕が白い猫を発見したとき、その猫の近くに年配の女性と幼い男の子(おそらくお孫さん)がいたんですね。女性はその白い猫を飼っている家の人でした。で、女性に訊いたらその白い猫はやはり想田さんの映画に出た「シロ」に間違いありませんでした。ただ、本当の名前は「ミルク」ではなくて別の名前だったような気がするけど忘れてしまいました。


映画でのシロはかなりやんちゃな感じがしましたが、映画から3年半となると人間の年齢では14歳くらいは年を重ねているので、すっかり心優しい大人の猫になっていました。


そんな情景がこれ。

幼い子が猫に近寄って手を差し出します。ちょっとだけヒヤヒヤしながら眺めていたら…

a0285828_12345749.jpg

a0285828_12351098.jpg

a0285828_12352109.jpg

a0285828_12355745.jpg


シロは子供に抵抗するそぶりを一切見せることなく、子供を脅かさないようにゆっくりと堤防の上に逃げちゃったんですね。

うれしいことに、そこは写真を撮るには絶好の場所。牛窓の海と民家と島(前島)をバックにいいポーズを取ってくれました。

a0285828_12362139.jpg


それから、恐る恐る手を伸ばしたら逃げることなくこっちを向いてくれました。めんどくせ〜な〜って顔だけど。

a0285828_12363772.jpg

a0285828_12364912.jpg


[PR]
by hinaseno | 2017-08-15 12:37 | 雑記 | Comments(0)

海岸の堤防に沿った道に出たとき、遠くに真っ白い猫を発見。もしやあれは、と、どきどきしながらゆっくりと近づく。白い猫は僕が近づいても逃げようともせず、眠そうに目を閉じたまま。

a0285828_12111316.jpg


で、ようやく目を開ける。

a0285828_12112785.jpg


間違いない。あの「シロ」。


   *      *     *


昨日のブログの最後に、川本三郎さんにどこかでお会いできないかなと書いて、あえて「牛窓」という言葉を付け足したのは今日のブログの話につなげるためでした。でも、実はこれから書く話は2か月以上も前にあったことで、書こう書こうと思いながらなかなか書けなくてようやく。


さて、牛窓に行ったときは、いつも心のどこかで川本三郎さんのことと、亡くなられた奥さんのことを考えています。奥さんが住んでみたい町だと言ってたんですね。川本さん夫婦が実際に牛窓に住んでいたらどれだけ素敵だっただろう。

その話を知って以来、いつか川本さんがひょっこり牛窓を訪ねて来られて、そのときにばったりとお会いできたらと思い続けています。


で、去年から、もう一人、というか、もう一匹、会いたいと思うものができたんですね。それが白い猫。

昨年、日本で公開された牛窓を舞台にした映画『牡蠣工場』(監督 想田和弘)の、主役と言ってもいい存在が「シロ」と呼ばれる白い猫でした。映画館で『牡蠣工場』を見ていたとき、おそらく牛窓に住んでいらっしゃるはずの年配の男性が、シロがスクリーンに映るたびにうれしそうな笑い声を発せられているのがとても印象的でした。

それ以来、シロに会いたくて、牛窓に行くたびに白い猫を探していました。想田さんの『観察する男』(ミシマ社)や『牡蠣工場』のパンフレットにたくさん映っているシロの写真を持って。

a0285828_12114441.jpg


ちなみにこれは想田さんがツイッターのアイコンに現在使っている写真。想田さんがカメラを向けているのがシロですね。

a0285828_12120499.png


実は今日気がついたことですが、僕がシロに出会ったのは、まさに想田さんとシロが写っている場所でした。


[PR]
by hinaseno | 2017-08-14 12:12 | 雑記 | Comments(0)